2007.09.28

    佐野清彦「音の文化誌−東西比較文化考」(雄山閣)を半分読んだ。随分前に買っていて、多分途中で放り出したのだろう。記憶はなかった。しかしなかなか楽しめる。どこが、というと作曲家らしく音響への想像力が豊かで結構示唆に富むところである。

    前半は日本人の音に対する態度というか文化というか、感じ方の歴史的記述である。感じ方とは言っても残された楽器やら記録やらで推定するほか無く、鋭敏な想像力と音体験無しにはこんなことは書けない。古代の鈴と太鼓の対比。日本の鈴は多数の鈴がお互いにぶつかり合うことで生まれる多彩な移り行く音像を特徴とする。ゆらら、と表現されていたことから判るように鈴の音は空気や水を揺らし人の心を揺らす。太鼓は大地と雷鳴であり、畏怖である。中央集権国家が生まれて、万葉集が編纂されて、当時の音の世界が垣間見られる。母音の色彩感、その秩序 o,u,a 対 e,i の対立関係、子音のアクセント、雑音的効果の秩序、w,m,r,h,y,p,s,t,d,b,g,z はそれらを時間の順序に組み合わせることで、音楽となっている。さらに、中国、インドにおける音響思想は仏教を介して日本に影響を与える。子守唄、声明、五重塔、、、。平安時代になって、貴族世界に現れる音への感受性、清少納言の残した文章は想像力を掻き立てる。鈴が自然の風であるならば、横笛は人の風ひちりきは中国大陸の大国家の自然に対する姿勢を表現している。「宇津保物語」は琴の伝承物語である。中国とインドの影響を消化して、雅楽、舞楽、散楽、御神楽、催馬楽、風俗が生み出された。源氏物語にも光源氏の音楽論が語られている。

     平安の世が乱れて中世に入ると、庶民の声が記録に残るようになる。多くの絵巻物が描かれていて様子が伺えるし、今様が流行った様子も「梁塵秘抄」として残されている。雅楽、声明、神楽などの楽器奏法譜としての唱歌法は徐々に解体される。その契機は囃子言葉である。合いの手や掛詞はやがて楽器の方にも取り入れられていき、言葉と音響とが即興として一体化していく。一遍上人に代表される一向宗徒は一念成仏を唱え、踊り歌いまわった。その流れが観阿弥、世阿弥に繋がっていく。ナムアミダブツ、ナムミョウホウレンゲーキョウといった言葉のリズムに注目すべきである。前者は典型的な3拍子であり、後者は6拍子である。中世以降の鐘は独特の響きを持つ。つまり音程は曖昧化され雑音に近づき、終りのないような複雑な展開を示すように改良されていく。音は禅において悟りの契機となり、そのとき自己と環境の区別がなくなる。観音信仰もまた、音を観ずる、に由来している。総合芸術としてはへと結実し、音のみによる総合として筝曲となった。しかし、文化としてみたときに重要な新しい要素は新興の都市町人達によって支えられた数奇性(侘び、寂び)である。茶道、華道、など基本的にイベントであり、出会いの芸術である。三味線や尺八に見られる音の追求は、雑音性ということではあるが、楽器師達の異質性の取り込みへの身を削るような追求の成果なのである。純粋な協和した音とは正反対の方向に美を見出していく。三味線は世の中のあらゆることを描写してみせる。言語芸術としては芭蕉にその極限を見る。

     明治以降、生活の中に近代科学が入り込み、それら異質な音世界と立ち向かうことになる。正面から立ち向かったのは宮沢賢治だけであった。セロ弾きのゴーシュの意味は深い。の場面:音は第一に驚きであり、生物が無条件に反応してしまう現象であること、カッコウの場面:鳴き声を「カッコウ」と言葉にした時点で既に聴く事を放棄していること、ドレミに嵌っているかどうか、というのはピッチの問題ではなく、別のことなのだということ、それはドレミから分析的に音を聴くのではなく、雑音を含んだ自然の音からドレミが生まれるのだということ、狸の子の場面:音楽は楽音の追求ではなく、豊富な雑音の意味なのだということ、野ねずみの場面:音楽は抽象的高踏な芸術として捉えることは出来なくて、生身の肉体をその契機としていること。宮沢賢治の残した作品に見られる音に対する異様なまでの感受性。結局のところ音は外界にありながら心の内部に直接入り込むという特異な感覚なのであり、西洋から輸入された近代とこれまでの日本人の感受性がもっとも鋭敏に衝突する領域でもある。先ず以って平均律の音程を把握し、それらを自由に操る技術を習得する、という近代以降の職業音楽家のあり方はその敏感な部分を磨耗させる。宮沢賢治については更に多くが語られているが、また読み返すべきであろう。ともかく、これが前半で、後半はヨーロッパの話になる。

