2004.08.01

      金曜日に、研究室のOBセミナーの為に京都に行った。早かったので涼しそうなところということで法然院を訪れた。あまり参拝客も居なかったので濡れ縁に座り込んで30分ほど瞑想(迷想?)した。何しろ暑い。扇子で汗を乾かしてから目をつむって音に聴き入る。蝉の声もそれ程うるさくなくて、様々な鳥の囀りが聴こえ、時折訪れる人の足音や囁きが聴こえ、やがて遠くの方で庭を掃いている箒の音や、その人が独り言を呟いている事まで聴こえてくる。地面からは虫の動く音まで聴こえることがある。確かに目を閉じなければ見えないものがある。やがて、記憶の中から「自分」という概念が形成されていく。結局私の人生というのは何なんだろうか?と思い始めた頃、一人の女性の足音が聴こえてきて、その人がやはり濡れ縁に座り込んで本を読み始めたことが判ると、意識がそこに集中されてしまう。ああ、こういうことなのかということで、迷想が終わってしまった。

      身体も涼しくなったのでぼちぼちと京大まで歩いた。夢の中には昔下宿していたこのあたりの地図があって、いつもその中で道に迷ったり、歩いても歩いても下宿に到着しなくて苦闘している自分が出てくるのだが、果たしてその下宿がどこにあるのか、もう無くなったのであろう。何しろ古い建物で、壊れそうな階段を登って、押入れ付きの6畳間を木戸で二つに仕切った片方に棲んでいたのである。天井に大きな(3mm位の)ダニが湧いてきて、夜毎落ちてきては身体に食いついて、二つの明瞭な噛み口を残して如何にも痒いので、天井の隙間を塞ぎ、畳の上に本を重ねてベッドにし、電灯を付けて寝ていたのを思いだした。ダニは明かりを嫌うし、大きくて登ってくることが出来ないのである。幼虫も良く落ちてきて、これは似ても似つかぬ角ばったキャラメル色の蜘蛛のような形をしていた。隣室には龍谷大学の学生が居て、彼の女の思い出を聞かされつつ、一緒にカレーライスを作って食べていた。そういえば女友達と一緒に寝たこともあるが、あの時もダニが出たんだっけ。それに、一度お腹を壊して酷い下痢と腹痛で病院に担ぎ込まれたことがある。下宿の叔母さんが汚れたパンツを洗ってくれたのが何とも恥ずかしかった。玩具のフルートでビゼーの「アルルの女」の有名なメヌエットを転調して一生懸命吹いていた。少し広い部屋には京大理学部の学生と同志社の学生が居て、二人とも比較的裕福であったのでステレオを持っていて、いつも吉田拓郎などを聴いていた。私はそこに大切なバッド・パウエルのレコードを持ち込んで聴いていた。ブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように(Comme a la radio)」という何とも美しいレコードも良く聴いた。これは、今でも、20世紀を代表するレコードのひとつなのではないかと思っている。ギターもあって、夜がやがやとやっていると中庭を挟んだ隣のおじさんから怒鳴られてしまったことがある。

      さて、問題のOBセミナーであるが、なかなか有意義であった。Oさんの話は良く整理されていて、意図するところが良く判った。ガラス転移については二つの非常にすっきりとした理論があって、一つは液体状態の運動(密度揺らぎ)を左右する係数要するに弾性率を拡張したようなものがあり、それがいろいろな自由度(モード)を持っているのであるが、そのカップリングで長時間の記憶が出てくる。液体状態の中に隠れている弾性である。それを温度の低下と共に追いかけていくとその延長上にもはや運動が出来なくなる(緩和時間が無限大になる、純弾性状態)温度があり、それがガラス転移点である。これを T0 と呼ぶ。もう一つは液体の状態分布関数を考えていろいろな自由エネルギーの極小点間を移る確率を想定すると、その確率が0になる温度が求められる。これを Tk と呼んでいる。実際に観測されるガラス転移点 Tg が実は冷却速度に依存し、Tk<Tg<T0の関係にあることが判って来たが、果たして冷却速度に依存するような現象が普遍性を求める物理法則の探求の対象になるのかどうかで議論が分かれるし、その辺はいろいろと複雑な操作上の問題、つまり工学的な問題であるから物理の対象ではない、という人も居るわけであるが、そこにこそ新しい物理の可能性がある、と考えるのが、まあ京都の伝統というものであろう。

