「脳と心のバイオフィジックス」松本修文編(共立出版)を読み始めた。生物物理学会で編集したこの分野の研究者の要約的な解説を集めたものであって、簡潔に読めてなかなか便利そうである。会社の図書室で見つけた。

    沢口俊之氏はもはや過去の不毛な心脳論争は脳科学によって乗り越えられていて、議論に値しない、という立場である。Eccles は補足運動野に注目した。外界の刺激に基づいて運動するときには、ここはあまり活動を示さないが、自分の意志で運動することをイメージするだけでここが活動する。実際の運動に対しては1〜3秒も前に活動する。直接の運動野は0.5秒くらい前である(Libet 1983年)から、ここに随意性の基点があるといっても間違いではない。何らかの意味のある意識はワーキングメモリー(Baddeley)によって実現される。これは前頭連合野、とくにその背外側部で主に担われていて、ここはまた捕捉運動野の上位になっていて太い結合が見られる。

    上田哲男・中垣俊之氏の粘菌の話は面白い。粘菌はそのライフサイクルで多核単細胞アメーバ状態となる。ここで細胞質全体を統一しているのはリズミックな運動である。その運動モードは非常に多くあり、それらの間を遷移しながら粘菌は環境に対応した行動をとる。原形質同士は流動し交換し合う。振動はむしろそのための手段である。2つの粘菌が近づくと反対位相で振動をすることで融合を促進し、交換しようとする。餌に対しても振動モードを自己制御して、もっとも効率的な形状を作り出す。眺めていると、何も神経だけが心を作るわけではないことがわかる。つまり粘菌においては振動モードが脳神経ネットワークの興奮パターンに相当しているのではないだろうか?動物である以上身体各部を統一的に運動させなくては生きていけない。つまり行動には必然的にリズム(同期)が伴う。この同期のメカニズムを担うものこそ、心 と呼ばれているものなのではないだろうか?それはどんなメカニズムでも構わないが、動物は進化の過程で、それを特殊な細胞群に任せただけなのである。もともとどんな細胞もその機能を持っている。    下等動物との比較、高等動物との比較がこれに続くが、特に目新しいものはない。

    4人の物理屋の話が次に来る。実体から離れて、脳の機能的側面を記述する相似した物理系ないしは数理的システムを提案している。

    松本修文:アウェアネスの説明としての、神経活動の同期現象を強調。ウサギの臭球や臭皮質での脳波に同期が見られ、その空間パターンが匂いに依存する。ネコの視覚野では線分の傾きを検出するときに同じような同期が見られる。これらの同期現象がアウェアネスと1:1の関係なのかどうか?

     津田一郎:決定論的発展方程式(力学系)、要するに微分方程式(差分でもよい)の一群にカオスが見られる。19世紀終りにポアンカレによって最初の例が見つかったが、本格的に研究が始まったのは1960年台からである。初期条件のわずかな相違がその後の軌道の大きな差異となり、全体の様相から、不動点、リミットサイクル、トーラス、ストレンジアトラクター、があり、次元が高くなると、低次元アトラクターが軌道で結ばれた、遍歴アトラクターが存在する。このようなカオス的遍歴として脳神経系を記述することができる。わずかな刺激によって、軌道を変えるということで、情報保持、学習、パターン認識、探索、記憶、が可能となる。これに加えて、論理がどう生まれるか?津田氏は、論理は脳だけでは生まれなくて、脳が身体を通じて外界に向かって行為するとき、その行為によって表現される、という。Tsuda,I  and Tadaki,K: A logic-based dynamical theory for a genesisi of biological threshold, BioSystems, 42, 45- (1997)。要するに抽象化された脳の機能に対応する力学系が存在する、ということである。それがどうした、という感じがしないでもないが。

    郡司ペギオ幸夫:デカルトの認識論はよく知られているが、デカルトはそれを方法論として使ったに過ぎない。自己について考える自己という無限循環に対して、それにも関わらず存在する私、というとき、それは言葉では表せない自己が発見されたことになる。そのような逆説的な自己の定義。。。対象と観測者の分離はデカルトにあっては便宜的なものであった。うーん、、彼のいうことは良くわからない。。。

    保江邦夫:素粒子論の梅沢博臣という人が1993年に量子脳力学を提唱した。場の量子論を脳の電気双極子場に適用した。まあこれもそういう風にも見えるという程度の理論なのではないだろうか?

    残りは、人工知能、ニューラルネット、ロボット、Virtual Reality といった工学的なアプローチが紹介されている。
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