2011.08.14

     録っておいたNHKの「家族と側近が語る周恩来」をまとめて見た。国民党との闘いの中で農民に依拠した戦法を主導して革命を成功させた毛沢東に対して周恩来は一貫して首相として支えてきた。その中で、毛沢東の「大躍進」、「文化大革命」に反対でありながらも面従腹背し、その悪影響を最小化し、国家と国民を守ってきた、という位置づけである。4つの番組はそれぞれ「大躍進」、「文化大革命」、「米国、日本との国交回復」、「死の間際でのケ小平の召還」という内容であった。親族や側近へのインタヴューで一貫して浮かび上がるのは周恩来の徹底した国民への奉仕という姿勢である。家族に対しても国家への犠牲を求めた。こういう人はもう出ないだろう。彼の死後、4人組はまだ残っていたけれども、北京の大衆は禁止されたはずの天安門広場を周恩来への追悼で埋め尽くして、文化大革命への隠然とした批判をした。毛沢東が間もなく死去すると、4人組は逮捕されてしまい、文化大革命も終わるのである。

毛沢東と周恩来の関係は、花王でいうと丸田さんと中川さんかもしれない。花王は企業だから大衆運動に相当するものは無いけれど、研究開発部隊に対しては丸田さんが中抜きで指導していたとは言える。毛沢東は鋭い直感で国の大きな転換を提案し、周恩来はそれを緻密に実行する。米国、日本との国交回復にしても、ソ連との路線対立による緊張状態の中で、ソ連牽制の為に米国との国交回復を提案したのは毛沢東であった。過激な社会主義思想よりも、戦争での戦略が先にある人なのである。その人にしても、中国が資本主義的経済に飲み込まれていくのは許しがたかったのであろう。その純粋な気持ちに乗じたのが江青であったということになる。もしも毛沢東が主導権を握れなかったら、つまり内戦の中で周恩来が毛沢東を軍事のトップに抜擢しなかったら、革命は失敗し、中国は国民党の政権になっていたかもしれない。今日の中国を見ると、どちらかといえばその方が正解だったのかなとも思うが、封建主義の徹底した破壊は出来なかったろう。その場合には、日本の戦後復興は確実に遅れていたと思う。米ソ冷戦の境界はモンゴルと北朝鮮と北海道になっていたであろう。もっとも、中国の内戦状態が長く続いたかもしれなくて、その場合は良かったかどうか判らない。まあ、そんな仮定の話を考えるのが不遜に思われるほどあまりにも大きな歴史の流れであったのだが。よく判らなかったのは林彪事件である。調べると林彪は米国との国交回復に反対していて、文化大革命には先頭に立っていた。つまり極左ということになる。しかし、劉少奇主席の失脚の後の主席を狙っているとして毛沢東に疑われたため、暗殺計画を起てて発覚し国外逃亡に失敗したということである。まるで明智光秀みたいである。意見の対立が結局は抹殺に繋がる、という恐ろしい世界である。この中で周恩来は実にうまく身を処したということもできる。この言い方もやや不遜な感じがするが、何しろ人間の心を見抜く目と徹底した用心深さによって、中国を救った人なのである。

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