午後、エリザベト音楽大学のザビエルホールで、中国フルート友の会の公開レッスンがあったので聴いてきた。有田正広である。曲はリコーダーでテレマンのソナタへ短調、フルートソロ(原曲はビオラダガンバ)でスペインのフォリア変奏曲、バッハのイ短調パルティータ。30分前に行ってみたのだが、まだ準備中であった。女の人ばかりでびっくりした。聴衆は60〜70人くらいだろうか。男の人は5〜6人であった。曲の成り立ちや作曲の意図などを丁寧に解説してくれて勉強になった。言われてみるとそういう風に感じてはいたのだが、曲の構成や文献などから説明をされると成程と思い、それを考慮して演奏すると確かに効果がある。曲から感じる事を整理して思い切って表現を工夫してみる、ということが大切な作業なのだと思う。表現上楽器が障害になれば、それを克服する技術を磨けばよいのだ、という言葉にも納得。。。

    最初はテレマンのソナタへ短調である。受講者は若くてとても大人しいがよく練習している。リコーダーでこんな調を吹くのは指使いがとても難しいのに、全くミスがない。丁寧で素直な演奏で僕は始めて聴く曲であったが結構楽しめた。この時代の貴族の家庭ではこんな曲を演奏して楽しんだのだろう、と思わせる。

    有田さんは、まず受講者に、この曲はどんな曲だと思うか、と問う。悲しげな曲で、最後の楽章は舞曲なのでやや活発である、という答えであるが、どうしてそう思うかということには、短調だし、、、という回答である。

    有田さんの解説が始まる。そもそもテレマンという人はこの時代楽譜を出版してかなり儲けた人で、そのやりかたも、雑誌のようにして、いろんな曲を一部の楽章だけ入れておいて、一冊買うと他の曲も試奏して見ざるを得ないし、次の楽章が欲しくてついつい続けて買ってしまう、という巧妙なやり方をとっていた。作曲は職人仕事であり、商売の手段であったから、演奏する人の想定なしにはありえなかった。だから、当時の音楽の語法を考慮しないと、この曲も理解できない。ヘ短調という調性は当時の非等分調律においては暗い絶望的な死を意味していた。バッハもマタイ受難曲でイエスが死刑を宣告される場面で使っている。また原曲はファゴット用であり、4つのキーしかないし、音の跳躍も難しい中でこの曲を演奏してみると、その演奏の困難さや和声的な調和の難しさから、演奏者はとても苦しいのである。そういうところを汲み取らなくてはならない。

    出だしではチェンバロが和音を出してから半拍遅れてリコーダーが始まる。これは所謂、ため息の表現である。死を宣告されたときのため息である。そのあと直ぐにファソララソという上って下がるフレーズが出てくるが、これは回転音形ということで、躊躇の感情を表している。こういうことは当時の人々の間では当たり前のように受け取られていた。半音階で下がるというのも深い悲しみの表現である。長い年月をかけて曲を演奏しているとこういうことは知らなくても何となく曲そのものから伝わってくるものでもあるが、やはり知っていると感情が整理されてきて、適切な演奏スタイルを得やすいのである。音の強弱やアタックやヴィブラートやリズムの微妙な変化などを駆使して同じフレーズでも適切な感情を載せることが可能だし、そうでなければ無味乾燥な演奏になってしまう。古楽ではヴィブラートを控えるというのはとんでもない誤解であって、当時の文献からもむしろ積極的に使われていたことが判る。いろんなやり方があるので駆使すべきである。音の跳躍についても、リコーダーは特に容易な楽器であるが、ファゴットのことを考えるならば苦しげにとまでは行かなくても息を貯める様にして演奏すれば、その感じが出て、曲想が伝わりやすくなる。その他、ドイツ音楽では奇数拍での前打音には充分長さを取る(音価の2/3)とか、3/4拍子とは違って3/8拍子ではあまり速くあっさりと演奏してはいけない、といった約束事がある。allegro、vivace、spirituoso はいずれも速いのであるが、それぞれ、気分的、身体的、知的、という区別がある。約束事はそれ自身が重要なのではない。作曲家がその約束事を前提として作曲していることを知っておいたほうが良い、ということである。それを踏まえて自分の良いと思う演奏を選択すべきなのである。

    2番目はマラン・マレのスペインのラフォリア変奏曲である。受講者はこの曲をコンクールで演奏する予定だという。僕の印象でいうと、随分無理をしてフォルテで吹いているなあ、という感じで、音色も荒れていたし、あまり良いとは思わなかった。ラフォリアの意味を問われて答えられなかったのにもやや驚いた。遠慮したのだろうか?

