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神話『ブルーポールズ』

【第2巻】-                                                  

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 こうして婚礼は華やかに執り行われ、両国の平和が確立したが、ルドラはまったく納得していなかった。ルドラは密かに次の戦いに備えていた。

 ある日、ルドラは部下に次のようにきつく言い含めると、ひとり自室に引きこもった。

「これから神事を執り行う。私がここから出て来るまで、どんなことがあっても中に入ってはいかん。誰も入れてはいかん。この命令が守れなかったら、死罪だぞ。」

 ルドラは部屋の中でしばらく祈りの声を上げていたが、やがて秘かにそこを離れ、ムチャリンダの城へと急いだ。

 ルドラがムチャリンダの城に着くと、ムチャリンダとイムテーベが直々に迎えた。ルドラは挨拶もそこそこに訴えた。

「ムチャリンダ殿。地上の状況は混迷を極めています。チベールとレゲシュは互いに兵を引き、うわべだけの平和条約を結んだものの、根底には両者が並び立つことのできない冷厳たる現実が横たわっています。バドゥラが勝つか、ヨシュタが勝つか、いずれにしても生き残るのは片方だけ。それが地上の掟です。ここで考えねばならないのは、ヨシュタにはナユタ、シャルマ、プシュパギリがつき、その勢いに押されてバドゥラは逡巡し、今回も決戦の回避を選んだということです。非常に危険な状況ができつつあります。ヨシュタが勝利すれば、多くの神々はそれをナユタの勝利と見なすでしょう。そして、創造を停止すべしというムチャリンダ殿の主張より、ナユタの主張になびきかねません。たいへん危険な兆候と言えます。」

 ルドラはさらに詳細に状況を説明した。イムテーベはうなずきながら聞いていたが、やがて意を決したように語った。

「地上のことはよく分かった。何をしなくてはならないかもよく分かった。創造の意義を巡るこの戦いの成否はまさにチベールとレゲシュの戦いにかかっている。明らかに天空の戦いよりこの地上の戦いが優先する事態だ。このムチャリンダ殿の城砦はムチャリンダ殿にお守りいただけば十分。ユビュが軽率にもここに攻め寄せてくるなどということは決してあるまい。私が地上に行こう。バルカも連れてゆく。ナユタとも決着をつけねばならん。」

 イムテーベがそう言ってムチャリンダの顔を見ると、ムチャリンダはほおを紅潮させて大きくうなずき、イムテーベの手を握って言った。

「イムテーベ。よく言ってくれた。そなたとバルカが行ってくれるならどんなに心強いか。よろしく頼む。」

 イムテーベは改めて叫んだ。

「必ず雌雄を決する決戦となる。そのときこそ、マーシュの館での雪辱を期すときだ。天は必ずや我れに味方する。たとえ、ナユタがどのように奮迅の働きをしようとも、天の理に逆おうとするヨシュタに勝利の女神が微笑むことはありえない。さあ、行こう。」

 

 ジャンダヤとウルヴァーシーの婚礼の祝いの余韻も冷め、宮殿にいつもの落ち着きが戻った頃、ルドラはイムテーベとバルカをバドゥラに引き合わせた。

 ルドラの横に立つイムテーベは言いようのない威厳で周囲を威圧した。右手に神器ヒュドラを携え、左手に兜を抱え、豊かなあごひげを蓄えた鬼神と言っていい風貌。イムテーベが発する威容にバドゥラをはじめ並み居る群臣たちが圧倒されたのを見届けると、ルドラは言った。

「ここにお連れしたのは私の古くからの軍略の師、イムテーベ殿です。私は長くイムテーベ殿より兵法を学び、武略について指導を賜りました。今後のわが国の更なる発展のために、イムテーベ殿に我が軍団に加わっていただきたいとお願いいたしましたところ、快く同意くだされ、こうしてこの地までお越しいただきました。ぜひ、我が軍団にてイムテーベ殿が力を発揮することをお許しくださいますようお願い申し上げます。イムテーベ殿は弓矢をとっては並び立つものなく、兵法、軍略に明るく、武勇において誰にも負けぬお方です。まさに軍神ともいうべきお方。わが軍団に加わることをお許しいただければ、百万の味方を得たにも匹敵しましょう。」

 バドゥラはイムテーベの放つ威厳に圧倒されつつも、かろうじて鷹揚として答えた。

「イムテーベ殿か。たいへん心強い限りだ。ぜひ、我が軍のために力となってもらいたい。」

 イムテーベが答えた。

「ありがたいお言葉。これまでははるか西方の地にて活動しておりましたが、貴国のことをルドラより聞き、ぜひ私の力を役立てたいと馳せ参じました。私にとりましては、自らの真価を発揮できるまたとない場。全力でこの国のために戦わせていただきます。」

 イムテーベは一軍を与えられると、レゲシュから割譲された地域を橋頭堡に、瞬く間に周辺地域を切り従え、チベールの領土を拡大した。チベールではルドラ以上の将軍との評が瞬く間に出来上がった。

 

 一方、チベールに輿入れしたウルヴァーシーはうつうつとした日々をすごしていた。心は冷え切ったままだった。ジャンダヤを愛することはできず、ただただヨシュタへの想いが募るばかりであった。

 その胸の内をこらえきれず、ある日、ウルヴァーシーは乳母に嘆いた。

「この世に生を受けたあらゆるものの内で、一番惨めなのは愛を失った女。愛する相手には拒まれ、お国のために愛してもいない異郷の男のもとに嫁ぎ、体を捧げて男の欲望を満たし、言いなりになるほかない存在。どうして神様は公平に幸せを分け与えてはくれないのでしょう。実際、女の幸せは結婚した相手の男によって変わるもの。その意味では、私はもっとも運の悪い女。こんな人生しか待っていないことが分かっていれば、生まれてくるのではなかった。」

「ウルヴァーシー様、お気持ちはよく分かります。たしかに、愛の力は大きいもの。およそ、この世のものはすべて愛の力によって生み出されたものです。もし、愛の力がなければ、この世の命は絶えてしまいます。それゆえ、姫様のお心はよく分かります。美しいものであるとも言えます。しかしながら、この世には別の力、別の法則も存在しているのです。今、姫様はジャンダヤ王子の正妃となられた。良からぬことは伏せておく。それが世の習いでもございます。まず、申し上げねばなりませんが、その想いを寄せる相手の名前だけは決して誰にもおっしゃいますな。私も決して尋ねませんので。それがウルヴァーシー様の身を護る術となりましょう。」

 乳母はそうくぎを刺すと、さらに続けて言った。

「それにしても、どうしてもジャンダヤ王子をお好きにはなれませぬか。世間では、男前で精悍、しかも優しさも併せ持つ勇敢な王子と言われております。色男と蔭で囁く者がいないわけではありませんが、女性には優しい好青年ではありませんか。そもそも、よそよそしい態度では男心も離れるというもの。女らしい魅力で向かい合えば、男もその相手を愛おしいと思い、心を開いて分かり合えば、幸せな結婚生活が待っているのでは?」

「でも、ジャンダヤの精悍さは粗暴さ、優しさはひ弱さの裏返し、知識はひけらかすけど真の教養はなく、何の魅力もありません。」

「しかし、心を閉ざしたままではウルヴァーシー様の人生も閉ざされたままとなりましょう。世間のことはあまり窮屈に考えてはやってゆけぬものでございます。」

 乳母はこのように諭したが、ウルヴァーシーは聞く耳を持たなかった。

「私の人生は色褪せてしまいました。でも、夫を拒絶することもできず、求められれば夜床の相手をして体で尽くすしかない。それに夫を扱う術も身につけていないし、習ってもいない。」

「夫の扱いなら教えて差し上げます。そもそも、ジャンダヤ様はウルヴァーシー様を大切になさっているのでは?ジャンダヤ様の扱いを身につけ、ジャンダヤ様とうまく過ごせるようになれば、幸せな日々が待っておりましょう。」

「それは、そうかもしれないけど、でも、好きになれないものは好きになれない。男は相手が気に入らなければ、外にいくらでも女を作ることができる。でも、女はただ相手の男の寵愛を求めるしかない。なんて情けない存在なのでしょう。女は家でのんきな人生を送っているが、男はいざとなれば槍を取って戦場に出なければならないとは言うけどね。生まれ故郷のレゲシュでは友達も多く、なに一つ不自由なかった。でも、ここでは、故郷を離れ、独りぼっちで、孤独をかこっている。心を打ち明けて相談できるおまえだけが、心の慰めだけどね。」

 乳母はウルヴァーシーとジャンダヤの仲を気遣い、いろいろと手を尽くしたが、ウルヴァーシーの心は晴れないままだった。しかも、しばらく経って、つわりが始まった。ヨシュタとのあの夜に妊娠したのはまちがいなかった。

 乳母は侍女たちに厳しく口止めしたが、つわりと陰鬱な気持ちと将来への不安からウルヴァーシーは寝込むことが多くなった。ウルヴァーシーは体調がすぐれないと言って、ジャンダヤを拒み始めたが、そのことが伝わると、王妃マカリアは心配して、ルドラの妻ユリアを呼んだ。

「ウルヴァーシーは気立ての良い娘だと思ったんだけど、ジャンダヤを好いていないらしいしね。それに、最近は寝込んで夜床も拒んでいるとか。どうしたもんだろうね。チベールの水が合わないのかね。おまえは歳も近いし、一度見てきてくれないかね。」

 ユリアは

「分かりました。」

と答えたが、ルドラからのこの結婚への異論を散々聞かされていただけに、慎重に付け加えた。

「チベールとレゲシュでは風習も民族も違い、いろいろ無理があったのかもしれません。でも、ともかく、行って見てくることにします。」

「ありがとう。たしかに、いろいろ障害はあるかもしれないけど、結局、女が添い遂げる相手は自分では決められないのがこの世界。私もそうだったし、おまえもそう。でも、それに逆らわずに生きてゆけば、こうして幸せな人生も開けるというものです。そのこともぜひウルヴァーシーに言って欲しいのだよ。なんと言っても、ジャンダヤも早く子供が欲しいだろうしね。」

