2011.10.23

   量化の集まり。22名くらいになった。会場の設営には結構時間がかかった。パソコンからのオーディオ出力は結局取れなかった。画像用のケーブルは青が断線していたようであるが、他のケーブルがあった。三石さんは迷って遅れ、松田先生夫妻は延期された時代祭の交通規制で遅れた。でもまあともかく何とか始まった。山本先生は耳が遠いが話すことはしっかりしていて元気そうだった。皆一通り話した後、後半は松田先生の話と西山さんの話と私と中西さんの飛び入りで少し時間が遅れて、後片付けが大変だった。

    西山さんの話は面白かった。彼は最初から「複雑系」の世界に居て、そこで観測者が観測対象に関わらざるを得ない、という人間科学をやる内に、研究ということと現実への介入ということは一体としてあらねばならないという新しい学問の道に入り込んだようである。看護や介護の新しい枠組みを試みている。私が隣接相互作用と線型モデルに拘りつづけたのに対して、西山さんは最初から複雑系と非線形数学の世界に居た。それは私の立場から見れば「遊び」のようにしか見えなかったのであるが、今回の話から感じ取れたのはもはやそうではないかも知れないということである。人間科学においては観測者が観測対象と関わらざるを得ないというのは、対象の認識が自分自身の認識でもあり、認識というのは本質的に因果関係を利用した操作の意図を含んでいるから当然のことなのだが、以前の西山さんはそのことを自分の生き方としてではなく、客体として語っていたように見えたのである。

    本当は自然科学においても認識は行為と繋がっているのであり、ガリレオの時代にはそれが現実であったのだが、近代以降、行為に繋がらない純粋科学としてつまり「科学」として体系化されてきたために、多くの研究者はそれを意識しなくなった。自分が研究対象から独立した「神」の立場に居るという幻想の元で科学の体系化が可能なのであり、体系化した時点でそれはよそよそしいものになってしまう。よそよそしい、というのは応用の主体が自分ではないからである。体系化されたものは「書物」として客観的実在となっているように思われるが、「書物」は読み込まれて個人の行動へと繋がって初めて生きる訳であって、そのプロセスは「体系化」というよりは個別化された「指令」の集合体なのである。そこにおいてはもはや「体系化」に寄与した研究者の想いは届かない。企業文化というような曖昧模糊としたものを信じざるを得ないのもそのためである。

    「体系化への志向を維持しながら応用の現場に留まる」という生き方そのものが学問本来の在り方であるとすれば、西山さんはその「場」を見出したのであり、全てはそのための「準備」に過ぎなかった、というのも判る。そして、私が花王の中で見つけたのも実はその「場」だったのであり、三石さんが語った Problem Based Learning というのもそれを模擬する教育であり、中西さんが語った「日本の大学の先生達と違ってイギリスの大学の先生達は応用への意識と幅広い分野の知識がある」そいうのもそういう伝統に由来している。地球環境問題についても研究者と政策との間には多くの断絶があり、そこを埋めていこうとする蛯名さんのやり方もまた何とか学問本来の在り方を取り戻そうとする意図から来る。松田先生も環境問題に関わろうとしておられる。これらは、「近代の超克」という昔からの課題に対して実存主義や構造主義がそれなりに答えようとしてそれぞれの欠陥を顕わにする中で、研究者が体感的に見出しつつある答えなのかもしれない。

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