2005.11.20  紫園香

     昨日は新聞でたまたま見つけたチャペルコンサートに行ってきた。宇都宮聖書バプテスト教会で毎年開いていて、クリスチャンの演奏家を招いている。紫園香さんは恵まれた家庭環境に育ち、学生の頃には渡欧してモイーズのマスターコースを修了、東京芸大付属高校から芸大、大学院と首席で進み、御前演奏までしている。40歳台後半くらいであろうか。クリスチャンになった経緯を後半で話した。大体演奏もそうであるが、話も明快である。一つは愛した人を自我の強さで愛しきれず別れたことで、それまで何でも出来る優等生と思っていたのが崩れてしまったこと。二つ目は父の会社が倒産し、突然住み慣れた家を離れ、それまで親しかった人は急に疎くなり、思いもかけない人に親切にして貰って、人間関係の良さというのも自分の人間的魅力だけによるのではないことに気づいたこと。三つ目は大きな手術をし、開腹して、フルーティストにとって必須の腹筋を切らねばならないという可能性が出てきて、結局うまく切って貰ったのだが、自分の能力というのも、簡単に奪われてしまう可能性がある、ということに気づいたこと、である。要約すると、これまで自分の所有物と思っていた、人を愛すること、人間関係、能力は、実は借り物であって、何時返さなければならないか判らないことに気づいたことで、貸し手である神の存在に思い至った、ということである。何と読むのかと思ったが、シオンということで、これはあのマタイ受難曲にフルートと共に出てくるシオンだなあ、と思った。

     さて、演奏会は牧師に導かれた祈りで始まり、最初の2曲は賛美歌であった。随分ストレートで素朴な演奏だなあ、と思った。3曲目がバッハで、ハ短調のパルティータとあって、はて?、と思ったが、リュート組曲(BWV997)を編曲したものであった。リュートやギターでは愛聴曲の一つであるが、フルートで聴いたののは初めてのような気がする。楽譜も出ていて、後で一度挑戦したが諦めた。彼女の演奏は朗々としてやや荘厳な、宗教的な感じで吹いていて、これはやはりクリスチャンなのかなあ、と思った。アーティキュレーションや音量、音色の使い方が、とにかく明確である。

    後半は武満徹の「VOICE」で始まった。最初に解説があり、現代フルートで使われるあらゆる技法を盛り込んである、ということで、聴く前の心の準備のためであった。重音、四分音、フラッター、ホイッスル、パッド音、極め付きは声を出しながら吹く、ということで、滝口修造の詩 『誰か? まずは物を言え、透明よ!』 をフランス語と英語で朗読しながら吹くのである。こんな曲があるとは知らなかったが、表現の密度の濃さに驚いた。ニコレの委嘱ということなので、ニコレの演奏が残っているのだろうか? 演奏そのものは極限的なものであるが、「意味」を語るのはその行為の「間」である、という解説があり、その通りだと思った。能、鼓の世界に似ている。武満徹は単なるドビュッシーのエピゴーネンではないことがよく判った。

    その次はカタローニア民謡から「鳥の歌」。「VOICE」で余程唇がほぐれたのだろうか?と思わせるほど柔軟で、単純なメロディーがとても美しく、感動的であった。あとはビゼー+ボルヌの「カルメン・ファンタジー」、アンコールとしてクリスマスメドレー、最後に演奏し忘れたという、E.モリコーネの「ガブリエルのオーボエ」。これは南米に行った宣教師がオーボエを吹くことで原住民の心を開いたという実話から採られたものだそうであるが、「VOICE」の印象があまりにも強すぎて、記憶から消えてしまった。最後はまた祈りで終わった。

     CDを売っていたので、ロ短調ソナタの入ったのを買った。一枚しかなかった。予想通り朗々としたややアップテンポの演奏であった。(もう一つ入っていたバッハはトリオソナタト短調BWV1029で、これはもともビオラ・ダ・ガンバとチェンバロのトリオソナタである。フルート2本になるとなかなか面白い。)ロ短調ソナタの方は何かしら物足りなくなって、Elaine Shaffer のレコードを引っ張り出してきて聴いた。ゆったりとして気持ちが良い。(もっともプレーヤーの回転数も遅くて、丁度1/4音だけ低いが。)僕にはこちらの方が合っている。調べてみると、Elaine Shaffer はアメリカでのフルートの草分けWilliam Kincaid(日本で言うと吉田雅夫に相当する)の愛弟子で、世界初の女性プロフルーティストであったらしい。1973年には亡くなっているということである。僕がこのレコードを貰ったのは1979年である。カナダのLethbridgeで雇われ研究員をしていたとき、アイルランド人のボスの小さな娘にプレゼントされた。考えてみれば貴重なレコードである。

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