    ともあれ、狂気ということで、このメロディーはそれ自身が一つの音楽スタイル(リズム)として良く流通していた。リズムはゆったりとしているが、そのアクセントのつけ方が極めて攻撃的、脅迫的である。この特徴をうまく表現しなくてはならない。受講者の悪い癖として、トリルの付けかたがある。付ける音符の長さに合わせなくてはならない。長い音符にはゆったりとしたテンポでトリルに入らないと折角の情緒がぶち壊しになってしまう。それと原曲はガンバであるから、特に速い音符は難しいのである。その辺をフルートであっさりと吹いてしまっても原曲の感じが損なわれる。もっとアタックを強くして重く激しく吹くべきである。右手の指位置においてフルートは音の立ち上がりが遅い。この辺はバロックフルートの方がずっと有利であるが、フルートで素早い立ち上がりを実現するためにはフランス式タンギングが役に立つ。舌を突き出しておいて急激に引っ込めることで息の立ち上がりが速くなるのである。練習の順序としては、まずタンギング無しでスタッカートを練習してお腹の筋肉を鍛える。次に普通のタンギング、最後に舌を使ってみる。変奏曲では特別な指示がなければ変奏の間で同じテンポを維持しなくてはならない。また間を空けてはならない。勢い良く次の変奏に入っていく感じが大切である。スタッカート記号・の意味であるが、フランスのバロック音楽では拍の不均等が原則であった。これはフランス語の発音に由来している。リエゾンの状況を観察してみると良く判る。音楽においてもフランス語を喋るようにするのが優雅とされたのである。しかし、均等にすべき場合もあるので、そのときには・を使って表示したということである。最後に、やたらと大きな音で吹くべきでないという注意があった。とりわけソロの曲では小さな音でも良く響くのがフルートである。大きな音では聴く人の耳が慣れてしまって、平板な演奏に聴こえてしまう。むしろ小さな音をうまくコントロールする事に注力すべきである。そうすればクレッシェンドによって曲の表情を作ることが可能となる。これには全く同感。

    3曲目はバッハのイ短調ソロである。この曲は僕がフルートを吹き始めた頃からずっと練習している。受講者の演奏はとても丁寧で正確であり、音色も柔らかい。それなりにアクセントもつけてあって、控えめではあるが綺麗な演奏であった。けれども何だか退屈な演奏でもあり、もっと感情表現をしても良いのではないか、と思った。それと息継ぎがやや多いのも気になった。これも、有田さんの最初の質問は、どんな曲だと思うか、というものであった。当然、舞曲です。という答えなのだが、それだけか?ということなのである。要するにあなたはこの曲のどんなところが良いと思って表現しようとしているのか?ということで、それが判らないまま吹いている、という印象は、それが伝わらないのであるから、確かにあったのである。

    それはともかく、最初に、この曲には自筆譜が残っていなくて、写譜も2つだけなのだそうである。しかも表裏に写譜してあって、インクの染みなどがあって判読が難しかったそうである。それで、1963年にハンス・ペーター・シュミットがベーレンライター版を出版したときに幾つかの判読ミスを犯していたのである。その後の研究で修正されたので、古い版を持っている人は注意しなくてはならない。僕の版も古かったので、これはちょっとショックだった。幾つか修正された点を挙げられたが、そういえば、どうしてこうなのかなあ、と思っていたところがあった。新しいのを買うか、パユのCDを丁寧にチェックした方がよいだろう。