 ユリアがウルヴァーシーを訪ねると、ウルヴァーシーはベッドの中から少し起き上がって応対した。

「こんな姿でお目にかかってすみません。なかなか体がすぐれないものですから。」

「そのままで良いんですよ。無理なさらないで。今日は取れたての柘榴をもってきました。あとで召し上がって元気を出してください。みんな心配してますので。」

 そんなありきたりの会話から始めたユリアはいろんな話をしてウルヴァーシーの気を引き、彼女が少し心を開いたことを感じ取ると、さらに言った。

「人にはそれぞれ好き嫌いがありますものね。チベールからレゲシュに行ったジャムシードはご存じ?」

 ウルヴァーシーが知っていると言うとユリアはチベールでのジャムシードとのできごとを語った。ウルヴァーシーはちょっとびっくりして言った。

「そんなことがあったの。全然知らなかったわ。ほんとに、女は自由に生きれない世界なのね。」

「そうですね。でも、流れに逆らわず生きれば、道は開けるんじゃないかしら。私から見たら、ジャンダヤは素敵な男に見えるけど。」

 ウルヴァーシーはその言葉を否定はしなかったが、その表情がかすかに沈んだ。それを見逃さなかったユリアは労るような口調で言った。

「でも、チベールで思いを寄せてた人がいたわけじゃないんでしょう?」

 ウルヴァーシーは、短く「ええ」と答えたが、ユリアはその表情と言葉の調子から、チベールに好きな人がいたんだと察することができた。

 ユリアはウルヴァーシーのもとを出ると、その足でマカリアを訪ね、ウルヴァーシーがジャンダヤに心を開いていないことが改めてよく分かったと伝え、さらに付け加えた。

「これは時間が解決するしかありませんね。彼女にしたって、どうしようもないでしょうから。」

 この言葉を聞いてマカリアもあきらめ顔で言った。

「そう。気難しいのね。まあ、仕方ないわ。ウルヴァーシーが来てくれて、ジャンダヤの女遊びも収まって少しは落ち着くかと思ったのにね。これじゃ、ますます浮気に走れと言わんばかりね。」

 ユリアもウルヴァーシーに拒まれているジャンダヤがいろんな女相手に浮き名を流していることを耳にはしていたが、この場ではただうなずくだけだった。

 

 輿入れして四ヶ月ほど経った頃、ウルヴァーシーの乳母はウルヴァーシーの妊娠をバドゥラに報告した。この報告はバドゥラをはじめとするチベールの面々をたいそう喜ばせ、レゲシュにも早々に報告が行われた。

 しかし、この子供がチベールの人たちの予想に反して早く生まれることは明らかだった。乳母は侍女たちとも相談し、赤子が生まれたときには、早産による死産で片付けようと考えた。素知らぬ顔をしてジャンダヤの子が早く生まれたことにすることも考えられたが、生まれた子の顔つきがジャンダヤに似ることは絶対にないだけに、ここでけりを付けておくことがもっとも無難という結論だった。

 そして、婚礼の七か月後のある日、ウルヴァーシーの陣痛が始まった。侍女たちは整えていた手はずの通り、ウルヴァーシーを奥深い部屋に連れて行き、赤子が産声を上げる前に手早く赤子を処理した。ウルヴァーシーには死産だったと思い込ませ、バドゥラには「急にお産が始まったが、早産のため死産だった。」と報告した。

 だが、ことは侍女たちが考えたようには運ばなかった。死産との報告を受けて、バドゥラが深く嘆き、次のように言ったためだった。

「なんということだ。どんなかわいい赤子が生まれるのかと毎日楽しみにしておったのに。だが、死産とあらば致し方ない。せめて、本当であれば生きて生まれてくるはずだった赤子の顔を拝み、丁重に葬ってやろう。」

 この言葉が伝わると侍女たちは慌てた。しかし、どうしようもなかった。

 バドゥラは取りまきの者たちを連れて死んだ赤子のもとを訪れた。このことを聞きつけたルドラも付き添ってきた。

 バドゥラは死んだ赤子を見ると改めて嘆きを露わにした。

「ほんとうになんと悲しいことか。本当であれば、すくすくと育ち、チベールの王子となるはずであったのに。」

 しかし、ルドラはすぐに侍女たちの隠蔽工作を見抜いた。

「子供というものは、受胎から概ね十ヶ月で生まれるものと決まっておる。なのに、なぜ、輿入れして七ヶ月で赤子が生まれたのか?」

 こう問いただすルドラに乳母は冷静に答えた。

「ルドラ様。たしかに、多くの子供は身ごもってからから十ヶ月で生まれます。しかし、私はこれまで多くの子供を見て参りましたが、子供は必ずしも十ヶ月で生まれるとは限りません。女というものは、九ヶ月でも七ヶ月でも子供を産むものなのです。少なくともレゲシュではそうでした。同じ人間である以上、チベールでもそうではないのでしょうか?」

 だが、ルドラはさらに問い詰めた。

「赤子はこんなにも丸々している。どうして七ヵ月でこんなにも丸々した赤子が生まれるのか?それに死んだ原因はなんだ。」

 こう問いただすルドラに乳母は少し顔を強ばらせたが、それでも答えた。

「なぜかは私どもにも分かりかねます。残念ながら、死産に関しては、これは人間の力ではどうすることもできないこと。私どもはあらゆる神々に真摯に祈りを捧げ、供物を絶やしたことはありませんでした。チベールの神様方にも礼を尽くしたつもりです。どの神への祈りや供物が足らなかったのか、残念ながら私どもには分かりかねます。」

 ルドラはその場は

「そうか。」

とだけ答えたが、バドゥラとともにその場を離れると、バドゥラに言った。

「不思議だとお思いになりませんか。輿入れ7ヶ月でこんなにも丸々した赤子が生まれ、しかも、丸々とした赤子であるのに死産とは。これにはたいへんな陰謀が隠されている可能性があります。」

 バドゥラは考え込んで言った。

「たしかにそう言われると不審な点もあるかもしれぬな。どうしたらよかろうか。」

「私に調べさせていただければ。真相を突き止めたいと思います。」

「そうか、では、やってみてくれ。」

 バドゥラの了解を取り付けたルドラが妻のユリアにこのことを言うと、ユリアはしばらく考えて言った。

「それなら全部つじつまが合います。」

「どういうことだ?」

「前に、ウルヴァーシーを訪ねたときに感じたのですが、彼女にはジャンダヤに嫁ぐ前にチベールで好きな人がいたようなのです。死んだ赤子は丸々としていたということですが、彼女がチベールに来る時に既にその男の子供を宿していたのなら、七ヶ月で丸々とした赤子が生まれて何の不思議もない。」

「もし、そうなら、たいへんな犯罪ではないか。その男の名前は分かっておるのか?」

「残念ながら、そこまでは分かりません。」

「そうか。それなら致し方ない。ともかく、それは十分あり得る話だな。その線で調べるとするか。」

 次の日から、ルドラは侍女たち一人一人をそれぞれ個別に尋問した。さらに侍女たちと接点のあるすべての関係者の事情聴取も行った。それらを結び合わせていくつかの矛盾点があることに気づいたルドラは、赤子は早産ではなく生まれ、侍女たちが処理したのだという確信を得ることができた。

 ルドラは侍女の一人を呼び出すと、凄みのある声で言った。

「おまえたちの陰謀はもはや隅々まで見抜かれている。赤子は早産ではなく妊娠十ヶ月で生まれた。だからあんなにも丸々とした赤子だった。そして、それが意味するのは、その子はジャンダヤ王子の子供ではなく、ウルヴァーシーが輿入れ前に孕んでいた子供だということだ。おまえが、そのことを認め、真実をすべて語るなら命は助けてやろう。だが、あくまで嘘を突き通すなら、おまえを待っているのは、なんだと思う。恐ろしい拷問と恥辱、そして市中引き回しの上、車裂きの刑だ。それは一族の恥辱となり、レゲシュではおまえの一族は族滅されるであろうな。こんな恐ろしい裏切り行為は前代未聞だからな。さあ、どうする。真実を語れば、すべて許そう。語るなら今しかないぞ。」

 侍女は顔を強ばらせたが、震える声で言った。

「でも、私は何も知りません。知らないものは、何も申し上げようがありません。どうかお許しを。」

 ルドラはからからと笑った。

「まあ、誰でも最初はそう言うものだ。だが、おれが言ったことは脅しじゃない。おまえがしゃべらないなら、この後どうなると思う?まずはおまえを裸にひん剥いて乳を揉みしだき、おまえがひいひい喘ぎ声でのたうつまで、おまえのあそこに張形を突っ込んでやる。おまえの乳は揉みがいがありそうだしな。」

 侍女がいっそう顔を強ばらせるとルドラはさらに続けた。

「その後は責め具でおまえをいたぶってやる。嘘だと思うなら、これを見ろ。」

 そう言うとルドラは自分の後ろに垂れていた幕を部下にはずさせた。そこには拷問台、刺の並んだ拷問椅子、木馬責めや水責めの器具など、おぞましい拷問器具が並べられていた。

 侍女は顔面蒼白となって震えた。

「さあ、どうする。もし、おまえがどうしてもしゃべらないというなら、この責具でおまえを思う存分いたぶるだけだ。苦痛だけでなく、あらゆる羞恥がおまえを待っている。おまえが苦痛に喘ぎ、羞恥にのたうつのを見るのも楽しみだからな。」