      ヨーロッパ文化の胎盤は古代オリエント、エジプト、メソポタミア、イスラエル、である。そこからエーゲ文化、ギリシャ文化が派生していく。東洋との相違は、金管楽器の重用である。神はラッパと共に現れる。協和的な音感覚の起源はそこにある。しかし生活の中で耳に入る音は海鳴りの音である。これこそ日本で見られたノイズ志向の源であったが、ギリシャ文化においては、大陸的な音感覚と海洋的な音感覚が統合される。今日残された記録はホメロスの叙事詩である。如何に歌われたかについてはあまり記録が残っていないが、顫音の美について語った記録がある。これは今日で言うトリルであり、東洋で見られる不規則な揺れではなく、楽音間の規則的な音の交替である。海洋の神オルフェウスの象徴は鳥であり、西洋の中でこれのみがノイズの要素である。内陸の神はディオニッソスであり、縦笛(アウロス)による息のノイズを齎している。しかしギリシャが生んだ音楽の神はこれらのいずれでもなく、楽音の神アポロであった。楽音の神アポロは、しかしながらギリシャにおいては音楽の支配には至らない。ギリシャ悲劇、古典劇の神はディオニッソスであり、言語と群集の群舞とノイズの世界である。この中から、まずは、流れ去るもの、消え行く時間への思想として音楽が生まれるが、それは弁証法へと形を変えてしまう。鳥の囀りもやがては楽音のように鳴く鳥としてしか認識されなくなる。天体の運動に見られる調和からピタゴラスは数と数における比例(ハルモニア)を哲学の原理とする。オクターブ(1:2)と完全4度(3:4)、完全5度(2:3)である。楽音と楽音の関係の中に音楽を見る、という感覚は他の世界ではみられなかったものである。

     オリエント世界では、牧畜民と農耕民族の対立と、牧畜民の農耕文化への侵攻、その失敗といった歴史が繰り返され、その中からイエスが現れる。ヨーロッパにおいては、ギリシャの時間(物体の運動に関する秩序を数で表すこと)、エピクロスの時間(先取観念によって探求する他の物事のようには探求し得ない具体的事物にのみ属するもの)、を経て、ローマ帝国の最後に現れるのイエスの時間(無心ということ、生きる時)、に到る。それは大陸を占めていたケルト、ゲルマン民族の自然信仰の中で消化され、グレゴリア聖歌として結実する。グレゴリア聖歌は日本の声明と類似している。ところで、今日再現されたグレゴリア聖歌はソレーム修道院で近代化されたものであり、やや異なる。当時の趣を残しているものはE・カルディーヌ師によって解読されたものである。残された記譜は今日考えられているような精密な音程を表すものでは無くてむしろ表現記号であり、書きとめられた動作、ともいえるものである。音程としてのみ捉えれば極めて退屈な音楽になってしまうのである。ともあれ、ヨーロッパ大陸にゲルマン人がやってくる。彼らはこの世界を、天上、地上、地下と貫く世界樹(イツグラジール)と考えていた。雷神ドナール=トールに代表される音感覚は、雷鳴のような大音響、大ノイズに対する愛好であり、古代ギリシャの調和的な楽音主義とは対立している。楽器を持たなかった彼らの音感覚には完全5度も4度もなく、オクターブを等分割して歌う以外になかった。その中の一つに3等分割の3度音程があった。(2等分割するとバルトークの減5度増4度、4等分割すると短3度系、6等分割すると、ドビュッシーの全音系になる。)実際かれらの音階はギリシャの5度と基調としたものではなくて、3度の積み重ねであった。これは後にグレゴリア聖歌の5度音程の受け入れによって整理されて協和音程の長3度に発展するものではあるが、すくなくともゲルマンの初期3度は調和とは程遠いものであり、ゲルマンの愛した混沌たる不協和音であった。ベートーベンの3度、減7の和音もそこに源を持っている。中世を彩ったゲルマンの音楽の担い手は教会からは異端扱いを受けながら放浪していた辻音楽師達(ジョングルール)である。バッハの祖先もそうであった。「ハメルーンの笛吹き男」や「ブレーメンの音楽隊」といった童話にその面影がしのばれる。

