2007.01.14: William Benzon の「音楽する脳」(角川書店)--Bethoven's Anvil-- を読み終えた。前から気になっていたが、図書館にもなく一ヶ月ほど前に買っておいたものである。

    ベンゾン自身がジャズの演奏家でもあり認知心理学者でもあるのでやや体験的な記述が目立つ。内容的には音楽の心理学的分析であるが、専門的な解析ではなく、進化論や発達心理学、民族学的な考察になっている。かといって系統的で論理的なまとまりは無く、多くの著書が引用されていて、まあ言ってみれば音楽の意味づけについての考察のコラージュ的な集成になっている。最初に私が途中で気付いたことを書いておくと、以下の考察は生まれつき音が聞こえない人についても殆どが成り立つことである。これはある意味では驚くべきことかもしれないが、音がなくても音楽は成り立つのである。リズムと抑揚と調和、という風に考えてみれば、リズムは脳内の生成機能と身体運動一般であり、抑揚と調和は音の世界だけではない。ただし、社会的関係は必須である。

    音楽というのは人間の社会的な側面に直接結びついていて、これを脳の視点から見ると神経系同士の相互作用ということになる。したがって基本になるのは、物理的には個別に存在しているように見える脳神経系が他人という同族神経系と如何にして相互作用するか、ということになる。重要な側面は「同時性」ということで、感覚機能と運動機能によって別々の神経系同士が振動子の引き込み現象のように同期する、ということである。これこそが音楽の本質なのである。こういうことはヒト以外の類人猿では見られない。勿論鳥だって囀ることは出来るし、音楽に影響される。しかし、同期したり掛け合いをしたりして集団的な忘我状態に至ることはない。(鳥については結構相当する事例が知られているのではないかと思うが。。)ヒトが大きな社会集団を形成する上で極めて重要な意味を持っていたと考えられる。

    ヒトの脳は最深部に爬虫類の脳、その上に古哺乳類の脳、最表層に新哺乳類の脳という風に3つあり、基本的には下部の脳が上部の脳を支配している。また身体に対しては求心的、遠心的に繋がっていて、それを通して外部世界全体と繋がっている。外部環境にある他人についてはそれを自分の身体との相同性として認識している。産まれたときからヒトは他人に対して同期した行動を示す。それを支配する脳は爬虫類脳にある網様体と言われている。感覚器からのリズミカルな入力に対して筋肉にリズミカルな出力を送り出すということである。ウィリアム・キルマーとウォレン・マカラックによれば、網様体によって脊椎動物は自らの身体を15種の内の1つの行動様式に纏め上げる。戦うとか、眠るとか、逃げるとか、交尾するとか、、、これらはお互いに排他的である。どれを選ぶかが網様体によって支配されている。それらの基本的な行動形態の種類の中で具体的に何をするかを決めるのは大脳辺縁系である。体内、体外からくる感覚情報を取りまとめて、予想される刺激や望まれる刺激を捕らえやすくする、ということである。結果は予想とは違うかもしれない。このような予測ゲームこそ音楽体験に必須な要素である。

    スティーヴン・ボージェスは脊椎動物の体内状態制御機構を発生的に3段階として捕らえている。第1は副交感神経であり、これは心拍数を抑制し、消費エネルギーを最小化する。(水に潜ったり、死を装ったりもする。)第2は交感神経であり、闘争や逃避のためのエネルギー消費活動の態勢を整える。これは特に陸上動物で必要になる。第3が哺乳類で使われる機構で、顔の表情調節である。社会的相互作用をスムースにする役割を果たす。自らの体内状態を他人に伝えることが出来るのである。体内環境だけでなく関節の体感と運動感覚も入力として、顔の表情に反映させる。また、顔の表情は感情にフィードバックされることは良く知られている。自分が微笑むことで嬉しさという感情が沸くのである。これらは音楽的活動の生理学的基盤である。ニルス・ウォリンは「生物音楽学」で「音楽の音の流れと、その神経生理学的基盤のあいだには、形態力学的な同型性がある。」という。アニルッダ・D・パテルとエヴァン・バラバンは大脳皮質の信号を系統的に測定し、「ヒトの大脳皮質活動の経時的パターンは連続音の構造を反映する」という論文を書いた。音楽的な連続音に対して大脳の活動は明確な対応を示す。この大脳活動パターンの共有化、引き込み現象こそ音楽的経験そのものである。しかし、この引き込み現象は最初からあるものではなく、文化的環境によってある好みのパターンに収束していくものである。赤ん坊は生まれつきさまざまなヒトの声音を聞き分けるが、次第に母国語で見られる声音以外には鈍感になる。ヒトの集団には好まれて生き残る音のパターンが数多くあり、それはリチャード・ドーキンスの定義によれば、「ミーム」の一種である。いずれにしても、音楽のアンサンブルを体験している人たちの脳の状態はある種の共通したパターンに同期していて、状態空間で言えば空間の次元が縮小している。非線形数学でいうところのアトラクターに相当している。

