2023.07.12
ちょっと前になるけれども、武田鉄矢の『まな板の上で』というラジオ番組(民放で朝放送されている、YouTubeでも公開されている。)で、伊藤亜紗の『体はゆく』 が紹介されていて、面白そうだったので、読んでみた。この人の本では、以前『記憶する体』を読んだことがある。

・・今回はテクノロジーを使って、体(実態としては脳というべきだろう)の未知の可能性を探る、というテーマで、5人の研究者にインタビューしている。

・・最近では、学習とか技能習得とかリハビリテーションに AI が使われるようになっている。これは脳が新しい領域へと自らを拡張する為に、従来の自然な成り行きによる試行錯誤だけでなく、(医師による)積極的な環境への介入を利用するための技術である。面白そうなところだけを抜き出して、ちょこっと感想を追加してみた。

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第1章
・・「ある動きがスムースに出来る為には、その動きのイメージが出来ている必要がある。しかし、イメージはその動きが出来ないとつかめない。」このジレンマを打開するには、偶然にでもその動きが出来るという体験が必要になる。それを効率的に与えるには、意思とは関係なく体を動かすような機械が有用である。

・・ピアニストが正しく指を動かすことを習得するために作られた機械がある。ピアニストの意志とは無関係に機械によって指が正しく動かされると、正しい指の動きのイメージが植え付けられるのである。」実際に使われているらしい。

・・・・・・(脇道)
・・フルートでも正しい楽器の持ち方を教えてくれる道具(サムポート)がある。ある時、楽器の痛みが酷くなって、僕は総銀のやや重い楽器を買ったのだが、持ち方が悪くて右手小指を痛めてしまった。このサムポートを何ヶ月か使ったら、右手小指を自由にするイメージが出来てしまい、道具が不要になった。これには自分でも驚いた。いわゆる3点支持が自然にできるようになったのである。

・・アンブシュールについては道具や機械が使えない。道具や機械が使えない場合、練習というのはゆっくりと注意深く順序を踏んで行う。一番大事なことは自分の出した音を自分でよく評価することである。良い音が出たときの身体感覚(イメージ)を覚えて、それを反復することである。

・・僕の場合、以前から中音部の低い方(E5の辺り;ミ)の鳴りがイマイチだった。管長が長いので、基音、2倍音、3倍音の吹分けが難しくて、真ん中の2倍音が不安定になる。中音部でも高い方(B5の辺り;シ)は楽なので、そこから注意深く音を半音づつ下げていく、というのがモイーズの『ソノリテ』という練習曲であるが、さっぱり要領が掴めない。僕の場合はタファネル=ゴーベールの練習曲で音階に沿って4つづつ下げては元に戻る、というのが良かった。この短い反復というのが実に効果的なのである。

・・ところで、この練習は決して音を良くするという目的ではなかった。腹筋だけを使って音を出す練習である。つまりタンギングや唇を使わず、腹筋のコントロールだけで音を出したり止めたりする練習。その折に、以前は音階が下がるにつれて顎を少しづつ出して歌口エッジから上唇を離すことで、音程の低下を防いでいたのだが、音程は練習の目的ではなかった為に、息の量を変えないで音階を下がっていくことになり、息の速度を下げるためには唇を上下に開き気味にするしかなくて、そうすると音が良くなることに気づいたのである。音の鳴る感じと唇を開く感じがイメージとして結合したのである。

・・この基音、2倍音、3倍音の吹き分けのイメージを頭に植え付けることが大切である。感覚的には息の方向として、基音と3倍音が下向きで、2倍音が上向きである。ただ、基音が下向きなのは、息がエッジよりも内側に入るというイメージであり、この時唇は開いているから、唇はエッジから離れている。3倍音が下向きなのは、唇がエッジに近づくというイメージであり、唇は閉じる方向であり、腹圧が上がる。息はエッジよりも外側に向かっていると思う。真ん中の2倍音が上向きというのは唇が開くというイメージであり、同時に腹圧を上げなくてはならない。これらのイメージは音色と一体化している。重要なことは、複雑な唇や顎の動かし方を最終的には無意識化して、音色のイメージ(意識)だけが残るようにすることである。

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第3章:
・・研究者にとって AI は道具である。身に着けた魚眼カメラは決して自分の身体の全体像を映し出さない。しかし、AI に適切な学習をさせれば、それが出来る。これを使えば練習が行われているその瞬間に正しい動きを教えることができる。

・・実は AI付きカメラのやっていることは人間もやっている。物理的な情報は現実を全て伝える訳ではないのに、人間の頭には現実の全体が把握される。これは勿論行動の為のモデルであり、幻想とも言えるが、有用でさえあれば現実と幻想との区別をつける必要はない。

・・研究者の小池さんは「人間にできることは AI にも出来る」という。それは逆に、「人間のやっていることは、実は AI に似ているのではないか」ということである。でも、「AI の見るモデルに「意味」は無い」というかもしれない。しかし、そもそも人間の見る幻想に「意味」があるのだろうか?運動の中で刻一刻と変わる対象と判断するとき、いちいち人体解剖図が登場するわけではない。非言語的で直観に基づく反応をしているだけである。ポラニーの言う「暗黙知」である。

・・空間だけでなく、未来もまた AI は予測する。これも人間が未来を予測するのと同じである。卓球の練習で、 相手の映像から球の来る位置や速度やスピンの方向が AI で予測されるから、それを教えられて、それに反応する。ただし、現実の状況よりもゆっくりと行う。この訓練をすることによって実際に上達することができる。このようなシステムとしてはけん玉訓練システムが有名である。

・・家電や乗り物のような機械であれば、修理するためには、パーツを分解し、原因を突き止めて改善する、というアプローチが採られるのであるが、人間の体の場合には体を意識の制御下から外して、体が環境に反応するに任せた上で、その環境に介入する方が効果的である。この「環境」として AI で作られた仮想現実世界が使われるようになってきた。
・・ゴルフの動きを習得するために、自分の影が人工的に作られて、お手本の影も作られる。その違いを直接見ることで、動きを覚えることができる。「自分ではない自分」「自分みたいな他者」が作られる。しかし、そもそも学習とはそういうものではないだろうか?

