2022.12.19
ワールドカップ観戦で睡眠時間が不規則になって、頭がすっきりしないので、『オールナイトニッポンGOLD』(12月16日夜10時から12時)をRADIKOで聴いた。吉田拓郎が芸能生活引退を宣言して、これが最後のラジオ出演となる。今までの自分を振り返っていて、興味深い。

・・・自分の音楽的背景については、当時の歌謡曲(橋幸夫等)もあり、岩国からのFENで聴いていたアメリカン・ポップスもある。ただ、自分の音楽スタイルとしてはリズム&ブルースのようなものを基調にすることを選択した。そんな中でボブ・ディランに出会い、歌詞に衝撃を受けた。「世間を支配している大人たちへの反発、世代的葛藤の表現」が自分の歌の基調となった。通販のレコード会社からの最初のシングルは『イメージの詩』と『マークII』である。前者は世代的葛藤そのものであるが、後者にはその若かった自分がいずれは大人になってしまうことを歌っていて、今はこちらの方が気に入っている。世代的葛藤の気持ちは既成の芸能界やテレビへの反発に繋がった。ニッポン放送での毒舌によってメディアからの総スカンを食った。

・・・彼は当時中心だった新宿ではなく、まだ田舎だった原宿で仲間と集まっていた。「ペニー・レイン」については歌にもしている。この間にいろいろな人に出会って技術を磨いた。スリー・フィンガーもやっと覚えた。中島みゆきに出会ったのは、北海道公演の時で、彼女がお茶くみのアルバイトをしていたのをよく覚えている。その後かまやつ・ひろしに誘われて六本木に拠点を移動する。そこで、大勢のお付き人を伴った「あっちの世界」(芸能界)の主役たち(沢田研二等)に出会い、彼らが意外にも自分を評価していることを知った。「自分は彼ら(大人の世界)に勝った」と思ったそうである。テレビにも出演するようになったのだが、やはりテレビでは喋っている自分が見えてしまうので嘘がつけない、変なことが言えない、という束縛感があるので、ラジオの方が良いそうである。

・・・ボブ・ディランはオリジナルではなく、古典的な曲を自分なりに歌っているアルバム『Self Portrait』が好きである。これを真似て自分も『Private』というアルバムを作った。歌謡曲も長調系のものは好きである。若いころに反発していた対象である『大人』に自分がなってしまったので、引退するが、そうなってからの自分の基本姿勢としては、「ひとりひとりのテンポ感を大事にする」ということである。同じように見えても、人はひとりひとりが別の感覚や生き方のスタイルを持っているのだから、それを画一化することには反発する。確かに大きな目的の為に徒党を組む場合もあるだろうが、その時でもお互いに強制し合うようなことは良くないと考える。


  <目次へ>       <一つ前へ>     <次へ>