2021.10.16
『計算する生命』 森田真生(新潮社)

この人は京都に住んでいる「独立研究者」ということであるが、なかなかの勉強家である。心を形作る「言語」、身体を突き動かす「生命」、数学の発展を駆動してきた「計算」の絡み合いがテーマである。現代の知性の成り立ちと課題が一望できるので、メモを残しておく。ただし、何も答えがあるわけではない。

● 第1章:「わかる」と「操る」

・・・ヒトの脳は生まれつき数を認知する機構を持つ訳ではない。指と対応させて数を数えるようになるまでに1年以上かかる。指をバラバラに動かすのは一緒に動かすよりも格段に脳に負担をかける。紀元前8000年のメソポタミア(新石器時代)で数を数えるためのトークンとして使われたと思われる小さな粘土隗が見つかっている。紀元前3700-3500年にはトークンを保存するための中空の粘土球(封球)が見つかっている。封球にはやがてマークが印されるようになり、マークさえあれば中身のトークンは必要なくなるから、数の記録は粘土板の記号へと変わった。紀元前3100年には、トークンの数ではなく、トークンと数を表す記号の組み合わせて記録するようになった。それぞれが、「文字」と「数字」の起源である。計算というのはいまだにヒトに苦痛を強いる。物を計算によって操ることはできても、その意味が理解されるまでには時間と経験が必要である。(これは現在でも AI とその意味の関係として続いている。)

・・・6世紀頃にはインドで十進法の算用数字が使われていた。アラビア文化を経由してヨーロッパに伝わった。商人達が使った。フィボナッチは『計算の書』を著し、各地に「計算学校」が出来た。代数学もアラビアから伝わった。当初は日常言語で表現されていたが、徐々に記号化された。デカルトは多くの記号法を開発して、記憶の負荷を減らした。数学は作図と言葉の縛りから記号と規則の世界に解放された。「意味」の縛りから解放された。実物に対応しない負の数が登場したのはその成果である。そこから数直線のアイデアが出たのは1685年である。虚数も二次方程式の解として登場したが、意味は不明であった。世界中に広がったのは16世紀である。19世紀になって、虚数は数直線上ではなく、二次元平面(複素平面)上の点として意味を与えられた。

● 第2章:ユークリッド・デカルト・リーマン

・・・ユークリッド『原論』;リヴィエル・ネッツ『ギリシャ数学における演繹の形成』: 演繹はヒトの生得的な能力ではない。数学者の思考は文と図を横断していた。図の意味を確定させるのは言葉であるが、言葉だけで辿ることが難しい推論の連鎖は作図によって追跡された。しかし、論証の理想形は真っすぐで途切れることのない説得行為であるから、個々の命題を支えている個々の文脈は命題自身と切り離される必要があった。つまり現実乖離を生み出した。例えば、AはBを愛し、BはCを愛するからと言って、AがCを愛するとは言えない。

・・・東西ローマ分裂後、ギリシャ文化はアラビアに引き継がれ、西欧が『原論』に接したのは12世紀であった。ローマ・カトリック教会は古典幾何学を神の秩序の模範と考えた。クラヴィスは暦問題の解決に『原論』を使い、数学は宗教的対立をも乗り越えるものとして理解された。クラヴィスのカリキュラムで学んだのがデカルトである。デカルトは「確実で明晰な認識」としての数学の方法を拡張しようと考えて、その基本を吟味した。作図、すなわち定規とコンパスだけでは解けない幾何学問題がある。彼は幾何学を作図原理から「代数原理」へと転換した。代数方程式によって始めて幾何学が一般的な根拠を得られ、全ての問題が代数計算によって解かれるようになった。

・・・19世紀になって、数学は「数」「量」「空間」という直観で把握できる意味の世界を超えた。フランス革命によって、数学は貴族の保護の元での研究から国家を強化するためのプロジェクトとなった。教科書の厳密化や体系化が必要となり、直観的に理解されていた「極限」「収束」「連続性」「微分可能性」「実数」などの概念に定義を与えることになった。グラフが絵に出来ないような関数について、これらを判別することは困難である。しかし、ワイエルシュトラスの「連続」の定義は、直観には訴えないが、その規則に従って調べれば必ず連続性が判定できる。

