2006.10.04

       昨夜、篠田節子の「マエストロ」(角川文庫)を読み始めたらあっという間に読み終えてしまった。なかなか面白かった。

宝石会社に囲われた美貌のバイオリニストが自分の未熟さに悩んでいるところで、偽バイオリンの事件に巻き込まれて大切なものを見出して脱皮する、という筋である。

      マエストロというのは天才的なバイオリンの修理屋である。枯れ切った古い板をお寺から見つけてきて彼女の為にバイオリンを作る。彼女は音の良さが判るが、ヨーロッパの名器の名前がないと認めようとしない。その耳を試すために、マエストロは偽バイオリンを掴ませる。彼女は何か物足りないものを感じながらも、名前を信用して、音楽大学の学生に紹介するが、一年もしないうちに音がおかしくなり、大騒ぎになり、検挙される。名声も職も失った彼女は、しかし関わった人たちの人間性に気づき、成長する。結局手持ちのグァルネリを手放して彼女の為に作られたバイオリンを手にして本物の音楽を掴む。

      バイオリンは100年くらいして板が十分枯れてこないといい音にならないらしい。まあ難しいものだ。バイオリンの音は倍音が豊かで、しかも聴覚のもっとも敏感な音域にあるから、一番判りやすいのではないだろうか?それにしてもバイオリンは奏者の身体の一部なのである。音楽表現の深部がそこで決まるようなところがある。バイオリンを鳴らすために演奏者が居るという関係。フルートではこんなことはない。あくまで楽器よりは演奏者の個性が表に出る。ところでベートーベンのクロイツェルソナタが最初と最後に出てくる。彼女はベートーベンが苦手であった。その音楽性に負けてしまう。それを克服するのは彼女の人間性である。音楽には確かに人間性が現れてしまう。これはサンデー・フルーティストの僕にだって判る。しかし、人間性というのはなかなか難しい。ご本人が気づくことはまれである。まあ何だってそうであるから、いろいろと付き合う世界を広げるということは大切である。最後の方で彼女がやや斜視気味であって、それが妖艶さを惹きたてているという記述があった。ふと川井郁子を思い出した次第である。この小説は映画になったらしく、主演は観月ありさということである。
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