2011.03.27

京都コンサートホールでの「マタイ受難曲」を聴きに行った。京都バッハゾリステンという団体で、カンタータの全曲演奏などをやってきている。合唱の方は素人を集めているようである。素人がこんな曲の合唱をやるのだから、やはり京都というべきか?大ホールは6割位は埋まっていた。演奏はまずまず。最初は独唱がイマイチという感じだったが、だんだんと乗ってきて、その感情の入れ込み具合に惹きこまれた。特に語り手役のテナー。

    第一部では、まず序曲である。再生装置で聴くのとは異なり、2部構成の器楽と合唱という舞台空間で木霊がやり取りされるようなパートの動き方がはっきり判る。序曲の中に全曲の内容が籠められている。

ベタニアでの香油の話の後のアルトのアリア「私の涙の雫は心地良い香料となって」、ユダの計略の後のソプラノのアリア「あなたの乳房を吸った子は今にも育ての親を殺そうとしています」、最期の晩餐の時イエスが弟子達の中に裏切りものが出る、と言った後のコラール「それは私です、私こそが罪を償うべきなのです」、自らの死を語り、弟子にパンと葡萄酒を与えた後のソプラノのアリア「あなたに私の心を捧げます」、ペトロに対して知らないというだろうという予言をした後のコラール「私をあなどらないで下さい、あなたから私は離れません」、、と演劇的に音楽的に歌われる。

最後のイエスの捕縛の時のアリア「月も光も悲しみのあまり沈んでしまった」が、僕は一番好きである。オブリガートにフルート2重奏が付き、合唱「彼を放せ、待て、縛るな!」が、断続的に入る、という緊張感ある静謐と激情の対比が胸を打つ。弟子が逃げ去った後のコラール「おお、人よ、その罪の大きさを嘆きなさい」。

コラールは全て同じ旋律であるが、歌詞は勿論進行に応じて変わり、和声も装飾も音高もそれに応じて変わる。この手法は実に効果的で、この3時間以上に亘る受難曲に統一感を与えている。

    第二部ではチェロが一人指揮者の前に出てきて死んだような顔をしてしばらく譜めくりばかりしている。左側の人だったか、右側の人だったか、記憶していないが、左側に一人残っているから右側の人だろうか?弓の持ち方が何だか逆で鉛筆持ちである。これで弾けるのだろうか?何だかチェロにしては指押さえの板が平らでフレットが付いているようにも見える。彼女の出番は、イエスの裁判中で偽証されても沈黙を守っている、というところでのテノールのアリア「耐え忍べ!偽りの舌が私を突き刺すとも」である。何だか音がちょっと違う。アクセントのつけ方がバロック的である。これはヴィオラ・ダ・ガンバであった!この演奏は確かに一級品である。オブリガートの方が主役のような感じがする。待っている時は死人のような顔だったが、演奏中はかっと眼を見開いて仲間由紀恵のようになる。メンバー表で見ると平尾雅子という人である。

さて、次は有名なペテロの否認の後のアルトのアリア「私を憐れんでください」である。この曲を初めて聴いたのは、宇都宮で英語教師をしていた牧師さんがアメリカに帰国する時のパーティーで演奏してくれたヴァイオリンであった。何という強い悲しみの表現だろう、と思った。

その後今度はローマから遣わされた総督ピラトによる尋問である。この辺りで少々疲れてきた。扇動された民衆の「奴を十字架につけろ」という合唱とコラール「何とおどろくべきことか、この刑罰は!」の後のピラトの「彼が一体どんな悪事を働いたというのだ?」に答えるソプラノの語りとアリア「愛ゆえに、私の救い主は死のうとされています、何の罪もご存じないというのに」、も僕は好きである。何故ならばフルートの美しいオブリガートが付くからである。平岡洋子という人らしいが、なかなか堅実な表現力であった。

ピラトは止むを得ず「私はこの正しい人の血に責任を持たない。お前たち自身で片付けるがよい」といってイエスを群集に手渡す。まあ、何時の世にもある政治家の責任放棄である。民衆には敵わない。この後の合唱「奴の血の責任が、我々と我々の子孫にふりかかるように」は、つまり今日に至るユダヤ人差別の根源となった言葉である。考え込んでしまった。

