2004.06.12

      東図書館で予約しておいた田川建三の「キリスト教思想への招待」(勁草書房)を借りてきた。キリスト教というのは長い歴史があるから、発展の歴史の中でいろいろな側面を見せていて、現代の我々から見ると一部を誇張して理解されている。それだけならよいが、西洋と東洋の比較だとか、自然観だとか、環境問題だとか、果ては政治にまで、いろいろな場面にそれが拡張されて誤った固定観念に結びついてしまう。特に日本においてはアメリカ流のキリスト教がキリスト教として理解されていて、排他主義とか、反自然主義とか、という側面が誇張されることが多い。この本はそういう誤解を解いて、キリスト教の本質を、他の宗教との比較という意味ではなく、それ自身として説明しようとしている。明瞭な章立てになっていて、創造主としての神、隣人愛、救済論、終末論、いう順序である。

      まずは創造主としての神である。これは殆どの宗教にとって一番重要な主題であるが、キリスト教がローマ時代、近代と生き延びていく中であまり表に出てこなかった。理由はキリスト教が他の宗教との区別を主張せざるを得なかったからであり、また近代の思想に自然崇拝が馴染まなかったからである。しかし、ヨーロッパにおいて近代への反省として「復活」してきていて、むしろ新しい近代国家、アメリカや日本において、ないがしろにされている。以下主要な部分を引用しておく。

      「神の国は、大地に種をまく人みたいなものである。あとは夜昼、寝たり起きたりしている。しかしこの人自身が知らぬ間に、種は芽を出し、成長する。大地がおのずと実を結ぶのである。まず青草が、それから穂が、そして穂の中に豊かな穀物が。そして時がいたれば、彼は鎌を入れる。収穫が来たのだ。(マルコ4.26−29)」

      「人間は、神の理性によって造られたこの大自然の働きを、自分も一所懸命理性を働かせて、理解し、知る事が出来る。「科学」とはそういうものだ。しかし、我々は、理解し、知る事が出来るというだけである。この大自然そのものを製作する事など、できはしない。」

      「キリスト教の創造信仰は、一方では明瞭に、ユダヤ教正典たる旧約聖書の創造信仰の継承である。他方では、しかし、ストア派の汎神論的な創造信仰が、天文学の教科書を通じてギリシャ語のユダヤ教に継承され、それが更に最初期のギリシャ語ユダヤ人キリスト教に継承されたのである。要するに、キリスト教の創造信仰は、それ以前の人々がいろいろな仕方でつちかってきた創造信仰をいろいろ集めてくっつけて貰い受けたものである。そしてそれは正しかった。おかげで、キリスト教世界は、人間が被造物にすぎないことを、そして被造物にすぎない人間は自然世界の主人公ではない、ということを、しかしその自然は人間にとって非常な恩恵である、という感謝の気持ちを、基本の意識としてずっと持ちつづけることができたのである。」

      「理性とは神の事項である、ということがわかれば、理性に対して謙虚でいることができる。...近代のある種の反知性主義社が間違っているのは、まさに、理性に背を向けることによって、これまでの近代的理性、知性だけが理性、知性である、と決めつけてしまっている点にある。...世の中には、自分が接することのなかったもの、未知のものが大量にある。未知のものは、自分の感性の中だけではとらえきれない、と知ったら、理解する努力をしないといけない。それが理性、知性というものである。

      「聖書の創世記の創造思想は、人間が自然世界を支配するという思想だ、と考える人が結構多い。確かに言葉としてはそういうことが言われている。しかし...イスラエル民族は、少なくともそのうちの有力な一部は、外からパレスチナの地に侵略してきた。そしてそれまでの遊牧の生活から、定住地での農耕生活に移行していった。それは、非常に長い期間を通じて行われた変化であろうけれども、その期間を通じて、彼らは、おそらくは他民族の農耕文化の思想をも学びつつ、自分達が農耕民族として生きるとはどういうことかという反省を考え続けただろう。つまり大地に生育する植物を食べて、単につまんで食べるだけでなく、それを自分達の都合のいいように生育を左右し、その実を自分達の食料として丸ごといただいてしまっていいものだろうか、ということをずっと反省していっただろう。それを、自分で自分に納得させるには、これは神様が我々に与えてくださった秩序なのだ、と考えたのであろう。...ここでは、自然全体を人間が支配する、などとは言われていない。単に、人間が食料として食べてもいい、ないし、食料を確保するために左右していい相手、つまり動植物だけが「支配」の対象としてあげられているのである。」

