2004.11.04

      行き帰りで村瀬学「宮崎駿の「深み」へ」(平凡社新書)を読んだ。青井汎「宮崎アニメの暗号」が正統派とすれば、こちらは印象派というべきであろうか。「深読み」であるから、真実かどうかは別問題として面白い。全ての動物に共通したメカニズムとしての「食→消化→排泄」というものがあり、これが言わば暗部である。それに対して具体的に何を食べるのか、どうやって自然を搾取していくのかは「顔」であり、その部分は動物によって異なる。人間の持つどうしようもない欲望や破壊もその一部である。これらの対立を描いたというのが宮崎駿の本質であるとする。この2元論でアニメの主題を整理すると首尾一貫した流れが見えてくると言う次第である。

エコロジーといったような生易しいものではなくてもっと本質的な存在論である。もう一つの着目点は「物語性」である。我々が体験するいろいろな事象に対してどのような物語を描くのか、ということの本質的な自由についてである。大人はいろいろな社会的制約を受け入れている為に共通した物語を作り出してしまう傾向にある。これは勿論重要な事であるが、子供にはそのような制約があまりないので奇想天外な物語も可能となる。正しいかどうかは問題ではない。そういう自由性というのが大切であってそれを刺激したり表現して見せたりするのがアニメの重要な役目である。そのためのいろいろな手法というのがあって、極端に一部を拡大したり、縮小したり、象徴的な表現をしたり、比喩そのものを映像にした見たり、とその手法の豊かさというのがアニメの面白さに繋がる。

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