ヴァイオリンをオブリガートとしたアルトのアリア「私の頬を伝う涙が何の役にも立たないのであれば、おお、どうか私の心を取り上げてください!そして、この心をその流れの傍らでお使いください、その傷口から暖かな血が流れ出すとき、それを受ける捧げものの器として。」、というのは、まあ、何という厳しい表現だろうか!イエスが民衆に渡され、侮辱された後の有名なコラール「おお、御頭よ、血と傷にまみれ」があって、イエスは十字架に付けられ、シモンはその十字架を背負ってゴルゴダへの坂道を登る。この時のバスのアリア「来たれ、十字架よ、、、私のイエスよ、それを常に私に背負わせてください!」で再び平尾雅子さんのオブリガートが冴え渡る。まことに深く心に刻まれる演奏であった。4拍子の中の長い1泊を3:1:3:1と切って、苦しそうに一歩一歩坂を上る様を表しているのであるが、1歩が1泊に相当する。その中の3:1:3:1は多分呼吸だと思う。それくらい苦しい一歩なのである。それが判るのは、ヴィオラ・ダ・ガンバの弾き方からである。1泊目の最初の音には和声が付くが、それを短いアルペジオのように下から並べて弾いてグーと引き伸ばす。その時の弓は押し弓である。鉛筆持ちにした弓をまるで、洋鋸のように擦り上げるようにして押すのである。その精妙且つ重厚な音の後に、他の音が遅れて付いてくる。アクセントの位置はしばしば半拍ずれて、よろける様子を表す。これが3小節続いた後で引き弓で細かい流れるようなパッセージが1小節くる。倒れかけているように、あるいは宙を彷徨っているように。これが前奏に始まり歌唱の最中もその後も延々と続くのである。頭に焼き付いて離れない。

ゴルゴダの丘でイエスは十字架に付けられ、群集に侮辱される。その後のアルトのアリア「見なさい、イエスはその手を私たちを抱こうと広げてくださいました」には合唱「来なさい!どこへ?イエスの腕の中へ。」が左右の合唱隊の間で交わされる。この辺の音源移動はやはり生演奏でないと判りにくいと思う。そしてオブリガートはオーボエ2重奏である。そういえば、この曲には金管楽器が使われていないし、打楽器もない。まあ受難の曲だからだし、神も直接には登場しないのだから当然かもしれない。イエスはやがて死に至る。その後のコラール「いつか私が死に逝くとき、どうか私から離れないでください」もまた有名である。沈んだ祈りの感じがよく出ていた。イエスは死に、その死を受け入れるバスのアリア「己を清めよ、私の心よ、私はこの手でイエスを葬ろう、なぜなら、イエスはこれから私の内にあってとこしえに甘い憩いのときを過ごされるのだから」、ではまたオーボエ2重奏が、3連譜×4拍(多分12拍子)による比較的明るい諦観に満ちたオブリガートを付ける。最後のコラール「憩いたまえ、安らかに、安らかに憩いたまえ」はかなり高い音で力強く歌われる。しかも、器楽部分の序奏や間奏を持っていて、全体が壮大である。

    一応、歌詞対訳を持っていったのだが、プログラムにはキチンと歌詞対訳があった。随分立派な冊子である。聴きながら、日本語でも歌えるのではないか、その方が判りやすいのではないか、とも思った。この曲は本当に劇的に出来ている。アリアや合唱もそれに絡む器楽も素晴らしい。曲に惹きこまれながらも、劇としての内容に乗せられる。ただ、その内容についてはしっくり来ない点がある。

イエスという実在の過激な宗教家が十字架に張り付けられた、という事実に対する解釈であるが、人々の罪を背負って替わりに殺された、ということになる。この解釈こそキリスト教そのものであるが、とってつけた感を免れない。でも、最後の方になると、何となく説得されかかる。要するに、神という人々の世界を厳しく見守る存在が信じられている。人々は罪を犯すと神に罰せられる、という関係である。そこで、神と和解するために、誰かが生贄になる、生贄は無垢でなくてはならない。このような習慣はどこの民族でもあった。イエスという素晴らしい先生が何の罪も無くおそらくは羨望によって殺された、という事実をどうやって受け入れたらいいのか、そのまま受け入れたのでは何のための信仰なのか?という想いが弟子達に残され、それを解決する論理として、生贄の発想が出てきたのであろう。生贄とは言っても大先生であるから、簡単には済まない。神が自ら指名してその子を生贄として召し上げるということで人々の罪を許す、という「理屈」が出来たのである。これは大変な発明であって、既にイエスの勇気ある十字架の受け入れによって罪が許されているのであるから、それまでの宗教のようにあれこれ細々と神殿に貢物を供える必要はなくなったのである。

キリスト教はその後体制維持のための宗教となり諸々の堕落をするのであるが、にも拘らず一本の純粋な筋(個人と神の関係)が通っていて西洋文明の屋台骨となった。生贄という発想ではないが、今回のような大震災での死者に対してもその理不尽さはとても納得できるものではない。亡くなった人たちに対して「私たちに代わって命を捧げたのである」という解釈でしか救われない、という気持ちになるのも自然な事なのかもしれない。この時期でのマタイ受難曲の演奏はそういう意味も持つだろう。

    帰りは、バスが出た所だったので歩いた。下鴨中通りを下って疎水に至り、疎水沿いに東に歩いた。桜の蕾が今にも開きそうである。高野川まで来ると「桜木パーキング」という囲いだけのスペースがあって、角で桜が満開になっていたので驚いた。何という品種なのだろうか?一見すると染井吉野みたいであるが、多分違うのだろうと思う。40分位の散歩であった。翌日調べたらアーモンドであった。

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