 話には聞いたことはあったが、見るのは初めての拷問器具から目を背けると、侍女は声を振り絞って言った。

「でもほんとに私は何も知りません。どうか許してください。」

 だが、ルドラは全然取り合わなかった。

「そう言うならそれで良い。これだけの責め具が揃ってるんだ。おまえが白状するのを拒めば拒むほどおれたちの楽しみが増ええるというものだ。あの三角木馬におまえを裸で座らせたら、足には重いおもりを付ける。おまえの大事な部分がどうなるか楽しみだな。裸にして逆さ吊りでローソク責めもできるし、男の張型のついた拷問椅子に座らせることもできる。拷問台に仰向けに縛り付けて、鞭を浴びせながらおまえのあそこを男の張型で責めることもできる。鞭の苦痛とあの部分の快感でどんな痴態をおまえが晒すのかも楽しみだな。おれも部下たちも見たがっているぞ。さあ、どうする。」

 侍女はわなわなと震えたが、彼女が何も返事をしないのを見て取ると、ルドラは冷ややかな声で言った。

「ついでに言っておくがな、おまえが白状しなくたって別の侍女が白状するだろう。すべての侍女が黙り通せはしないだろうからな。そうなると、おまえは嘘をついていたことになり、裸に剥かれて逆さ吊りにされて首を切り落とされるのがおちというものだ。」

 この言葉に侍女が答えないと、ルドラは冷ややかな声で部下に命じた。

「言っても無駄なようだ。服を引っぺがして、拷問椅子に座らせろ。後は好きにして良いぞ。」

「ありがとうございます。これは楽しみですな。」

 そう言って部下の一人が彼女に近づいて手をかけた瞬間、侍女はこわばった顔を床にすりつけ、泣きながらルドラに言った。

「申し上げます。すべて申し上げます。どうか、どうかお許し下さい。」

「なんだ。白状するのか。」

 部下は残念そうに舌打ちした。

 こうして侍女はすべてを語った。ルドラはすぐにバドゥラに報告した。ウルヴァーシーが輿入れ前にレゲシュの男と交わり、子供を宿していたという報告を聞くと、バドゥラは激怒した。

「なんだと。いったい誰の子だ。」

「それはまだ分かりません。侍女に知っていることを何もかも吐かせましたが、男の名はウルヴァーシーが口を噤んでいるようです。」

「ならば、すぐにウルヴァーシーを連れて来い。白状させてやる。」

 この言葉を受け、すぐにルドラは衛兵を連れて駆け出し、ずかずかとウルヴァーシーの住まいに踏み込んだ。侍女たちが制止するのも無視し、

「ウルヴァーシーはどこだ。生まれた子供のことで聞きたいことがある。すぐにウルヴァーシーを連れて来いという王の命令だ。邪魔立てすると死罪だぞ。」

と叫んでどんどん奥へと踏み込んでゆく。

 物々しい騒ぎにウルヴァーシーも事態が容易ならぬことを悟った。乳母から、王が命令を発したと聞くと、ウルヴァーシーは住まいを出てそばの塔の上に駆け上がった。

 ルドラは塔の上のウルヴァーシーを発見し、叫んだ。

「ウルヴァーシー、すぐに降りてこい。王がお呼びだ。」

 ウルヴァーシーはただこう答えた。

「分かりました。今降ります。」

 そう言った次の瞬間、ウルヴァーシーは塔の上から身を投げたのだった。ルドラは、

「くそっ。」

と舌打ちしたが、どうしようもなかった。

 そのことをバドゥラに報告すると、バドゥラは叫んだ。

「身を投げたということは潔白でないことを自ら認めたということではないか。誰の子供であるかはともかく、汚れた女を息子の嫁によこすとはなんという侮辱。もはや和平は破棄された。ルドラ、出陣だ。」

「この日を待っておりました。ヨシュタは表面こそ聖人君子面をしているが、中身は野獣そのもの。貪欲で欲しいものは恥じも外聞もなくむさぼり取るのです。まさに善人の顔をした悪魔。よこしまな心をもち、ずるがしこい策略を弄する卑劣な獣。戦さの準備は完全に整っております。このような日が必ず来ると信じ、日々軍の鍛練を続けて参りました。必ずヨシュタの首を切り落としてくるでしょう。」

 バドゥラはうなずき、うわずった声で言った。

「古今このかた、無数の悪事が働かれてきた。そして、しばしば悪が正義を打ち破り、謀略こそが勝利への近道と信ずる者さえ少なくない。だが、そんなことを許すことは、わしには断じてできぬ。これほどの悪業を見過ごすことは天地神明に誓って、できることではない。ここで正義が勝たなければ、それはこの地上からあらゆる正義が消え失せることを意味する。この戦い、必ず勝利し、地上に正義を普遍させねばならぬ。ルドラ、いざ出陣だ。わしも全軍を率いて後を追おう。」

 この言葉に、ルドラは深くうなずいて言った。

「分かりました。明朝、先発部隊を率いて出陣します。イムテーベ殿にはバドゥラ王の主力を補佐してもらいましょう。」

 

 ルドラが朗々たる声で伝令使どもに命を下すと、布告に応じて兵士たちはたちまちにして参集した。翌朝、バドゥラは全軍の前でルドラを大将軍に任命した。ルドラは大将軍としての玉爾を受けた。続いて出陣の儀式が執り行われ、イナンナ女神への祈禱が捧げられた。儀式が終わるとルドラは軍に号令をかけ、疾風のごとく出陣していった。

 ルドラの軍は戦車部隊を先陣として電撃的な速さで進軍した。その勢いは前年の比ではなかった。千載一隅の時を待ち、ひたすらこの日のために準備を整えてきたルドラにとってその勢いを遮るものなどどこにもあろうはずがなかった。

 大地にひれ伏していた沈黙が突如として破られ、惑星の上に動乱の響きが降り立った。いつでも出陣できるように各所に配備され、厳しい鍛練を施されてきた幾つもの部隊がルドラのもとに糾合し、何ものをも飲み込まずにはいられない豪雨の後の激流さながらにレゲシュへの道をひた走った。

 要衝トドラ渓谷も風前の灯火であった。まさに巨大な危機がレゲシュとそしてヨシュタに迫っていた。

 電光石火のごとくのルドラ軍に対し、この危機をいち早く掴んだのはマナフだった。マナフは、チベールに潜り込ませていた者からいち早くチベール軍の動きを伝えられると、その者を連れてナユタのもとへ慌ただしく駆け寄り、いつになく顔を強ばらせて言った。

「旦那様。たいへんなことが起こっています。チベールが軍を起こし、戦車隊が次々にチベールの城門を駆け抜けています。目指すはレゲシュということです。この者が知らせてくれました。」

「ほんとうか?おまえの言うことに嘘はないのだろうが、でも、平和条約があるのにどうして。」

 このナユタの問いに、マナフは首を横に振って答えた。

「どうしてこうなったのかは分かりません。でもともかく、事は起こっているのです。一刻を争う事態とはまさにこのこと。静観したり、考えている余裕などありません。」

 そう言うと、マナフは連れてきた者に見てきたことをナユタに言うように即した。その男はすばしこそうな雰囲気の男だったが、初めて将軍ナユタの前に出たこともあって、緊張した面持ちでしゃべり始めた。

「チベールの街はついこの前までは平穏に繁栄しており、どこにも緊張感はありませんでした。兵士たちは兵舎での調練や街での警備などを行い、それが終われば、酒場に繰り出す毎日で、どこにも戦いは気配などありませんでした。ところが、数日前の夜、突然、招集のラッパが吹き鳴らされたんです。招集のラッパには、決められた時間までに来るようにというのと、次の日に集まるようにというのと、急いで今すぐに集まるようにというのがあるのですが、その時吹き鳴らされたのは、今すぐ集まれというラッパだったんです。私は酒場にいて、そこには兵士たちも集っていたのですが、そのラッパの音を聞くと、兵士たちは顔色を変え、『急にこんな招集がかかるなんて初めてだ。』、『いったい何があったんだ。』などと口々に言い合い、杯を放り出して慌ただしく出て行きました。そして、次の日の朝、整然と列をなした戦車隊が城門を駆け抜けていったのです。その列は延々と途切れることがなく続いていました。」

「その軍はほんとうにレゲシュに向かっているのか?」

 そう聞いたナユタにその男は言った。

「まちがいありません。それに、その朝、城門を駆け抜けていったのは先遣隊で、その後、より大きな大軍が整えられつつあります。それで街の中でいろいろ聞いてみると、先遣隊を率いているのはルドラで、向かっている先はトドラ渓谷、目指すはレゲシュということがはっきり分かったのです。」

 その男を下がらせると、ナユタはマナフに聞いた。

「今の者は信用できるんだろうな。」

「ええ、私がもっとも信頼している者の一人ですので。彼の仲間は今もチベールに留まって活動を続けています。この知らせは信じていただいて、間違いありません。差し出がましい言葉かもしれませんが、この知らせを軽んじると、あとでほぞを噛むことになりかねません。」

「よし、じゃあ、すぐにシャルマとプシュパギリを呼んでくれ。」

 マナフからの使いが、シャルマとプシュパギリを呼んでくると、ナユタはマナフからの知らせを説明して言った。

「ともかく、すぐ、出陣だ。一刻を争う。おそらく、トドラ渓谷はもつまい。だが、このままでは一気にここレゲシュまで迫られ、たいへんな危機になる。おれはすぐ出陣する。ヨシュタには報告しておいてくれ。そして、シャルマ、すぐに軍を整えるのだ。軍が整いしだい、出陣してヴィンディヤの野に来てくれ。まさに火急の時だ。」

 そう言うと、ナユタはすぐに出陣の命を発した。ナユタの邸宅では、マナフをはじめ召使いや奴隷たちが大わらわで準備を進めた。馬飼いはナユタの戦車に二頭の馬を繋ぎ、召使いたちは戦車に武具を積み込んだ。鎧を運んできてナユタに着せる者、サンダルを履かせる者、命令を発する役目の伝令たちなどで邸宅はごった返したが、やがて十数台の戦車に乗った戦士たちがナユタの邸宅の前に揃うと、ナユタはマナフがこの日のために新調した鎧と真っ赤なマントを身につけて現れた。左手には大きな赤いたてがみのついた兜をもっていた。

