録画してあった「五嶋みどりがバッハを弾いた夏・2012」という番組を見た。

      デビュー30周年だそうだ。米国で若い頃コミュニティーで演奏することが多くて、それはシナゴーグや教会だった。日本でそれに相当するお寺や神社や教会を長崎から函館まで演奏してまわることにしたのである。

      曲はバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータである。20代にうつ病になり、一時ヴァイオリンが弾けなくなった。自分が理想とする演奏家と世間が期待する演奏家のギャップに悩んだからである。しかし、27歳にして、自分のやり方を押し通すことで決意が固まった。演奏旅行でも普通の人と同じく、ビジネスホテルに泊まり、コインランドリーで洗濯し、電車やバスで会場に行く。洋服も特に気にせず、同じもので通してしまう。こういう振る舞いは周囲の抵抗を受けるということである。どんな機会だろうと、誰が相手であろうと、格別な工夫はしない。演奏そのものは不変であり、自分が良いと思ったように弾く。音楽に人生をささげる伝道師みたいである。番組でも「不動の人」という表現があった。演奏を支えるものは後進の指導であり、各地でのチャリティー活動である。どんな人だろうと音楽に親しんでもらうように一生懸命努力する。雨が降っていようが、セミが煩く鳴いていようが一切構わない。そういう演奏そのものは部分的にしか紹介されなかったが、それはバッハの曲の構造を明確過ぎるほど明確に表現していたし、曲の構造が演奏動作からもはっきりと伝わる。きびきびとしたメリハリの利いたバッハであった。そういえばこの人の演奏はCDでも聴いたことがなかったなあ、と今更思う。
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