2000.12.08

ジャレド・ダイアモンド:「銃・病原菌・鉄」
      最後の氷河期が終わったのが 11,000 年前でそれ以来の人類の歴史を書いている。主題はいろんな地域に展開した人類がそれぞれの地域の特性に規定されて文明を作り、それらがお互いに衝突して多くの場合一方が他方を滅ぼしながら現在に至っている、ということで、その主要な要因を解き明かしている。根底にあるのは、栽培可能な植物と家畜化可能な大型哺乳類の有無と文明の伝播の容易さ(大陸が東西に広がっているとか、地理的に孤立しているかとか、、、)である。食料生産技術によって人工密度が上がり、社会組織が進化するだけでなく、家畜由来の病原菌も繁茂し、それに耐性を持つようになる。技術の発見は決して必要性から生まれるのではなく、余裕と遊びから生まれて、必要性が生じてくると社会に受け入れられる。

      大まかに言えば、チグリス・ユーフラテス河流域中国の揚子江、黄河流域に始まった2つの文明が結局は世界を2分している。前者はその地域的な分化をして、ヨーロッパやインド、アラブの文明に至るが、後者は中国圏と東南アジア・ポリネシアでの多様な文明に分化している。他の文明の潮流はこれらに打ち勝てなくて絶滅、あるいは殆ど絶滅したか、現在絶滅の過程にある。1532 年ペルーで起きたインカ帝国の王アタワルパがスペインの将軍ピサロに捕獲されたのはその象徴的な出来事であった。食料生産のような文明は伝播が自然条件との相互作用なので比較的遅いが、文字などは伝播が速い。楔形文字を源流とする文字と中国の文字を源流とする文字が生き残っているだけである。文字は物のやり取りを記録する必要性から発達しており、社会組織の段階(小規模血縁集団→部族社会→首長社会→国家)の最後に至って始めて出現するが、文字を持たなかった国家もある。技術レベルというのは自己増殖性があるが、文字の使用は特に重要であった。言葉(喋る言葉)が文字で表されるようになるにはまた別の契機が必要であった。

      東南アジア地域のことは余り知らなかったので面白かった。最初にやってきた人類(三万年以上前)はインドシナ半島とオーストラリアとニューギニアに残っている。ニューギニアは地理的に狩猟採集を脱皮して食料生産段階に至っているが、オーストラリアでは自然条件から狩猟採集段階のまま(アボリジニ)である。それ以外の地域では中国南部、台湾を基点とするオーストロネシア系の海上民族移動の結果、初期の人類は絶滅し、点在する島々にそれぞれ独特のオーストロネシア国家が形成されている。

      アフリカの話はアメリカ大陸とユーラシアの中間的な状況として、説明されている。すなわちアメリカ同様栽培植物や家畜化動物に恵まれてはいなくて、また南北に長く、中央部の気候(熱帯〜亜熱帯)に適した植物はチグリス・ユーフラテス地域とは異なっていた為に、サハラ砂漠以南には別の栽培植物(ヤムイモ)が見出された。その中で主要な勢力となったのは食料生産に成功した黒人種(バンツー族)であった。他の狩猟採集民族は分断され孤立して生存している。黒人種も南アフリカの気候では食物生産に成功しなかったので、ヨーロッパ人の進出が可能となった。また東アフリカには既にエジプト経由の白人種やマダガスカル島に棲みついた東南アジア系(オーストロネシア族)が居たので進出が止まっている。

      最後の疑問は同じユーラシアにありながら、中国は何故世界を制しなかったのか、ということである。その前にチグリス・ユーフラテス地域であるが、文明発祥の頃は森林であったが、その後の気候変化並びに過度の農業開発により、食物生産に適さなくなったために、より湿潤なヨーロッパ地域に発展の中心を譲った。中国は大規模な国家の発達に余りにも適していた(地理的に平坦である)為に海外への進出や技術の発達に対して、統制が取れすぎていて、重要な契機を逃したと考えられる。実際ヨーロッパの船がアフリカに達する前に中国はアフリカに達していたし、規模も大きかった。(東南アジア地域には民族大移動が起きている。)しかしその後の政権内の内紛の為に、造船技術や海外派遣が禁じられてしまったのである。ヨーロッパには小国家が乱立してたために、海外派遣の提案は多くの国家で拒絶されてもポルトガルでたまたま奨励されたのである。一旦成功を見ると、他の国家も手を出したという経緯がある。ヨーロッパが統一されなかったのは地理的に平坦でなかったからである。国家のサイズが手頃なものになったと言うことである。

      結局のところ、世界は白人種(ヨーロッパ、南北アメリカ、北アフリカ、中東、インド、オセアニア)と黄色人種(中国大陸、日本、東南アジア)と黒人種(中央アフリカ)という系統で占められており、それぞれが過去を引き摺りながらこれからの世界を創って行くことになる。先のことは分らないし、分る必要も無い。解明されて行く歴史の必然は要するに自然淘汰であるが、人の生きる目的はそれとは別である。見える限りの事物に対して人は自由である。

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