2006.07.22

     「あなたのなかのサル」フランス・ドゥ・ヴァール(早川書房)

   チンパンジーとボノボとヒトは社会関係の作り方での3類型を形成する。 1.男同士のつながり:チンパンジー; 2.女同士のつながり:ボノボ;3.核家族:ヒト。オスとメスの関係としては1.も2.も固定的でない。1.においては、メスが子供を作ると集団とは別行動をとることで、子供を他のオスから守る。(これは哺乳動物でしばしば見られることであるが、オスは他のオスの子供を殺すことでメスを発情させ交尾しようとするから。)2.ではメスが常時発情反応することで、交尾が無制限に行われ、父親が不明となり、子供が集団のものとなる。そこではメスが支配権を獲得している。3.では環境の厳しさからオス同士の協力が特に重要となり、そのためにお互いの核家族を守るようになった。オスも子育てに協力するから、離乳も早くなる。おそらくこの速度の差が他の類人猿とヒトとを隔てた。核家族が財を蓄積し始めるとオスの支配が決定的となる。それが「文明」である。

      第5章 やさしさ−道徳的な感情と身体 が一番面白かった。今まで知られる範囲では、「心の理論」をもつ動物は類人猿と象とイルカということらしい。道徳的な感情はそこから生まれてくる。勿論その発展の過程には負の感情が伴う。「感情がないと私達は人生で何一つ選択できなくなる。選択の基本は好きか嫌いかであり、好きか嫌いかはつまるところ感情だからだ。感情がなければ記憶を蓄えることも出来ない。過去の出来事が意味を持つのはそこに感情が伴っているからだ。感情がないと、他人の存在や行動に心が動かされないし、自分が何をやっても相手は反応しない。」「恕とは思いやりのことだ。思いやりは全てに通じる簡潔な原理であり、全ての人間が普遍的に持つ気持ちである。」「道徳感は助けるか傷つけるのどちらかだ。あなたが溺れているのに助けなかったら私はあなたを傷つけていることになる。助けるか否かを決めるのは紛れもなく道徳的な判断だ。子供は2歳くらいから道徳的な規則と文化的な規範の区別がつくようになる。前者を破ると誰かを傷つけるが、後者の違反は周りの期待を裏切るだけだ。」「個人の感情はとても重要なものだ。自分の行動が他者にどんな影響を及ぼすかという認識がそこに加わって、道徳的な原理がつくられる。公平性、正義、政治、道徳性を成り立たせている基本要素は何なのか。大きな現象は、いかにして単純な現象から導き出されるのか?この疑問を考え始めると、私達の基本要素の多くはほかの動物と共有していることがわかる。もらいの少なかったときの恨みから、自分の取り分が多いと周りがどう思うか心配になった。そしてやがて、不公平は良くないと宣言するに至った。復讐も途中でいくつかの段階を経て正義に形を変える。」「人間は道徳性という高みに到達したが、その進化には、戦争という醜い行いが密接に結びついていた。道徳性を持つ上で不可欠はコミュニティー感覚は、戦争が齎したものなのだ。道徳的なルールというのは基本的にはよそ者には適用されない。しかし、成功への希望があるとすれば、それは道徳律ではなく道徳的な「感情」に訴えることである。感情は無敵である。他人の扱いに関してどんなルールが定められていたとしても、共感は平気でそれを乗り越える。道徳を形作る要素は、人間よりずっと昔から存在していた。霊長類の親戚達、とくに共感を豊かに表現するボノボや、協力行動が盛んなチンパンジーを見ればそのことが良くわかる、道徳的な規則は、いつどのような時に共感し、協力するかを教えているだけで、共感や協力行動そのものはずっと昔から存在してきたことなのである。」「個人が最優先、社会は二の次という無情の世界は、あとから考え出されたものにすぎない。集団生活で恩恵を受けたいと思ったら、まず集団に貢献しなくてはならない。社会性のある動物はみんなこのバランスをとろうとする。」「類人猿には人間のような白目部分がない。人間は目によって伝えたいことを増幅するが、類人猿は微妙なコミュニケーション方法をとる。周辺視野が広く、視界の隅にちらりと入ったことでもちゃんと見えている。見ないようにしてみる、話さなくても理解する。身体が発するさまざまなシグナルがないと、私達のコミュニケーションからは感情的な内容が抜け落ち、無味乾燥な情報しか伝わらなくなる。」

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