      日本の物性理論は余りにも単純で良く定義されたモデル系(例えばスピン系)に拘り、そこから得られる理論的枠組みで現実を解釈しようとするあまり、現実がそれに合わないと、それは探求する意味がないと考えてしまう傾向があった。しかし欧米に行くとこの関係は逆転し、スピン系にばかり拘る日本の理論家集団は如何にも異様に見える。昔からこれは言われていて、統計物理でノーベル賞を貰った人の出身が殆ど物理ではなく化学であることからも判るように、物性理論はむしろ化学の基礎として認められ、化学屋の間で常識となっている。最近になってやっとソフトマターというハイカラな名前で物理学会に分科会が出来て市民権が認められ始めたが、やっている内容はまだまだ抽象的である。

      まあこの辺は余談として、O氏は冷却速度に依存することこそガラス転移の本質であると考えて、自由エネルギーランドスケープという概念の中で統一的な理論を構築しようとしている。まだその途中であるが、やっていることは分散系のレオロジーの理論と良く似ていて興味深い。自由エネルギーを温度だけでなく時間の関数として考え、しかもそれがある自由度の空間で分布を持っていると想定する。これは緩和の早い自由度を集めて縮約した残りという意味である。具体的には単純化された例として、液体中の2個の分子に着目し、それが場所を入れ替えるプロセスを確率的に記述できるような自由エネルギー空間を求める。実際には計算機実験を行うが、そのとき、自由に動ける領域を限り、その限り方の関数として自由エネルギー空間を計算すると、ある臨界体積があり、それ以下では入れ替えが起きない。これは常識的には当たり前であり。入れ替わるためには周りの分子の協力が必要なためである。重要な点はそれが温度や過去のプロセスに依存することであり、それを認めてしまえばガラス転移に伴なういろいろな現象が統一的に理解できる。

      問題は自由エネルギーランドスケープという概念そのものにあり、欧米の理論家は伝統的な統計力学の立場から、自由度を厳密に考えるとエネルギーランドスケープという概念しか想定できないという。日本とインドの理論家は自由エネルギーで考えることに抵抗が無いようである。伝統的な物性理論ではハミルトニアン(系のエネルギーを規定する関係式)が定義されないままでは何も構築できないと考えるが、それは現実を考える上での特殊なアプローチの一つにすぎない。そう考えると厳密な定義は後回しにしてまずは中間的な概念を確立して全体を統一的に理解する方が先ではないか、ということである。

     G先生は海外出張で来られなかったが、G研究室時代を代表してS氏がカルシュームイオンポンプの話をした。筋肉には筋小胞体というのがあって、運動の時にカルシュームチャンネルを解放し、一気にCa2+を放出する。これは拡散であり、10^6個/秒くらいのrateであるが、そのために常日頃環境からCa2+を取り入れる必要があり、これがカルシュームポンプである。効率は60個/秒くらいで、これはATPを使った能動輸送である。そのためのたんぱく質が細胞膜にあって、その構造と機能を研究している。大きくは二つの状態をとり、E2状態ではCa2+を持っていないが、E1状態ではCa2+を2個抱え込んでいる。全体を大きく整理すると6つの状態間をサイクルしていて、まずE2状態から、2個のCa2+が入ってきて、構造が大きくE1に変わる。次にATPが付着して、燐酸を1つ切り離す。このとき同時にH+が2個動く。これがどうしてかというのが主たる話題であったが、要するにCa2+を安定に取り込むためにはどこかの水素結合を組み換えねばならず、そのための水素原子が余るというのが結論である。次にADPが離れて、構造がE2に戻り、燐酸が残されるが、やがてそれも離れる。まずは静電的な連続近似から見当を付けると、Ca2+が入るとH+が出る必要があることが判る。実際にたんぱく質、脂質分子、水分子全て入れて28万個の原子で分子動力学計算を行った。1nsec進むのに3日かかるそうである。その結果、Ca2+に配位する1個の水分子が水素結合する為にH+を追い出す必要があるということが判った。これが出来ないとたんぱく質の構造が変わり、もう1つのCa2+が入れなくなる。実際遺伝子操作で一つ一つのアミノ酸を交換してミュータントを作ってみると、確かにCa2+を1個しか取り込めないたんぱく質も作ることが出来る。ということで分子レベルでの生物学というものをまざまざと見た感じがした。Ca2+が入ってくる様子まではまだ計算できないが、その筋道は構造的には極性基があるので確かであろう。単純な予測では2060年には細胞の計算ができるそうである。Y研の頃にはこういったところと目指してまずは単純なメタン分子の作る結晶からスタートして、水に移った訳であるが、いろいろと物理的に内容を深めているうちに生物化学と分析機器および計算機の能力の方が先に進歩してしまった、という印象である。ただ分子間力のモデルや分子動力学の計算方法は多少進歩はあるにしても基本的には昔と全く同じである。