    マンフレッド・クラインズは簡単な「表現装置」(セントグラフという器具で被験者はパッドを押え付けることで表現する。)を使って、被験者に感情を言葉で想起してもらった。その結果パッドを押え付けるパターンはさまざまな社会的環境の人同士で驚くほど共通していた。酸素消費量、呼吸数、心拍数などのパターンも同様であった。単に想起するだけで同じパターンが出力されるということは、感情が身体運動と密接に結びついた現象であることを表している。音楽の演奏についても同様な感情表現が生じるし、それは聴く人に伝わることになる。

    音楽には同時に2つの流れが加わっている。1つの流れは反復する階層的な拍子「グルーヴ」で、リズム・パターンはヒトとヒトをリズムに引き込む上で基本的な役割を果たし、脳にある中央パターン発生器(CPG)が、その生理的基盤であるとはいえ、文化的な相違がある。身体の動かし方の相違といってもよい。しかし、グルーヴだけでは演奏前には異なる履歴をもっている脳同士が長い時間を共有し、「感情」を共有するには足りない。歴史を共有するためには状態の連続だけではなく記憶が必要なのである。過去のリズムパターンと現在のリズムパターンの間に相互作用を起こさせる仕組み、進化と選択の過程こそ、記憶の意義である。感情の上で重要な音楽の「ストーリー」を作り出す仕組みが必要である。展開するもの「ジェスチャー」はどのようにして産まれるのか。動物は目印とにおいの痕跡を使って行く先を決めるが、そのナビゲーション能力の核心には推測航法がある。哺乳類のナビゲーションを調節しているのは海馬であることが判って来た。ジョン・オキーフとリン・ネイデルの「認識地図としての海馬」(1978)、デイヴィッド・レディッシュの「認識地図を超えて−位置細胞から短期的記憶まで」である。ラットの海馬の研究によって海馬にはラットの位置に反応して興奮する細胞が並んでいることが判った。ヒトについては良く知られているように、海馬の破壊によって短期的記憶が出来なくなる。海馬には(1)体内座標系をリセットする、(2)最近移動した道筋を睡眠状態のあいだに再現する、という二重の働きがある。(1)によって、動物は動物の体内にある認識地図と外界とを外界の手がかりを用いて結びつける。音楽の形式の持つ意味合いもまたこの作用と結びついている。たとえば曲がAABA形式であれば、自分が今この形式の何処に居るのか、ということで意識がリセットされる。そのことでつぎに来るべきものが予想され、期待が生じる。つまり、歩行の周期程度の中央パターン発生器という生理学的な基盤を超えて、音楽の外部形式と海馬の記憶作用を駆使することで、より長時間に亘る時間の共有が可能となっている。そこで展開される変化こそ「ストーリー」であり、そのための印が「ジェスチャー」である。(2)は音楽における忘我の境地を齎す。

