2011.06.29

   古川和男の「原発安全革命」(文春新書)を広島で読み終えた。なかなかすんなりとは判らない。あまり核化学には興味がなかったのでこういった原子力利用技術も知らなかった。今回東洋経済6/11号「原子力特集」で知ったのである。大学に居た頃は核融合の研究が盛んで、物理学会ではプラズマ物理が大きな比重を占めていた。高温プラズマを高密度で如何に閉じ込めて核融合を持続させるか、ということで強力な磁場の元でのプラズマの運動がテーマになったのである。しかし、これは非常に困難であって、もはや研究は下火になっているらしい。僕はその頃液体の物理に興味が向っていて、遠藤先生という人の溶融塩の理論と実験の特別講義を聴いたことがある。イオンは正負の電荷で結びついて規則的な結晶を作るが、もともと静電気力には方向性が無いからちょっと温度を上げると結晶が崩れて液体になる。その状態は相互作用が単純なので結構理論的に理解しやすいということなのである。また水さえ入らなければ相当化学的には安定である。気化するのもなかなか難しいので飛散もしにくい。化学反応の溶媒として最近使われている。その時に確か、研究の目的は原子力発電の時の冷媒に利用するためだ、ということだったのを記憶している。古川氏はその頃トリウム溶融塩での核分裂反応の研究をしていたということらしい。
    その後、カナダに雇われ研究員で滞在していたころ(1980年)、日本からやってきた原子力発電推進派の物理屋さん(物理学会では反対派が多かったので珍しかった)に連れられてカナダで開発された重水を冷媒とする原子炉の見学に行ったことがある。核分裂を連鎖的に続ける(臨界状態)ためには核分裂によって副次的に生じる中性子のエネルギー(速度)を下げて(熱中性子にして)他の原子(ウラン235)に当てる必要がある。中性子が速いままだと炉の外にすり抜けてしまうからである。小さめの原子核に衝突させてうまく速度を落とすのだがそれを減速材という。黒鉛や水(正確には水分子の中の水素原子)が使われる。水でも水素を重水素にするとより効率的なのでカナダではそれに着目して制御しやすい炉を開発した。黒鉛炉、軽水炉、重水炉、というのはそれぞれ減速材の名前である。因みにカナダでの研究室の窓の直ぐ傍には原子炉があった。熱中性子はエックス線や可視光や赤外線と同様、物質との衝突を利用して物性を調べる重要な道具であった。この減速材が液体であれば当然そのまま熱を運ぶ媒体としても使える。特に軽水は圧力に耐える容器を使えばそのまま外に引き出して蒸気にしてタービンを廻せるから仕組みが簡単になる。アメリカが原子力潜水艦用に開発したのも自然であったが、商用に使うにはリスクが伴う。にも拘らず商用にこれが使われた(福島もその初期版)。その後安全確保の為もう一段熱交換器を通してタービンにまではこの減速材が行かないようにしたものが今は主流である。
    ところで、この本で知ったのだが、戦前1930年頃ハンガリーから米国に亡命した4人の物理学者によって原爆開発、具体的にはプルトニューム製造のための原子炉の開発が始まった。その後戦時中に商用原子炉について議論を続けて得た結論は、溶融塩(具体的にはフッ化物塩)を中性子の減速材、反応媒体、熱運搬媒体に使うのが理想的である、というものであった。1945-76年にオークリッジ研究所でその開発が行われ、実験炉では何のトラブルも無くあっけなく成功したが、技術はそこでお蔵入りとなり、もはや技術者も殆ど生き残っていない。それまで原子力潜水艦用に開発されていた軽水炉が商用に選択されたからである。理由は勿論既に軽水炉が実用化されていたからであったが、その後米国として新たな方式を開発するほどエネルギー源に切迫していなかったということもある。もう一つの事情として古川氏が挙げているのが、燃料棒である。軽水炉では燃料が固体で減速材(水)が液体であるから、固体の隙間に水を通す必要がある。そのために燃料棒は細い棒状になっていて、「芸術品的な」精度を要するために、特殊な製造方法が必要である。つまり実際製造メーカーの利益源でもあるから、燃料も減速材も一体化して液体になってしまえば利益源が無くなって困る、という議事録が残っているらしい。軽水炉では出力調整は炭化ボロン等の中性子吸収材を出し入れして行うが、それは中性子を無駄遣いすることになる。溶融塩炉では燃料バッファーでトリウム233の比率を調整するから無駄が無く自由度が大きい。この炉は作って稼動してしまえば殆どメンテナンスが不要である。最後まで使い切ってから炉を作り直すのである。
