2014.11.02

     木嶋真優コンサート会場を出て出口にあった「原爆と戦争展」を観た。「原爆と峠三吉の詩」原爆展を成功させる広島の会(代表:重力敬三)の主催(http://ww41.tiki.ne.jp/~genhiro/ )で、昭和の戦争に入る世の中の変化に始まって、満州国、日中戦争、南仏占領、太平洋戦争、大都市への空襲、原爆、敗戦、戦後処理、、という歴史をパネルでまとめている。パネルには集めた証言がびっしりと貼ってあって、書いたことの証拠としているので、説得性がある。それにしても厳粛な気分にさせられる。天皇の戦争責任は免れないという立場である。アメリカの支配層の狙いは極東に経済的軍事的に拠点を作るということであって、それ故に日本の中国侵攻が許せなかったが、米国民は戦争の拡大に反対していた。政府としては日本に先制させて米国民の世論を戦争に向わせることが必要だったから、石油禁輸策をとって日本を追い詰めたのである。イギリスも日本がアメリカを刺激して参戦させることを望んでいたし、蒋介石の中国は勿論である。こういった国際情勢に対して日本は冷静に判断するだけの統治体制がなかった。関東軍の勝手な判断で戦争が拡大していったのを制御することができなかったのである。アメリカ政府・連合国の罠に嵌ったとも言える。アメリカは緒戦からの巻き返しを図るについて、戦後の日本を基地化するためには天皇を利用すること、日本の軍事基地や工場を利用することまで考えて、空爆対象から皇居や軍需工場を避けて民家に絞っていた。天皇の取り巻きたちは、早い段階でアメリカ政府の天皇制維持の意向を知っていて、軍部を痛めつけて大衆の戦意を殺ぐためにポツダム宣言受諾を長引かせた、とまで書いてあった。昭和天皇自身がどう考えていたのかは本当の処は判らない。ポツダム宣言の早期受諾を強要すればクーデターが起きかねない、というのもそうだったのかもしれないが、それでも受諾が遅れたのは天皇の責任とせざるを得ないだろう。何しろ法的には天皇が決断するしかなかったのだから。戦後三菱財閥は軍部が一掃されて助かったと言っている。アメリカとの交易に期待をしている。

      本当の処、どうして戦争が拡大したのか?関東軍の暴走は確かに直接原因であるが、その背景にはマスコミによって煽られた世論の支持があった。更には疲弊しつくした農村の自暴自棄(兵隊になって給料を貰うしかない)もあった。この辺は結構写真や証言でよく説明されていた。満州へ、中国大陸へ、というのは関東大震災や世界恐慌後の日本の大衆の本能的な逃げ口でもあった。そこに付け込んだ連合国側の陰謀もあったし、それを知りつつ協力した日本の支配層も居たわけである。昭和天皇がイギリスで学びアングロサクソンに信頼を置いていたというのは公の事実である。何やら、国の境界よりは王権を上位においていた絶対王政時代を思わせる。天皇が軍部のクーデターすら起きかねないと感じていたのも頷ける。しかし、ともかく天皇制はうまく維持され、沖縄がアメリカに人身御供として提供されて戦後が始まったのである。その後もアメリカは日本を属国扱いしてきた、というのが引き続くパネルである。当初アメリカを救世主としていた日本共産党も考えを180度転換することになった。ベトナム戦争、アフガニスタン、イラク、とアメリカのやってきたことは日本に対して行ってきた軍事的破壊と同じである。ただ日本の様には戦後処理がうまく行かなかった。という次第で強烈に反アメリカ的な展示になっていた。まあ原爆を落とされたのだから当然ではあるが。。。

<目次へ>  <一つ前へ>  <次へ>