・・・リーマンは複素平面内の点から点への「写像」として複素関数を定義した。こうすることで、関数の世界に新たな調和と規則性が見えてくる。複素関数の多価性についてはリーマン面という概念で対応した。リーマンはリーマン面を厳密には定義していない(後にワイルが定義する)が、概念として展開して、新たな空間論(多様体論)への道を拓いた。関数が定義される空間にとって本質的なのは空間の繋がり具合(トポロジー)である。この段階が多様体であり、長さ、角度、体積などは付随的な性質として定義されるべきものとなる。これは伝統的な論理学での「外延」に相当する。これは後に集合論に発展する。カントにとって空間は直観のアプリオリな形式であったが、リーマンにとっては、私たちが能動的な仮説形成によって、主体的に空間概念を更新、修正していくものである。相対性理論も量子力学も多様体の概念無しには不可能であった。

● 第3章:数が作った言語

・・・デカルトが追求した認識の確実性とリーマンが追求した数学による認識の拡張性(生産性)は両立するのか?これを追求したのがカントである。確実性を追求すると経験の役割があいまいになり、最後は神を持ち出すしかない。生産性を追求すると経験主義に陥って確実性を見失う。数学は確実性を保ちつつ、積分学やオイラーの公式群のような生産性(新しい知を生み出す)を持つ。
(数学の生産性というのは、物理学の発展史を見るとよく判る。新たな物理学は物理学者が既存の理論と観察の矛盾を解決しようとして、結局は「直観」によって生まれるのだが、それを定式化する時には、既に数学者の記述体系が用意されている。数学の体系は「意味」を問うことなく生まれて、その意味が後世になって発見されるのである。)

・・・『純粋理性批判』: 認識行為は受動的ではなく、対象を作り出す行為である。外界から到来する感覚データを直接受け取る行為が「直観」である。その能力が「感性」である。直観を概念にまとめ上げるのが「知性」である。こうして得られた認識は「もの自体」ではなく「現象」である。認識は主観的であるが、普遍的な枠組み「形式」によって規制されている。感性による直観を規制する形式とは「空間」と「時間」である。知性を規制する形式には12個のカテゴリーがある。形式に規制されることで認識に客観性が付与される。

・・・カントの時代の論理学は「主語ー述語」の命題を対象としていた。述語が主語の属性である場合が「分析判断」で、主語に自明的に含まれていない述語の場合が「総合判断」である。後者には経験が必要となる筈である。しかし、数学においてはアプリオリな総合判断が可能であり、これは、例えば数字という概念に具体的な表象(例えばその数の小石)をあてがって、概念を構成していくからである。何も生み出さない筈の論理ではなく、この「直観的概念構成能力」こそが、総合判断を生み出す、とカントは考えた。

・・・その後、19世紀の数学は、数学から直観をそぎ落としていったが、数学の拡張性はますます力を増した。論理はカントが考えたほどには無力ではなかったのである。新しい論理学がゴットロープ・フレーゲによって始まった。数自身も直観に依拠することなく論理だけで基礎づけられるのではないか?まず、数学者の思考を推論の連鎖に置き換えるような新しい言語を作り出した。『概念記法ー算術の式言語を模造した純粋な思考のための一つの式言語』:曖昧さと冗長さを含む「主語ー述語」を捨てて、「項と関数」で論理を構成する。関数とは「項とそれに対する値とを一意的に関係づける対応の法則」である。今まで新しい概念の導入には自然言語が絡んでいたのだが、今や概念の形成という契機を正確にとらえる人工言語が必要である。概念があって初めて判断が生じるのではなくて、判断の分析によって概念が形成される。例、2^4= 16というのは一つの判断である。これは関数「x^4=16」と項「2」に分解されると解釈されれば、関数「x^4=16」を表す概念「16の4乗根」が得られる。また、4 を項と見なせば、「2^x=16」で表される概念「2を底とする16の対数」が得られる。

・・・『算術の基礎』(1884年):数は算術という科学によって研究されるべき客観的な対象である。「数を含む命題の意味」を通して「数の意味」が把握される。数はそれ自身孤立した意味を持つのではなくて、文脈において初めて意味を持つ。「数」とは何か、と問う代わりに「数詞が現れる命題の意義」を問う。これは後世の「言語論的展開」の先駆であった。

