2014.12.01

      大分前に録画してあったNHKの「日本人は何を考えてきたか」のシリーズの「大本教」を観た。学生時代に高橋和巳の小説「邪宗門」で知ったのであるが、その頃は革命を目指した団体の悲劇と捉えていたように思う。今回中島岳志が解説者として登場していた。元々亀山で貧困生活を続けていた女性(教祖:出口なお)が最初は金光教に通っていたようであるが、ある日神がかりになって当時の金権的な世間を断罪して世直しが始まると言い始めた。それに神道を学んだ優秀な男(後の出口王仁三郎)が参加して大きく拡がった。大正から昭和にかけての最も大きな民間宗教であった。その背景には急速に近代化していく日本において取り残され貧困にあえいでいた多くの民衆があり、その少し前には金光教だけでなく多くの新興宗教(他には黒住教、天理教等)が全国各地に誕生している。大本教はいわばそれらの教えを統合したような体裁になっている。教祖は日露戦争を日本が壊滅的なダメージを受ける戦争という風に予言していて、それを切っ掛けに「世直し」が始まるとしていた。日露戦争にはからくも勝利したものの確かにそのダメージは大きく、それを隠しながらその後の日本は大陸に南洋に進出してアメリカと開戦に至る。王仁三郎は思想的な展開力と組織力に優れていて、やがてスサノオの尊を祭り、満州進出を支持し、愛国団体になっていく。世界が宗教的に統一される、ということで、エスペラントの普及運動も始めたが、その宗教的統一者は具体的には天皇という事にならざるを得ず、日本を救うためには中国大陸を従える必要がある、というのがその理由であった。こうして大本教は結果的には日本軍部の中国侵略方針を擁護する民間団体の中でも最大のものになるのであるが、それが逆に軍部の警戒感を刺激して弾圧されて、アメリカと開戦する頃には王仁三郎は獄中にあり、教団の施設は破壊されていた。彼は獄中から日本の敗戦を予見し、信徒に生き延びよ、と教えている。戦後、復興された大本教では戦争支持を反省し、平和主義を掲げている。

      番組では大本教を日本で始めての民衆起源の宗教(それまではエリートが起点となっていた)として評価している。また、思想的には大衆による反近代(というか反金権)運動として評価していて、そういう意味で金権主義が極まってきた現代にも通じるものがある、という採りあげ方である。大本教に限らず、軍部の皇道派も、宮沢賢治の参加した日蓮宗団体も、その当時社会の貧富差を問題とした殆どの思想は、結局排外主義に吸収されていった。天皇周辺ですら、単に米英との関係維持を保つために手加減することを望んでいたというにすぎず、列強の干渉さえなければ中国への侵略を支持したはずである。それほど、当時の日本、というか全ての先進国は、帝国主義に染まっていたのである。国家という立場からすれば、他民族の支配というような事は犯罪でも何でもなくて、純粋な軍事的経済的な国益の問題にすぎない。現在では多国籍企業がその手先になっている。そういう意味で未だに変わっていないのだが、それを自制する理由は、支配に関わる膨大なコストである。競合国からの批判とかゲリラ戦やテロは勿論であるが、執拗に続く被支配民衆の怨念はいたるところに問題を引き起こし、その影響は100年経過しても消えない。そのような負の遺産を認識しなおす形でしか軍事的乃至経済的侵略を抑制する手立ては無いのかもしれない。国家の「正義」はその結果として語られるにすぎない。それはともかく、教祖出口なおは神がかりになって初めて文字を書いたということになっていて、その手書きによる神の言葉(筆先)自身はかなり純粋なもので興味をそそられる。それを昭和初期の時代に合わせて翻訳したのが王仁三郎ということであるが、戦後風に翻訳すれば平和主義にもなる、という次第である。

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