8月9日(金):
    朝、偶然テレビを付けたらBS歴史館で妖怪をやっていた。その中で平田篤胤が登場して興味を持った。

    妖怪というのは江戸時代末期に幕藩体制を批判する表現として機能していた。仏教も儒教も妖怪を認めない。儒教が機能していれば恨み辛みを抱いて死にきれない幽霊は出てこないし、死者をきちんとした場所にお迎えする仏教の立場からも幽霊は認められない。幽霊や妖怪はむしろ日本の土着的な信仰に由来している。大和政権が仏教を取り入れて国家を統一し、武家政権は儒教を取り入れて社会秩序を保とうとした。そういった政権への反発が土着信仰と結びつくと幽霊や妖怪が生まれてくる。平安時代末期にも鬼としてそれは出現した。江戸時代末期には歌舞伎などで幽霊や妖怪が取り上げられた。

    平田篤胤は本居宣長に私淑したが、本居宣長は幽霊や妖怪を認めなかったらしい。死者は古事記で語られる通りに黄泉の国に行くとされた。平田篤胤はそうではなくて、死者は生きている人たちの身近に居ると信じた。これは古事記をまとめた支配者層ではなく、一般的な庶民の素朴な信仰に沿ったものである。そういう立場に立ってしまえば、これが反体制思想の温床になるのは明らかであろう。平田篤胤は江戸幕府によって追放されてしまうが、彼の何百人という弟子たちは地方の農村に散って行ってその思想を広める。これが結局は明治維新を支える庶民の気分につながる。維新後平田神道は興隆するが、やがて政権の正統的な神道から外されてしまう。

8月14日(水):
    市立図書館で借りてきた「よみがえるカリスマ平田篤胤」(論創社)を読んだ。この間BS歴史館に出演していた荒俣宏と米田(まいた)勝安の対談形式である。荒俣氏は妖怪研究家である。米田氏は平田篤胤の子孫で、平田神道6代目である。篤胤が妖怪を研究していたというので、荒俣氏が資料を求めて訪ねたということである。篤胤という人は江戸末期秋田に生まれて、江戸に出てきて学問に励んで本居宣長の主たる継承者、国学の大家として認められている。国学というのは、仏教や儒教という輸入思想に対して、大和政権以前からの日本にあった思想(古事記に代表される)を言う。

    前半は篤胤の伝記みたいなもので、その足跡が辿られる。青年の大志を抱き、秋田から江戸まで苦難の旅をして、江戸でもさまざまな職に就きながら勉学に励んで、備中松山の板倉氏に見いだされて平田家に養子として迎えられる。相思相愛の妻・織瀬がなかなかの女性だったようで、「古事記伝」も彼女が薦めたということである。学者としての最初の仕事「呵妄書」は当時学者の間で一般的だった考え、つまり、日本民族は元来野蛮蒙昧であって日本文化のすべては中国に由来する、という考えを著した太宰春台の「弁道書」への反駁であった。キリスト教についても研究して著述している。神道、仏教、儒教、道教、キリスト教全てを研究し知り尽くした学者になった。それだけではなく、蘭学と医学、易や暦、天文学、地理学を極めた。彼は地動説を最初に認めた人でもある。科学で知りえない限界も自覚していて、西洋ではそこからさきを「神」に委ねて知的探求を放棄している、と言っている。

    しかし、彼のとった方法論は人間の歴史的由来それ自身を研究することで、西洋が神に委ねた領域をも学問の対象にしようというものであった。つまり民俗文化研究である。文化発祥の原点において社会的合意形成された文化を明らかにし、それは科学ではないけれとも科学に準ずるものとして仮説を構築しよう、という考えである。妻・織瀬の死(「霊能真柱」で著述)や次男半兵衛の死がそれに大きな影響を与えている。死後の世界や妖怪の研究に向かう訳である。ただ、それは単に語るということではなくて、極めて実証主義的なやりかたを徹底している。伝承を集めるのであるが、その伝承者の健康状態を調べたり、何年にも亘って記録を取り矛盾の無いことを確認したりしている。天狗と暮らしていたという寅吉の研究では霊界で見たという舞の所作が逐一記録してある。広島県の三次での妖怪退治の話「稲生物怪集」も有名である。彼の妖怪研究(「古今妖魅考」)は現代の学問から見ればすぐれた精神病理学ともいえる。精神錯乱や分裂症の解放治療を提唱した呉秀三も注目していた。呉氏は夢野久作「ドグラマグラ」のモデルの一人でもある。篤胤はその思想の大衆への普及にも優れていて、民間に多くの弟子をもっていた。当時の神道、白川神道や吉田神道でも招かれて指導している。そういうことで、幕末においてはついに危険思想家として秋田に追放処分になった。具体的には、当時古くから使われてきた暦がずれてきて使い物にならなくなってきたのに対して西洋のグレゴリウス暦に基づいた「天朝無窮暦」を出版したことを咎められたのである。篤胤は政治的には何もしていないが、日本の文化発祥の原点に立ち返って民衆を教導していたことが江戸幕府にとっては脅威と感じられたのである。

