2007.09.07

    先週東図書館で借りた、大崎滋生「音楽演奏の社会史」(東京書籍)を通勤のバスの中で読んでいる。なかなかの力作である。副題は「よみがえる過去の音楽」とある。まずは第1部「復興の歴史」である。

    現代の音楽文化においては、過去の作曲家の作品が演奏されることが殆どである。それらの演奏に対する聴取態度と、現代の作曲家の作品演奏に対する態度は異なる。もっともこれは人にも拠るし、作品にも拠る。最も一般的な態度は音楽を生活の修飾としていわば背景を作る一要素として聞き流すことである。再生技術の進歩(ラジオ放送やオーディオやパソコン、ウォークマン、、)がそれを支えている。作品としてはポピュラー音楽が大部分で、それらの作曲技法は19世紀の西洋音楽に基づいている。いわば消費される音楽である。西洋クラシック音楽も多少はそういう聴き方をされるし、ジャズもそうである。これに対して音楽を真面目に聴く場合もある。音楽会や、家庭でのオーディオ装置で聴く場合などで、そういう場合の作品は西洋クラシック音楽やジャズが主流となる。勿論ポピュラー音楽もそういう聴き方ができるのは言うまでもない。

    このような音楽文化のあり方に対して、18世紀までの西洋の音楽文化は全く異なっていた。音楽は公的なメッセージであって、教会で演奏されるか、宮廷で演奏されるか、によって多少異なるが、どのように演奏されるか、ではなくて作曲されたその曲の意味が人々に明確に伝わった。このような落差が生まれたのは勿論市民革命以降である。音楽が社会上層部の必須な教養であった時代から、大衆のものへと解放されたためである。ヨーロッパは科学技術による生活の向上と共に海外への侵攻により、それまでの神の支配という絶対的な世界観から諸民族の文明という相対的世界観へ、教理主義から合理主義へと大きく変化していく。その中で自分達が過去の歴史的進化の先頭に立って人類の進化を先導している、という基本的な考え方に染まっていく。それは勿論世界を植民地化する原動力であったが、同時に過去の見直しにも向かった。現在の音楽に至る過程として過去の音楽を位置づけることが重要になり、過去の音楽が研究され取り上げられる。それは必然的に過去の音楽を楽しむのではなく理解するという方向に向かう。それまでの市民の演奏会がテレビのバラエティー番組のように脈絡のない構成で、人々はアイスクリームを食べながら聞くようなものであったのに対して、新しく過去の作曲家の作品を作られたままに(一部分だけとか、勝手に編曲するとかせずに)解説と共に演奏し、人々は静まり返って聴くというような音楽会(今日の演奏会)「名曲演奏会」が発明されたのである。

    演奏者の大衆化がもう一方で進むと共に、彼らがもっぱら演奏する音楽のジャンルが偏ってくる。トランペットやオーボエのような楽器は素人のものではない。合唱と鍵盤楽器が主流となる。女性は鍵盤楽器を、男性はバイオリンを習うのが一般的で、それも出来ない人達は合奏を楽しんだ。プロの演奏家はその指導で生計を立てるようになり、素人の演奏家達はプロの演奏者の聴衆となる。バッハの復興はそのような背景の中で可能となった。華々しい活躍をしていたテレマンは多くの楽譜を残したが、それらは当時流行していた教会や宮廷音楽のジャンルであって、19世紀にはそれらのジャンル自身が廃れてしまう。バッハは日々教会音楽を演奏する素人たちの教育に追われていて、彼らの為に基礎としての鍵盤楽器を教えるために多くの作曲をせざるを得なかった。また合奏や合唱の為のパート譜は彼らに書かせるようにしないと間に合わなかった。結局殆ど自ら楽譜を出版することなく、膨大な数の弟子を育てたのである。それらの弟子達と伝承された鍵盤楽器用の音楽が19世紀に到って素人演奏家の教育の為の格好の教師と教材になったのである。

    ドイツの民族主義の高まりという背景もあり、マタイ受難曲がメンデルスゾーンによって再発見されて成功を収める。バッハからモーツァルトさらにベートーベンへという「音楽史」が作られるわけであるが、本当のところモーツァルトはバッハの影響は受けていない。やっと晩年になってバッハを知るのである。それくらいバッハの楽譜は流布されていなかった。またベートーベンのピアノの先生はバッハの弟子であった。勿論バッハは緻密で深い感情的内容を楽譜に書き込んだし、テレマンの音楽はやや軽薄に聞こえるが、音楽の意味内容というのは形作られ教えられ習慣化されてある程度「恣意的」に生まれるものでもある。われわれはもはやバッハの作品の個性というものを絶対的な価値として認識するようにしか聴けなくなっているということも多少はあるのではないだろうか?そしてそれはバッハの弟子達によって素人演奏家を通して歴史的に形成されて来た習慣でもある。さて、こういった歴史主義=進歩主義を背景として作曲家達は過去からの継承とその発展乃至は飛躍を試みるようになる。それまでの社会の要求に従う作曲ではなくて、音楽の進歩を目指した作曲である。というより、作曲家は社会の要求に従う作曲家と音楽の進歩の為の作曲家とに分裂する。

