2017.09.29
      停年退職後に農業を始めた知人を訪ねて丹波篠山まで行ったので、ついでに大阪のシンフォニーホールでのコンサートを聴いてきた。ちょうどライオンのビルの裏側になる。ちょっとした林の中の並木道に続いていて、見上げるような玄関口が印象的である。警備員が恐そうな顔で見張っていてちょっと緊張した。入ったらすぐに入場チケットを切られる。客席に入るには両側の階段を3階まで上らなくてはならない。エレベーターもあるのだが。僕の席は前の方の右端である。休憩時間にロビーの椅子を確保してサンドウィッチを食べる為である。内部は広いし天井も高い。僕が見たホールでは一番大きい。あちこちに音を散らす為の板がある。正面にはパイプオルガン。それと舞台との間に数列客席がある。全体は何となくヨーロッパのオペラ劇場風であるが、オーケストラピットはないので、その時は前の方の客席を取るのだろう。まあ、このプログラムで満席になるという事も含めて、日本が戦後豊かになったことの象徴みたいなホールである。ただ、右端だったせいか、ちょっとだけ空調の音が気になった。

・・・さて、プログラムであるが、バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータの全曲演奏である。ここ数年このプログラムが目立つ。第二次大戦とその直後の混乱以来、何とか維持してきた政治的な均衡が何となく崩れそうな予感があって、そういった気分が影響しているような気もする。演奏はレイ・チェンという台湾出身の若い人である。まだ28歳である。だからちょっと迷ったのだが、折角大阪まで来るのだからと思って、チケットを買っておいたのである。前半でソナタ1番、パルティータ1番、ソナタ2番、と順に演奏して、後半では逆順にして、パルティータ3番、ソナタ3番、パルティータ2番を演奏した。これはまあ、最後にシャコンヌを演奏して盛り上げようという算段である。だから、アンコールも無かった。何を演奏してもシャコンヌの感動を薄めてしまうからだろう。

・・・演奏スタイルは、一番最初のプレリュードからして、柔らかく優しい。この曲の演奏にありがちな厳しい音使いは見られない。あくまでも美しく響く音である。特徴として感じたのは対旋律の息の長さである。これはホールの響きが良いからかもしれないが、ポリフォニーであることをより感じさせる演奏であった。それと、6曲のそれぞれの曲調の違いを強調するような弾き方だったと思う。その違いの振幅は後半に至った際立った。パルティータ3番は楽しげな舞曲風で、ソナタ2番の長大なフーガは宇宙を感じさせるような緻密さで、そして、パルティータ2番に入ると、途端に身体の動きからしてリラックスした自在感があった。なんだか全てが、最後のシャコンヌに向かって流れているように思われた。

・・・このシャコンヌはまあ本当に良くできた曲で、これだけの変奏をこれだけ劇的に並べることが出来たというのは奇跡に近いような気がする。この曲を最初に聴いたのは、大学の研究室でたまたま聞いていたラジオからのFM放送だった。ヘンリク・シェリングの演奏だったのだが、身体が凍りつく位の衝撃だった。それ以来いろんな人の演奏を聴くのだが、今回改めてその時の衝撃を思い出した。こうしてみると、この若さでこれだけの演奏が出来るというのは、つまり、ヴァイオリンの演奏技術が、その教育方法とも相俟って、随分進歩してきているということもあるのだろう。
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