今日は昭和天皇がポツダム宣言受諾の放送をした日。安倍首相の戦後70年談話が新聞に出ていた。昨日の夕方テレビで報道されたらしい。苦虫を噛み潰したような表情であったが、終わったら笑顔だったということである。いやいやながらも、過去の首相談話を引き継いだということであろう。テレビも新聞もこのところ先の戦争の話ばかりである。今年それがいやでも目に付くのは安保法制が審議されているからである。

・・・僕が戦争の話に触れたのは中学生の頃だったか、家にあった五味川純平の「人間の条件」を読んでであった。軍隊内での壮絶なまた屈辱的な虐待の実態や、中国人を簡単に殺してしまうという非人間的な行為、そういった状態において「人間の条件」をどうやって貫いたか?という趣旨の小説だったと思う。筋は覚えていない。主人公は正義感からそれらの状況に抵抗しつつ、最後は戦死したのではなかったかと思う。

・・・急にこんなことを思い出したのは、テレビも新聞もそして反戦の主張も、そういった「人間の条件」を問われるような問題に触れていないという事に気づいたからである。原爆の被害、特攻隊の悲劇といった被害者の意識と、戦争を指導した人たちの反知性的な行動についての記事は多くあっても、日本軍隊内部の悲惨な話や日本軍に虐殺された人たちの話は無い。「国の為に戦い、死んで行った」人たちに対しての思いが穢れてしまうから、語り辛いということだろう。しかし、殺されるのが嫌だから反戦なのではなくて、殺すのが嫌だから反戦なのだ、という事でないと、戦争は抑止できないと思う。

      15日のテレビの中ではBS-TBSの「発掘戦場の叫び、元兵士1500人が伝えたい真実」を見た。戦場体験映像保存の会が10年間で撮影した4000本以上の証言ビデオテープ+直接取材からの抜粋。内容についてはとても詳しく書く気分になれないので、タイトルだけにする。
・中国戦線での日本軍の残虐性の話
・真珠湾攻撃を行った航空隊員の高揚感
・制海権も制空権も無い中での輸送船の悲劇
・沖縄戦直前の疎開船(対馬丸)の沈没から生き延びた人
・サイパン敗残兵、皆手榴弾で自決する中で1人投降した兵士
・レイテ沖海戦の武蔵に乗って沈没から生き延びた人
・ルソン島での持久戦で生き延びた兵士
・沖縄戦での5歳少女の記憶、自決の為に親が子供を殺す話
・沖縄戦に投入された少年兵
・特攻作戦で生き残った兵士
http://www.bs-j.co.jp/senjyou/ 

      いろいろと考えてしまうのだが、中国戦線では日本兵は負けているという意識があまりなかったと思う。主として加害者の立場にあった。戦争の終結に対しても釈然としなかったであろう。これはちょうど第一次世界大戦後のドイツ軍と似ている。その中から、戦後の厳しい賠償と大恐慌による不況の中でヒトラーの大規模な公共工事の事業が成功を収め、独裁政権に繋がった。それに対して、太平洋上や国内では日本人は主として被害者の立場にあった。戦後、その恨みの対象がアメリカではなくむしろ日本軍指導者と政府に向ったのは国民が「洗脳」から目覚めたこととアメリカの戦略転換により日本が優遇されたことによる。他方、日本が中国で行った加害行為が意識から消えて行ったのであろう。勿論太平洋上でも日本は占領し、とりわけフィリピンは戦場になり、沖縄に対すると同様の加害であったのだが、やはり忘れられ勝ちである。
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