      Yさんが最後に飛び入りで自分の仕事を紹介した。昨年大学を定年退官し、京都に一人で下宿している。ずっとやってきている触媒反応への周期的変調の話であった。単純な2CO+O2→2CO2 の白金触媒反応であるが、まず定常状態を作っておいて、体積を周期的に変調することで各分子の濃度変調を求め、素反応の速度定数を合わせこむと速度定数が複素数になる。これの意味づけであるが、実は今までの反応論では状態間での化学ポテンシャルの差というのが時間に陽には依存しないという暗黙の仮定があったためにこれが実数として扱われてきたのである。つまり化学反応を反応化学種の流れとしてしか理解していなかったので、粘弾性でいえば粘性だけを考えてきたことになる。実際には記憶の項があり、過去の組成が現在に影響している。これが反応定数を複素数とせざるを得ない理由である。物理的には触媒反応は素反応がその時点の濃度に支配されて進むだけでなく、過去の時点の濃度の影響を受けるということで、吸着してから反応するまでの時間がこういう形で観測されてくるということであろう。そのようなことが、単純に体積変調するだけで判るということは結構有用であると思われるが、彼の仕事はあまり注目されていない。今回はパリの国際学会で発表してきたということである。彼の仕事の切っ掛けはY先生の若いころの化学反応理論であるが、その理論では化学反応は全て一次反応であるという大前提があり、そこに飽き足らない為に彼は実験家となったのである。

      懇親会は大変に盛り上がった。それぞれの人が日頃思うことを演説してそれにいろいろな意見が飛び出す。話題は研究の話もあるが、それ以外が多い。

      隣に座ったTさんは教育関係で、物理のいろいろな概念が教科毎に全く別のやり方で取り上げられていて、大混乱しているという話をしてくれた。最近は生徒が喜ぶように工夫することが流行していて、基本的な概念をきちんと教えることが無視されている為に、教科毎に同じ概念が別の概念として教えられてしまうので生徒が混乱している。こういうことをやっていると自分でものを考えることが出来なくなる、とか。また研究室が新しい建物に移動したのを機会に過去の伝説がいろいろと明らかにされてきて良い交流になったのではないかと思う。

      Y先生は耳が遠くなっていて、講演の間もスライドを見るだけであったが、懇親会の時にはT氏の話をした。猛烈な勉強家で全て「優」を取るつもりであったのだが、Y先生の理論化学だけは「良」しか取れなかったので、本当は理論化学をやりたかったのに正反対の医学生物学の方向に進んでノーベル賞を取ったということである。

      考えてみると、こういう風に自分の考えを素直に述べ合うという雰囲気は京都に特有のものかもしれない。他所に出ると自分の考えが殆ど無視されるというのが見えてきてつい口をつぐんでしまう。無視するというのはつまりその人にとって役に立たないと思うからで、そういう観点でしか人の話を聞けなくなっているということである。実際には自分の考えなり想像というのは非常に限られていて、人の話の中には思いもつかないことが隠れているものであるが、それを受け入れる心の余裕がないのであろうし、それよりもまずは、人と関わる事はそれぞれに意味のあることである、という人間にとって自然な事が忘れられている。京都に居ると、何故か、打算的な態度を取ったり話したりすると、静寂の中で自分の中に反芻されてひどく後悔してしまうというところがある。こういうのはどうも街の雰囲気とか、周囲を歩き回っている人とか、風景とかに影響されるのである。

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