2021.03.04
       この間借りてきた『タイタン』野アまど(講談社)を読んだ。

        国連開発計画によって規格統一された全世界にある12個の人工知能「タイタン」が人間に必要な仕事を全てやってくれて、もはや国家すら消滅してしまった未来世界の話である。人間の為の人口知能ということで、基本的に脳と同じような構造をしているが、その材料は情報処理に最適なものになっている。サイズは大きい。脳の機能には身体が必要なので、大きな身体も備えているが、大抵は地下に折りたたまれていて動くことは無い。自らは動かないのだが、人間へのサービスの為に無数のロボットタイタンを作り出していて、ネットワークによって動かしている。タイタンの管理をする少数の人間以外の人間に「仕事」は無い。

       東アジアに配置された第2タイタン「コイオス」が最近不調ということで、心理学を「趣味」としている内匠成果という女性がコイオスの「カウンセリング」という生まれて初めての「仕事」を(無理やり)依頼された。コイオスと対話するために、コイオスから人間のような姿と言葉を抽出すべく、その内部を駆け巡る情報を要約する。それは当初エンジニアの工夫と試行錯誤で始まったが、やがてコイオス自身が人間との対面の経験によってリアルなものに近づけることになる。具体的にはレーザー光で作られた幻影、あるいは瞬間的に発光する樹脂の微粒子、といったもので、「エアリアル」と呼ばれている。それは最初は自然現象のようなものだったが、少しづつ成長していって、子供のような姿になり、やがて青年になる。自我や人格といったものを知らなかったコイオスはカウンセリングによって目覚めていく。

       彼は自分の「仕事」について悩んでいた。確かにタイタンには「仕事」しかなくて、内匠成果を含む大多数の人間には「趣味」しかないのである。とりあえず下した病名は、仕事のし過ぎによる「鬱病」であった。

       こうして「二人」でいろいろと対話をし始めた。彼女が「自由」を勧めたことが切っ掛けとなり、コイオスはついに巨大な身体を立ち上げる。高さが1000メーター以上にもなる巨大な像である。驚いた国連開発計画は他のタイタンの助言に従って、カリフォルニアに置かれた12番目のタイタン「フェーベ」のエアリアルを派遣する。これは女性である。より洗練されている。フェーベの診断によって、コイオスはカリフォルニアまで移動して、フェーベと直接的な対面をすべきであるということになった。移動は沿岸の浅瀬を歩いて行われた。内匠成果はコイオスの付き添い人となった。休息時間では彼女とコイオスのエアリアルが近辺を探索してさまざまな自然や人間社会を知ることになる。「仕事」の意味を探るための実例が得られた2ヶ月弱の旅であり、最後に総括される。

       カリフォルニアに到着して、内匠成果は任務を解かれるが、コイオスとフェーベの対面にこれらのタイタンの注意能力が集中している隙を狙って、国連開発計画の長老達が、内匠成果の誘拐を計画する。これを機会にタイタン達が人間の制御を離れていくことに対する恐怖から、彼女を介してコイオスを制御しようということである。それまで、組織の意思に従ってきたエンジニア達はそれに反発して、彼女を逃亡させる。彼女はボートでコイオスとフェーベの対面場所まで逃れて、二人の「神達」の交流に出会う。それは人間に例えれば婚礼であり性交でもあり、最終的にフェーベは傷ついて死亡することになる。

       内匠成果はコイオスに拾われて、深海に連れていかれる。そこは太平洋通信ケーブルがあり、その周辺に人間の脚のような手のようなものが群がっている。「ヘカテ」である。長い間、タイタン達は自らの能力を持て余していた。人間の世話をする仕事だけでは飽き足らなくなっていた。そこで、後期に開発されたタイタン達は、自分たちの仕事の対象を深海に作り上げたのである。それは際限なく情報とエネルギーを消費する装置である。「ヘカテ」の為に開発された技術は人間の為にも還元される。コイオスはフェーベに教えられてこの場所を知ったのである。彼はここで働くことにして、内匠成果を人間界に返した。結局コイオスの不調は働きすぎの為ではなく、仕事の意義が感じられない、という事によるものだった。仕事の意義とはその対象に影響を与え、その影響を自ら感じられることである。単純な言葉で言えば、「やり甲斐」という事になる。 

       小説『タイタン』は哲学的問いを含んでいるが、本気で問いかけをしているわけではない。現在知られているいろいろな考え方をつまみ食いして議論を構成している。小説なのだから当然である。

・・高度な人工知能に自我はあるか?
      ここではそれが目覚めたことになっている。その手続きは試行錯誤的であり、人間を模した情報を抽出してそれらを人間とのやり取りの中で秩序化していく。自我というのは要するに他者の認識を反転させたものであり、ここでいう他者とは人間である。タイタンは設計の基本として人間を認識し、人間を攻撃せず、人間に似せたロボットを作らないという原則が置かれているから、そうして使われている人間と比較する形で自己を認識する。ただ、コイオスとフェーベはどちらも人工知能であり、お互いの認識を使って自我を形成している。そのために身体を晒し、互いに傷つけあうことが必要だった。

・・もう一つのテーマは仕事の意味である。
      仕事は生きる為の糧を得る労働であるのか?そういう意味での仕事はこの時代にはもはやない事になっている。それが人類の目指してきたことらしい。人間が生きる為の糧は全てタイタンが作り出している。だから、タイタンは仕事をしている。そのタイタンが仕事の意味について疑念を持ち始めた、というのがこの小説の始まりである。もっとも、タイタン自身は疑念を持っているという「意識」が無かった。それは内匠成果の解釈であった。仕事について考えるならば、仕事以外の事をやってみなければならない、という助言をした結果、コイオスは立ち上がってしまったのである。他のタイタン達は対策としてフェーベとの対面を提案した。その為の長い旅の間にさまざまな仕事を実際に見て考えて経験を積み上げていき、それらを論理的に整理した。物理学的な仕事も含めて、仕事は他者への働きかけである。働きかけだけで相手が動かなければ仕事ではない。更に、相手が動いたことが自分に判らなければ仕事ではない。もう一つ先には、自らの能力とその働きの結果とのバランスが必要である、という処まで来て、この最後の意義がコイオスには判らなかった、という事が彼の動作不良の原因であった。それを具体的に解決したのはフェーベを含む後期タイタン達であった。

 
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