「ようお似合いでございますよ。」

 マナフが満足そうな表情でそう言うと、ナユタは軽くうなずいて二頭立ての戦車に飛び乗った。

「武運をお祈りしております。」

 このマナフの言葉を聞くか聞かないかのうちに、ナユタは戦車を駆け出させた。後に続くのはわずか十数台の戦車だけ。その少ない部下を引き連れて出陣していったナユタを見送ると、シャルマとプシュパギリは大急ぎで出陣の準備を進めた。そして準備の整ったものから次々に出陣させ、ナユタの後を追わせた。

 ナユタがヴィンディヤの野に近づくと、ルドラ軍は既にトドラ渓谷を落とし、ヴィンディヤの野からレゲシュに通じる道を押えていた。

「やはり、トドラはもたなかったか。それにしてもすごい勢いだな。しかし、ここで食い止めねば、たいへんなことになる。夜襲しかあるまい。」

 夕暮れまで待つと、味方も次々に集結した。その夜、ナユタは夜襲を決行し、レゲシュへの道に陣を張っていたルドラ軍に一気に切り込んだ。手にしていたのはマーヤデーバ。彼の昔からの神器であった。

 敵など来るはずがないとたかをくくっていたルドラ軍の中に、突如マーヤデーバの轟音が響いた。闇夜の中のマーヤデーバの響きがルドラ軍の兵士たちを心底から震撼させ、その中を縦横に駆け抜けるナユタ軍の戦車はルドラ軍を大混乱に陥れた。

 ルドラはヴィンディヤの野の奥、トドラ渓谷のそばにいたが、レゲシュ軍の来襲の報を聞くと、即座に戦車に飛び乗り戦場に急行した。

 ルドラは大声で叫んだ。

「慌てるな。敵は寡兵だ。殲滅してしまえ。」

 しかし、その叫びはマーヤデーバの轟音とルドラ軍兵士の阿鼻叫喚の叫びに掻き消されてしまった。敵の正確な数さえ分からない夜襲にマーヤデーバの響きが重なり、混乱した軍はますます混乱するばかりであった。

 夜が明けると、戦場にはたくさんのルドラ軍の兵士の死体が散乱していた。

 この夜襲がルドラ軍に与えた心理的効果は大きかった。進軍をためらう部将も少なからず現れ、ルドラ自身も慎重にならざるを得なかった。

「バドゥラ王の本隊が来るまで待とう。トドラ渓谷を落とし、ヴィンディヤの野を押さえたことで情勢は我が軍にはるかに有利。本隊を待って決戦に臨もう。」

 そう言うと、ルドラはバドゥラに戦果の報告の使者を送り、また、重ねてのナユタの夜襲に対し怠りなく軍を配備した。ルドラが軍を止めたのにはもう一つ訳があった。ナユタの獅子奮迅の活躍を見て、イムテーベの力が不可欠と見たことであった。

 

 一方、レゲシュでは次々に入ってくる危急の報を受けて、シャルマがヨシュタに出陣を促していた。

「すぐに戦さの準備をしなくてはなりません。ナユタは既に出陣しました。敵の勢いはあらゆるものを飲み尽くさんばかりの奔流のごときであり、このままではレゲシュは存亡の危機に瀕します。」

 しかしヨシュタは顔をしかめ、不機嫌に口をつぐみ、長い沈黙の後に怒りを含んだ声で言った。

「なぜこんなことになったのだ。恒久平和を築いたのではなかったのか。戦争は必ずやレゲシュの繁栄を損なうと言ったのはおまえたちではないか。」

 それは、そばに立ち尽くしていたプシュパギリにすべての責があると言わんばかりの荒い語気であった。

 しかし、プシュパギリは静かに答えた。

「ナユタは出陣しましたが、明日になれば、おそらく、トドラ渓谷が陥ちたという報がもたらされるでしょう。」

 この言葉はレゲシュが今まさに直面している現実の厳しさをヨシュタに突きつけた。

 シャルマは、静かに、けれど、毅然としてヨシュタに言った。

「王たる者は毅然として常に果敢に行動しなくてはなりません。なぜ、敵がこんな挙に出てきたのか分かりませんが、女のように行動を欠いた王は誉めるに値しません。古来より、蛇が鼠をひと呑みにするように、大地は戦いを好まぬ王をひと呑みにすると言われています。和平を結ぶべき相手とは講和し、戦わねばならぬ敵とは断固として戦わねばなりません。」

 ヨシュタが反論できないのを見て取ると、ジャムシードが言った。

「以前から申し上げておりますが、チベールは周辺各国を併呑して大帝国たらんと欲しており、好戦的なルドラがその先鋒を担っています。極めて危険な状態と言えます。ですから、まさに今決然と起ち上がりチベールを一気に叩くことこそ、レゲシュの安定とこの地域の平和のためには不可欠と言えます。怯むことのないご聖断こそが国を守るのです。」

「しかし、いったいなぜ、チベールは攻めてきたのか。明らかに非は敵にある。まず、交渉によってその非を難詰し、兵を引かせ、トドラ渓谷を元に戻すのが筋ではないか。」

 シャルマが答えた。

「残念ながら、今の状況はそんな理想論とはかけ離れています。もはや力だけがすべてを制する戦いの領域に入っているのです。使者を送って何かを言ったところで、敵は応じますまい。トドラ渓谷を取り戻すには力で敵を排除するほかないのです。そして、トドラ渓谷を押さえられ続ければ、我が国の通商は疲弊し、国は衰退滅亡の道をたどるほかはないのです。」

 この言葉にヨシュタは頷いたが、ヨシュタの表情には無念の表情がありありと見て取れた。せっかく努力して築き上げた和平がもろくも崩れたことへの無念さだった。しかし、彼はまだそれがウルヴァーシーの生んだ子供のせいとは知る由もなかった。

 

 ヨシュタがレゲシュを出陣したころ、バドゥラは全軍を率いて敵よりも一足早くトドラ渓谷に到着した。ルドラやイムテーベが屈服させた周辺国の部隊も含めた大軍団だった。右将軍のネストルは華麗に飾り立てた四頭立ての戦車に乗って先陣を切って陣を敷き、バドゥラは悠然と馬車に坐して堂々と進軍してきた。精鋭の戦車部隊の後ろには雲蝗のごとき歩兵の大軍がつき従っていた。

 さらに、牛車、輸送車が次々に到着し、輜重部隊、武器や機械を運ぶ部隊、土木工作隊、医師や医療部隊も付き従っていた。トドラ渓谷の周辺には数百、数千の天幕が張られ、十分な燃料、糧秣、水が用意された。弓矢、鉾、棍棒、投げ槍などの様々な武器も山のように積み上げられた。将兵のみならず、吟遊詩人、歌手、商人、売春婦、さらにはただの見物人までも忙しく野営地の中を行き来した。

 ルドラはバドゥラとともにやってきたイムテーベとバルカを自分の幕舎に招き、打ち合わせに入った。

「イムテーベ殿。この度はナユタの夜襲に屈し、たいへん申し訳ない。」

とルドラは頭を下げたが、イムテーベはそれを制して言った。

「いいのだ。所詮、このヴィンディヤの野で決戦を行う以外に道はない。この野に全軍を展開させ、総力戦で敵を粉砕する。敵もナユタを中心にシャルマ、プシュパギリなど手ごわいが、バドゥラも怒りに燃えており、わが軍の戦意はこの上なく高い。兵力は我が方が上だ。犠牲を厭わず、ただ全力で敵に当たれば必ず道が開けよう。」

 イムテーベはさらに詳細な状況をルドラから聞き、作戦について入念な下打ち合わせを行った。

 

 しばらくして軍議が始まった。バドゥラは怒りに燃えて、大声で叫んだ。

「一気にレゲシュを破るぞ。ルドラ、策を述べよ。」

 ルドラは戦況と周辺地理の説明を行い、作戦について次のように述べた。

「ヴィンディヤの野は平坦で戦車を駆けるには好都合。まさに決戦にはふさわしい場所と言えます。ここに総兵力を挙げて陣を展開し、敵との決戦に臨みます。戦車の数、重装歩兵の数、軽装歩兵の数、いずれをとってもわが軍が優位。敵主力が到着し、ヴィンディヤの野に散開したのを見届けた後、こちらも陣形を整えて敵を粉砕いたしましょう。」

 これに対して、右将軍のネストルが異議を唱えた。

「敵の主力が到着するまで待つというのはいかがなものか。現時点では敵は寡兵。むしろ、敵主力が到着するまでに、まず、現在ヴィンディヤの野にいる敵を叩くのが適切と思えるが。」

 ルドラが答えた。

「だが、敵軍を指揮するナユタは寡兵を承知で陣をひいている。当然、ネストル殿が言われるような作戦をこちらがとった場合の策は考えていよう。むやみに手を出すのは危険だ。敵が決戦のために前進し、野に展開したところを叩くのが上策である。」

「ルドラ殿はナユタの夜襲にこっぴどくやられてへっぴり腰になられたのではないか。このネストルは、バドゥラ王の股肱の臣をもって自認しておる。全軍でナユタに戦いを挑むのがいやと申されるなら、右将軍である私の軍だけで戦ってくるが。我が軍だけでもナユタ軍の三倍以上の兵力だ。」

 バドゥラが口を挟んだ。

「ネストルの言うとおりだ。敵の主力の到着を待つ必要がどこにあろうか。今いる敵をまず撃破すべきではないか。レゲシュは昨年結んだ和議に対して実に卑劣な方法でわれらを裏切った。汚れた女を我が息子の嫁によこし、我が王家を辱めた。これはチベールそのものに対する侮辱でもある。ここで敵を成敗せずしてよい道理がどこにあろうか。」