      「空の鳥を見よ。蒔くことも、刈ることも、倉に取り入れることもしない。しかも汝らの天の父がこれを養い給う。汝らは鳥よりもすぐれたものではないか。...着るものの事で、何故、思い煩うのか。野の花がどうして育つかを学ぶがよい。労働もせず、紡ぎもしない。しかし、ソロモンでさえ、その栄華のすべてをつくしても、この花一つほどにも装うことができなかったではないか。(マタイ6.26−29)」

      最近考えること。工学というのは科学の成果を応用して生活の役に立てることである。まずはものつくりである。これはまあ人の本能みたいなもので、面白い。しかし私にとってもっと重要なことは「愛」である。こんな言葉よりも簡単に説明すると人の喜ぶようなことを為し、人に認められることである。それは世界と自分との調和である。これは心の問題として置き換えれば「美」である。私はそういう見方から「工学」を位置づけようとして、結局「科学」そのものに「美」を見出した。この何ともいえない微妙な関係は私の心の中で沈潜し、音楽−言葉として定着した。私にとって「美」は音楽的なものになり、それが言葉を支配し、そこから「科学」へと向かう。「工学」から「科学」へと関心が引き戻される動機はその辺りにある。

      隣人愛についてはまあ語りつくされてきたことで、取り立てて控えておくようなことは書いてない。最初は宗教共同体内部の助け合いの話であったのだが、建前としても聖書に述べられている基本理念であり、実際ローマ帝国の内部にキリスト教が浸透したのは貧しいもの困窮したものを助けるという理念がしっかりとあって、それを教会が実践していたからである。また農民戦争の中で主張されたことも教会税は共同体の中で困っている人たちを助けるために使うべきである、ということである。ある程度以上お金を稼いだ人は慈善活動に寄付をするというのが当たり前に感じられるのも聖書の教えのせいである。実はどんな宗教にもこれはあり、イスラム教などは有名である。近代資本主義がそういったキリスト教の伝統を見えなくしている、というだけのことである。

       さて、3つ目は救いについてである。イエスが磔で殺された、という事実は弟子達の間でどう受け止められてきたか?その歴史を追う。弟子の主体はユダヤ人であり、キリスト教の骨格が出来たのはギリシャの地である。紆余曲折の末、一元論としてあったユダヤ教−キリスト教の中に、多元論的、アジア的要素が入り込む。この世が神によって造られたものであるならば、何故悪があるのか?善と悪との二元論は極めて自然な考えであり、諸悪の克服のために、人々は様々な神々に祈り、供物を捧げてきた。このような背景の中で、イエスの死は、以下のように解釈される。すなわち、神は地上の人々を悪から解放するために、自らの子を生贄として捧げたのだ。生贄に子羊を捧げ、その首を切り、血を流すのはユダヤ教、その他遊牧民由来の伝統である。(ここで地上の人々というのは、勿論信者に限らない。)このような考え方は師たるイエスの死とそれから逃亡せざるを得なかった弟子達にとっての自己逃避、自己正当化でもあったが、同時に、地中海世界がローマによって統一され、人々が狭い都市国家から解放され、いろいろな言語、民族が入り混じり始めた時代には別の意味を持つ。すなわち、神々もまた入り混じり、種々の悪に対していろいろな神々が供物や献金を要求するようになると、それらの胡散臭さが目立ち、また都市化した貧乏人にとっての負担ともなってきたのであるが、キリスト教では、すでにイエスが生贄となっていて、それらの供物は一切必要がが無いという事を説いていたのである。これはある意味では宗教の合理化でもあった。これを徹底すれば、究極的な救いは個人の努力ではどうなるものでもなく、ただそれ(イエスの死の意味)を信じるしかない、という日本で言えば、親鸞の考え(他力本願)に近い。実際これは周囲に存在したもろもろの宗教を信じる人たちに対抗する固い結束意識となった。すなわち、一言で言えば、当時の人々がキリスト教を信じる事で救われたのは、諸宗教の呪縛、強制的に祭儀が要求されることからである。逆説的ではあるが、宗教からの救済ということがキリスト教の意味であった。