・・・バートランド・ラッセルも同じように算術を論理だけで導こうとしていて、フレーゲの本を読み込んで、そこに矛盾を見出した。「概念」から「概念の外延」を想定することは、ある場合には矛盾をもたらす。自分自身に属さないという概念の外延を考えると矛盾が生じる。この矛盾はフレーゲが精緻な体系を作り上げたことで明らかになったのである。1920年代になって、集合論が整備されることによって(集合の定義を厳密に行うことによって)回避されることが判った。フレーゲに大きな影響を受けて、後に、フッサールの「現象学」とラッセルの「分析哲学」が生まれた。

・・・デカルトやカントが思考の場を「意識」としたのに対して、フレーゲは思考の場を「言語」という他者と共有可能な外部と見た。日常言語を規則に従う人工言語に改造することで、思考を論理として扱おうとした。この発想は今日の人工知能に繋がっている。

● 第4章:計算する生命

・・・計算というのは、元々、人間による機械の模倣(他律的な行動)である。しかし、その記号操作を支えているのは、人類が数千年に亘って蓄積してきた文脈(概念、技術、制度、教育、、、)である。チューリングの発想は、これらの文脈を一切排除してもなお成り立つ計算、人為的恣意的規則だけで成り立つ計算であり、その発想自身はフレーゲ達の作りあげた文脈無しにはありえなかった。それでは、逆に、計算だけによって人間が模倣できるだろうか?

・・・従来、人間の心について調べようとすれば、自らの内観に頼るしかなかった。内観は主観的であるからということで、逆に行動だけによって心を描くという潮流も生まれた。認知科学では、内観でもなく、行動でもなく、「表象」を対象とする。それは認知主体による内観の符号化である。符号化されたら、それは記号であり、計算機の対象となる。こうして人工知能の試みが始まったが、それは、「表象の操作で知性を捉えようとしたデカルト、表象を結合する規則に注目したカント、思考を規則だけで実現しようとしたフレーゲの足跡を計算機で辿る試みであるから、同じ壁に直面する」と予言したのはヒューバート・ドレイファスであった。彼の念頭にあったのはウィトゲンシュタインの仕事であった。

・・・ウィトゲンシュタインはフレーゲの20歳年下で、青年時代から二人はお互いに尊敬しあい交流しあっていた。第一次世界大戦の志願兵として最前線に立ちながら、『論理哲学論考』としてまとまる言説を書き続けた。ただ、それは約500の断言が並列されただけのもので、フレーゲにも理解できなかった。ウィトゲンシュタインは絶望して、しばらく山村の学校に赴任し、事件を起こして飛び出し、再び哲学に向かったのは1929年であった。それまで、日常言語の背後には経験に汚されていない実在世界の像を記述する論理言語があると信じていた彼は、そうではないことに気づいた。言語は具体的な生活様式に組み込まれていて、ゲーム的なやり取りの中で使用されている。死後に刊行された『哲学探究』に彼の後半生の思考が垣間見える。それは断片的な覚書であり、一群の風景スケッチのようなものである。「われわれはいかなる理論も立ててはいけない」「これらの思考実験を参考にして読者が自身で思考するための励ましとする」。

・・・規則の適用には曖昧さが残り、明瞭にするために規則の適用についての規則が必要となる。しかし、その規則の適用もまた曖昧となる。こういう無限退行。規則に従っていると思うことは規則に従っていることとは違う。ウィトゲンシュタインは「チューリングマシンというのは実は計算する人間である」と語る。計算機は人間を補助する道具にすぎない。答えの正しさを問えない以上それは計算とは言えない。列挙された規則に従って計算するだけでは AI は固定された文脈でしか正しい答えを出せない。ドレイファスは、刻刻と変化する状況に参加できる「身体」が必要であると考えた。