    ヴィゴツキーの「思考と言語」の考え方は、子供の行動と知覚を周囲の大人が言語を通して指示するから、子供は自分の行動を指示する為に言語を使うようになる、ということである。私たちが内省し、自らの方向性を決定付ける能力はこの「内的言語」に依存している。神経的自我も左半球の言語脳に依存しているから、右半球麻痺の患者はしばしばそれを自覚しない。音楽における忘我の境地というのは、この内的言語が音楽するには何の役割も果たさなくなったということであって、感情的な抑揚を支配する右半球が訓練されて自動化してしまった演奏運動を次々と組み合わせて紡ぎだしている状態である。アラン・ホブソンの「意識」では、3つの要素を考えている。活動、入出力ゲート、調節、である。活動というのは一般的なレベルの脳の活動で、目覚めているときは活動レベルが高い。入出力ゲートは脳が外界に注目しているかどうか、である。夢を見ているときには活動レベルは高いが入出力ゲートは閉じている。調節については主として2つの神経化学作用に注目している。1つはアミノ作用で、セロトニンとノルエピフェニリンであり、学習と記憶に重要である。コリン作用はアセチルコリンで、行動作用、視覚、感情作用が活性化される。覚醒時にはどちらも高いし熟睡時にはどちらも低い。しかし夢を見ているときにはアミノ作用が低くてコリン作用が高い。つまり脳は運動指令を盛んに出しているのであるが、途中でブロックされているので、身体運動は殆ど起きない。また夢は殆ど記憶されない。もともと動物は(魚や爬虫類は)夢と同じような意識状態で感情を呼び起こして行動を起こしていたが、脳のより高度は領域(哺乳類脳)が発達して記憶と学習による行動がなされるようになると、置き去りにされてしまった、と考えられる。哺乳類にいたって、動物が夢を見るようになるのはそのためである。夢を見ているときには爬虫類脳がいわば哺乳類脳を探検しているのである。音楽を演奏している状態は入出力ゲートが開いたまま夢を見ているような状態である。一番近い脳の状態としては子供の遊びである。こうして音楽は共同社会の遊びの、共同社会の夢の手段である。そこでは個人間の相互作用が調節され、身体こそ別々であるが、意識の流れが共有されている(縮退している)。

    人類に繋がる系統が大型類人猿と分かれたのは800万年前である。直立歩行がその特徴である。その後アフリカ東部の乾燥という危機を乗り越える中で、200万年前には脳が大きくなり、石器を使い、食糧の分配や一夫一婦制を確立することによって生き残った。ヴァレリウス・ガイストとジョン・M・オールマンはその後の重要な適応は動物の鳴き声を真似ることであったという。威嚇であったり、おびき寄せであったり、ともかく現在でも狩人の技能として必要なものである。鳴き声だけでなく行動や動作も真似たであろうし、それは儀式や踊りに発展したはずである。マーリン・ドナルド「近代精神の起源」での「模倣の技、すなわちミメーシスは、意図的ではあるが言葉を伴わずに何かを再現する動きを、自分から意識的に始める能力にかかっている。」に相当する。こうして、舌をコントロールする神経(舌下神経)は太くなり、化石の痕を辿るならば舌下管は1.8倍になった。自由度を増した発声能力にリズムの自在な制御能力が加わることで音楽が生まれる。身体的運動に伴うリズムを身体運動から独立させて発声の方に転移させるには、おそらく腕や手や指などを使う動作が重要な媒介になったであろう。集団としての何かの出来事があったときに大勢が集まり、自然発生的に踊りと共に音楽が始まったと考えられる。何度も繰り返し同様な状況が起こり、そこでの踊り=音楽のパターンが整理され、記憶されていって、いつの間にか特に出来事が無くても楽しみのために意図的に踊り=音楽が催されるようになる。このようにして集団における神経状態の共有化によってヒト固有の心というものが生まれたと考えられる。これは、アロンドラ・ウーブレが「本能と啓示」で提唱している仮説である。

    言語が生まれるプロセスはいずれにしても想像でしかない。石で道具を作っているときにたとえば武器として標的となる動物を思い浮かべるのは自然な成り行きである。練習用に標的を使った場合には、標的に動物を思い浮かべるのも自然である。儀式で使われる道具類ももともとが動物の代替であった。しかし、これらの物はその場にない限り想像の契機とはならない。自由度を増した声はその場に何も無くても使うことが出来る点で特権的であった。さまざまな事物や行動に声を対応させるには、鳴き声のようなアイコンでは足りないことは自明であるが、その辺りは本題ではないので、ベンゾン氏は触れていない。動物と鳴き声の真似(アイコンであり、汎用されてくればインデックス)という結びつきから意識をインデックスの集合体の方に向けて、インデックス同士の空間の中で組み合わせや変調を試みることによってさまざまな発声と事物との関係が集団の中で固定されていく一方で、インデックス同士の関係に法則性が適用されるようになる。すなわちインデックスがシンボルになる。この段階で単語とそれが指し示す事物との間には直接の類似性が失われている。あるのは単語同士の関係性と対応する事物同士の関係性の相関だけであり、その相関というのは物理的に客観的な相関ではなくて、その集団にとっての事物の意義=意味である。このような鳴き声の真似から言語への進化は子供たちによって定着する。大人はインデックスの世界に閉じこもっていても、発声を聞く子供にとってはそもそも対応する事物がないわけだからそれはシンボルとして記憶されるしかないのである。子供のお話好きはその辺りに由来している。いずれにしても、この辺りで音楽から言語が分化したと考えられる。