      しかし、キリスト教が多数派となると、施政者の知恵によりローマ帝国の国教となる。神々への信仰は逆に弾圧され、その替わりに聖者への信仰が提供される。本来は唯一神への信仰であり、せいぜいその子たるイエスへの尊敬であるが、それは彼岸的であり、現実の欲望とは必ずしもマッチしていないから、さまざまな聖者を祭って信仰しお祈りをするようになった。マリア信仰はその最たるものである。お祈りをしたり、祭儀をしたりすることは、信者の側の都合だけでなく、むしろ教会の僧侶達の経済的な基盤を強め、ひいては世俗的な権力を支えるために必要でもあった。かってローマ帝国から弾圧されてきた純粋な信者達はそれに抗ったが故に再度弾圧された。聖書を読めるのは一部のインテリだけであったから、そのあたりの矛盾は何とでもなる。

      しかし、16世紀に至って本来のキリスト教の精神に戻ろうという運動が起きる。これが宗教改革である。これ以降カトリック教会はマリア信仰、聖者信仰を守り、逆にプロテスタントは教条主義となった。(私的にはこのあたりを腑分けして、カルビン派であったJ.S.Bachを位置づけなくてはならない。)本当の意味での宗教からの解放はフランス革命であるが、ここでも、神の役割は必要となり、「理性」が信仰されたのである。ソ連邦でも、中国でも、同じ事が繰り返された。宗教の替わりに独裁を持ってくれば、それでよいというものではない。人々が宗教を必要としているのは日々の生活や将来への不安から心を解放されたいからであり、それを抑圧しても歪んだ方向に向かうだけである。世の悪や権威や権力と戦っている間は純粋であるが、一旦勝利してしまうと、自分自身が抑圧者となってしまう、ということこそ、本質的な悪なのであり、戦うだけではどうにもならないということは、繰り返し繰り返し経験してきたことである。

      最後の4つ目は終末論である。聖書の中には「ヨハネ黙示録」という書物があり、これがまたいろいろな解釈をされている。この世の最後に至って、世の中がどうなるのか?救われるのは誰なのか?ということを描いてある。これを描いたのはギリシャ語に十分慣れていないユダヤ人であるらしい。終末論は勿論最後に救われてめでたしめでたしで終わらなければならないが、この黙示録は終わろうとしても終わりきれない。ここでは地上の人たちが如何に苦しむかということを、想像の付く限界まで創作して描いているが、結局裁かれるべき人たちがいつまでも残ってしまう。著者は勿論聖書の中に組み込まれるとは予想していなくて、終末論の読み物を書こうとしたのであるから、本当のことを書きたかった。それが最後に迸りでている。裁かれるべき人たちは結局当時のローマ帝国の支配者達とそれに追随して個別の地域住民を収奪した官僚や貿易によって利益を上げた商人達、、、である。ローマ時代に至って初めて統一貨幣が出来る。またギリシャ語とラテン語が地中海世界に広がり、商人達の基盤が出来る。かっての東欧世界のように国別に分業して、それを交換することによって、交換者が分割統治し、利益を得る仕組み(資本主義の始まり)が、可能となり、まさに帝国主義支配が完成した。このようなことを黙示録の著者は実感として良く判っていたことが伺える。結局ヨハネ黙示録はローマの崩壊(の予言)で終わる。以下、ヨハネ黙示録18章 

      「さまざなな災害が、 死と悲しみと飢饉とが、一日のうちに彼女 (ローマ帝国の首都)をおそい、そして彼女は焼かれてしまう。 彼女を裁く主なる神は、力強い者なのだ。 彼女と姦淫を行ない、 贅沢をほしいままにしていた地の王たちは (傀儡政権のこと)、彼女が焼かれる火の煙を見て、彼女のために胸を打って泣き悲しむ。

      大いなる都バビロンは、 このように激しく打ち倒され、 そして、まったく姿を消してしまう。地上で殺されたすべての者の血が、 お前のために流されたからだ。」 (8節、9節、24節)

後に貨幣の物神的性格(使用価値を持たず、人々の間で認められているというだけの理由で交換価値を持ち、それゆえに人々がそれを崇拝する)を説明するときに、ヨハネ黙示録を引用したのも当然である。ヨハネ黙示録はこうしてキリスト教信仰とはあまり必然的な関係のない内容ではあったが、中世に至ると、信者達に彫刻や絵画でそれを示し、教会に従わないとこうなりますよ、という脅しの道具として使われたのである。

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