2024.08.19、08.21追加
今日は一日中曇り空で、時々小雨。ちょうどよいので、大阪で開催中の『中島みゆき展』を観に行ってきた。グランフロント大阪というのは大阪駅の北側に出来た大きな商業施設で、そこの北館地下1階が会場である。初めてだったので、ぶらぶらと彷徨いながら到達した。入口は1階で、その隣にカフェがあったのでスパゲッティを食べた。会場内にトイレが無いというので、あらかじめトイレを済ませておいた。
内容はネット情報で仕入れていたので、まあまあ、という感じ。作品を並べて、今までの経歴が年表にしてある。初めてLPレコードのジャケットを見て、CDのよりは大きいだけインパクトがあるなあ、と思った。個々の作品の評は主に田家秀樹と瀬尾一三が担当していたが、これも大体聞いた解説ばかりであった。
真ん中あたりに YAMAHA のオーディオセットがあって、LPレコードを聴かせてくれる。リクエストができる。切れ目なく中島みゆきが聴けるので、皆、最終的にはここでたむろすることになる。『根雪』がかかったので何だか嬉しかった。『世情』はさすがに低音の迫力があって、初めて聴くような感じを受けた。映像作品やコマーシャル関連のコーナーもあった。ここでも田家秀樹の解説。
一番感銘を受けたのは「夜会」のコーナーだった。舞台の模型が飾ってある。確かに床が傾斜していて、よく転ばなかったなあ、と思うし、こうして模型で見ると象徴的な意味も込められていることが判る。映像作品になると部分部分が強調されるので、舞台全体の感じが判らなかったのである。それと、これは撮影禁止で残念だったが、舞台衣装(「リトル・トーキョー」の時の赤と白だろう)が見事だった。手の込んだ立体的な刺繍が全面に施されていて、まるで動く芸術作品である。こんなものを舞台で着ていても、遠くからは判らないのに、と思うのだが、こだわりだろうか?
最後のコーナーは中島みゆきの歌詞を垂れ幕で沢山吊るして通路としたものである。どの歌詞にも親しみがあって、こんなにたくさんあったんだなあ、と今更のように驚いた。また、来場者からのメッセージカードが壁一面に貼られていて圧巻であった。
さて、一番時間を費やしたのは、オーディオ視聴スペースに展示されていた本である。1980-90年代の中島みゆきは(僕は知らなかったが)かなり注目度が高かったので、いろんな人と対談していて、それらは、対談相手の本の一章として残されているから、大部分は僕も把握していなかった。細野晴臣『音楽少年漂流記』、吉本隆明『余裕のない日本を考える』、筑紫哲也『筑紫対論』、、、を手に取って読んでいる内に時間が来てしまった。別に展示会場の時間が来たわけではなくて、トイレに行きたくなったのである。残念ではあった。また図書館で調べてみよう。
出口にはグッズ売り場があり、月刊カドカワ復刻版(過去の中島みゆき記事を集めたもの)、マグカップ、Tシャツ、フェイスタオルを買った。
グランドフロントの1階出入口は日本風庭園になっていて、なかなか気持ちの良い空間であった。池には(多分)ミソハギが植えられていて、お洒落。。。
行き帰りの電車の中で、伊藤亜紗『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』(講談社学芸文庫)を読んだ。随分前に買って読みかけては諦めていた本である。第1部 作品 の部分で躓いたままだったので、第2部 時間 の処を読んでみたら、面白くて、読み終えてしまった。第1部は芸術作品を人の心を動かす「装置」として論じていて、その在り方を語っているので、芸術家でもない僕が理解するのが困難なのも当たり前であった。第2部はその装置が芸術作品においてどう働くか、ということで、そこで「時間」の概念が登場する。我々はあくまでも主観的な存在であって、身体的な構えによって現実を予想しているに過ぎないが、その予想は現実に裏切られることがあり、常に予想を修正しながら生きている。この現実と予想の乖離が時間意識となる。その在り方に2種類があり、一つは乖離を意識的に修正しようとする努力で、注意を伴う。もう一つは乖離よりも同期に注目することで、これがリズムである。詩はこの乖離を意識させながらもリズムを伴うことによって、人に馴染みのない思考を促す。これが詩の装置としての機能である。第3部は、これらの心的現象が具体的な身体によってどう実行されるかを解析する。まあ、まだ理解が充分でないので、その内再度まとめてみようと思っている。中島みゆきの方法論とも重なるような気がするし。。。