    古川氏は上記のように捨てられた溶融塩技術を継続したわけであるが、もう一つ重要な要素がトリウムの利用である。それを理解するためには、まず具体的な核化学の知識が必要である。この本の138-139ページである。熱中性子を吸収して不安定になって核分裂を起こす原子はかなり限られている。核分裂性ウラン235は天然ウラン中の0.7%位であり、大部分は核分裂しないウラン238である。ある程度235の比率を増やしておいて減速材である水を沁みこませると連鎖的に核分裂が始まる。日本では東海村のバケツの中で無知から起こったが、自然界においても起きた記録がある。アフリカで20億年前の話である。半減期からいうとその頃235は3%くらいあったので自然に臨界に達しても不思議ではない。熱中性子がウラン238に吸収されると分裂ではなく、プルトニューム239になる。原子番号(陽子の数)でいうとウランが92、プルトニュームが94である。これが核分裂性原子である。更にプルトニューム241も核分裂性である。これらを全て燃料にするのが現在のウラン−プルトニューム系の原子炉である。勿論兵器にもなる。兵器としてみた場合プルトニュームは非常に好都合な特性を備えている。ガンマ線があまり出ないからである。ガンマ線は電磁波なので遠くまで拡がり検出しやすいからそれが出ないということは見つけにくいということである。その代わりアルファ線が出る。これはヘリウムの原子核であるから電荷を持ち細胞数個分しか拡がらないので見つけることが出来ない。その分だけ破壊力が強いので体内被曝の主役となる。米国としてはこのプルトニュームを大量に製造する必要があり、そのための原子炉として既に実用化されていた軽水炉を選んだのである。それに対して、もう一つの反応系がトリウム−ウラン系である。トリウムは原子番号でいうと90であるが、殆どはトリウム232で核分裂性が無い。だからそれだけで反応を開始することは出来ない。しかし、何らかの形(予め用意したトリウム233や使用済み核燃料など)で熱中性子を生成し、それを吸収すると核分裂性のウラン233になる。これが主要な燃料であるが、更に比較的小さい確率ではあるが核分裂性のウラン235も生じる。ここでは殆どプルトニュームが生じない。生じてくるウラン233はその生成物であるタリウム208が強いガンマ線を出すために兵器としては使えない。取り扱いが難しいだけでなく発見も容易なためである。
    いずれにしても冷戦の時代にプルトニュームを作れない原子炉は米国の目的に合致しなかったし、発電はそのための隠れ蓑に過ぎなかった。事情は日本でも同じである。核兵器保有が認められていない日本においてもプルトニュームさえあればいつでも核兵器が出来るということが、他国への牽制になる、というのが中曽根首相の考えであった。現在ではもはやプルトニュームが過剰になっていて処分に困っている。そのための現実的な手段としてトリウム溶融塩炉が注目されている。中国はすでに開発に名乗りを挙げている。
    課題であるが、これは燃料増殖である。発生した中性子は燃料であるトリウム233を分裂させる方向と232から233を作り出す方向があって、これらのバランスで燃料の増殖も起きるが、一つの炉で発電と増殖を兼ねることは技術的に難しいことが判ってきた。そこで別の中性子源を用意して燃料の増殖だけを行う増殖炉を提案している。古川氏によると今後必要になるエネルギーを考えると次世代のエネルギーが立ち上がるまでは増殖技術が必要なのだそうである(37ページと182ページ)。この辺は僕には何とも判断できない。ウラン−プルトニューム系でも増殖炉を開発中であるが日本以外の国は既に撤退している。もはやプルトニュームを処理する技術の目処は無いのであるが、無いと軽水炉を推進する理屈が立たないから開発を続けている、というのが実体である。このプルトニュームを処理する技術としてトリウム溶融塩炉は有望と思われる。
    技術内容や安全性についてとてもここで纏める事は出来ないし、充分理解できていないので、原理的なところだけを説明しておいた。周辺事情も含めて全体の解説はむしろ東洋経済6/11の記事の方が判りやすい。しかし、この技術の一般書はこの本だけであるから、興味のある人は是非読んで欲しい。このトリウム溶融塩炉は日本の古川氏が中心となってNPO活動で開発している。古川氏の改良炉FUJIはチェコで実験されているらしい。小型炉として消費地の近くに置ける安全な原発である。実用化までには10年や20年はかかるということである。今までの原発による放射性廃棄物の処理炉としてだけでも充分価値があるように思われる。

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