2018.05.23
      大分前の録画『No Direction Home: Bob Dylan』WNET,BBC,NHK共同制作、マーティン・スコセッシ監督(2005年)、をやっと最後まで観た。長いし、疲れるので、一ヶ月近くかけて、何回にも分けて観た。本人を始めとして、多数の音楽関係者のインタヴュー映像に、勿論演奏の映像。彼が音楽を始めた最初から影響を受けたウッディ・ガスリーを始めとする多くの音楽家の映像も多数。

      僕はボブ・ディランを殆ど知らないのだが、吉田拓郎→中島みゆきのラインの源流が確かに感じられて、なかなか興味深かった。けれども、歌を作り出す社会的背景の深刻さはアメリカの方が遥かに深い。ジョーン・バエズとの別れ方にこの人のエッセンスが見える。社会的プロテストが歌の題材ではあっても、それを歌の目的としているのが、当時のシティー・フォークシンガーだとするならば、ボブ・ディランの場合は、あくまでもその題材は音楽の素材にすぎなかった。彼の内部には社会的プロテストの気持ちがあったということは事実としても、彼はそれを聴衆と共有したかったわけではなく、あくまでも歌を共有したかったのである。

      最後の方は、バンドを率いてロックを取り入れるので、フォークファンからブーイングを受けるのだが、彼の歌い方は少しも変わっていないから、僕はフォークとロックの違いをそんなには感じなかった。それにしても歌詞は難解である。和訳を見ながら聴いても考え込んでしまう。アメリカ人には直ぐ理解できるのだろう。まあ、あまり深入りしない方が良いような気がする。ただ、個性的な歌い方には何かしら惹かれるものがある。
 
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