2005.06.08「考える脳考えるコンピューター」

     和歌山日帰りの汽車の中で、東図書館で借りたジェフ・ホーキンスとサンドラ・ブレークスリー「考える脳考えるコンピューター(On Intelligence)」(ランダムハウス講談社)を読んだ。本人がいうほど新しいことを言っているわけでもない。大脳新皮質の機能をモデル化し、知能を持つ機械を作る、という目的意識がはっきりある。そのために、人間性全体を問題にするのではなく、知能的側面だけに限定する。組織としては大脳新皮質に注目している。過去、言語的処理による人工知能もニューラルネットワークも大脳新皮質の働きかたに対する理解が不十分であったために、失敗した。人工知能は学習しない。ニューラルネットは階層が少なく、逆方向の情報の流れを重視していないし構造も単純すぎる。

    近い概念としては連想記憶である。実際彼の考え方は連想記憶に基盤がある。全てはパターンであり、それは空間的(個々のニューロンを配置したときに空間が出来るとして)時間的(経時的)な意味でのパターンである、どんな感覚だろうが運動だろうが、思考だろうが、すべてはパターンであって、パターンである限り大脳新皮質にとっては何の区別もない。実際眼を失った人がCCDカメラの出力を舌に受けて訓練によって「見える」様になった例もある。古い脳は別として、大脳新皮質は生理的に繋がれた感覚運動器官を介して世界を経験することによって神経結合が形成されていく。受け取ったパターンはその形で結合の強化になり、パターンとして蓄えられていく。

    これだけなら連想記憶であるが、ここに更に階層性が入ってくる。パターンが成熟してくると上位の階層にはそのパターンが存在するか否かという信号だけが送られる。また上位の階層からはパターンを想起すべきかどうかの信号だけが送られる。上に上る神経と下に下がる神経はほぼ同数となっている。感覚系と言えども受け取ったパターンを上の階層に報告するだけではない。上の階層からこのパターンが受け取られる筈であるという予測信号が何時も流れている。受け取ったパターンは予測と合っているかどうかをチェックされる。多少の違いがあっても近ければ同じと判断される。こうして予測が合っていれば特に何もないが、合っていないと上の階層に送られ、それが何であるかが解決されるまで階層を登っていく。

    最後まで判らないパターンが海馬に送られ、そこで時間をかけて繰り返されてパターンが記憶に廻される。運動系といえども階層を下る信号だけではなく、絶えず運動器官からの報告が上がっていく。違っていれば修正される。人に至って大脳新皮質の運動野が旧来の古い脳の運動担当を迂回するようになった。より意識的な運動がなされるからであるし、それによって高度なフィードバックが可能となった。特に言語を操ったり、手を使ったりする運動で著しい。連合野ではいろいろな感覚系や運動系を統合した階層が集まっている。ここでは異なる感覚系間での予測や異なる運動系間の連携指令なども可能である。人間性となると古い脳との連携が欠かせない。

    階層化の齎すものは概念化でもある。一まとまりのパターンシーケンスに名前がつけられて上の階層に上がると、他のコラムから上がってきた名前とともにパターンとなり、名前がつけられる。この繰り返しが感覚系であるが、運動系では上からの指令が抽象的であっても、下位の階層で具体化されるから、パターンの変化して行く様は感覚系と全く変わらない。

    こうした感覚→運動という基本的な機能だけでなく、想起や思考といった身体行動を伴なわない機能においても同じである。記憶はパターンのシーケンスとして蓄えられているから、繋がりとして想起される。最初の切っ掛けがないと呼び起こされない。切っ掛けは感覚側からもくるし、もっと上位の階層からもパターンが発せらられたとき、連想的に引きずり出される。思考もまた同じであって、言語優位である点が異なる。発想の転換もしばしば偶然の脳の活動から生まれる。

    具体的に個々の階層がどのように構成されているかというと、ここで大脳新皮質のコラム構造を構成する6層が登場する。このあたりのモデルがまだ仮説の段階であるが、考えうる限りの想像を巡らせている。今後精密化されていくであろう。

    解剖学的には下から上へ6→5→4→3→2→1であるが、主要な入力は第4層である。ここが自分のパターンを持っており、一致すると興奮し、3、2層を、更には5層、6層を興奮させる。2,3,5層の興奮はさらに第1層に伝わる。

    第1層は横方向が支配的である。上位階層からくる下方向の信号もより下の層からくる信号も1層で広い領域に信号を伝える。上層からくる信号は一般的な範疇の内容に対応しており、具体的な状況に応じて個別のパターンが必要になるからであると考えられている。それに対しての実行状況がまた第1層に集まってくるわけである。

    第5層からは視床にも信号が伝わっており、それは同じ領域の第1層に帰ってくる。これがおそらく時間的シーケンスの記憶に使われている。

    第4層の興奮は1、2、3,5層の結合を強化するため、第4層が興奮しなくても、上の階層からの信号が第1層に入ってくると勝手に興奮する。これが予測である。第5層から第1層への信号は同じパターンのコラムではなく、他のパターンのコラムからが多く、これはあるパターンが検出されると時間遅れで当該パターンが予測される、ということになる。感覚系と言えども第5層からは直接運動指令が行われる。これは例えば視覚系から眼球運動へ、という具合である。必ずしも上位の階層を介して予測が行われるだけではない。

    川人光男、銅谷賢治、春野雅彦「ヒト知性の計算神経科学」は小脳を対象にして殆ど同じことを言っている。小脳では「教師付き学習」であるのに対して、大脳新皮質では「入ってくるパターンをそのまま記憶して整理する」ということもそこでは言われている。澤口俊之「知性の脳構造と進化」も進化的な観点から全体の枠組みとしては同様なことを述べている。

    さて、ホーキンス氏はこの6層コラム構造をICチップ化しようとしているのである。それはいくら集めても人にはならないが、入出力を適当に与えることによってそれなりの世界認識をするようになるのであろう。しかし少なくともその世界認識は人には理解できないであろう。なぜなら入出力系の共通性(身体性)によって人は人を理解できるからである。動物や植物を理解するよりも更に不可解な存在なのではないだろうか?

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