    鳴き声の真似から発展したヒト独自の呼び声の特徴は、そのメロディーラインにある。最初に急速に高くなってゆっくりと下がるという音程の動きかたである。これは強い感情を想起させる。一方で言葉の成立によって音楽の側に齎されたメロディーは平板であり、ほぼ固定した音程の周りをせいぜい1つか2つの音程が動くだけである。現在では宗教的な典礼音楽によく見られるメロディーである。初期の音楽にはこれらのメロディーパターンがいろいろと混在していることが特徴である。

    ヒトの集団は最初は狩猟採集に適した数十名のバンドであった。成員は同じ意識を持ち、基本的に平等な立場であった。音楽としては、まず子守唄が挙げられる。赤ん坊がまとまった時間に睡眠を取れるようにするということは親にとっても重要なことであり、そのための手段として子守唄は有効である。子供自身にとっても子守唄の中で眠りに落ちるということは親の行動を内面化して自我構造の基礎を築くことになる。子供の歌には数え歌、作業のときの歌、遊びにつける歌、など物語が付いているが、これにはあまり意味がない。昔から言葉が残っているだけで意味を知らずに伝承している。大人たちの音楽として重要なのは儀式である。そこで音楽の果たす役割は大きい。集団の意識をそれぞれの儀式に適したあるきまった状態に収束させる。儀式には、より大きな集団において異なる小集団同士の関係を円滑に保つための役割(政治的な役割)や治療的な役割(祈祷)など、がある。基本的には自我に閉じ込められた日常的な存在が共通意識の世界、あるいは部族の霊の世界へと踏み出す契機として音楽が必須となるのである。社会がより複雑になると、王や聖職者が富と権力を離さないようになり、政治に専念し、音楽を担当する専門家、吟遊詩人が現れる。歌い手と聴衆の分離はこの社会構造を反映している。

    古代ギリシャ、ホメロスの時代はヒトは内なる声に耳を傾け、聞こえた声に従って行動しただけであって、自らの意識状態を言語的に表現したりはしなかった。「イリアス」や「オデュッセイア」には神からの啓示にしたがった行動が描かれており、個人の意識は表れない。最初はいろいろな身体状態を記述する言葉が現れる。たとえば、thumos は周囲の危機に反応して起こる大きな体内感覚を表す。やがてその感覚を表す言葉が活力そのものを表すようになり、戦場の兵士に力を与えるものを表すようになる。これはさらに精力のような精神的要素や精神的行為を表すようになる。こうしてギリシャ人は精神を客観的に表現する言葉を作った。ソフォクレスの「オイディプス王」は観念の領域で進んでいく物語、精神的な出来事、知るまたは拒絶する行為についての物語である。演劇の中で人々は社会的相互作用や社会制度全体を客観的に眺めることが出来る。言語の進化はこれ以上追求しない。

    音楽における進化は使われるチャンネル数で整理することが出来る。ランク1の音楽はリズムが主体であって、凝ったリズムへと進んでいく。小集団から部族段階の無文字社会に見られる形態である。古代文明では社会階級や労働の分化があり、音楽のレパートリーも分化して、エリートの求める高尚な音楽文化が必要となった。このような社会では儀式や仕事とは別の場面、たとえば宮廷で専門家が音楽を演奏するようになる。リズムを主体として音の上下による感情表現を乗せていくだけでなく、音程関係が音階として整備され、それに従ったメロディーが意識の中心に登る。インドの古典音楽はその典型であり、リズムは「ターラ」で、メロディーは「ラーガ」で整えられる。それぞれ専門の打楽器奏者と旋律楽器奏者が規則に従って即興的な掛け合いを行う。ランク3の段階にはヨーロッパのルネッサンス期で達した。異なるメロディーの同時発声(多声音楽)から発声する和声が意識されるようになった。ツァルリーノの「音楽論」がその始まりであるが、まだメロディーが主たる関心であった。ラモーの和声論(1722年)に至って和声が中心となりメロディーが和声に従うものとして位置づけられた。そこで必要になったのは音階の変化、すなわち転調である。転調の自在さは平均律で整備され、西洋音楽の基盤が出来上がった。

