2013.09.25

     お昼前に家内とアルパークに行って宮崎駿のアニメ「風立ちぬ」を見てきた。

      ゼロ戦を設計した堀越という人と軽井沢で出会ったその恋人との純愛物語である。恋人は結核にかかっていたが、最先端の技術を取り入れて九試単座戦闘機を設計する短い間だけ東京で一緒に暮らした。いつだったか宮崎氏がテレビのインタヴューに答えて心境を語っていた。戦時中遅れてきた軍国青年であり、今でも戦闘機の好きな彼は、敗戦によって価値観がひっくり返った世界の中で、彼なりの自然美学と健気な少女への憧れをアニメの世界に実現してきたが、ソ連が崩壊し、ユーゴスラビアに内戦が起きると、それだけでは生存理由が無いような気持ちになり、社会性を持ったアニメをいろいろと試みてきた。彼の中では戦後の日本で全否定されてきた戦前の日本に対する納得できない思いが残ったままであって、それが今回の「大人向けのアニメ」の原動力になったということである。

      結果としてゼロ戦という武器は若者を特攻に追いやったし、戦争は廃墟を齎したのだが、飛行機を設計した堀越という人は純粋に美しい飛行機を作ろうとしていて、その事への共感は肯定せざるを得ないだろう、ということである。このアニメの感動的なシーンは、誰がみても、仕事に没頭する堀越と結核に苦しみつつ笑顔で支えるその恋人(長くはないことを知り結婚した)の純愛風景である。僕も涙が出てきてしまった。しかし、恋人に現実感は無い。これはいつものことなのだが、宮崎氏の描く女性は彼の頭の中にしか居ないような感じがする。つまりは彼の勝手な妄想である。彼のアニメにいつも登場するもう一人の健気な女性は堀越の妹であるが、このアニメでは脇役となっている。

      ところで、宮崎氏は自分のアニメを見て涙を流したということであるが、その場面は純愛の場面ではなくて、堀越が技術指導ライセンス契約を結んだドイツの飛行機工場を見に行ったときにドイツから侮辱的な扱いを受けるシーンであったという。愛した人の為に自分の一番美しい姿だけを残して去っていった女性と愛されることを糧として美しい飛行機を設計した青年の、いったいどちらを描きたかったのだろうか?いや、そういう組み合わせの人生のあり方が宮崎氏の理想なのであろう。アニメでは詳細に亘る出来事は殆ど描かれることなく、背景に隠されて、その理想の人生だけが浮き上がるような仕上がりになっている。ひとりの老人の夢を語った美しい詩ではあるが、何かを訴えかけるようなアニメにはなっていない。ヴェネチア国際映画祭で賞を得なかったのは当然である。
  
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