 そうバドゥラが怒気を含んだ興奮した口調で叫ぶと、何人かの部将たちが立ち上がって、口々に叫んだ。

「そうだ、一気に敵を屠ってしまえ。」

「ヴィンディヤの野の敵を打ち破ろう。」

 ルドラは思惑と違った作戦となって内心まずいなと思いつつも、そんなことはおくびには出さず、威厳を込めて言った。

「よかろう。バドゥラ王が言われるとおり、まずヴィンディヤの野の敵を打ち破ろう。ただ、敵は高い塀を巡らした陣地を構築し、さらに、前方には戦車対策として三重の柵を築いているとの報告が入っている。決して安易に考えてはならない。先陣であるが、イムテーベ殿にお願いしたいがどうであろうか。」

 この言葉にイムテーベは頭を下げて承諾の意を表したが、ネストルは異論を唱えた。

「先陣は当然のことながらこのネストルが引き受ける。たしかに、イムテーベ殿の最近の活躍には我らも一目も二目も置いておる。しかし、わがチベールの右将軍はこのネストルであることを忘れてもらっては困る。我らが先陣から外れるいかなる道理があろうか。しかも、これは先にバドゥラ王が言われたとおり、チベールが受けた過去に例のない侮辱に対する聖戦でもある。当然のこととして、先陣はこのネストルが務めさせていただく。」

 この言葉にバドゥラもうなずいて言った。

「さすがはチベールの右将軍。頼もしい限りだ。たしかにイムテーベ殿の力量は高く評価しておるが、このチベールの聖戦の先陣は右将軍であるネストルに任せるよう。ネストル、期待しておるぞ。」

 こうして、チベールの軍議は決した。軍議が終わると、ルドラはイムテーベに吐き捨てるように言った。

「万全の策も人間のみみっちい虚栄心で崩れる。」

 イムテーベも深い怒りを飲み込んで答えた。

「それが人間というもの。そうでないなら、この世界を打ち壊す必要もない。」

 

 そんな中、バドゥラの幕舎に、突然、一人の預言者がやってきた。プラスティヤというチベールの高名な預言者だった。従者に招き入れられたプラスティヤを見て驚くバドゥラに、プラスティヤが言った。

「本当はチベールを発たれる前にお目にかかりたかったのですが、取り次ぎの者がなかなか面会の場を準備してくれませんでしてな。出陣の準備でお忙しかったとは思いますが。ただ、どうしても早急に申し上げたいことがございまして、こうしてここまでやって参りました。」

「高名なプラスティヤ殿を軽んじた部下の行為、どうか、このバドゥラに免じてご容赦願いたい。ともかく、この戦場までこのわしを追いかけてきて下さるとはかたじけない限り。ただ、そうまでして、今すぐにでもわしに伝えたいこととは何でござろうか。」

 この言葉を受けて、プラスティヤは言った。

「それはこれから申し上げましょう。ぜひとも預言者の言葉に真摯に耳を傾けていただきたいと思いましてな。」

「それは無論。これまでもプラスティヤ殿のような立派な預言者の言葉を無視してきたいことはなかったと自負しておる。もっとも、金稼ぎ目当てのインチキ預言者の言葉には耳も貸さぬし、場合によっては首を切ったりも致しましたがな。ともかく、まずはプラスティヤ殿の言葉をお聞かせ下され。」

「されば、申し上げよう。王はチベールにこれまでなかったほどの繁栄を築いてこられた。このことは末代まで称えられましょう。」

「それはありがたいお言葉。」

「だが、今、王は運命の剃刀の刃を渡ろうとしている。」

 この言葉に驚き、慄き、バドゥラは言った。

「何と言われる。それはどういうことであろうか。」

「さよう。わしは、王の出陣の話を聞きつけ、鳥占いの座についた。すると、何とも知れぬ怪しい鳥の叫びが聞こえた。不吉で、荒々しい不協和の鳴き声だった。それで、わしは心配になって、さらに焚物占いもやってみた。だが、真っ赤に燃えた薪の火は生贄の肝に燃え移らず、生贄の腿肉から湧き出た肉汁が薪に降りかかり、煙が吹き上がって肝の汁は飛び散ってしまった。」

 不安そうな表情を浮かべるバドゥラに対して、プラスティヤは続けた。

「このような途方もない凶兆は、何ものかの暗澹たる未来を暗示しておる。あいまいな表現で包み隠すより、差し迫った危険を明白に申し上げる方が、結局、王のためになるという視点からはっきり申し上げるなら、この凶兆は、明らかに、チベールの破滅、チベールで将来起こる阿鼻叫喚を示しておる。」

「チベールの破滅ですと?」

「さよう。先に申しましたように、チベールは王の力で大きく繁栄し、大国となった。だが、王は、それを維持するための策ではなく、危険な賭けに出ようとされている。」

「それは今回のレゲシュとの争いのことを言っておられるのであろうが、今回の件は、あくまでも両国の平和鼎立を砕いたレゲシュの非によるもの。簡単には引き下がれぬ。」

「たしかに今回の件は不幸な成り行きとなってはいるが、ある意味では、その咎は、ウルヴァーシーが自ら命を絶つことで償われておる。」

「だが、このままでは、チベールはレゲシュにいいようにあしらわれ、足蹴にされたにも等しいではないか。周辺他国に対しても示しがつかぬ。」

「だが、その激情が、先に述べた凶兆に結びつくとは思われませぬか。レゲシュの軍が王の軍を破ればどうなるか。チベールの街は廃墟となり、多くの娘たちが捕えられ、敵兵に力ずくで辱められるのを見ることになる。王の野望はチベールにとって呪われたものになりかねません。今一度、冷静になり、事情を説明して、ヨシュタと腹を割って話し合ってみるのが得策と思いますが。」

「だが、既に攻撃は下命され、各自、配置についておる。もはや後戻りはできぬ。」

「たしかに、動き出したものを止めるのが難しいのは理解致します。ただ、推察するに、今まさに下命されている戦いがすべてではないはず。まだヨシュタも出陣してきておらぬという。この先、どのように戦いが展開するかは分からぬが、ヨシュタがやってきたら、まずは話し合いのための使者を送られるべきと思いますが。」

 このプラスティヤの言葉にバドゥラは考え込み、やがて言った。

「分かり申した。プラスティヤ殿。たいへんにありがたいご助言と受け取らせていただきます。たしかに、一時の激情で国を左右してはならぬというは治世の基本。お言葉を胸に刻んでおきましょう。」

「それがよろしかろう。チベールの守護神イナンナ女神は戦いの神でもあるが、本来は愛と美と豊穣の女神のはず。平和裏に双方が兵を引けば、イナンナ女神の加護のもと、チベールの将来も安泰のはず。では、わしは失礼いたす。このような陣中はそもそも肌に合わぬものでもありますからな。」

「それでは、チベールまでの道中の安全のためにも警護の兵をつけさせていただきましょう。それとこれを取っておかれよ。」

 そう言って、バドゥラは金貨の入った袋を差し出した。プラスティヤは、

「ありがたくいただきます。」

と金子を受け取り、迎えに来た護衛兵とともにバドゥラの幕舎を後にした。

 だが、バドゥラは翌朝の攻撃を思いとどまらせる命令を発することまではしなかった。既に、すべては準備されているのだ。

 

 一方、ナユタは、チベール軍の動きに対して周到な準備を整えていた。それを支えたのはマナフだった。

 マナフはレゲシュでナユタを送り出した後、ほどなくしてナユタの幕舎にやってきたが、ナユタを見るなり、満面の笑顔で言ったのだった。

「ナユタ様。私は旦那様に大儲けをさせて差し上げましたぞ。」

 どういうことかと聞くと、マナフは鼻高々に言った。

「前回のチベールとの睨み合いの時、小麦の高騰を抑えるためにラシードが大量に王家の小麦を市場に放出したので、その後ずっと小麦は安値で推移しておったのですが、私はそれに目を付けて、ナユタ様のお名前で小麦を買い付けておったのですよ。もっと値が下がるという者も多かったのですが、その時はその時。多少の損は覚悟で買っておいたのですが、それが良かったんですな。今回の戦さの勃発で小麦の価格は急上昇。商人どもはさらに高くなると見込んで必死に買い込んでいますが、まあ、私としてはそんなに欲をかかなくてもと半分くらいの小麦は売却しました。それだけでもたいそうの大儲けです。なにしろ、買ったときの三倍以上の値ですからな。ですが、小麦はまだ半分残してあります。多分、値はもっと上がりましょうから、その時に売ってさらに旦那様に儲けさせて差し上げるつもりでおります。」

 ナユタはちょっと冷ややかに言った。

「だが、政治や軍事に関わる者が情勢変化にかこつけて巨利を貪るというのもいかがなものかと思うがな。」

 マナフは大きく笑った。

「巨利などとは滅相もない。ほんの小利に過ぎませんよ。それに旦那様のように清廉な考えだけではこの世は生きて行けませぬぞ。いざというときのために財産は幾らあっても困ることはないのですからな。今回の戦いのための兵士に払う給料や傭兵を雇うためにも金が必要。武具や物資のためにも金が必要。ともかく、金なくしては将軍様も丸裸ですからな。」

「まあ、そういう意味ではありがたいのかもしれぬし、おまえの才覚もたいしたものとは思うが、ここは戦場。まず、勝つことを考えねばならんからな。」

 マナフもにやりと笑いながら応じた。

「よく分かっております。そのためにやって参ったのですから。私もこの危急のときに、うかうかしていたのでも、ただ商売だけにうつつを抜かしていたのでもありませんぞ。」

 そう言うと、マナフは、敵軍の中に手の者を紛れ込ませ、情報を集めていることを説明した。

「なんといっても、まず、敵状を探りませんとな。勝つために必要なのは、決して戦場での武勇だけではない。情報が重要でございますでな。」

 実際、ナユタは、マナフが逐一報告してくれた情報に基づき、着々と戦いの準備を進めたのだった。

 

