もう18年も前に、素人の弦楽四重奏団の第2バイオリンを弾いていた井上和雄という人が、「モーツァルト−心の軌跡」「ハイドン−ロマンの軌跡」「ベートーヴェン−闘いの軌跡」という3部作を音楽の友社から出していて、モーツァルトとハイドンは読んだものの、ベートーヴェンはついでに買ったまま置いてあった。読んでみるとなかなか面白い。ベートーヴェンの弦楽四重奏は初期の作品18くらいしか素人の手に負えないので、今回は演奏論よりは鑑賞論になっている。

    この人と同じく僕もベートーヴェンにはどうも溶け込めない部分を感じていて、今まではあまり聴いていない。無骨で粗野でしばしばしつこいくらいに偏執的なものがある。それでも、音楽にあまり触れていない人をも一気に引き込んでしまうだけの力を持っている。最初に触れたのは中学生の頃で、長兄が当時買ったステレオ装置(FM放送がまだないころで、左右がNHKの第1放送、第2放送と出来るようにチューナーが2つ付いていた)でメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲とベートーヴェンの9番交響曲を聴いて直ぐに惹きこまれた。その次は高校で音楽鑑賞会が時々あって、しばしばベートーヴェンの交響曲がかかっていたので、暗闇の中で感情が翻弄されるような感じを受けたものである。

    京都で一浪して大学に入った頃にはFM放送もあり、カセットテープレコーダーもあったので、いろいろな音楽に触れることができたが、ビートルズを始めとしたポップスが中心であった。その中で時折ショパンを聴いて感動することもあった。大学院に進む頃には友人がステレオ装置を買って、バッハのブランデンブルグ協奏曲などを聴いていて何か胸に迫るものを感じたりしていたが、ジャズ喫茶に連れて行かれて、ミンガスの演奏を聴いたときにはとても驚いた。今思うとベートーヴェンの交響曲を聴いたときと似ていて、数人の外国人が大声で喋ったり怒鳴ったり歌ったりしているところに連れてこられたような気分であった。それでいて感情が惹き込まれて行く。ジャズ喫茶に通う内に、何とか僕にも整理できそうな感じがして Bud Powell に注目し始めた。その様式感が安心できたのである。しかし、Bud Powell を次々と聴きこんで行くにつれて、とても様式感だけでは済まなくなって、その切迫性に惹きつけられるようになっていった。ピアノしか救いが無い、という感じである。こうしてジャズにはのめり込んで行くのであるが、このころ始めたフルートに導かれて、次第にバッハが主要な音楽となっていく。ロマン派の中ではシューマンくらいであろうか?それと確かにモーツァルトはいつも素晴らしい。

    さて、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聴いたのは青春真っ只中の友人達に誘われてのことである。初期の新鮮な感じから晩年の入り組んで難解なものまで一通り聴いてそれなりに翻弄され、惹かれるものもあったが、やはりこれはしつこいのである。今回この本を読みながら初期から中期までTakac弦楽四重奏団の録音で聴いてみたが、もはや嫌悪感はあまり無いし、退屈でもない。確かにジャズを聴くような感じもある。これは確かに感情、それも多くは激情の音楽である。嘲笑のような感じもある。こんな音楽はバッハもモーツァルトも書かなかった。この本にも書いてあったが、ベートーヴェンはそれまで負の感情として音楽には相応しくないと思われていた怒りや激情を音楽の中に持ち込んだのである。そしてそれはベートーヴェンの音楽的才能と結びついて大きな成功を収めた。当時の青年達の社会への反抗心を捉えた。言ってみれば、ローリング・ストーンズやジャニス・ジョップリンみたいなヒーローになったのである。

    しかし、そういう音楽史的な飛躍の原動力はベートーヴェンの生い立ちに由来する(だけではない、性格だと僕は思うが、この本ではそういうことになっている)社会に対する限りない反抗心である。彼はおよそ他人を人間として認めていなかった、現実を受け入れようとしなかった。そういう人格的欠陥に由来する社会との衝突と苦悩をひたすら音楽の形で表現せざるを得なかった。晩年には殆ど人格的統一性すら失っていて、それが支離滅裂な音楽の構成(しかし、個々の部分は天才的に美しい)となって現れている。彼が最後に希望を持っていたのはその母から無理やり引き離して手に入れた甥であった。しかし、甥があまりにも独占的な干渉に耐えかねて自殺を図り、逃げ出した時点で、彼の寿命も文字通り尽きたのである。これほど悲惨な生涯があるだろうか?しかし、彼の音楽は一人歩きして、彼の切り開いた感情の開放はシューマン、メンデルスゾーン、ブラームス、、、、というロマン派の音楽家によって最大限に活用され、発展させられるのである。ドイツ音楽の最盛期である。よく考えてみれば、始まりの一歩はバッハにあった。バッハは教会の為に作曲し続けたわけであるが、その中で個人的な深い感情を音楽の中に持ち込んでいて、それが音楽の芯になっている。音楽の論理的な展開や言語性もバッハに由来する。この流れはワーグナーの壮大な試みまで到って、最終的にはフランス音楽の旗手、ドビュッシーによって全否定されるのである。ともあれ、やはりベートーヴェン晩年の弦楽四重奏曲も聴いてみようと思う。

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