2010.12.20 京都音楽三昧

11月27日(土):
    お昼にうどん屋で親子丼を食べてどこか出かけようかと調べると、丁度アルティでバスーン四重奏をやるということなので行く事にした。バスを調べると204番で天王町経由で烏丸丸太町に行けるので、早めに乗ったが、天王町の前で大渋滞。結局1時間かかった。烏丸丸太町からは結構歩いた。当日券は入手。烏丸今出川まで歩いてスパゲッティを食べた。今日は同志社大学祭のようで、入った所に大きなツリーのイルミネーションがあった。歩いて行くと丁度よい時間に着いた。演奏プログラムは知らなかったのだが、なかなか面白かった。この人たちは蓼科での合宿で知り合って結成したので、京都、名古屋、東京にバラバラで、新しく参加したピアニストは大阪である。あまり合同練習が出来ないらしいということで、ピタリと合った感じではないが、アレンジが面白かった。その編曲者(中川良平氏)も来ていて要領の悪い司会をした。

最初の曲はバッハの無伴奏チェロ組曲6番で、確かにこれは複雑な対位法をソロでやるよりは判りやすい。楽譜が展示してあって、見ると、チェロの旋律は2つのバスーンで担当して、後の2つでは和声というか通奏低音というか、流して背景を補っている。担当は4人の間で交互に変わる。旋律線に内在していた対話性が陽に別の楽器に分解されているので曲の構想が判りやすくなっている。

2曲目は何とシューベルトのアルペジョーネソナタ。アルペジョーネパートは主に2本のバスーンで担当するが、ピアノも要所要所で担当する。また別の味わいがあって面白い。

休憩の前に、名古屋のバスーングループが出演してバッハの、多分、管弦楽組曲の編曲版を演奏した。

後半はバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタの1番のブーレ・ドゥブル。これまた面白かった。

更に、サンマルティーニの Canto Amoroso(これは知らない曲だった)、ドヴォルザークのSongs my mother taught me、 クライスラーの 美しきロスマリン。愛の悲しみ、愛の喜び、アンコールに童謡メドレー。メンバーは 小川慧巳、榎戸絢子、野村和代、島岡幾代、植松さやか(pf)。ところでこのピアニストはなかなか美人であった。しなやかな身体と指の動きが艶かしい。バスーンはやはり肺活量が要るようで、膝を落として弾みを付けて芋虫が悶えているようにのた打ち回っているのが何とも面白かった。フルートも小柄な人だとそうなってしまうが。

帰りは地下鉄北大路経由で早く帰った。

12月5日(日):
    今日もゆっくり寝た。なかなか布団から出られないのである。まあそれでも8時ではあるが。ちょっと統計勉強会の資料を作ってから京都バスで出町柳まで出て、お昼を食べてから、歩いて「金剛能楽堂」に出かけた。会場はほぼ満員であった。

演目は舞囃子の「清経」、狂言の「佐渡狐」、能の「三輪」。狂言はともかくとして、能の語りは殆ど判らないのでストーリーも大体しか把握できないが、あまりそういうことは関係なかった。最後の三輪明神(豊嶋晃嗣)が踊る神楽に魅せられてしまった。何よりも謡と笛、鼓が素晴らしくて、音楽的な盛り上がりを演出しているのと、舞そのものは非常に抑制された動きの中で全ての姿勢や仕草が何かを志向している、というか「意味」を持っている、というところに何やら不思議な感覚に誘われてしまう。これはまあ音楽なのであるが、作曲が何処までで即興演奏がどの程度あるのだろうか?そもそも対面で伝授されているのだろうから、引き継がれていくたびにその意味合いは変化してきたのだろうと思う。そういう意味で、おそらく、これは伝承された芸でありながら、結構現代人の感覚が反映されているように思う。鼓や笛の鋭い調子など、昔はそれほどでもなかったのではないかと思うのである。全体でかもし出されるえもいわれぬ調和、この感じは確かに直接観ないと判らないだろうと思う。そして、それを達成するための努力には敬服せざるをえない。

12月6日(月):
    昨日観た能のイメージが頭を巡ってきて明け方早く目が醒めた。生まれてこの方日本で育ってきたが、その事から来る自然な日本人としての感覚からいうと、能というのはやや異質なものではないだろうか?