    文字を使う大規模な社会の成員の心には、それまでの小集団中における心の中の他者の意識とは異なる構造が必要である。それは自分の属する小さな社会での他者とは異なった他者に対応する必要から生じる。いわば自分の小集団が必ずしも一般的なヒトではない、ということの自覚である。一般化された他者はより広い許容範囲に広がるか分裂しよく知っている人と赤の他人との区別が生じる。それとともに、大規模な社会の首長に対する特別な扱いが必要となる。文字文化を担うのは大規模社会の中でのエリートである。彼らの心では見知らぬ人との文字を通した会話が可能となるような変化が生じている。自分の言葉がどう受け取られているかについて習慣的な手がかりもなしに言葉を生み出していかねばならない。つまり、読んだり書いたりするときに想像上の他者を必要としている。このような心の構造的進化がランク2の音楽の基盤になっている。文字を持った社会において人々は「形式」というものを意識せざるをえない。それまでは自分たちの形式が当然のものであったから意識することはなかったが、さまざまな階層や地方の人たちは自分たちとは違う生活スタイルを持っており、あの人たちとは違う、という意識が「形式」へと抽象化されていく。音楽においてもそれは反映されている。

    西洋音楽の始まりはグレゴリオ聖歌として纏められた単旋律聖歌である。起源はユダヤ経の礼拝で使われていたものである。ほとんどリズムや拍をもたないから肉体のない精神を思わせる。ヨーロッパ全体は部族の集まりであるが、キリスト教会の支配地域では独自の地域音楽とは別に単旋律聖歌が歌われたのである。楽譜もまたグレゴリオ聖歌の記述から始まっている。その後、平行して進む多声音楽やさまざまな地域の踊りの形式をその中に同化していった。バッハがそれらを集大成し、多声音楽としての西洋音楽の基盤を築いた。モーツァルト、ベートーベンと進むにつれて作曲家はそれまでの教会や宮廷を出て市民社会の中に地歩を占め、19世紀はロマン主義の全盛であったが、19世紀末に至って、ヨーロッパの伝統以外に目が向かう。種々の民族音楽が取り込まれていく。その後の発展で目に付くものは西アフリカ音楽との交雑である。黒人奴隷制度のために新大陸に連行された黒人たちの音楽は肉体を失っていた西洋音楽に原始的なエネルギーを与えた。西洋音楽とカントリー音楽にアフリカ音楽が融合することで、ブルース、ゴスペル、ラテン、ジャズ、ロックが次々と生まれた。スイングが白人の音楽になったときに黒人はビバップでジャズを復権させたが、そのジャズも白人のインテリの音楽になると、リズムエンドブルースとカントリーを結びつけてロックが生まれた。しかし、ロックも白人の音楽になってしまうと、ヒップホップが生まれた。ヒップホップ(ラップ)はこれまでのどの音楽形式に比べても過激にアフリカ的であるように思われる。これほど白人文化に対してあからさまに攻撃的な音楽はなかった。メロディーやハーモニーは拒否され(私見では拒否の形で意識されていると思うが)、きっちりしたリズムに乗って語りとアクロバット的な身体運動がある。西洋音楽の枠をこれほど踏み外した形式が現れてきたということは現代の文明の状況を反映していると思われる。今日の先進国の音楽はもはや地域的にまとまった社会集団では整理できない。19世紀まで人々は実際に演奏される音楽しかなかった。音楽は生活の一部であって、誰もが演奏に参加できた。中流家庭にはピアノがあり、誰かが弾いた。このような環境で西洋音楽が発展した。19世紀末から20世紀前半にかけては労働者階級の間でブラスバンドが大流行した。ジャズを生んだ背景にはこのような管楽器の普及があった。しかし、再生音楽の普及と共に人々は個人のレベルで音楽を「聴く」ようになって、「演奏」する人の比率はむしろ減少していることに注目すべきであろう。言葉とリズムが優位で攻撃的なヒップホップの流行はそれと無縁ではない。
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