2011.11.01

    今日は宝ヶ池国際会議場で「古典の日推進フォーラム2011」があった。東儀秀樹の演奏が最後にあるので申し込んでおいた。

最初は玉井菜採という東京芸大準教授のバルトーク無伴奏ヴァイオリンソナタの第3楽章が演奏されたが、難しすぎて眠くなった。あまり適切な曲ではないと思う。まあ、最初と最後に演奏を入れれば集まりやすいということもある。

3年前の源氏物語1000年紀にこの会が出来たらしく、毎年11月1日にフォーラムを開いている。会長や副会長には京都府長や市長やらが入っていてまあ地方都市の政治運動みたいなものである。それでも2000人は優に超える会場が満席であった。京都には確かに伝統芸能関係者が多いからであるが、それにしても平日だというのによく集まるものだ。

挨拶やら西陣織の旗の紹介やらモダンなポスターの紹介やらがあったが、京都産業大学の小林一彦さんの講義がなかなか良かった。古典の中に記述されたり引用されたりしている三陸地方の大地震について説明された。よく知られた日本三代実録以外にも、方丈記もあるし、いろいろな和歌に出てくる「末の松原波越さじとも」、という言い回しは多賀城にある高台の松山を意味していて、過去何度も襲った大津波にもそこだけは飲み込まれる事なく避難場所であった、ということに由来するし、名取川の有名な「埋もれ木」も今回のような津波が名取川を遡って海岸の木々を上流に運んだものなのであった。古今和歌集の東歌の半分以上が三陸地方であり、都ではかなり知られていたことが判る。源氏物語については今回映画が出来るそうで、なかなか面白そうである。藤原道長の野望の道具として紫式部に命じて書かせたのが源氏物語なのである。そういった時代背景なども判る。紫式部の表現は古今の古典を踏まえていて、また当時の都のゴシップも踏まえていて、なかなかの才能を見せているということである。

     後半は東儀秀樹他3人での、古典の中の音世界、というパネルディスカッションであるが、まああまり大したことはなかった。源氏物語の中で登場する楽器についてはそれぞれの時代的意味があって、実に適切に且つ暗喩としても選択されているというようなことは、雅楽の楽器に親しんでいないと判らない、という例を幾つか挙げていた。最後の演奏であるが、期待したほどではなかった。洋楽器の伴奏をスピーカーから流して彼が笙、篳篥を演奏するのであるが、聴きなれすぎた感じであった。

     帰りは昔教えた同志社高校の前を歩いてみたが、もはや30年前の面影は無く、美しいレンガ作りの新築校舎が並んでいた。比叡山に点々とつながるロープウェイの灯りを見ながらそのまま歩いて帰ってしまった。下り坂のせいかすいすいと歩けて1時間程で高野まで帰り着いた。夕食は「きさら堂」で済ませた。

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