2021.10.01
9月25日の「関口宏のもう一度近現代史」は天皇のラジオ放送とそれに対する国民の反応の話。

・・・戦後、アメリカは大規模な意識調査をやっていたらしい。全国津々浦々の人々に聞き取り調査を行ってまとめていた。政策の検証である。当時、アメリカの民主主義と合理主義がいかに徹底していたかが判る。結果:「悲嘆・残念・後悔」30%、「衝撃・困惑」23%、「苦しみが終わる安堵・幸福感」22%、「占領後の扱いへの不安」13%、「幻滅・空虚感」13%、「恥ずかしい・国史の汚点」10%、「その他・回答無し」14%。最後に太平洋戦争から反省点(保坂正康)1.「軍事」が「政治」の上に立った。2.人間を戦争の道具にした。3.戦争を国家の「事業」と考えた。

・・・それはともかく、日本が結局本土決戦を避けたのは何故か?まあ、天皇の判断ということなのだが、こういう戦争終結の在り方は世界史から見るとやや変わっている。同じように圧倒的な軍事力で制圧された国は多い。アメリカの戦争で言えば、ベトナム、イラク、アフガニスタンである。長いゲリラ戦が続き、ついにアメリカ軍は撤退した。中国でも日本の軍事力は圧倒していたのに、最終的には追い出された。戦時中の日本と比べて、国民の戦意が高かったかというとそうではない。むしろ妥協的だった。一番の違いは国際的な援助であろう。日本が孤立していたのに対して、これらの国々の抵抗勢力には他国からの軍事的経済的援助があったし、抵抗勢力は臨時政府を作り外交戦略を持っていた。当時の日本にそれは考えられなかった。講和の仲介さえソ連が応じないばかりか、ソ連が参戦してきた、というのが決断の最後の決め手になったのである。沖縄で本土決戦と同様な抵抗が行われた頃にはまだソ連に対する期待が残っていたのである。

・・・それでも陸軍の一部はクーデターによって「本土決戦」を続けようとしていた。成功すれば徹底的なゲリラ戦から亡命政権が生まれて、という状況になっただろうか?しかし、亡命すべき国は無かったのである。

・・・ゲリラ戦による抵抗はたとえ勝利したとしても、その援助国の影響を免れることはできない。戦後には政治的分断が生じる。その点でも日本の戦争の終わり方は特異的で、占領軍によって簡単に洗脳されてしまったのである。そもそも天皇自身が英米の思想に洗脳されていたというのが大きいのかもしれない。それと、国民の戦意は何に支えられていたか、という事もある。日本が強国であるという信念が現実として崩れてしまえば、戦意は続かないのである。自らの内部に守るべきものがあったのだろうか?と問わねばならない。戦後に尾を引く問題は「負けた」という認識が無いままに「敗戦」が告げられる、という状況である。第一次大戦のドイツがそうであった。その反省を踏まえてアメリカの占領政策が行われた。「負けた」ことの教宣、「自分たちが悪かった」ことの教宣である。これはかなり成功した。しかし、守るべきものは何だったのか?

・・・天皇が戦争を望まないのに、そもそもなぜ太平洋戦争を起こしたのか?それは東アジアへの侵略を自粛できなかったという処に戻る。そこで「軍事」が「政治」の上に立ったからだ、という処に行きつくのであろう。直接的には、東アジアにおける西欧の軍事力(特にソ連)が薄くなっていたという事情があり、そこに明治維新以来の拡張主義(植民地主義)が重なる。よく言われるのは、日清戦争の勝利が奢りをもたらしたということである。

・・・これからの事を考えると、現在と太平洋戦争当時とは東アジアの情勢が相当異なる。日本はもはや中国の圧倒的な国力に怯える存在となった。侵略する側から侵略される側に変わったのである。弱者の戦略が求められている。アメリカを後ろ盾とするしかないのである。植民地主義は確かに克服されるべきものなのだが、自らの優位性が意識されなくなれば自然に消滅してしまうものでもあるし、逆も言える。「克服」するとすれば、それは奢らない精神、知性、ということになる。戦前も戦後もそういう意味での精神を持った人は稀であった。

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