 プラスティヤがバドゥラの幕舎を訪ねた次の日の早朝、ネストルはラッパを吹鳴させて軍を整列させると檄を飛ばした。

「敵は寡兵である。その証拠に陣地に籠もって出てこようともしない。我が軍の力をもってすれば、恐るるものなど何もない。一気に敵の陣地を破り、敵を殲滅するのだ。」

 ネストル軍が戦闘態勢を整えると、平原いっぱいに、兵士たちの手にする青銅の武器が朝日に輝いた。色華やかな軍旗、輝く翼を付けた神の紋章、すべてが勝利を確信しているかのように見えた。

 イナンナ女神への祈祷を捧げると、ネストルは叫んだ。

「チベールの勇者たちよ。今こそおまえたちの気概を見せるときだ。神々が汚れた陰謀を企む者たちを助けることは決してない。神は我らと共にある。」

 ネストルの黄金の鞭が振り下ろされると、ネストル軍は軍旗を高々と掲げ、怒涛の勢いで進軍した。

 ネストル軍の動きを察知すると、ナユタは戦車部隊を陣地から出撃させ、数列の隊列を組ませて待ち受けさせた。ネストルはこれをみるとからからと笑って部下に言った。

「てっきり敵は柵の中か、あるいは塀の中に閉じこもっていると思っていたが、わざわざ柵の前まで出てきてくれているとはもっけの幸い。戦車の数はこちらが三倍以上。一気に戦車戦でけりをつけてくれよう。」

 ネストルは部隊に突撃隊形をとらせた。戦車部隊が中央に並び、両翼に弓兵を配置した。槍兵は戦車部隊の後ろに並んだ。弓兵の援護の下で戦車部隊が敵を蹴散らし、槍兵が蹴散らされた敵兵のとどめを刺す陣形だった。

 ネストルは眦を決して、右手を振り下ろして叫んだ。

「全軍、突撃!」

 戦車隊が轟音を上げて飛び出してゆき、濛々たる砂塵を巻き上げて突撃を開始した。

 一方のナユタも負けていなかった。マーヤデーバを振り上げ、全速力で突撃する。戦場では両軍の戦車がもうもうと砂塵を舞い上げて走り回り、激闘が繰り返された。数で勝るネストル軍に対し、ナユタ軍は巧みな陣形配置と遊撃戦術とで対抗した。しかし、次々に押し寄せるネストル軍の圧力の前にナユタ軍の劣勢は否めなかった。

 そのとき、戦場にナユタ軍の法螺貝が吹き鳴らされた。これを合図にナユタ軍は方向を転換し、自軍の陣地の方を目指して走り出した。これを見て、ネストルは叫んだ。

「敵は逃げ出したぞ。敵が柵の中に逃げ込む前に捕捉して殲滅するぞ。」

 しかし、これはナユタ軍の姦計であった。ナユタ軍の戦車は柵の入り口に向かって走っていったが、ナユタ軍を追いかけるネストル軍の戦車は柵の手前で次々に溝にはまり、あるものは壊れ、またあるものは動けなってしまった。事前にナユタ軍が柵の手前に戦車がはまる溝を掘り、上からは分からないように巧妙にカモフラージュしていたからであった。ナユタ軍の戦車はあらかじめ立てておいた目印に沿って走り、巧みに溝を避けたが、それを知らないネストル軍の戦車は次々に溝にはまったのだった。

 形勢は一変していた。ナユタ軍の戦車部隊は再び向きを変えた。ナユタはマーヤデーバを高らかに掲げ、全軍を鼓舞した。どこを走ればよいか分かっているナユタ軍に対し、どこに溝があるか分からないネストル軍では勝負にならなかった。

 ナユタ軍の戦車は縦横無尽に走り回り、次々にネストル軍の戦車を倒していった。そしてついに、ナユタ軍はネストルの戦車を捕捉し、取り囲んだ。ナユタが叫んだ。

「観念するがいい。勝敗は決した。」

 ネストルは蒼白になりながら叫び返した。

「卑怯な手を使うな。汚れた女をよこすだけでは飽き足らず、こんな卑劣な策で勝利をせしめんとするレゲシュには必ずや神罰が下るぞ。」

 しかし、これがネストル将軍の最後の言葉となった。ネストルはナユタ軍の兵士によって討ち取られ、ネストル軍は壊滅した。この日の激闘で倒れ、砂の中にうつ伏せ、枕を並べて横たわるネストル軍の将兵は数えきれぬほどの数にのぼった。

 この戦いの報が伝わると、バドゥラはプラスティヤの預言を思い出して背筋が寒くなったが、そのバドゥラの前に進み出て意見を具申したのが、アルタバノスという同盟国の男だった。アルタバノスはルドラが屈服させた国の貴族で、冷静で人望もある指揮官であったが、強圧的なやり方で屈服させたルドラには強い反感を抱いていた。

 アルタバノスは言った。

「簡単に勝利が得られるなら決戦も良いでしょう。しかし、そんなに簡単に勝利が得られるわけでないことは今日の戦いではっきりしました。この様な場合、最良の策は、トドラ渓谷を固く閉ざし、渓谷を守るために必要な兵を残して残りの軍は引き上げることです。そうすれば、レゲシュは通商の道を絶たれて疲弊し、一方、チベールと我ら同盟国の繁栄は維持されます。その繁栄から生み出されるものをレゲシュの同盟国に惜しみなく与えれば、彼らはレゲシュの傘を離れてバドゥラ王の庇護を求めることとなりましょう。そうすれば、敢えて戦いを交える危険を冒すことなく王の勢力を拡大できるのです。」

 この意見は、先見の明をもった説であり、多くの者の考えと添うものであったろうが、彼の言葉は、力による制圧を進めてきたルドラを批判する言葉でもあった。

 ルドラは怒りを含んだ大声で、

「弱者の言である。」

と叫び、続けて言った。

「そのような戯言を並べるのは力のない者のいつものことではあるが、このような重要な場面においては聞き捨てておくことはできぬ。およそ、我が軍の兵力はレゲシュを遙かに上回り、正面から戦って負ける要素などどこにもない。敵は、今回たまたま、奇襲や奸計といった卑劣な策によって小さな勝利を手にしただけではないか。」

 だが、バドゥラはたしなめるように言った。

「しかし、おまえの強気とネストルの強引さが引き起こしたのがこのざまだ。わしは本来、レゲシュと戦火を交えたいわけではない。アルタバノスの言うようにすぐにトドラ渓谷の向こうに引き上げずとも良いようには思うが、敵主力がヨシュタとともにこちらに向かっているということであるから、ジウスドゥラ、ヨシュタが到着したら、すぐさまヨシュタを訪問しろ。決して、弱気なことを言ってはならぬが、交渉でことを解決しようという姿勢で話し合ってきてくれ。トドラ渓谷の向こうに引き上げて守りを固めるのはいつでもできるからな。」

 王の一言で方針は決したが、皆が幕舎を出ると、ルドラはすぐさまジウスドゥラを自分の幕舎に連れ込んだ。幕舎に入ると、机を叩いて怒りをぶちまけた。

「まったく、バドゥラ王は女のように意思がぐらつく。これで王と言えるのか。」

「しかし、ともかく、ヨシュタへの使者を務めるよう命を受けましたので。」

「分かっておる。」

と言うと、ルドラはそばにあった杯を一気に空け、まくしたてるように言った。

「いいか。ヨシュタのもとに行ったら、決して弱みを見せてはならんぞ。とことん相手の非をなじり、強気の交渉をしてこい。交渉で片が付くとも思えぬが、レゲシュがこっちの条件を飲むというなら、まあ、それも良い。だが、絶対に譲歩はするなよ。」

 そして、ルドラは、レゲシュに要求する条件について、ジウスドゥラと綿密に打ち合わせたのだった。

 

 数日後、ヨシュタ軍の主力がヴィンディヤの野に到着した。同盟国の軍もやってきた。ヨシュタ軍の主力も堂々とした布陣であり、ヴィンディヤの野に散開して野営した。守護霊を描いた大旗がたなびき、さらにはたくさんの幟が立ち並び、兵士の相手をする女たちもたくさん連れてこられた。

 ヨシュタは到着すると、まず緒戦でのナユタの勝利を称えたが、その表情には、昨年構築した平和がもろくも崩れ、再びこうして戦いになってしまったことへの無念さが見て取れた。

 ヨシュタが到着した次の日、ヨシュタの陣にバドゥラからの使者としてジウスドゥラがやって来た。ジウスドゥラはヨシュタの前に進むと、胸を張って言った。

「まずは今回の出兵の理由を説明させていただきたい。」

 ヨシュタは激しい怒りを押し殺して、凄みのある声で言った。

「聞こうではないか。昨年、長年の争いに決着をつけ、バドゥラ王との直々の会見も行って平和条約に調印した。さらには、両国の更なる提携の証として、故ナソス王の次女であるウルヴァーシー王女の輿入れまでした。にもかかわらず、突如として大軍を発し、トドラ渓谷を管理する我が国の守備兵を殺し、ヴィンディヤの野にまで進軍するとはどういうことか。いかなる正当な理由があるというのか聞こうではないか。」

 ジウスドゥラも負けていなかった。

「では、申し上げよう。そのために来たのだからな。バドゥラ王の次男ジャンダヤ王子に嫁ぐべき王女は、当然のことながら、血筋正しい麗しい姫であることはもちろん、穢れを知らぬ清らかな処女でなければならぬのは当然の道理。しかるに、ウルヴァーシーは、男を知っていたばかりか、子供まで宿しておった。」

 この言葉に、レゲシュの面々には動揺が走り、ヨシュタの顔は引きつった。

 ジウスドゥラはさらに続けた。

「こんな汚れた女をよこすとはいったいどういう了見か。これはまさにわが国に対する最大限の侮辱、卑劣な挑戦と受け取らざるを得ない。バドゥラ王は生まれてこの方味わったことのない恥辱と怒りを覚えられた。昨年締結した和平を打ち壊したのはレゲシュであることは明白。これを誅するために我らは進軍してきたのだ。」

