福岡伸一「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書)を読んだ。新聞の広告で見つけたが、本屋に行っても見つからないという状況が結構長かった。相当売れている本らしい。

    どこが面白いのか、ということであるが、やはり生命の基本たるDNAの発見に至る物語の中で、研究者というものの実体が暴露されているところではないだろうか?ポスドクなんて確かに世間の人には知られていない。僕は途中でポスドクを辞めて企業に入った訳だが、あのまま続けていて幸せだったとは思わない。

    もっとも彼の言いたいことはそんなことでは無くて、DNAだけで生命が決まるわけではないというところである。DNAは生命が自己を複製する機構であるから、確かに生命の根本に関わるが、個体という目で見たときには発生から成長、生殖、死に至る取り返しの付かない一方的な時間の流れがある。生命の部品は取り替え可能なようであってそうではない。その生命体の成長のプロセスで果たした部品の役割はその時点での意味があり、そこからの成長の分岐を決定するが、時間を隔てて再び関わるから、いわば成長過程という時間の流れの中で輻輳していて単純ではない。

    著者の研究した脾臓の分泌顆粒膜で重要な役割を果たしているGP2という名前のたんぱく質は最初からそれを作る遺伝子が欠損している場合には勿論出来ないわけであるが、それでも何の問題も起きないことを発見して驚く。最初から無いのであれば、代替のプロセスが出来上がるということである。

    他の例では、プリオンたんぱく質の部分的欠陥は狂牛病を引き起こすが、最初からプリオンたんぱく質が無ければ何の問題も無い。おそらく、成長の途中でプリオンたんぱく質は何かのたんぱく質に特異的に結合することで正常な成長プロセスを誘導する。しかしそれだけではなく、プリオンたんぱく質は成長が終わった時点で別の結合点で他の機能を果たしているのである。その部分が欠けている為に狂牛病になると考えられる。最初から無ければ、正常な成長プロセスは誘導されず、プリオンたんぱく質の果たすべき機能は別のたんぱく質で代理されるようになる。

    このように生命は引き返すことの出来ない成長プロセスであり、絶えず新陳代謝することが本質なのである。こういうことを最初に言い出したのは、シュレージンガーの「生命とは何か」からだと思っていた。多くの物理屋が影響を受けて非平衡非線形系の研究に入ったのを知っている。しかし著者によると、最初はシェーンハイマーという人らしい。彼は同位体を使って、生命体を構成する原子が如何にすばやく代謝しているかを発見したのである。
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