    20世紀における過去の音楽の復興は19世紀とはやや趣を異にしていて、それは近代主義と産業資本主義の矛盾が表立ってきたからである。最初の運動はドイツのワンダー・フォーゲルであって、都市から田舎へということである。音楽としては、裕福な資本家の娘が音楽学校に行ってピアノを習い、家族でコンサートに行く、というブルジョア生活から、素人がリコーダーで演奏する音楽へ、ということになる。ここでリコーダーと共に復興したのがテレマンであった。オルガンにおいても、近代のオーケストラの華麗な音色を目指して改良されてきたオルガンから昔の素朴な音のオルガンが復興される。ドイツにおけるこのような反近代運動はナチスによって音楽運動としての弾圧と共に、その担い手をナチスユーゲントへと吸収することで収束し、その伝統は周辺の国々へ受け継がれる。オランダやフランスやイギリスが今日古楽の中心になっているのはその為である。実際に古楽を復興するのは素人の演奏技術では困難である。楽器のピッチやアーティキュレーションの問題など学問的な研究と演奏技術なしには満足の行く演奏は出来ない。チェンバロはランドフスカが華々しく復興させたが、その時のチェンバロはピアノを更に改良したものであって、およそ古楽のチェンバロとはかけ離れた新しい楽器であった。今日ではもはやそれが20世紀の骨董になっている。ヴィオラ・ダ・ガンバはイギリスで復興された。フルートはソロ楽器としてのニュアンスを犠牲にして音量と音色の均一化により管が歌口側を絞った金属になりキーシステムがついてベーム式が一般的になっていたが、古楽のレパートリーを演奏するためには元の素朴な楽器が適している。ヴァイオリンは本体自身は昔のままであったが、周辺部はモダン楽器に作りかえられている。バロックバイオリンに戻すには相当な研究が必要であった。しかし一番重要なのは弓であって、モダンヴァイオリンにおいては弓の重心が中央にあり、細かいニュアンスは演奏者が意図的に作り出すという従順な楽器になっている。しかし、バロックヴァイオリンの弓の重心は手元にあり、弓の運動の不均一性を利用してモダンの弓では名人芸となるバッハの難しいパッセージも比較的容易に演奏できる。最後に残されたのが声楽である。楽器については資料を元に復元し演奏してみることによって、曲本来の意味が蘇るという体験が可能であるが、声ではそのアプローチが取れないから、全くの試行錯誤になる。そして、もっとも重要なのは演奏習慣である。これにはしかし限界があり、もはや過去の音楽を復興する、ということ自身に限界が見えてきたのではないか、と言われている。

    第2部「復興の哲学」、第3部「復興の実践」では著者の考え方が述べられるが、アーノンクールの著書に比べて特に新しいものはない。絶対的な基準は無いのであって、資料と演奏の実践の中で結局は演奏者の音楽性によって決まってしまう、ということになる。

    文献として面白そうなものがいくつか紹介されている。テレマンのソナタ・メトディカ というのは鍵盤楽器用に書かれた楽譜と演奏される楽譜を対比して出版してあって、テレマン流にこの楽譜を演奏する(=即興する)にはどのようにすればよいかを指南している。書かれた音がそもそも無視されているような部分もあれば、左手が動く部分などはそのまま演奏する部分もある。アーティキュレーションには、フロッチャーの「バロック音楽の演奏習慣」(シンフォニア,1974:山田貢訳)、クヴァンツの「フルート奏法」(全音楽譜出版、1976:荒川恒子訳)があるが、これはあくまでもその人のやり方に過ぎない。フィグール(音形)についてはもともと音楽が弁舌の一種であり、人々を宗教的感情に誘い込むための手段であったことから必然的に生まれた。ウンガーの「16-18世紀における音楽と修辞学の関係」(ドイツ語1941)にカタログ化されていて、Bukofzer, Manfred "Music in the Baroque Era" (New York 1947) はその提唱者である。器楽の分野でそれがどの程度作曲者に意識されていたかは曖昧である。しかし、言葉を音楽に移すことを日常の仕事としていたバッハが器楽曲においても無意識の内にフィグールに従ったと考えるのは不自然ではない。実際バッハの楽譜を何回も練習していると次第に何かが語られているように感じるようになってきて、はっきりと言語化できないまでも語るように演奏することが楽しみになっていくのである。他の作曲家の場合はもっと直接的に感情に訴えるところがあるので、表情をいかに付けるか、という技術的な楽しみになってしまう。18世紀以前の音楽が19世紀に復興したときと、20世紀に復興したときでは、その意味合いが異なっていたことから、とりわけバッハにおいて今日演奏形態が2種類に別れて存在することになった。すなわち、古典派、ロマン派、現代音楽という流れの源流としてバッハを演奏する(19世紀)か、それともバッハの時代におけるバッハを演奏する(20世紀)か、である。コンクールなどでバッハが敬遠される理由の一つでもある。

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