学会で行った時に観た韓国の民族舞踊とその伴奏、映像で観たジャワのガムランの舞踊、それらの特徴として浮かび上がるのは独特な時間の組織化である。うなり声で始まって急速に盛り上がって叩く鼓、その決まり方と余韻。力の入り方を誇張した表現方法。そうそう、フラメンコもそうである。歌舞伎の見えもそうである。つまり緊張が高まっていってその極限として時間が止まる。そこに笛も舞も地歌も合わせこんでくる。そしてその後のつかの間の解放感。こういった時間の組織化によってユニットが作られていて、それが複雑に絡み合って一曲を作り上げているのである。その全体の構造は地歌や太鼓によって制御されている。能の舞は確かに動きが少ないが、逆に激しく動くフラメンコにおいても、その激しい動きそのものが一種の力の入り方を示唆しており、能の静かな動きと意味的には同じなのである。そういえば、日本刀で人を切るときの所作と能の動きが止まる時の所作は似ている。やはり武道とも関係があるのだろうか?西洋のクラシック音楽やバレーはこれとは逆の方向で時間を組織化している。溜まったエネルギーが一気に爆発してそこで時間が止まるのではなくて、そのたまり具合が組織化され、可視化されているから、時間の空間化というべきである。

    結局9時ごろになって起き出して、遅い朝食をとり、統計勉強会の資料を作り、お昼は京大生協まで歩いて行って食べた。天気が良かったので帰りは高野川の河原を歩いて帰った。鷺がいかにも寒そうであった。

12月8日(水):
    上村松園展が今週一杯なので観にいった。昔はまあ綺麗という印象しかなかったのだが、確かに素晴らしい画家である。線も色彩も伸び伸びとしていて実に気持ちが良い。その確実性というか決然としたところが良い。最初から人物が好きであったようで、いろいろな美人画を描いているが、初期のものの方が好きだ。姿勢や髪、表情、着物の柄、何よりも構図がピタリと決まる所。うーん、これも能の時間でいうと止まった瞬間を捉えた感じである。色彩も明るいが一目見て松園と判る個性がある。中期には何を描くべきか迷った時期があり、心理描写を試みて、謡曲の一場面を描いてみたりするが、後期にはそれも抑制され、着物の柄なども単純化され、次第に何やら象徴的なというか、仏像のような絵になっていく。円熟ということであるが、僕には却って面白みが無くなっていくような気がした。

    帰りは、近くの Au temp perdu という喫茶店でランチをとってから、そのまま白川沿いに知恩院まで散歩した。東側は崩れそうな木造家屋が並んでいて、路地を歩くと面白い。

12月13日(月):
    朝早く起きて、垂水に出かけた。私的合奏である。7時半頃出て10時頃着いた。

練習はまずモーツァルトのK304で、これは結構てこずった。単純なメロディーなのだが、2人合わせるとまるで別の曲想になる。フルートで出せないB以下の音を含むフレーズをオクターブ上げて練習しておいたのだが、やってみると、ピアノと重なったり、あるいは調子が良すぎてデモーニッシュな感じが抜けてしまったりで、結局原曲に出来るだけ沿うようにした。まあやはりこれは名曲というべきか、なかなか聴き応えがありそうである。低音部のフォルテが多いので頬の筋肉がものすごく疲れる。あまり何回も続けて練習できない。ともかくこれは鍛えるしかない。結局これで午前中は殆ど潰れた。その後、バッハのホ短調ソナタを合わせたが、まだまだである。結構もたついたり間違えたり、という段階。次はアルペジョーネソナタであるが、最初の楽章は良かったものの、最後の楽章の途中で息絶えてしまった。食後にやりなおしたのだが、またしても最後の高音の連続で躓いた。ふー。なかなか先は長い。次いで、バッハのロ短調ソナタをやった。これも結構もたついてしまった。どうも調子が悪い。最近は仕事が忙しくてあまり練習が出来てないのが響いたか?最後にバッハのハ短調のシシリアーノとG線上のアリアをやってお終い。

