2011.02.07

     この間図書館で借りてきた、椎名亮輔「狂気の西洋音楽史」(岩波書店)を大急ぎで斜めに読んだ。あまりにも細かい書誌的な記述が多くて論理的でないので、結論だけを知りたくなったのである。

    バロック時代までの音楽の意味は明快であって、それは言葉(歌詞)である。言葉のない音楽は下等な楽しみ(踊りとか)の手段として蔑まれていた。音楽の和声進行は通奏低音によって明示的に演奏されなくてはならず、そこからの大きな逸脱は許されなかった。音楽家のパトロンは教会と宮廷であり、宗教儀式や王権の威光が音楽の目的であった。独創性は問題にされず、旋律や和声進行の流用は当たり前だった。バッハはその最後に登場した偉大なる職人である。

    その後、市民階級が音楽のパトロンとして登場するまでの間に、個人的な感情表現を求めて通奏低音はなくなり、ポリフォニーも捨てられ、和声進行は旋律の動きに付随するようになり、やがて音楽の時間秩序を整える効率的な方法としてソナタ形式が発明される。音楽の意味はその時間進行の有様となり、つまり言葉から独立する。いわくいいがたい感情こそが音楽の意味となり、純粋音楽と称され、また器楽音楽が芸術として高尚なものとされるようになる。この古典派の時代は、文学ではロマン派の時代に対応する。

    問題はその後であって、ベートーヴェンの後のロマン派の作曲家達は、バッハを引き継いだショパンを例外として、いずれもベートヴェンの後継者を自称しつつも、その音楽的意味の世界を乗り越えるために、それぞれが新たな「意味」の世界を築く必要に迫られた。モーツァルトとベートーヴェンを両極とすれば、もはや調性音楽による「純粋音楽」の意味の世界は飽和していたし、マタイ受難曲の発掘を契機として、過去の音楽の再演が啓蒙主義の観点から盛んになると、作曲家の独創性が求められるようになり、ベートーヴェン的な音楽の意味とは異なった新たな要素として、文学や歴史や民族を持ち出さざるを得なかった。「狂気」というのはそういう意味であって、音楽と意味との不安定な関係こそがシューマンの狂気(パラノイア)の原因である。そして、実直な裁判官であったシュレーバーが狂気に捉われ、ピアノを弾く事で妄想から逃れようとしていた、というフロイトの記述に椎名氏が見出したのは、このような解釈である。

    音楽史の方はその後ワーグナーからシェーンベルクに至り、調性を捨ててしまい、音楽的意味が彷徨った挙句、ジョン・ケージによりついに音楽の存在は演奏家が存在するということだけに限定され、もはや物理的音響すら捨ててしまうのである。しかし、冷静にその歴史を眺めてみれば、これは要するにパトロンを失ったというだけのことではないだろうか?調性音楽は「西洋音楽」の混迷とは別に、民族音楽やジャズやブルース等と結びついて「大衆」を新たなパトロンとして、世界中に流行するのである。音楽は音楽のためにあるのではなく、聴衆であるか演奏家であるかは、いろいろではあるが、要するに具体的な人のためにあるのだから、それを忘れてしまえば音楽ではなくなるだけなのである。

<一つ前へ>  <目次>