 ヨシュタの側近の一人が問いただした。

「ウルヴァーシーの子供がなぜジャンダヤ王子の子供でないと言い切れるのか?」

「輿入れしてまだ七ヶ月であるのに突然まるまるとした赤子が生まれてきた。侍女たちは出産が近いことをひたすら隠し通してきたのだが、詰問すると、輿入れ直後につわりがあったと白状した。すなわち、ウルヴァーシーは輿入れ前に男と交わり、汚れた体で、しかも子供を宿して輿入れしてきていたのだ。」

 別の側近が小さな声で聞いた。

「それで、ウルヴァーシー王女は?」

「自ら命を絶った。自らに非がなければ、命を絶ついわれはないではないか。」

「ちなみに、相手の男は分かっておるのか?」

「それは分からぬ。それを白状させる前に、ウルヴァーシーが命を絶ちおったのでな。」

 この言葉に一番安堵したのはヨシュタであったろう。

 ジウスドゥラは続けて、要求を突きつけた。

「我が軍はここまで進軍してきておるが、バドゥラ王は寛大な王である。レゲシュが心から謝罪する意思があるなら、次のような条件で兵を引いても良いと申しておられる。すなわち、まず、ヨシュタ王自身がチベールに謝罪に来ること、今回の出兵に要した費用を全額補填すること、トドラ渓谷の管理権をチベールに譲ること、そして、ヴィンディヤの野に面した領土を割譲することだ。以上の要求の一つとして一歩も譲れない。これをすべて飲むのであれば、兵を引こう。今回のレゲシュの犯した罪に比べれば、なんとも軽い償いで済む話ではあるがな。」

 この要求にレゲシュの面々は渋い表情となったが、淡々と反論したのはナユタだった。

「ウルヴァーシー王女の件は、ジウスドゥラ殿が申されたことが真実であるなら、たいへんに申し訳ない。だが仮にそれが真実だとしてもそれは単にウルヴァーシー王女自身の過ちに過ぎぬ。ヨシュタ王もレゲシュの面々もあずかり知らぬこと。そしてその罪は、王女自身が自ら命を絶つことで既に償われているではないか。もちろん、ウルヴァーシー王女になりかわって改めて謝罪はさせていただくが、そもそも、そのような理由で勝手に軍を動かし、トドラ渓谷まで出てくること自身が条約違反ではないか。チベールもそれについて謝罪すべきと思うがいかが。ましてやヨシュタ王自身がチベールに赴くとか領土の割譲などもってのほかである。」

 この言葉を聞くとジウスドゥラの表情はみるみる険しくなり、唇を噛んで、恐ろしく重い声で言った。

「それでは決戦あるのみですな。」

 だが、ナユタはジウスドゥラとは対照的に飄然と言い放った。

「よろしい。ただ、心に留め置いていただくとよかろう。我が軍は、善なる万能の神ヴァルナに守られている。ヴァルナ神は邪神ヴリトラに支えられた一切のものどもを葬り去る。一騎当千の我が軍団の戦士の手にかかり、数知れぬチベールの将兵が討ち死にしたとき、バドゥラ王は我とわが身を責めてほぞを噛むに違いないであろう。そのことを王に伝えるがいい。」

 ジウスドゥラはナユタのこの挑戦的な言葉には返事をせず、ただ、向きを変えて去って行った。

 もはや決戦以外ありえなかった。

 

 ヨシュタの元に派遣したジウスドゥラがナユタの言葉を持って帰ると、バドゥラの顔はみるみるうちに憤怒の念に真っ赤になった。両の目は燃え盛る炎のようであった。

 バドゥラはすさまじい形相で虚空を睨み、短く叫んだ。

「なんという侮蔑の言葉を吐くことか。おれの人生の中で、これほどにも信義にもとる言葉を聞くことがあろうとは夢想だにしなかった。もはや同じ天の下に並び立つことはできぬ。」

 バドゥラは、

「ルドラ!」

と呼びかけると、厳しく命じた。

「もはや決戦あるのみ。明日、敵を一気に粉砕すべく手配せよ。」

 ルドラは間髪を入れず、

「承知仕りました。」

と短く答え、すぐにバドゥラに背を向けて駆け出していった。

 数時間後、軍議が開かれた。バドゥラは殺気に満ちた竜のごとく眼を光らせて語った。

「敵は己の非を認めようともせず、ヨシュタが厚顔無恥の輩でしかないことが今日ほど明白になった日はない。この非を正さずに済ますことはいかなる神も嘉することはないだろう。天がいずれに味方するか、それはもはや明白だ。明日はただ、決戦によって勝利を掴むのみ。ヴィンディヤの野で敵を粉砕するのみだ。我が軍は兵力も十分なら将兵の練達も十分。しかも豪勇無双のつわものぞろい。負ける要素などどこにもない。総兵力をかけて敵を粉砕する。前進あるのみだ。必ずや、奴隷のくびきをレゲシュに掛けてみせよう。」

 この言葉に将軍たちは力強い声で呼応し、口々に言い合った。

「いよいよだな。腕が鳴るわい。」

「これで、長年の軋轢に最終決着をつけられる。」

 バドゥラが厳しい口調で言った。

「ルドラ、では策を部将たちに授けよ。」

 ルドラは立ち上がると、場をぐるりと見回し、バドゥラに一礼してから自信に満ちた口調で語った。

「右翼はイムテーベ殿に担っていただき、左翼は左将軍のジウスドゥラ、そして、私自身が中央に陣取る。ジウスドゥラ殿の左翼にはバルカが加わる。緒戦の戦いでは、決してむやみに前進しないことが肝要。まず、右翼のイムテーベ殿の突撃で一気に敵陣に襲い掛かり、敵の左翼を粉砕し、敵の主力の後ろに回り込む。これに呼応して左翼のジウスドゥラ軍が動き、突撃して敵の右翼を粉砕し、敵の主力の背後に回り込む。こうして三軍による包囲が完成させ、敵を包囲殲滅するのだ。」

 単純だが明快なこの戦術に異を唱える者はいなかった。バドゥラが一言、

「よかろう。」

と言い、策が定まった。

 その夜、バドゥラ王を先頭に諸将が並んでイナンナ女神に祈りを捧げ、神酒や生け贄が捧げられ、祭司が戦勝を祈る祈禱を上げた。祭司がナブー神に伺った神託が吉と出ると、バドゥラ王と諸将は頭を垂れてその神託を拝受し、必勝を誓った。いよいよ決戦に向かって動き出したのだ。

 

 一方のヨシュタの陣営でも緊張が走っていた。もはや決戦あるのみという状況ではあったが、陣営内には異論もくすぶっていた。それはヨシュタ自身ができれば決戦を回避したいと願望していたのに加え、レゲシュの同盟軍の中に決戦に消極的な者が少なからずいたからだった。しかも、そのような状況を察知して、リムシュ将軍まで慎重論に傾いていた。

 レゲシュの同盟者の一人、アルサケスはヨシュタの前に出て言った。

「この決戦は危険極まりありません。このヴィンディヤの広い野で全軍がぶつかるなら、残念ながら兵数の多い敵方が有利。しかも、万事首尾よくいってこのヴィンディヤの野で勝利したとしても、敵はトドラ渓谷に退いて守りを固めれば良く、結局、再び長い膠着状態に入るしかありません。そして、仮にの話ではありますが、万が一決戦に敗れるようなことにでもなれば、レゲシュまでは一直線。遮るものも何もありません。」

 この言葉にヨシュタは考え込んだが、アルサケスが下がるとナユタは強い冷ややかな口調で言った。

「アルサケスは自分のことしか考えていないのです。決戦を回避すれば、自分は安泰だと思い込んでいる。彼らは、自分のためなら平気でチベールに水と土を献上するのです。そんな輩の言に惑わされてはなりません。ここで戦わねば、同盟軍は瓦解してしまう。彼らをして決戦に駆り立てるほかにレゲシュの道はないのです。」

 そこへ、マナフが斥候のために秘かに放った忍びの者が戻ってきた。その者はヨシュタの前で緊迫する敵情を告げた。

「私はチベールの商人に紛れ、敵軍の様子を探って参りました。バドゥラの決意は固く、血気に逸る部将たちと共に牡牛を屠って神に戦勝を祈願し、部将たちは、必ずレゲシュを滅ぼすとの固い決意で戦い抜くことを誓い合っていました。特に、ルドラは剛毅な風をなびかせ、次々と矢継ぎ早に指示を出し、左将軍のジウスドゥラとイムテーベはそれぞれ部下の隊長をつかまえては檄を飛ばし、出撃準備の確認を行っていました。敵は明日にも総攻撃を掛けてきましょう。」

「もはや決戦あるのみです。」

 そう言い切ったナユタの短い言葉に、ヨシュタも決戦を覚悟するほかなかった。

 諸将を集めて軍議を開くと、ヨシュタは決意を滲ませて言った。

「敵は血気盛んなようだが、決して、レゲシュの街に奴隷のくびきを掛けさせてはならぬ。我らにはヴァルナ神の加護がある。勇気を振り絞り、いかなる手立てを講じてでも敵の目論みを挫くのだ。幸いにも我が軍の士気は高く、備えも万全。アッガ将軍、頼むぞ。また、シャルマ、プシュパギリ、ナラム、リムシュ、それにナユタ、それぞれ己の持つ武勇を発揮すべきはまさにこのとき。我らの神は必ずやこの災禍を防ぎ給うだろう。」