     中世においてイスラムは憧れの文明であり、それに対する反発として十字軍があった。アラベスクとは科学と芸術の融合の意味である。ルネッサンスとはイスラムによって既に統合されていた古代オリエント、ギリシャ、インド諸文明の受容であった。ルネッサンスの3大発明(印刷、火薬、羅針盤)もイスラム由来である。ともかくようやくイスラムを追い出したスペインでは、ヨーロッパ側の最初の反応として聖母マリア信仰が生まれる。聖母マリア頌歌は辻音楽師たちによってヨーロッパ中に広まり、修道師聖フランチェスコをもとらえ、大自然の中で響かせる唱法ベルカントが生まれた。それは次第に教会音楽に影響を与えて、グレゴリア聖歌の上に重ねるオルガヌムを経て、モテットなどが発展していく。ルネッサンスのポリフォニーは多焦点的であり、調性音楽のような終止を持たない。ドシラドという終止(ランディーヌの終止)が多い。旋律の動き方も、優美であって、代表的なものに、レミファソファミ、というノータ・カンタービレがある。

     さて、問題の和音であるが、本来和音は広い意味でのいくつもの音が一緒に響く様を言う。笙の和音、オルガヌム、ポリフォニーの旋律の彩のような不確定な和音、ピグミー族のコーラス、高砂族のソロとコーラス、筝曲のアルペジオ、琵琶の分散和音、等々であるが、これらは西洋の宗教改革期に整備されたコードとは異なる。初期の賛美歌の一音一音に一つづつ個別の和声が付けていく行為によって不連続で自立したコードが生まれる。初期イタリアオペラの通奏低音の上での鍵盤楽器によるアルペジオにおいてコードは約束事としての地位を確立する。その中で、和音に含まれる音=和声音、それ以外の音=非和声音、という区別が意識され、メロディーに使われる音を構造化する。更にコード体系の中には引力関係と終止形という力学構造が持ち込まれて、バロック、近代音楽のいわば文法となる。このとき以来、コード音はどのような並べ方をしても同じコードである、という単純化が成される。ドミソとミソドは同じなのだ、ということである。しかし正規の音楽教育を受けていない人にとって、これらは明らかに異なって響く。要するに、コードの仕組みは作曲や即興演奏の便宜の為に整理された一つの見方に過ぎない。コードの規則にしたがって作曲したところで名曲は生まれない。無難で退屈な響が得られるだけである。そこに欠けているものは逸脱しようとする数奇の衝動である。バロックの作曲家の中では、モンテベルディ、アルビノーニ、バッハ、ヘンデルのいくつかの作品にそれが見出されるが、多くの作品はせいぜい複線的な時間を作り出すことによって退屈さを紛らわしているのみである。西洋音楽の楽音(コード音)への拘りは宗教改革期に急速に進展する。それまで共同体のシンボルとしてあった複数の鐘は同時に鳴らしていたとしてもメロディーではなく、全体的な響(広い意味の和音)であった。プロテスタント国家の成立によって、鐘の音程を規則的な整数倍に調整し、簡単なメロディー楽器とする運動が起きた。この組鐘(カリヨン)こそ近代の先駆であった。その延長に鍵盤楽器が誕生する。音楽家はコードの上で即興演奏をすることで宮廷や教会に雇われ、これまでの辻音楽師から上の階級へと上がっていき、大衆の生活から遊離した専門家集団(音楽職人)になるのである。

