東図書館で借りた鈴木雅明「バッハからのの贈りもの」(春秋社)を返した。以下は抜粋。

       ひょっとしたらバッハは早くから自分の死というものを考えていたのではないでしょうか。いずれ人間は死ぬのだからというような、自分の人生を振り返ってみて、というような思いがあった。死んでからも残す...という、永遠なるものへの志向がバッハにはあった様な気がするんです。ただ、19世紀の作曲家と根本的に異なるのは、自分の作品や名声をのこすというものではなく、もっと抽象的なものだった。結局バッハにとっては、対位法的なエッセンスとか和声や旋律など、音楽にどうしても必要な要素、音楽における原理、つまり美しいものを求める原理は、自分の存在とは別に存在するとバッハは考えていた。自分はこう書けるということではなく、その美しさのエッセンスというのはこういうものだ、物理的にこういう動きだから美しいんだという、いわば森羅万象を司る原理が重要だった。バッハはあのリンゴのニュートンになぞらえて尊敬された。カノンやフーガなどの彼の作品は、彼の技術や能力が「生み出した」ものではなくて、すでに自然界に存在していた「美の原理」を音楽の形にして顕わにしたのだ、ということです。そしてこの「美の原理」はキリスト教的にいえば、神の摂理の中にある。小さな自分が何か感じたとかではなく、もっと大きな価値観の中での営みであった。バッハの音楽がなぜ今日に至るまでこんなに力を持っているかといえば、やはり、そういう普遍性があるからに違いない。バッハの場合音楽は日常であって、彼自身音楽というものを日常と切り離した次元での、たとえば芸術というような概念では捉えていなかった。

       バッハの持っている拍節感というのは、言葉と同じですよ。ドイツ語の単語と同じなんですね。たとえば、ヨハネ受難曲に出てくる「Kreuzige(十字架にかけろ)」というとき、この言葉のどこに重みを置くかというと、「eu」のところなんです。で、「Kr」はいつも音符の前に出ていないといけない。つまり「Kr」が前のめりに出てくるように。器楽の伴奏が「K」のところに合わせてしまうと、言葉を言う暇がなくなってしまうわけです。テキストの明瞭さは、発音の問題というよりも、むしろタイミングの問題です。「ツ」とか「プ」というようなタメというのがドイツのバロック音楽では重要なんです。17世紀前半までのイタリアやフランスのものはそういうタメは少なかった。拍節感というのはそもそもドイツ語から出たというのは乱暴な議論かも知れないけれど、本来ラテン語の音楽というのは拍節を必要としなかったのです。ラテン語というのはなるべくなめらかにというのが身上なのであって、小節線にしても見やすいように棒を引いただけで、いわゆる拍とは関係ないんです。だからドイツ語などゲルマン系のほうが拍が本当に必要だった。これはドイツ語とラテン語の本質的な違いです。ルター派の中で取り組まれた音楽の拍節感と言葉の拍節感との融合、つまり音楽が言葉の中身を表現できるのだという接点が見出されたこと、そのことが結局バッハにまで至る、キリスト教音楽史のひとつ重要な鍵だと思うのです。
       前半は自然科学者が「原理」を求める態度に対応するものであるし、また後半はランパルのバッハがつまらない理由であろう。もう一つの重要な要素は、バッハにおけるバロック的な複雑性への偏執である。これはバッハの探究心によるということになっているが、しいて言えば、これこそバッハの「個性」であるかもしれない。

<一つ前へ><目次>