2008.09.06

    団まりなの「細胞の意思」(NHKbooks)を図書館で見つけて借りて読んだ。僕が2回生の時(1968年)に出来た京大理学部の生物物理学科の岡田節人研に居た人だろうと思う。あの頃から見ると発生学では随分いろんなことが判るようになってきたものである。最初の方に地球誕生以来の生命体の大まかな歴史が纏められている。酸素が少ない頃に生命が生まれたので核酸は細胞の中に拡がっていたけれども、シアノバクテリアが発生して酸素を大量に吐き出すようになると大気の組成が変わり、他の細胞は酸素から身を守るために、一部のものは地中深くに逃亡し、殆どは融合して大きくなって核酸を細胞膜で包み込んで防御するようになった。これが核の由来である。更に酸素を積極的に利用してATPに変える細胞が出現し、これがミトコンドリアの祖先となった。その周囲は酸素が少ないので他の細胞が集まってきて、ついにはミトコンドリアの祖先を細胞の内部に取り込んでしまった。出来上がった細胞は核酸を1セット持つハプロイドであり、多数集まって生活することができるが、基本的には同じ機能の細胞の集まりであって分化しない。核酸を2セット持つディプロイドは機能分化することでより大きな多細胞生物を作ることが出来るが、細胞分裂の回数が限られているので有限の寿命しかない。生殖には特別にハプロイドを作って分裂回数をリセットしてから融合させる。これが有性生殖である。

    以上が前置きで、本論の中では著者が研究対象とした細胞の生き様を記述しながら、細胞をどう認識すべきか、という議論が展開される。例に挙げられたのは、まず、ウニやヒドデの大食細胞。これは外胚葉でも内胚葉でもない、間細胞で、多細胞生物の内部の空間に浮遊する。その役割は異物を食べることである。われわれの免疫細胞の祖先である。とりだして人工的な環境に置いてやると壁を異物と見なして張り付いてしまう。協力して異物の周りを覆ってしまってとりあえずは体腔内の液から隔離する。ここで細胞には「意思」があると考えたほうが良いのではないかということになる。ここでいう「意思」とは、「何らかの主体が、他者によって強制されるのでなく、自己の純粋な立場において、何らかの活動や思考などを想起し、行うこと。」というやや広い意味で使っている。確かに大食細胞の行動を純粋に物理化学法則だけで説明することは原理的には出来るのかもしれないけれども、そのプロセスはあまりにも過去の経緯に依存する非線形なものであって、現実的にはほとんど不可能であるから、大食細胞がそのような意思を持った細胞として分化したのだ、と考えて、むしろその意思の中身を研究したほうが学問的には有意義である、という主張である。

    次の例は始原生殖細胞である。発生のプロセスではある段階で肛門の位置が特定され、以後細胞たちは自分が何処に居てどういう細胞に分化するのかを少しづつ教えられる。発生は大規模な細胞間協力体制を必要とするので、最初から個体としての働きを除外されている生殖細胞となる細胞(始原生殖細胞)は胚の隅の目立たないところで分化する。その後、発生のプロセスの経過と共に始原生殖細胞は体細胞の間をすり抜けながら数を増やし、大旅行をして本来の生殖器の出来る場所まで移動する。そのプロセスを細かく説明している。その行動を観察すると確かに、これは分化したときにこのように振舞うべき意思を与えられていると考えざるを得ない。

    次の例は発生途上の胚を構成する細胞そのものである。これをバラバラにするとどうなるか?ともかく最初の行動は集まることである。これはあまり抑制が効かないようで、密度が高いと集まりすぎる。その後外胚葉として意思を持つ細胞は仲間を見つけて集団の境界に居る場合には接着しあって外皮を形成しようとするし、内肺葉として意思を持つ細胞は仲間同士で素早く接着しあう。それ以外は成り行きに任せていれば内部に取り込まれる。主導権は外胚葉の細胞であって、お互いに接着しあって袋となり、内外の区別を付けることでそれ以降の発生プロセス(体制の形成)が始まるのである。ここでまた、細胞の生きる意思が論じられる。細胞の作り出すたんぱく質は環境と遺伝子に従って受動的に作られると考えてもよいが、そのような考えでは細胞の理解には到達できない。細胞の消費するATP(だいたい一日にその細胞の体積くらいの量が生成されて使われる)の1/3くらいは能動輸送に使われている。3個のNa+を出して2個のK+を取り込む。消化した残りはアンモニアという中性の分子として、これは自由拡散で廃棄するが、陸上生物になると体内に溜るので毒性の少ない尿素に変えて排出する。鳥では更に毒性の少ない尿酸に変えて排出する。細胞を工場に例えたとして、工場に活気があるというが、細胞に活気がある、といってはいけないのか?働いているのは分子なのか、細胞なのか?工場からは製品がでてくるけれども、細胞からは自らと同じ細胞が作られる。ミドリムシの分裂周期は自然な周期として内部時計メカニズムを持っていて30時間くらいであるが、明暗の日周期に同期させている。そのように見れば、分子レベルで説明できたような気分になるけれども、同じメカニズムはヒトにも働いていて、ヒトが起きて活動したり寝たりするのをヒトの意思でないといえるのだろうか?ミドリムシにだって気分というものがあって、その変化によって自ら活動期の開始を決めていると考えても良い。細胞は絶えず自らの意思の実現と存続の為に緊張感を持って生きている、と考えてもよいのではないか?

    最後の例は、一旦バラバラにされた胚細胞が集まって胚を形成し、もはや判らなくなった体軸(肛門の位置)を自ら見出すプロセスである。場合によっては肛門がいくつも生じたりするが、そこから内部に形成する腸の段階で一つになり、口が開くときには一つの口になる。更に肛門同士は寄り集まって一つに融合する。このような観察から言えることは胚細胞たちが自分達のつくる生命体の構造を知っているということである。このようなことはDNAに書かれていないが、これこそが遺伝なのではないか?そもそも親から受け継がれるものはDNAだけではない。細胞内の全ての器官はある程度子に引き継がれる。それらがDNAよりも重要でないとは言い切れない。

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