・・・ロドニー・ブルックスは、外界のモデルを内部に獲得しながらそれを前提として動くロボットの限界に気づいた。「知覚」と「行為」との間にあると考えた「知能」は邪魔になるだけである。昆虫の動きをヒントにして、3層モデルを作った。最下層は直近の障害物を避けることだけに専念する。中間層は何も考えずに逍遥する。最上層は目的となる行先を探し、これに向かって進む指令を出す。層間の調整は生得的とする。「知能」は身体や環境や外界、つまり世界の中に埋め込まれている。知能にとって「身体性」と「状況性」が必須の要件となった。生命にとって大切なことは世界を描写することではなく世界に参加することである。かくして、「コネクショニズム」が「認知主義」に取って代わった。表象は神経細胞の結合係数のパターンとなり、もはや直接操作可能なものではなくなった。

・・・2018年「人工生命」のシンポジュームで、ブルックスは「哲学者も物理学者も人工知能や人工生命の研究者もみな、隠喩(メタファー)の犠牲者ではないか?」と語った。未知の事物は手元にある概念に喩えて理解しようとするが、その概念自身の適切さについては疑うことすらできない。計算資源の急速な発展によって、使えるロボットが次々と誕生しているが、「生命らしい」とはとても言えない。何か新しい概念を生み出す必要がある。

・・・リーマンは最後の論文『耳の力学』でヘルムホルツの研究を例に出しながら、科学における分析と総合について語った。分析とは耳の機能から構造を想像することであり、総合とは耳の構造から機能を演繹することである。ヘルムホルツのアプローチは後者であるが、耳の構造は全てが明らかになってはいないから、足りない部分を仮説で補う必要がある。ヘルムホルツにおいて、それは「耳小骨が小さな音を発する」という仮説だった。分析からはありうべきモデルが作られ、それは実験によって検証されていくが、その時には総合的アプローチが必要となる。いかなる総合的研究の起点も、それに先立つ分析的探究の帰結である。19世紀までのユークリッド幾何学という完璧な総合には恣意的な仮説が含まれていた。所与と思われる仮説も探究と共に形成されたものであることを忘れてはならない。「計算」という概念もまた同じである。

・・・数学は科学の発展を駆動する強力な「メタファー」を生み出してきた。それだけでなく、そこから生まれる概念や思考方法は人間の自己像を更新してきた。ユークリッドの演繹→デカルトによる幾何学の代数化(正しい知を得るために「規則」と「方法」を求めた)→カントによる「観念」(内面的明晰さ)から「判断」(共有可能は知の必然性)へのパラダイムシフト→フレーゲによる人工言語による規則・判断の忠実な表現→チューリングによる状況から切り離された計算機械→世界大戦を背景としたコンピュータの登場→人工知能研究による「身体」と「状況」の必要性の発見。かくして、我々は「自己を知る」ためには今とは違う何者かに「なる」ことが不可欠である、という地点に立っている。

● 終章:計算と生命のハイブリッド

・・・計算は今や新たな現実を構築している。長期的な気候変動、宇宙の時空の構造、感染症の数理モデル計算。注意すべきは計算には前提となる仮説がある、ということである。モデルは絶えず結果を検証されて修正される必要がある。

・・・ティモシー・モートン『ハイパーオブジェクト』:人間のサイズを圧倒的に凌駕した存在は肌で感じることができないから、計算で認識するしかない。現代はそのハイパーオブジェクトが日常的に迫っている。もはや人間は支配と統御の主体ではなく、他者との接触に感性的に応答する謙虚な主体へと変わる。

・・・ウンベルト・マトゥラーナ『オートポイエーシスと認知』:「入力→情報処理→出力」という見方は認知主体を見晴らす観察者の視点によるモデルである。生物の神経系は外界を内的に描写しているのではなく、自らの活動に規制された、自律的なシステムである。だから、外界の刺激と神経系の活動パターンの間には素直な対応が無い。あくまでもその主体にとっての外界が生成されているだけであって、観察者はそこから外界を予測することができない。

・・・計算しデータを蓄積することも重要であるが、目の前に迫った危機に対して行動することなしには知性とは言えない。考える前にパスを出すサッカー選手のように、思わず応答する能力(respond+ability=responsibility)が必要である。

・・・計算機と人工知能の発達によって、結果の意味が理解されないままに役に立ってしまうことは危険である。人間が他律化されれば、機械に支配されるのではなく、その機械を動かしている過去の仮説に支配されてしまうからである。過去が未来を食べるようになる。学習規則やアルゴリズムや学習データは誰が与えるのか?を考えておかねばならない。

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