190206
Karen Barad "Meeting the Universe Halfway" の第7章は、彼女の専門分野で、量子力学の観測問題に対する最近の実験的検証とその彼女なりの解釈の話である。長い章の内、最初の<問題の概観>の節まで読んだ。

・・・観測されていない間での系の振る舞いを記述するのが量子力学で、観測された時には、測定装置によって決まる力学量の固有状態のどれかに落ち着く。つまり波動関数は確率的にどれかの固有関数に『収縮』する。この何とも恣意的に見える変化を量子力学の方程式は説明しない。それは物理的変化なのか?そもそも測定だって物理過程だとするとやはり量子力学に従う筈ではないか?測定プロセス自身を説明する理論は無いのか?といのが主題である。しかし、そんなに不思議な事だろうか?具体的な例を考えてみよう。粒子が進行方向には波束として、それと垂直方向には位相を揃えた状態として進行しているとする。これは進行方向と直交する平面内において波動関数が無限に拡がっていて、運動量は固有状態でその値が 0 である。進行方向に対しては、位置に関しても運動量に対しても狭い範囲に収まった重ね合わせ(波束)の状態である。これを小さな孔を開けた壁に衝突吸収させる。これは、粒子の位置がその孔にあるかどうか、という測定と見なせる。粒子を1個だけこうやって実験すると、殆どの場合、孔には入らなくて壁に吸収されるが、孔に入るとそこで粒子の壁面内での位置が孔の大きさの程度にまで決まり(位置の固有状態となり)その分だけ運動量が不確定となるから、粒子の波動関数は孔の大きさの程度に反比例した角度で広がる半球面波となる。測定における突然の変化というのはこういうことではないのだろうか?だから、『測定装置といのは波動関数を測定物理量の多くの固有状態を(多くは近似的に)区別するような物理的な境界条件の事である』と考えれば良いのではないだろうか。ただし、その特定の固有状態になるかどうかは確率的にしか決まらないで、その確率だけは方程式で計算できる。こういう場合には深刻なことは何もない。

・・・けれども、固有状態にたまたまなったとしたならば、その情報は遡る。もしもその粒子との位相関係を保持した別の粒子があったならば、たとえば、粒子と正反対の運動量を持って同じ位相で逆方向に飛んでいく粒子があったならば(多分素粒子の世界ではよくある)、その別の粒子の状態も決まるのである。勿論実験的には位相関係を保持し続けるというのは極めて難しいことである。この後者の状況が実際に起きる、ということが最近の十数年(?)で実証された、ということらしい。その結果、この量子情報関連の研究開発には、米国で年数百万ドルの国家予算がつぎ込まれている。

・・・この節の最後に、測定における波動関数の『収縮』をどう受け取れば良いのか、について、多くの考え方が列挙されている。僕は不勉強でよく知らなかった。その後に引用されている Evelyn Fox Keller の話は興味深い。『物理学者達が彼らの理論に相応しい認知パラダイムを作ることに失敗している事』を、古典物理学の基本教義から抜け出すことへの躊躇(ちゅうちょ)に帰している: 基本教義とは自然の客観性と可知性である。彼女は提案する。『その替りに必要なものは、一方では、知る者と知られる物の不可避の相互作用を承認し、他方では、理論と現象との間の、同じくらい不可避の乖離(かいり)を尊重するようなパラダイムである』このような新しいパラダイムを提示するのが、Karen Barad の目的だろう。

・・・『測定装置というのは波動関数を測定物理量の多くの固有状態を(多くは近似的に)区別するような物理的な境界条件の事である』という僕の言明については、補足しなくてはならないだろう。つまり、測定装置というのは人為的なものだけを意味するものではない、ということが一つ。測定装置の働く詳細はやはり量子力学で記述される、ということがもう一つである。現象を理論で記述しようとするとき、全ての要素を計算してしまうことは出来ないから、全体の中では機能部品としてモデル化してしまう必要があり、測定装置という概念はそういうものである。粒子が壁の中の孔を通り抜けたかどうかを人間が確認する(たとえばその先にまた感光板を置いてそれが痕跡を残したかどうかを確認する)ということは、測定が行われたかどうか、ということとは関係が無い。粒子を発射して時間が経過すれば自動的に測定は行われているのであるから、波動関数は壁に吸収されて痕跡を残し、熱を発生させているかもしれないし、孔を通り抜けているかもしれない。これが判らないというのは、不確定ではあっても非決定ではない。人間が知らないだけである。巨視的な系の中では、我々が知ることのない『測定』が無数になされていて、多くの場合、その結果は巨視的な物理量に対して統計的な影響(発熱とか、、、)を与えることになるが、そのミクロな『測定』結果を直接検出する手段も開発されているし、検出した粒子が再び『測定』にさらされないようすることで、固有状態を保持し、巨視的量子効果を演出する技術も開発されている。まあ、普通はその後者の直接検出の方を『測定』と呼んでいるというだけの話である。つまり、量子力学の測定問題(観測問題)というのは、このミクロな殆ど我々では制御できない測定を人間の意図でなされる人為的な装置による測定と思い込んでしまう事に由来しているのではないだろうか?
 
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