2005.09.18

      下條信輔「サブリミナル・マインド」(中公新書)も24日に返さなくてはならない。

      認知的不協和の理論というのは面白い。作業に対する自分の満足度を偽って報告するように頼まれたとき、そのための報酬が高いほど、作業に対する満足度が低くなる。これは報告するという行為そのものが偽りではあっても偽りとして割り切れないので、自分の気持ちがその偽りの方向に変わってしまうということで、そのときに報酬が高いと割り切りやすくなるために、却って不合理な行動を気持ちから切り離しやすくなるからである。このようなことは無意識に起きる。どんなに面白い仕事でも、報酬が高くなってその報酬の為という気持ちになると仕事が面白くなくなるのである。企業の人事評価の手法として注意しておくべき効果である。自己知覚理論というのもあって、これは自分がそうだと思っていることは実は他者から見てそうだ、ということなのである、ということを言っている。もともと言語表現は他人に教えてもらって学ぶものなので、その他人から見てそう見えるときに、こういうのだ、と教えてもらうのであるから当然である。

      ジェームズの情動理論「情動はまず身体の反応である。その結果として我々は情動を認知する。」この時、我々は情動にラベル付けをすることで分類する。つまり原因を帰属させる。実際に情動を起こさせるような出来事に遭遇したとき、例えば薬物の副作用であるとかといった情報があると情動認知自身は抑えられる。逆に吊橋の上にいるとか、関係のない種類の情動(恐怖)を起こさせる状況があるときの方が、安全な場所にいる状況よりは、美人に声を掛けられるときの性的興奮が高まる。これは情動そのものが誤って帰属されたからである。情動を帰属させるための情報が重要である例として、ヌード写真を見せるとき、心臓の鼓動音を勝手に制御して聞かせると、それによって好悪感に影響を与えることが出来る。その鼓動音が自分の音であるという情報(誤った情報)を与えなければ、そういう影響は与えられない。不眠症の人に、前もって、これは眠れなくなる薬です、といって薬を飲ませると、眠れる薬です、といって同じ薬を与えた場合よりは良く眠れる。これは眠れないということを薬に帰属させてしまうので、不眠を意識しなくなるからである。試験前に薬を与えて、これは興奮させる薬です、という方が、眼くなります、というよりも、カンニングの割合が多くなる。これはカンニングで生じる罪の意識が、帰属先を薬に求めやすくなって軽減されるためである。

      分離脳の実験。まず手触りでいろいろな絵のプレートを選択できるように学習しておく。右の視野に鶏を見せて、左の視野に雪を見せると、言語的に鶏が報告され右手では鶏の絵プレートを選択肢、同時に左の視野に雪の風景を見せると左手でスコップを選択する。しかし何が起きているかという質問をすると、鶏小屋が汚れているからスコップで掃除しなくてはならない、と答える。つまりそれぞれの脳は独立に認知し適切に行為に結び付けているけれども、右脳は言語的に記述することが出来ないため、左脳がつじつまを合わせている。このように大なり小なりではあるが、脳の働きは分割的でありそれぞれの部分脳は観察し解釈しあっている。それらを統合する為に十分な機能が脳自身にあるわけではなくて、行為の結果を参照することでお互いの部分脳の働きを結びつけて統一的な物語を語っているにすぎない。つまり適切な環境なしには脳の機能は分裂するしかない。左側の視野を無視する病態についても説明があったが、これはまだ解釈が確定していないらしいが、この場合も本当に左側の知覚が為されていない訳ではなくて無意識の中では反応が見られる。

      この講義録は結局自由意志や責任、刑法など社会的な問題の解析に向かう。時代の人間観と切り結ぶというのが目的だったからである。あまり面白くないので飛ばし読みした。

<一つ前へ> <目次>