08.21 追加
僕は音楽家ではないので、他の人に音楽を通じて感動を与えるようなことはできないけれども、僕自身が音楽から沢山の恩恵をもらってきた。とりわけ、生活の中で心が傷ついたとき、「それでいいんだよ、それが自分なんだから、自信を持ちなさい」という慰めというか励ましというか、そんな、何か脳の深いレベルでの活動支援を受けたことが多い。
最初に自覚したのは、小学生の頃だったか、兄が持っていたレコードで聴いたメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲とかだろうか?あるいは村の広報用拡声器から流れる橋幸夫の歌だろうか?当時はハーモニカを吹くのが好きだった。受験生の時代には明確にビートルズの曲だった。他にも喫茶店で聴く当時のアメリカンポップスやフレンチポップス。時折ラジオで耳にするショパンの甘い旋律にも心を動かされた。
大学に入ると、ベトナム反戦運動に巻き込まれたのであるが、その中ではデモの高揚の中で歌うワルシャワ労働歌かな?でも、結局の処、ジャズ喫茶で聴く Charlie Parker とか、 Bud Powell とか、Eric Dolphy とか、まあ数え上げれば切りがないくらいのジャズのレコードだろう。自分で2000円のレコードプレーヤーを買って、繰り返し聴いたのは Bud Powell と浅川マキだった。生演奏も何回か聴いたのだが、それは没頭というよりは観察に近い。
その内、横笛を吹けるようになり、自作の笛で浅川マキのメロディーを吹いていたのだが、古道具屋でフルートを買って教則本から知ったのがバッハの無伴奏フルートパルティータ(BWV1013)の「サラバンド」だった。その後の何十年もの間、この曲を吹くことで何度救われただろうか?そういう意味でこの単純なメロディの深みを誰よりも知っていると思うのだが、不思議なことに自分の演奏の録音を聴くと実につまらない!僕は音楽家にはなれないのである。以来バッハとの個人的付き合いは続いていて、多分精神的な影響も受けているのだろうし、何よりも研究者としてのバランス感覚にバッハを自分で感じることがある。時は流れて、カナダで雇われ研究員を過ごしている間にジョン・レノンの死を知り、オタワでの追悼式にも参加した。Imagine という曲はやはり特別なものだと思う。
帰国して会社に就職して結婚して、今度は慣れない分野の仕事で心身と精神を酷使しているときには、ジャズやバッハだけでなく、通勤途中て聴くユーミンに今までとは別の意味での音楽の在り方を知ったような気がする。つまりは、ドラマと詩の面白さである。自分が慰められるのではなく、歌われている一人の女性の生き様に面白さを感じる、という音楽との関わり方である。音楽と自分が対等になった感じとでも言えるだろう。それは音楽というよりは詩であったのかもしれない。
そして、長いようで短かった会社生活を卒業して、2011年の原発事故で衝撃を受けて、僕の関心が社会に向かう中で、2016年に出会ったのが中島みゆきであった。中島みゆきは勿論慰めや励ましを与える歌という風に評価されていることは知っているが、僕にとってはそれよりも思想的影響が大きい。たかが歌ではあるが、その歌は一つの歌ではなくて、中島みゆきの全ての歌やラジオや対談での発言や小説やエッセイが全体として一つの世界観を形作っていて、一つの言葉が沢山の歌を想起させてその意味を伝える。僕はこうあるべきだ、という確信を与える。僕にとっての中島みゆきはその時その時の作品ではなくて、また、天才的な詩の才能でもなくて、彼女の人生の首尾一貫した在り方なのである。そういう意味では励ましをもらっているとも言えるのだろうし、大げさに言えば、僕にとっての古典なのである。