2012.02.17

    昼間は晴れていたが、夕方から雪がちらつき始めた。家内と2人で五日市のLIFEONEという音楽教室のコンサートを聴きに行ってきた。草津南駅から五日市市役所前まで電車に乗って、そこから15分位歩いた。このあたりは住宅街でなかなか落ち着いている。古い家もあり新しい家もありで、コイン通りというのもいろいろな店が繁盛しているようで便利そうである。もう少し北に上がれば図書館もあり、名前の由来となった造幣局がある。西側の川を渡ればその先には広島工業大学がある。早く着いたので近くのDEODEOの店内に入って30分位暖まった。客が少なくて店員が多い。何処を歩いても「いらっしゃいませ。」と言って来るので長くは居づらい。LIFEONEはコンクリート5階建ての小さなビルで、1階が雑貨店、2階が小さなホールと喫茶、3階はレッスン場のようである。生徒数は180人位だそうで、一通り各楽器のコースがある。講師だけでなく近隣の演奏家を招いてよくコンサートを行う。会場は50人位の席数でコンクリートの壁だし天井も低いからあまり良い音響とは言えない。殆どの席で直接音と一次反射音を聴く事になるから、やや煩い感じの音になる。ただ、壁は平行から外しているので一応不快な共鳴は起きにくいだろう。せめて天井に吸音材を使えば良いのにとは思う。古楽器には適しているかもしれない。

    さて、演奏者はソプラノ、フルート、ピアノ、という3人の講師で、演目は全てバッハである。カンタータ208番より「羊は安らかに草を食み」、インヴェンションとシンフォニアから4曲、ロ短調のフルートソナタ、カンタータ147番より「イエスよ、道を作り給え、選び給え、信じる魂を」、「主よ、人の望みの喜びよ」、イ短調のフルート独奏組曲、フランス組曲5番、マタイ受難曲より「愛ゆえに」、コーヒーカンタータより「今日の内にも」、「ああ、コーヒーの味の何と甘いこと」、アンコールはカンタータ?番から「ハレルヤ」、グノーの「アヴェマリア」。

    フルート(渡邉(旧姓高見)茜さん)であるが、随分ドイツ的というか、力動感のあるスタイルである。バッハということで意識的にそうしているのであろうか?フォルテとスタッカートで一貫している。フルート本来の鳴り方ではないような気がするし、音の立ち上がりに失敗したところも多々あったし、引き伸ばした音の音程が下がり気味になる場合も見られた。要するに雑に聞こえる。息継ぎも当然多くなるので、フレージングとしてやや不自然なところも多々あった。勿論プロであるし、長年バッハの勉強もしてきているのだし、緊張しているとは言え、綺麗に吹けないということではないのだろう。これはこれで彼女の選択なのだろう。ソプラノとのバランスもイマイチで、お互いに喧嘩している感じである。広いホールで聴けばそれなりにバランスの取れた感じになるのかもしれない。

    パウル・マイゼンというドイツのフルーティストがドイツスタイルの代表格みたいな存在で、僕は昔、カナダで雇われ研究員生活をしていたころ、FMでバッハのロ短調ソナタを聴いた。そのときのカセット録音をいまだに大事にしている。大きな違いは要するにフルートとして充分鳴っているかどうか?である。パウル・マイゼンは日本のフルーティストに大きな影響を与えているから、渡邉さんのもその流れだろうか?カナダでの僕の下宿先はこの間の大戦で潜水艦に乗っていて捕虜になってそのままカナダに居付いたドイツ人の家であった。週末には大きな音で行進曲やワルツが聞こえる。一般的なドイツ人はとにかくこういうリズムの明確な威勢の良い曲が好きなのである。僕のフルートはとても日本的で柔らかくて好きだ、と言っていたが、ドイツの曲を吹いていたとは気付いていなかったのではないだろうか?

    ピアノの吉清彩香さんはまずまず無難にこなした感じであった。もう少し歌っても良かったと思うのだが、バッハで歌うのは難しい。フランス組曲というとつい曽根麻矢子のチェンバロ演奏が鳴り始めるので、比較してしまう。ピアノの方が歌いやすい筈なのだが、絶妙なリズムの揺らぎ、ということなのだろう。ソプラノの大島久美子さんはなかなか堂々としていて信頼感がある。あまり声が美しいとは言えないが、目をつむってじっと歌を聴いていると感動するところも多々あった。

    全てバッハのプログラムということで、3人で随分練習したらしい。基本的に対位法の作家であるから、独奏者は相手の演奏を聴きながら丁々発止という感じで決められた旋律を歌わなくてはならない。長年の経験が必要とされる所以である。残念ながら今回の演奏はそういうレベルには程遠かった。帰りは雪がしんしんと降り積もる中を歩いた。積もりたての雪は美しい。こんな風にごく自然体で演奏が出来れば言う事は無いのだが。
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