2011.04.10

    左京区図書館で本を返却して市議会府議会選挙の投票をしてから京大北部構内を抜けて吉田山に登り、宗忠神社経由で真如堂に行った。桜はそんなに多くないが、なかなかよい。懐かしい。何しろ京都で過ごした足かけ13年間通い続けたお寺であるから。三重の塔が木々の向こうに隠れ見えるのは風情がある。ただ、随分観光客が増えたものだ。そのまま東に向って歩いて、吉田神社、京大から鴨川に達してここでも花見の様子を見た。そうそう、花見こそ庶民の楽しみである。さて、荒神橋を渡り、府立文化会館でオムレツを食べてから御所を横切ってアルティまで行った。大嶋義実のフルートリサイタルがあったのである。前売り券を買いそびれたので3500円になった。この人は京都芸大の教授である。

    「春に寄す」というタイトルで、ヨーロッパ各民族の春の曲が前半であった。最初にモーツァルトのレクイエムからラクリモーサを演奏して震災への追悼とした。弦のパートをフルートで、合唱のパートをピアノで。これは良かった。フルートの急くような音が緊張感を与える。

プログラムに入って、メンデルスゾーンの春の歌、チャイコフスキーの四季とグリーグの叙情小曲集より(ピアノ水野雅子だけ)、間に滝廉太郎の「花」と「桜」を挟んでこの人独特のチャチャを入れ、最後にドップラーのハンガリー幻想曲。この人のフルート音は金属的でやや煩い感じがする。指はしっかり回るしアーティキュレーションも模範的であるがもう一つ訴えるものが足りない感じである。何といったら良いのだろう?あまりにも吹きなれていてナイーブな感情や純粋な気持ちが抜け落ちてしまう。プロの陥る盲点だろうか?

後半は大曲で、アメリカの G.Schocker の Spring songs for Flute and Piano。この曲はイマイチ。次は十河陽一の「フルートとピアノのためのソナチネ」で、これはなかなか新鮮で良かった。第一楽章<まどろみ>、というのは尺八でしか出せないような音程の繰り返しで日本的なモチーフを発展させる。第二楽章<芽吹き>はストラヴィンスキーを思わせる複リズムで刺激的であった。作曲者は京都の人で、聴きに来ていたので紹介されていた。最後にベートーヴェンのスプリングソナタであるが、何とか吹きこなしているものの、やはりヴァイオリン程の表現力が伴わない。ピアノとのバランスも時々おかしかった。なにしろ難しい曲なので気合は入っていたが。。。

    帰りは御所の枝垂れ桜を鑑賞した。北西の一角に白と紅の枝垂れ桜ばかりを集めてある。紅の方はまだ半分位しか咲いていなかったが、全く、素晴らしいとしか言えない。また歩いて高野川沿いの桜を見物した。この時期は本当に人出が多く、いつもはのさばっている野鳩や鴨達も目立たない。カナートでアジの塩焼きを買って帰ると、もう6時を過ぎていた。

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