     モーツァルトは勿論コード体系に基づく音楽家であるが、彼の耳はコードを求めていたわけではない。ムクドリの囀りが自分の曲の一節に聴こえてしまい、飼って、死んだときに追悼の詩を書いている。また「音楽の冗談」という調性世界から逸脱した美しい曲も残している。コードや音階からは自由な耳を持っていたと考えられる。バッハにも「音楽の捧げ物」という凝った曲があり、コード法則から大きくはみ出していながら独特の美しさを感じさせる。ベートーベンはゲルマン古来の非和声音への拘りを捨てなかったところが偉大なのである。19世紀初頭のドイツにおいて、音楽の完全な自立と、科学と音楽の統合が自覚される。ヘルムホルツの倍音理論、ハイドンによる科学的モチーフ操作によるソナタ形式の確立。19世紀後半に到ると、楽音以外の音へと関心が広がり、印象派、スクリャービン、サティー、シェーンベルク、ブーレーズ、クセナキスがそれぞれ独自の世界を作り上げる。しかしながら、「音楽の自立性」と「芸術と科学の統合」(方法論に基づく音楽)という柵から出ることは無かった。自然への素朴な回帰に音楽を夢見るのはむしろ小説家であった。H.A.ホフマンの「音楽嫌い」、「牡猫ムルの人生観」、「楽長ヨハネス・クライスラーの音楽観」、「砂男」、トルストイの「クロイツェル・ソナタ」において「自立した音楽という生き物」に対する疑いや凝視が見られる。近代の生み出すあらゆる創作物(人口物)への欲望は必然的に倒錯的なものにならざるを得ない。

     西洋における雑音世界の見直しはジョン・ケージによって試みられたが、中途半端なものに終わった。むしろチャップリンの音への拘りの中に雑音への確かな感受性を見ることが出来る。雑音を如何に料理して音楽に取り込むか、ということではなくて、雑音世界の渾沌と没我をそのまま受け止めるということである。そもそも文化とは文明を静かに見つめる眼そのものであったはずである。この姿勢こそ東洋の何者にも変えがたい知恵であった。(閑話:西洋人はとくに食器類の雑音を嫌う。これはおそらく新興市民層のなりあがり者達の育んだマナーであろう。反対に日本人は生理的な雑音を嫌うが、これは江戸時代に長屋の中で育まれたものであろう。)雑音を嫌った西洋において唯一の雑音は言語であった。話し言葉のリズムには近代西洋音楽が捨て去った中世ロマネスク、ルネッサンス的なしなやかさが生きている。ドイツ語では水墨画に通じる動勢や間の感覚、イタリア語では母音の色彩感。

     「科学と芸術の統合」の迷妄が完全に打破され、音楽が別の世界、秩序に属するとしたのは、アルチュール・ランボーマルセル・プルーストである。マッコウクジラの求愛の歌、丹沢山中での嵐の音、といった地球音響そのものに音楽を感じる。イベント性、偶然性を尊ぶことが必要である。偶然と感じられる自然を人が演出したとき、それを即興性と呼ぶ。即興演奏が恣意に堕さないためには自然という背景が必要である。それは結局「侘び・寂び」の思想に通じる。茶の湯とは人が茶を飲む行為と自然の移ろい、偶然の変化を味わい、生命を実感することである。日本の祭りではあちらこちらで囃子が奏され、それらの偶然性を人々が楽しんでいる。風鈴や物売りの声もそうである。

     という次第で、人にとっての音楽というものが所謂音楽よりもむしろ日常の雑音と称される物音の偶然性の中にある、ということを言いたいのであろう。武満徹などもそういうことを言っている。西洋近代音楽の体系は強力なものであって、これは何よりも標準化されているからであり、われわれは再生音楽を聞かされている次第であるが、そのこと自身が音楽への感覚を鈍らせているのかもしれない。フルートの一音を吹き続けるときそこにあらゆる意味を見出し、表現することは可能である。変化しない音はそもそも音ではない。むしろ変化にこそ音がある。音程とかリズムとか、和声とかいろいろな側面から音を捉えようとしても、一音すら捉え切れない。楽譜に誘われて、あるいは指が覚えたままにフルートを鳴らしていくとき、人からどう聴こえようともそれは音楽なのだという確信が生じることがたまにある。さて、雨が降り出した。僕は子供の頃からこの雨の音が大好きである。

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