左京区図書館に行って本を返して、ちょうど本棚に返されていた福岡伸一の「動的平衡」(木楽社)を借りてきた。帰りに高野川を散歩。桜が咲き始めている。川向かいの橋のたもとの枝垂れ桜は満開であった。川沿いの喫茶店 AIR で窓際に座ってピザを食べ、桜を眺めながら本を読んだ。

    この人には文才がある。スーッと抵抗無く読んでしまったが、あまり新規な発見はなかった。今まで書いてきたことの焼き直しである。最後にライアル・ワトソンという人の本が紹介してあって、面白そうである。「エレファントム」というのは最後となった母像がシロナガス鯨と会話する話である。超低音で会話する。また「思考する豚」は豚にも「心の理論(他者の考えていることが想像できる能力)」がある、という話である。生物を機械と考えたデカルトによって今日の生物学があるわけで、DNAの構造の発見やゲノムの解明は重要な一歩であったが、その前にシェーンマイアーによって、生物機械の部品は機械とは異なりその構成分子が絶えず壊され作り直されながらパターンを維持している、という「動的平衡」にあることが明らかになっていた。これはデカルトの生命観を否定するものであり、そういう視点から見れば、生命は環境そのものでもあるし、個体が死ぬということはエントロピー増大則と折り合って存在し続けるための発明であった。そこに線形理論を当て嵌めて安易に薬などで介入すると確かに当面は思うようになるかもしれないが、やがて周辺の複雑なフィードバック反応系が働いて思いもかけないことにもなる。抗癌剤が直ぐに効かなくなって、免疫力の低下を招くように。まあ、ほどほどにということであろう。

<一つ前へ>  <目次>