2023.02.25

イノベーションガーデン2023「メタサピエンス」が24-25日あって、いろいろとしながらついでに観ている。というか聞いているだけで充分である。リアリティが無い。博報堂が中心となって、ディジタル技術を利用した新たな人類のありかたとビジネスチャンスの話を集めたものらしい。25日、その一つとしてエマニュエル・トッドの話があるので、登録しておいたのである。以下要約。

イノベーションガーデン2023「メタサピエンス」2日目。

    エマニュエル・トッドの話はフランスからのリモートインタビューだった。経済指標などは社会の意識構造であって、それよりも、重要なのは教育体制、宗教、家族制度である。これらは容易には変わらない。家族制度は西ヨーロッパで一般的な個人主義ドイツや日本で一般的な直系家族ロシアや中国の共同体構造という風に分類されるが、実際は明確なものではない。日本においても直系家族制がもっとも典型だったのは江戸時代から明治初期であった。西洋文明を受け入れて追いつく必要から、個人主義の方向に舵を切ったからである。しかし、国家の危機を感じたとき、直系家族制の考え方が強くなった。近代化の圧力に晒された直系家族制では女性に大きな負担がかかるために、人口の増加が難しくなる。しかし、グローバル経済の行き詰まりに対しては英米ほどには影響を受けにくい。助け合いの社会が残っているからである。貿易立国日本がグローバリゼーションに対応するのは当然ではあるが、その負の側面に対しては自らの社会の伝統を活用すべきである。江戸時代を思い出すべきである。

    最近、チャールズ・グッドハートの著書『人口大逆転』(日本経済新聞社)が注目されている。少子化で人口が減少していく時代には生産力の低下によるインフレーションが持続する、という考えで、とりわけ新しい考え方ではないのだが、実証的な論理展開が見事である。日本が人口減少局面においてインフレーションを免れたのは、中国が人口増加局面にあって安価な労働力を提供していたためである。その間、日本の企業は生産性の向上を怠って、ひたすら内部留保を積み上げてきた。中国が経済成長し、出生率も1.3程度になってしまった以上、これからは本格的な労働力不足によるインフレーションの時代になる。既に外国人労働者の数はかなり多い。問題は彼らが定住できないようにしていることである。彼らを日本の文化に取り込むというのが、おそらくこれからの日本にとって重要なことである。移民は確かに社会を不安定にする。欧米と比べて日本はそのことに過敏である。「思いやり社会」に慣れすぎているからである。しかし、思い切って冒険するだけの勇気が必要である。

    コロナ禍で明らかになったのはグローバリゼーションの欠陥である。重要な医薬品等を殆ど海外に頼っていた。本来は軍と同様に経済性から切り離して国家が管理すべきものである。しかし、欧米ではその反省が見られない。経済効率優先主義というのはなかなか捨てられないものである。コロナ禍は今後の社会を変えるだろうか?そうは思えない。昔、エイズ禍の時に、同性愛者等への社会的偏見が強まると思われていたのだが、実際には全く関係なかった。

    ロシアとウクライナの戦争については、両方の側から理解する必要がある。ウクライナ対ロシアと考えれば、圧倒的な強者はロシアであるが、自由主義国対ロシアと見れば、ロシアが弱者となる。

『ロシア:衝突の源流』(これはNHKBS)

・・恐怖

    モスクワ公国はモンゴル帝国の侵略を教訓として、シベリア一体までを領土とした。以来、過剰に自己防衛しようとして領土を確保するということに固執するようになった。現在まで続いている。

    ナポレオンの来襲。ボロジノの決戦。14万対13万。6万人が負傷。ナポレオン軍は大勝してモスクワに入場。ロシア軍はモスクワを焼いた為に食料も住居も無かった。1ヶ月後に退却。リトアニアのビリニュスでフランス軍の骨が大量に見つかった。寒さと飢餓で死んでいた。

    フランス革命。国王の処刑がヨーロッパの君主達に恐怖をもたらした。ウイーンに集結して反フランス同盟を作った。オスマン帝国へのセルビア蜂起。怯えされる為に頭蓋骨を晒したが、かえって怒りと憎しみをもたらした。

・・威信
    シリアやグルジアへの侵攻は威信(spirit)の為である。プーチンはピョートル大帝を崇拝している。大帝は社会の西洋化を推進。英国に学んで造船と海軍を育てた。スェーデン軍に勝利してバルト海の制海権を手にした。サンクトベテルブルグを作った。

    ハプスブルグ家は各国との婚姻関係で勢力を維持しようとした。

・・欲望
    エカテリーナ2世。エルミタージュ美術館。バルト海は冬季に使えないため、黒海の交易ルートを確保しようとした。現在のウクライナ南部、当時はオスマン帝国。黒海北岸だけでなく、東欧地域(現ルーマニア)にも攻め入った。ルーマニアのワインを輸出。得た利益で美術品を購入した。今でも農地の中にポツンとロシア正教の教会(1777年)が廃墟として残っている。

    アレクサンドル2世。オスマン帝国内の正教徒の保護を理由に侵攻(クリミア戦争)し敗退。(元々東ローマ帝国はオスマン帝国に滅ぼされ、ロシア皇帝が正教会を引き継いだ。)ブルガリア独立運動に加勢して侵攻。正教徒の盟主として威信を示した。しかし、ハプスブルグ家の介入により、独立したブルガリアの領土は狭められて地中海への出口に到達せず、ロシアの南下政策は頓挫した。

    20世紀に兵器が強大となり、戦争は経済的には割に合わなくなり、「正義」を必須とするようになった。総力戦となった。犠牲者の増大は反戦の機運を生み出す。第一次世界大戦、ニコライ2世はイギリスとフランスとの間で黒海の支配権について密約していたが、国民の負担が大きくてロシア革命が起きた。

    スターリンは「社会主義を守る」という正義の為に周辺国に侵攻。

    プーチンの時代も同様で、ロシアは専制国家から抜け出せない。国民はそれ以外の政体を思い描けない。

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