    後半は篤胤の思想とその影響が説明されている。篤胤の学問は結局のところ徳川政権を支えていた思想基盤そのものへの疑念を国学によって顕在化させることで、明治維新への大衆的賛同を引き起こしたといえる。そこには研究態度や方法論だけでなく、篤胤の大衆路線の巧みさも寄与している。そういう次第で平田神道は明治政府によって国家宗教のような扱いを受けることとなった。島崎藤村の「夜明け前」の主人公は平田篤胤の門人の一人である。そこで語られるのは「新しき古」、つまり中世における権力万能の殻を脱ぎ捨てて古代に帰る、自然に帰ること、であった。しかし、主人公の直面したのは「古き古」、国家権力の強化、であった。明治維新に協力した主人公の挫折が小説の主題であり、それは篤胤の平田神道が国家権力に統合されていくことへの絶望であった。イギリス方式(議院内閣制)を提案していた大隈重信がドイツ方式(君主大権を残す)を推進する伊藤博文達の無血クーデター(明治14年の政変)で追放されてから、神道が国教化されて全国各地の神社が整理統合され、大日本帝国憲法で天皇が立憲君主制の下で統治することになり、その統帥権が乱用されるようになる。

    さて、ここから先は専ら米田氏の考えである。「新しき古」とは、古典文化復興と宗教改革である。そういう意味で、篤胤は西洋史におけるルネッサンス・宗教改革期における「万能人」に相当すると言える。篤胤の「西洋蔑視、日本至上主義」は当時の時代背景への反発として強調されたものである。彼自身は西洋の優れた文明を認めていたし、いち早く学んでもいた。次に「敬神」である。人間は正直に誠実に努力すればおおむね良い結果を得るが、どうにもならない不幸や絶体絶命の危機というものもある。そういう時には「神様、助けて」ということになる。それは科学ではないが文化である。そういう意味で学問、芸術、道徳、宗教の意義を認めなくてはならない。次は「崇祖」。そもそも精神文化として現代が古代より優れているとは言えない。日本文化発祥の原点の古代人たちは文化の創造力を持った偉大な人達であったから謙虚に学ばなくてはならない。(日本の縄文遺跡が14,500年前に遡り、7,000年前に中国に伝わった、ということであるが、これは本当か??)。どうにもならない危機においては、その謙虚さが民族の生死をわけることになる。最後に「尊皇」。天皇は権力支配者ではなく、文化−道徳の体現者である。人間社会の権力構造とは一線を画し、天の摂理に基づいて判定する限りなく神に近い存在である。連綿と続いてきた天皇の系列は右翼のいうように国民が守るべきものではない。むしろ国民がそれによって守られるものである。日本においてはそこにただ自然に在るものである。ポツダム宣言の受諾を決めたのは天皇の独断であった。敗北が明らかであるとはいえ、降伏することで民族が生き延びられるとは限らない。そういう例は歴史上枚挙にいとまがない。だから徹底抗戦すべきだという考えが指導部にあった。しかし、玉音放送という手段で直接国民に訴えることで何の混乱もなく敗戦処理が進行した。天皇は太陽の光や空気みたいなもので普段は見えないけれとも、大化の改新、建武の中興、徳川幕府による全国統一、明治維新、太平洋戦争の終結、のような何百年に一回の割合で起きる民族の危機において実体が明らかになる。そこで登場するのが錦の御旗である。つまり、大衆の心の中に天皇という存在が無条件に従うべきものとして生きている、ということである。現代日本の社会・経済状況というのは政治が何をしたところでどうなるものでもない。自然崩壊の運命にある。下手に対策を講じるべきではない。そのうち神が正しい方向を示してくださる。危機が訪れれば天皇がお示しになるであろう。これからの主役は20台の女の子達になるだろう。批判精神、合理精神、反骨精神を持っていて、管理社会体制に馴染まない。権力志向もなく、鋭い文化感覚を持っているように見える。

    とまあ、こんな具合で平田篤胤の偉大さはよくわかったが、米田氏の考え方については何とも言えない。天皇制が現在の日本人の心に染み付いているようには思えない。尤もこれは現在の状況が危機的とは言えないからなのかもしれない。確かに、本当の危機が訪れたとき、自由や民主主義といった西洋風の観念が役に立つとは思えない。個人個人がそれぞれのやむに已まれぬ想いを持って立ち上がることになるが、その過程において、確かに天皇という無色透明な観念が立ち上がるという事態もありうるかもしれない。「文化発祥の原点において社会的合意形成された文化」というのは、吉田民人的には日本人の心の底にあるプログラムということになる。人も物も情報も国境を越えて行き交う現代においてなお、島国日本の根性というのは生きている、という事も忘れてはならないだろう。
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