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第4章:
・・牛場氏の実験。ヘッドマウントを付けて、外部の映像を見せるという状況において、その映像を操作して、少しだけ撮影向きを変える。その上で、外部にある標的を指さしてもらう。被験者から見ると正しい方向を指さしたつもりなのに、少しずれている。しかし、ずれが1度程度であれば、被験者はずれを意識できない。にもかかわらず、無意識の内に指さしの方向が修正される。この実験を繰り返していくと、40度位のずれにも到達して、それでも被験者は意識することなく、実空間では40度ずれた方向を指さす。

・・脳は意識することなく、外部環境の情報を得ていて、意識することなく自分の行動を修正している。

・・これを応用すれば、「意識を上書きする」ことができる。つまり無意識の内に行動パターンを変えることができる。これは洗脳にも応用できるが、リハビリテーションにも応用できる。

・・応用に際しての課題は「汎化」である。確かに脳は無意識の内に学習するのであるが、それは操作側で操作した事だけではない。その学習での環境も一緒に学習されてしまう。例えば、海中と陸上で同じ学習をしてみると、学習効果が見られるのは、それぞれの環境下においてであった、という実験がある。何か雰囲気のようにしか感じられない環境の違いが学習の必須の随伴条件として紛れ込んでしまう。この辺のことはまだ解明されていない。

・・学習を強化するメカニズムには2つあって、これらをうまく組み合わせる必要がある。

・・一つは報酬系で、運動結果がうまくいくと基底核からドーパミンが出て、その時の行動を繰り返させて、結果的に学習を促進させる。この報酬系の働きには個人差がある。感受性の高い人は働きが強い。

・・もう一つは罰系で、これは小脳での学習のメカニズムである。結果が判断されて失敗と判ると誤差を縮小するように行動プログラムが修正される。このメカニズムでは神経回路の修正・定着が行われる為に、学習が長期にわたって保存される。

・・「みんなで尻尾を振る実験」はなかなか面白い。脳内の特定の場所が興奮すると、画面上の自分の姿に追加された尻尾が振れるようにプログラムをしておく。これが BMI (brain machine interface)である。

・・何名が被験者を集めて、「尻尾を振ってください」とお願いする。最初は自分の身体のいろいろな場所を注意を向けてみる、といった試行錯誤をやっているが、その内偶然に尻尾が振れるという現象に遭遇すると、今度はそれを再現しようとして試行錯誤を繰り返す。最終的には尻尾を振ろうとしなくても無意識に尻尾が振れるようになる。

・・被験者間のコミュニケーションも興味深い。初期と終期にコミュニケーションが活発であるが、中期の再現性を求めての試行錯誤段階では集中しているので、コミュニケーションが少ない。

・・このような方法はリハビリテーションに応用できる。

・・BMI では脳の一部から検出される脳波を使う。脳波は勿論個々の神経細胞の状態を反映しているわけではない。しかし、個々の神経細胞の状態をいくら集めても脳の働きが解明できるものではない。脳の働きは「複雑系」であるから、整然とした論理回路や概念で組み立てられたプログラムでは再現できないのである。脳の一部における神経細胞群の醸し出すある種の「雰囲気のようなもの」を捉えるのが脳波であり、それと身体の運動や感覚との相関を探索して、その結果を応用するのである。

・・脳卒中で左側をやられて、右手が動かなくなった患者は、運動を意識しても運動野が活動しない。そこでこの運動野からの脳波を検出して、患者が試行錯誤したときに偶然運動野が活動したときに、右手に取りつけた補助具を動かしてやる。これが脳にとっての報酬となって、同じ意識の集中を繰り返すようになって、右手を動かすというイメージが形成される。そうすると、補助具が無くても右手が動くようになる。結果的には、交差則に反して、右手が右脳によって動いているということもある。

・・このように脳は優柔無碍で可塑的なのであるが、これは間違った学習が固定化されてしまうという危険性も意味するので、注意が必要である。楽器に例えれば、学習を急ぎすぎて変な癖を付けてしまって、そこから先に進歩することが却って妨げられる、というようなことである。経験に富んだ教師に就くのはそれを避けるためである。

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第5章:
・・超音波プローブを喉に装着しておくと、声帯の動きや舌の動きが判る。これと発音のデータを AI に学習させれば、実際に声を出さなくても声を出したつもりで声帯や舌を動かすだけで、スピーカーから声を出すことができる。サイレントスピーチという。ウイスパーヴォイスと通常の声では異なるので、使い分けが可能になる。こういう状況は、計算機が人間の機能を拡張するということあるのと同時に、人間が計算機に合わせて学習していくということでもある。

・・視覚では入力側の圧倒的な速さに比べて出力側(描画)が劣っているのだが、聴覚の場合は入力と出力がバランスしている。聞いたことを直ぐに真似して言える。言葉が学習しやすいのはそのためである。視覚とは異なり、時間的な情報を記号化せずに扱える。また複数の異なる情報を一つにまとめられる。オノマトペはしばしば運動の即自的な指示(わざ言語)に使われる。これを洗練させれば、人は自分の動きを「聞く」ことができるようになるだろう。

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