2000.02.12

「子宮の中のエイリアン」エレイン・モーガン(望月弘子訳:どうぶつ社)

      ヒトの赤ん坊が他の類人猿と著しく異なる点は、未熟であると言うことだ。全く無力な状態で1年も過ごさなくてはならない。重度の身体障害者として生きざると得ない赤ん坊が生き残るためには母親が絶対必要であり、どうやって母親を思い通りにするかという観点から考えれば、赤ん坊がコミュニケーション能力を進化させざるを得ないという事は誰でも納得出来るであろう。豊富な表情と笑顔、大きな泣き声、喃語、物を弄ぶ、、といったヒトの赤ん坊独特の能力は知能や道具や言語の準備のためではなくて、自分が生き残るために発達したと考えられる。むしろ知能や道具や言語の方がその結果なのである。

      赤ん坊が2足歩行を試みる動機はコミュニケーションの欲求からくる。本来的に2足歩行に適しているにしても、狼に育てられた子供は四足歩行に固執する。3歳頃から子供は他の子供との関係の中で成長する。物の所有とそれを使ったコミュニケーションは人間関係を調整するのに使われ始める。これは言葉より有効である。

      人類水生起源説が最後に述べられている。確かに森林から一旦水生に適応したと考える方が現在のヒトの特徴を良く説明できる。2 足歩行が家族に起源を持つという草原説に対しては、そもそも食料がそれほど少ない環境だったのかと問う。皮下脂肪の蓄積や寿命の長さを考えると食料は充分な環境だったのではないか?脳の発達に必要な栄養素はむしろ海中生物に多く含まれていると。しかし考古学的証拠が無い。エチオピア北部のアファール三角地帯が地殻変動で海中に没した期間は何十万年といったオーダーだそうであるが、その間に適応する時間があったのか?その化石があるか?同じような運命(水没)にあったボノボでも性的にはヒトと同じような適応が起きている事から見て、もっと激しい進化的圧力がヒトに働いたとすれば、あり得ない事でもないが。

      進化の淘汰圧というのは子孫を残す様に働いてきた訳であるが、現代文明は必ずしもそれが有効に働いていない。子育てに責任を感じない人達の子孫も生き延びている。赤ん坊は少なくとも1年間は愛情を与える必要があり、それがないと社会的な負担になるということが分っている以上、育児の最初の1年間は社会的な保障が必要である。と言った内容が最後のまとめである。進化とか適応とかいっても、それは成体に起きるとは限らず、むしろヒトの場合、未熟で放り出された赤ん坊にこそ淘汰圧力が強かったということで、成る程と思った。

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