12月19日(日):
    朝寝をした。お昼に京都バスで大丸まで行って、「伊織」でランチ。きつねうどん。なかなか美味しかった。「伊織」は京都老舗のお茶店である。今日は四条室町から少し上がった所の京都芸術センターで胡弓を聴く。ここは小学校だった建物でなかなかレトロでお洒落な感じである。中庭の運動場はテニスコートになっている。いろいろな芸術活動を支援するための施設で、講堂や広間で発表ができるほか、教室は練習室や会合室や図書室や資料室になっている。今回のはレクチャーコンサートシリーズの一つらしく、「継ぐこと伝えること#45」とある。京都芸大の先生が解説してくれた。

    胡弓というと中国の二胡と思っていたが、そうではなくて、それも含んでリュート族の擦弦楽器である。世界中で亜種が存在している。ヴァイオリンは勿論一番普及している。いずれも現在の形になったのは18世紀である。日本では江戸時代からあったようだが、由来ははっきりしていない。日本の胡弓は当初連続的な音を出せる楽器として三味線や琴との合奏に使われていたが、やがて尺八に取って代わられて廃れてしまった。生き残りは京都と大阪にあって、名古屋にも伝わった。検校というのは盲人の音楽家の最高の地位であるが、初期の検校は胡弓を弾いていて、その作曲は三味線や尺八の曲に直されて現在に伝わっているものが多い。そういう意味で、今日はそれらの原曲を聴くことになった。ゆるりとした馬の尻尾で弦を擦るので何とも不安定な音であるが、慣れてくるとそれが独特の魅力と思えてくる。現在の最高の弾き手は大阪の菊津木昭という84歳のお婆さんである。本曲「鶴の巣籠り」は西洋風に聴くと何ともとらえどころの無い曲であるが、これもまた一つの音楽表現であろう。大正時代には一回り大きい楽器も発明されている。それも京都楽派の野田典子さんの演奏で聴いた。

    合奏となると、やはり現在尺八が担当しているパートを演奏するということになるが、尺八とは違って連綿とした情緒的な感じになり、どこか異国的である。もともと中国西域由来の楽器なのである。合奏は「千鳥の曲」、「口切」、「ゆき」。これらは勿論歌詞が主体であって、これまた連綿と続くその歌い方が独特である。こういうのは能における時間の構造化とはおよそ対極にあって、思いが凝縮されるということは無く、そのうねうねとした流れに浸れるかどうか?で良し悪しが決まってしまう。まあ、武士ではなくて町の旦那さんの音楽であろうか?合いの手というのが間奏的な歌無しの部分であるが、そこでは何となく西洋の合奏のような掛け合いやらきびきびとしたリズムが現われて息抜きとなる。そういう部分での胡弓の使われ方はやや遅れ気味にリズムを支えている感じである。ただ、「ゆき」の合いの手はやはり胡弓独特の風情が生じてきて、確かに雪がしんしんと降り積もるという中での静謐な悲しみが感じられる。昭和の時代に子供向けに作曲された「わんわんにゃんにゃん」というのもあって、胡弓の得意な擬音表現が使われていて面白かった。今回は対照としてヴァイオリンで「黒髪」の演奏があって、これは音色がすっきりしている。しかし、旋律は見事に同じであって、耳が良いのだなあと思った。最後に「八千代獅子」を全員で合奏してお終い。ヴァイオリン→大型の胡弓→古典的な胡弓という音色の変化が面白かった。

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