    さて、最初のアルマンドであるが、単にドイツ風舞曲というよりもフランス人から見たドイツ人の性格を表現した言葉である。grave重々しく、という感じがあって、思慮深く行動して計画的であり、ゆったりと歩いているドイツ人、というイメージである。16分音符4つで1泊を作りそれが4拍子になる、ということで首尾一貫している。有田さんはフランス組曲のアルマンドを幾つか弾いて見せて、その性格を示してくれた。普通はアルマンドにはアウフタクトが付いていて重々しく始まるが、このフルート版にはそれが1拍目に埋め込まれているので、トリッキーであり注意しなくてはならない。つまり曲の出だしは機械的なリズムで始めるのではなくて、差し出すような気分を感じさせなくてはならない。丁度ロ短調のフルートソナタの出だしの感じである。長い間、この曲はヴァイオリンの為の曲が原曲だろう、と思われていた。何しろ息継ぎの場所が全く無いからである。また当時のバロックフルートでは極めて困難な最高音のラが最後に出てくる。しかし、最近の研究では、ビュファルダンというフルートの名人が居て、彼の作曲したものを見ると息継ぎの殆ど無い曲やら最高音のラを沢山使った曲があった。とても肺活量の大きな人として有名だったらしい。バッハ自身もフルートの最高音のラをカンタータ8番で実際効果的に使っている。それでも、肺活量のそれほど大きくない人にとって、どこで中間の息継ぎを行うかは重要な問題である。その場所を探すには曲の和声構造を良く調べなくてはならない。和声構造は勿論そんな技術的な目的だけではなくて、曲の性格や演奏方法を決める上で極めて重要である。誰が考えてもこの曲は分散和音の連続なのであるから。それが単調な連続になってしまうと、聴衆はとても退屈することになってしまう。バッハは良く判らないけれども、とても偉大な作曲家なのでプロになるにはこれが理解できなくてはならない、だから我慢して聴いておこう、という次第である。確かに受講者の演奏もそんな感じがした。出だしからしばらくはイ短調に始まる主和音と属和音の連続であるが、9,10,11小節で不協和音に移行する。それも音が一つづつ変化していく、というバッハらしい規則的なやり方である。この緊張の極みが11小節の最初のCisの音であり、もっとも強調すべきなのだが、フルートでは一番ボケやすい音でもあるので、特別に練習しなくてはならない。11小節の後半で不協和が解消されていくから、当然緊張が緩む。その他、14小節あたりには係留音があって、これも不協和音で強調すべきである。17小節は特別で半拍毎に和声が動いていく。このように動いていく和声を思い描きながらこの曲を演奏してみると、その緻密な構造と美しさが良く判るのであるし、演奏のメリハリも自然に伴ってくる。

    第2楽章のcorrenteはイタリアのcorrente(3/4)であって、フランスのcourante(3/2)とは異なる。どちらかというと活発な踊りの曲なので、本来はフランスのcouranteのようなヘミオラを使わないのであるが、バッハは特別にこの曲にヘミオラを導入していて、それが面白さとなっている。1+1+1という本来の舞曲の3拍子リズムの部分と1.5+1.5と分割した2拍子のリズムの部分あって、その交替が曲の個性となっているから、それを明確に表現することが大切である。それと、アタックを綺麗に出すためにはやはり舌先を突き出すタンギングが有効である。

    第3楽章のサラバンドであるが、サラバンドには2種類ある。1、2拍目の重たいサラバンドと、均等なリズムのサラバンドである。これもフランス組曲から演奏で例示してくれた。ここでのサラバンドは均等なリズムのサラバンドであることは直ぐ判るであろう。音の扱いかたであるが、ここでも不協和音から協和音への解決を意識しなくてはならない。例えば1小節目のGisは不協和であり、次のAに解決させてはならないから、このAは薄く吹くべきである。解決は次の小節のFであるから、ここでゆったりと時間を取る。6小節目の最後のAから7小節目の最初Fには6度の跳躍があるが、なだらかな音列の繋がりをあえて避けて跳躍するにはそれなりの理由があるのであるから、ここではゆったりと丁寧に跳躍すべきである。10小節目には古い版での誤りがある。ここでの音の上り方は42小節目と同じ形式である。もう一つ、これは一般的に古典派以降の音楽に慣れている人の癖であるが、属和音から主和音への解決のところで音を引っ掛けて繋いでしまう(レガート)傾向がある。これはバロック時代には禁則であったので注意して避けなくてはならない。和声が明確に進行する部分で音を繋ぐのはよくないのであって、例えば3小節目のEとDがそうである。

    第4楽章のBourree Anglaise というのは、本来のフランス舞曲ブーレのイギリス風ということであるが、当時イギリスは大陸からは軽蔑されていたから、これはへんちくりんな、というやや侮蔑した感じである。ちょっと変な、という感じ。これは吹いてみれば判る。小節の単位が動くようで不安定なリズムである。3小節目のラミミーというところなど、最後のミーは消えていくような投げ出す感じで吹くべきである。

    以上、時間の制約でかなり濃密な感じのレッスン、というよりは講義になった。受講生は必ずしも本来の実力を出していたとは思えない。緊張もあっただろうが、有田さんの意見を引き出すためにあえて無色の演奏を心掛けていたのかもしれない、と今は思う。こういう場でちゃんと吹けるということだけでも大したものである。僕だったら音がまともに出せないくらい緊張していただろう。
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