2014.10.30

      細川俊夫のHiroshima Happy New Earの17回目は彼の作曲したモノドラマ「大鴉(The Raven)」である。最初に細川氏が丁寧に説明してくれた。これは彼の4番目のオペラ作品であるが、彼のオペラは全て能を意識していて、前3作は直接能作品を取り上げたが、今回のはドラマの構造が能と同じという処に着目した。原作は Edgar Alan Poe の有名な詩であって、アメリカでは小中学生の教材でしばしば暗記させられるくらいである。僕も大学受験勉強の時に読んだ覚えがある。恋人レノーアを失った中年の男性が真夜中に読書しながらうとうとしているとドアをこつこつ叩く音がするが、外には誰も居ない。思い切って窓を開けると大鴉が飛び込んできてドアの上の彫像の頭に留る。そこで彼は大鴉に向って独り言を始めて、それに大鴉が答えるのである。その答えは一つで「Nomore」である。これは質問に応じていろいろな意味を持つので、彼の感情の振幅を増幅するように働く。それが頂点に達して、ついに絶望する、という話になっている。演奏は、一人のメゾソプラノが語りを担当して、楽器の方はヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ピアノ、サクソフォン、クラリネット、トランペット、トロンボーン、フルート、打楽器である。

      日本ではあまり知られていないことを考慮してか、それとも時間的な穴埋めのつもりか(演奏自身は45分なので)、第一部は高尾六平という俳優による翻訳詩の朗読があった。その後、休憩して演奏である。これも後ろに原文と翻訳文を映写している。メゾソプラノのシャルロッテ・ヘレカントはとても熱演していて、大きく揺れ動く詩の内容(主人公の心情)をやや大げさにではあるが表現していたから、英語の意味は殆ど聞き取れなかった。大部分は語り調でところどころ歌謡調になる。

      僕がもっぱら惹かれたのは語りの方ではなくて楽器演奏の方だった。全体を支配するのは一拍子とでもいうべきか、クレッシェンドの繰り返しである。これはちょうど能における鼓の掛け声を思わせる。それが全体を支えていて、主には金管楽器と打楽器が鋭い音を出す。これも能における能管を思わせる。他には木管楽器や弦楽器が能管の細かい音形を担当する感じである。チェロやバスは何かといえばこれは響きとしての地謡に相当するのであろう。これも一拍子調である。もう一つとても重要な音が管楽器による息音である。歌口を反らしてわざと息の音だけを出す。ヴァイオリンも楽音を出さないようにして弦を擦る。最初と最後にそれが使われて効果的であった。これは何を意味するか?というと、明らかに闇とか死後の世界である。最初の息・擦れ音は主人公の悲しい心情と夜の不気味さを思わせたが、最後の息・擦れ音に僕が感じてしまったのは「人類が滅亡してしまった後の極めて平穏な自然」である。そもそもこの詩は一人の男が恋人の死という現実(自然)を受け入れられずに妄想の中でさ迷い、最後に観念する、という物語である。自然の中では人為は何物でもない、という厳しい認識が主題なのだから、それに沿った音楽ではあった。大鴉の「Nomore」の繰り返し周期は物語が進むにつれて短くなり、楽曲全体がそれによって序破急という大きなリズムを構成しているが、これも原詩の意図通りに演奏で再現されていたと思う。

      会場には楽譜も置いてあったが、しかしまあ、特殊な演奏技法ばかりで精密に構成された楽曲をここまできちんと演奏するというのは並大抵の努力ではできないだろう、と思う。そもそも日本民族は腰を落として一歩一歩足を進める、というのが身についた拍子であって、拍子と拍子の間に強弱の違いは意識されないで、拍子の内部に表現が籠められる。だから、テンポという概念が存在しない。そんなリズムを西洋音楽で教育された人たちが合奏する、というのはかなり難しいことなのではないか、と思う。

<目次へ>  <一つ前へ>  <次へ>