福井一「音楽の感動を科学する」(化学同人)を読んだ。「音楽の謀略」(悠飛社)や「音楽の生存価」(音楽の友社)を書いており、いずれも立ち読みした様な記憶がある。今回のがよくまとまっている印象である。化学同人で出したというのも面白い。脳科学の進歩に裏打ちされて、音楽と脳の関わりが随分研究されるようになってきた。それを中途半端に受け入れて、日本人の脳は特殊だ、とかいう既に捨てられた仮説が流布する一方、音楽は芸術であって科学の対象ではない、という拘りを持つ人も多い。2000年5月にあった The Biological Foundations of Music (The New York Academy of Science) には僕も気付いていて注目したのだが、さすがに会社の金で文献を取り寄せるのは気が引けたのを覚えている。その辺りが最近の音楽科学のルネッサンスということらしい。ルネッサンスというのは、つまりギリシャ時代には音楽が宇宙の調和の科学だったからである。まあ、そんな類のことやら何やらが最初の半分くらい第1〜4章に長々と書いてあってやや退屈であったので飛ばして読んだ。

    第5章が情動と音楽の関わりで、この辺からが本論である。情動という言葉も、感情とか情緒とか、価値観による差別化がされているが、生理学的には一つである。動物が環境に対応する為に全身に指令を与えるという基本的な働きであって、脊椎動物の脳(扁桃体)が中心となる。快−不快の判断である。周辺には記憶に必要な海馬がある。環境からの刺激は視床に伝わり、そこから扁桃体に送られて判断される。これが一次情報である。一方でそこから大脳皮質の感覚野に送られて複雑な処理をされて認知に至るが、その結果はまた扁桃体や海馬に帰ってくる。これが二次情報である。音もこのルートを辿るから当然直接的であり、無意識であることはいうまでもなく、知覚すらされない内に情動反応を起こすのである。勿論大脳皮質による判断も後から付いてくるから、もろもろの文化的解釈が情動に影響することはいうまでもない。

    第6〜8章はホルモンの話で、音楽と特に関わりの深いものはATCH(副腎皮質ホルモン)というストレスで出てくる(修復を速やかにするとか危険に備える)ホルモンと、テストステロン(男性ホルモン)である。音楽の生理的効果としては、ストレスを緩和することだけでなく、テストステロンを調整する、ということが知られている。そもそも男性ホルモンというのは、脳の発達時に左脳の発育を抑制し、右脳に偏らせる作用がある。右脳は空間認知能力を担うので、これは男性の役割を果たすための適応である。ところが、音楽はテストステロンを男性では下げて、女性では上げる。つまり性別を中性化する。この逆も成り立っていて、テストステロン分泌の年周期や日周期と音楽活動の相関も認められているし、優れた音楽家は中性的な傾向がある。ホモセクシュアルが多いということである。ヘンデル、ベートーヴェン、ショパン、シューベルト、チャイコフスキー、ドビュッシー、ラベル、サン=サーンス、フォスター、グリーグ、マーラー、ジョーン・バエズ、ミック・ジャガー、エルトン・ジョン、ボーイ・ジョージ、デヴィッド・ボーイ、レナード・バーンスタイン、がそうらしい。

    聴覚野については、大体右脳がピッチ(高さ)の認知と協和(和音)の認知の主役となる。自然倍音をひとまとめにしてその基音のピッチとして判断する、というのはどうやら生得的なようである。従来民族音楽研究者が唱えていた「協和−不協和の文化要因説」はほぼ否定されている。このメカニズムは自然倍音に相当近ければそれを同一化してしまうというメカニズムであるから、少しだけ外れていると判断が揺らいでしまう。これが不協和の感覚として認知される。全く外れていれば当然別の基音になるから問題ない。この右聴覚野からは直接大脳辺縁系(扁桃体)の方に信号が伝わる。絶対音感は幼児であれば誰でも持っているが、言語活動の中で失われていく。相対音感でなければ支障が生じるからである。また音楽にとっても支障が生じる。

    一方リズムやテンポの認知には左脳が主役となっている。これは言語に絡むからである。なお、失語症と同じように失音楽症というのも知られているが、音楽の場合言語のようには機能が局在化されていないようである。子供の頃から音楽演奏の訓練をすると脳の機能はかなり変わる。左脳で音楽を扱うようになり、その代わりとして言語機能の一部が右脳に任されたりする。運動中枢も勿論変化する。あまりにも練習をやりすぎると隣合う指の中枢同士が発達しすぎて融合し一緒に動くようになってしまう、という演奏家にとっては悪夢のような病気(ジストニー)が知られている。

    第9章で音楽の効用が説明されるが、要するにストレスの緩和である。これは繰り返しいろんなケースで実証されている。

    第10章は動物たちの音楽ということで、音楽の定義として、1.音程はそれほど広くない、2.リズム・パターンを持つ、3.音階がある、4.中心音がある、5.構造(階層的、旋律形、繰り返し)を持つ、という風に広くとれば、鳥や鯨や霊長類は音楽を持つ。その機能は、繁殖などの性行動、あるいはストレス時の個体の情動表現(警告音などとして集団にとって有益)である。音楽の複雑さとその動物の番の形態に相関がある。つまり、一夫一婦制の場合に音楽が発達する。音楽は社会的絆を固める機能があるのである。

    こうして最終の第11章で進化心理学的に音楽が語られる。そもそもの始まりはストレスによる発声行動である。それは周囲の動物に警告を与えるが、同時に自分にとってもストレスの解消になる。ヒトが一夫多妻制から一夫一婦制に移行し社会性がますます必要になってきた頃までに、単なる発声が同期化したりして音楽へと進化したということである。その動機は社会生活に由来するストレスの解消であったということである。また性本能をコントロールするという効用もあった筈である。後期旧石器時代、7〜4万年前くらいである。化石として骨製フルートが見つかっているし、絵画などの芸術活動が突然開花する時期でもある。現在でも同様な音楽の機能は思春期に働いている。性ホルモンの過剰による不安定さを音楽が制御しているといえるだろう。歴史時代における音楽についても社会的ストレスとの関係を指摘している。西洋音楽の傑作の殆どが書かれてしまった古典派からロマン派の時代はヨーロッパの社会が教会と絶対主義王政から近代市民社会へ移行する激動期であったし、ドイツは特にその渦に巻き込まれた地域であった。現在のアメリカの音楽の隆盛はアメリカという多民族国家における社会的ストレスの賜物である。

    ということで、音楽が科学として研究される、ということは大体納得出来たと思うが、脳や心の問題と同じで、個別性(個体や社会の来歴に依存する側面)は科学では語れないと思う。そして、それこそが音楽の楽しみなのである。音楽家が「ほっといてくれ」と言いたくなる気持ちもまた判るような気がする。

<一つ前へ>  <目次>