 もはや議論のときは終わったのだった。

 部将たちが決意の表情でうなずくと、シャルマが綺羅星のごとく並ぶ忠臣のたちをゆっくり見渡し、事前にナユタと打ち合わせておいた策に基づいて語った。

「明日は決戦だ。陣配置だが、左翼は私自身が担う。右翼はアッガ将軍にお任せしよう。プシュパギリはアッガ将軍を補佐してほしい。」

 ナソス王時代からの重鎮であり、レゲシュ軍の最精鋭を率いていた将軍アッガは立ち上がると、

「お任せ下され。」

と胸を張った。

 シャルマは続けた。

「中央はヨシュタ王の本陣となるが、この本陣の前に左からナラム将軍、ナユタ将軍、そしてリムシュ将軍の陣を配する。そして、夜明け前に軍を動かして陣形を整え、夜明けとともに一気に進撃する。戦車部隊を先頭にし、後方に屈強の歩兵部隊を配置する。戦車部隊は混戦に巻き込まれないように、全軍の動きに合わせて行動するように。おのれの武勇を頼んで他に先駆けて戦おうとしてはならぬ。また、勝手に退いてもならぬ。戦車で駆けて敵が近づいたら槍を投げて攻撃せよ。敵を崩したら、歩兵部隊で総攻撃に移り、一気に敵を粉砕する。」

 この言葉に諸将たちが大きくうなずき、ヨシュタ王の下、勝利を誓い合ったのだった。

 

 ナユタが自分の幕舎に戻ると、マナフが待っていた。

「いよいよ決戦ですな。」

「ああ、今夜未明、出陣の儀を行い、明朝、全軍出撃する。」

「分かりました。ところで、これは今お耳に入れるのが良いのかどうか分かりませんが、ウルヴァーシー様に関して一応お知らせしておこうかと思うことがありまして。」

 マナフの様子から重大なことが何かあると察せられた。ナユタは兜を脱ぎ、部下を下がらせてマナフと二人きりになると改めて言った。

「おまえがわざわざそう言うということはそれなりに重大なことのようだな。」

「ええ、重大と言えば重大でしょうな。」

 ナユタは椅子に腰を降ろし、二つの杯にビールを注いで、一つをマナフに渡した。マナフはビールに軽く口にして言った。

「ウルヴァーシー様は子供を身ごもってチベールに嫁ぎ、それが露見して命を絶ったとのことですが、侍女たちは今もチベールで軟禁されております。チベールとしては、ウルヴァーシー様が懐妊していたことを証言する生き証人のつもりなのでしょう。私の放った手の者たちの内には女もおりましてな。その一人が侍女に接触することができ、いろいろ聞き出して参りました。」

 ナユタの表情が険しくなった。マナフは続けた。

「ウルヴァーシー様が子供を身ごもっていたことは間違いないようです。ただ、その相手の男についてはウルヴァーシー様も一切口にせず、ですから、侍女たちも誰も本当には知りません。ただ、」

 マナフはもう一口ビールを口に注いだ。

「侍女たちが言うには、レゲシュでウルヴァーシー様に思いを寄せていた男や言い寄ってくる男がいなかったわけではないが、ウルヴァーシー様は彼らをてんで相手にされなかったそうです。ですから、男がウルヴァーシー様のお住まいにやってくることもなければ、ウルヴァーシー様が男のもとに出かけることも一切なかったそうです。ただ、侍女たちが言うには、ウルヴァーシー様はヨシュタ王に好意をお持ちだったようで、一方、ヨシュタ王も姉のクマール王妃よりもウルヴァーシー王女を気に入っていたということは多くの者が知っております。」

「では、ウルヴァーシーの相手はヨシュタだったというのか。」

 険しい口調でナユタがそう言うと、マナフは軽く首を傾げた。

「明確な証拠は何もありません。ただ、極めて可能性の高い推測とは言えるかと。」

 ナユタは唸った。

「もし、そうなら、チベールとの和平を心より望んでいるヨシュタ王が、その和平を決定的に打ち壊す行為を自ら行ったということになる。」

 マナフは黙って頷いた。ナユタはきっとした声で言った。

「ともかく、このことは秘密にせねばなるまいな。誰にも言ってないだろうな。」

「ええ、もちろん。」

「そのおまえの手の者の女も大丈夫か?」

「ええ、そういう者たちは口は硬いものですから。口が自らの身の破滅を招きかねないことはよく承知しておりますので。どうしてもとおっしゃるなら、斬り捨てることも可能ですが。ただ、チベールには侍女たちが生きておりますからな。」

「その女は今どこにいる。」

「隣の私の幕舎に。」

「そうか。あとで、ここに来るように言ってくれ。聞きたいこともあるし、褒美も取らせたいからな。」

 マナフはほっと胸をなで下ろしたような表情で言った。

「これで私も胸のつかえが取れました。それにしても、今回の戦いには恐ろしい秘密が潜んでいるものですな。」

「ああ、そうだな。だが、ともかく、今は勝利を目指すしかないがな。」

 しばらくしてマナフが女を連れてやってきた。マナフの幕舎で湯を使ったのであろう。こざっぱりして、こぎれいな衣服をまとっていた。端正なきりりとした顔立ちで眼がきらりと光っていた。

「名前は?」

「ヒッパルキアと申します。」

 マナフが口を挟んだ。

「こいつは鍛冶屋の娘でしてね。幼い頃から利発で機転が利くので、眼を掛けてきたんです。ちょっと男勝りのところもありますが。」

 ヒッパルキアがきっとなって言った。

「男勝りなんて言わないでくれる?これでもたおやかな乙女のつもりなんですから。」

「それは悪かった。だが、乙女と思えばこそ、ナユタ将軍の前に出るのに、ちゃんと湯を使わせ、髪を結わせ、素敵な衣装を着させたんじゃないか。」

「そうね。たしかに、こんな衣装は着たこともないわね。似合っていると良いけど。」

 このやり取りを見ていたナユタの様子から、ナユタが悪い印象は持っていないようだと感じたマナフはにんまりとした笑顔を見せて言った。

「では、私はこれで。後は、彼女にお聞きになりたいことはなんなりと。」

 マナフが出て行くと、ヒッパルキアは言った。

「それで、天下のナユタ将軍様が私に何の用かしら?」

 まさに、マナフが言った通り男勝りだなと思いつつ、ナユタは答えた。

「褒美を取らせたいと思ったのだ。それと、ウルヴァーシーの侍女たちが言っていることだが、どうして、相手がヨシュタ王というのか、そのあたりを聞きたいのだ。だが、その前に、どうやってウルヴァーシーの侍女たちに近づけたのかも聞きたいが。」

 ヒッパルキアは鼻でふふんと笑った。

「さっき褒美と言ったわね。それをしゃべったら褒美をくれるの?それともしゃべらなくても褒美はくれるの?」 

「褒美は褒美だ。だが、ウルヴァーシーの侍女たちは軟禁されているはずで、外の者が近づくのは容易ではないはず。だから、その手口を知りたくてな。」

「そう。でもそれは駄目よ。その手口こそが私たちの生きる糧。それに教えれば、関係者に迷惑がかかるかもしれず、そうなれば、私自身にもしっぺ返しが来ないとも限りませんからね。」

 ナユタが頷くと、ヒッパルキアは言った。

「でも、想像だけしていただくなら可能だわ。マナフの金を使って、いろいろと袖の下を使って、宮廷に入り込むのよ。宮廷では、いろんな召使いが必要ですからね。私もそんな一人になって近づいたのよ。言えるのはこのくらいまでね。」

「なるほど。それで近づいていろいろ聞き出せたわけだ。だが、どうして相手がヨシュタ王と言うのか。」

 ヒッパルキアは軽く笑った。

「明確な言葉なんて何もないわ。でも、女には女の勘がありますからね。男の人たちにはなかなか理解出ないでしょうけど。侍女たちからすれば、それまでのウルヴァーシーの言葉や行動から感じるものがあるのよ。」

「だが、交渉に来たジウスドゥラは、相手の男が誰かは分からないと言っていた。」

「そりゃ、そうよ。侍女たちにしたって証拠なんて何もないんだから、何も言わないに決まっているじゃない。もし、そんなことを知っていたと思われたら、自分の首が飛びかねないですからね。」

「なるほど。そうなると、相手のことはとことん秘密にできるということだ。ともかく、おまえも、この秘密だけは厳守だぞ。」

「それは大丈夫よ。自分の身のためでもありますからね。」

 ヒッパルキアの様子から信頼できると一安心したナユタは更に訊いた。

「ところで、その侍女たちの様子はどうなんだ?」

「軟禁とは言っても、一定の区画の中にいる限りは普通通りの生活ですよ。あまり贅沢はできないし、警備の兵士が立ち、監視の女性もいますけどね。」

「チベールとしては、いざというときのための大事な生き証人だろうからな。」

「ええ、だから、彼女たちの内心は相当不安でしょうね。明日のことなど分かりませんから。」

「なるほど。いろいろ分かった。ともかく、もう一度言うが、このことは絶対に口外するな。」

「ええ、分かってるわ。」

「よし、じゃあ、今回のことには褒美を与えねばな。」

「褒美ならマナフからもらったけど、さらにくれるというのは口止め料ってこと?」

「まあ、そう思ってもらってもかまわない。」

「じゃあ、ともかく、くれるというものは頂くわ。それで何がいただけるのかしら。私が望んで良いなら、申し上げますけど。」

「じゃあ、言ってくれるか。但し、望むものを与えるとは言っていないがな。」

「まあ、つまんない。でも、いいわ。ともかく、申し上げますね。ナユタ様の今夜をいただけるかしら?」

 そう言ってヒッパルキアはナユタの眼をじっと見つめた。

「その今夜というのがどういう意味なのか。私が理解するところによれば、それでは私が褒美を貰うことになるようだが。」

 この言葉にヒッパルキアは顔をぱっと輝かせた。

「まあ、うれしい。その理解頂いたとおりですわ。マナフによれば、ナユタ様は女をお近づけにならないとか。どうしてですの?女はお嫌い?」

 いかなる女神とも人間の女とも交わったことのないナユタはちょっと顔を強ばらせたが、すぐに平然と言った。

「いや、そんなことはないが。」

 ヒッパルキアはナユタの表情の変化を見逃しはしなかったが、それには触れず、にっこりと笑って言った。

「なら良かった。ともかく私の体をご自分への褒美として認識頂けるのですから、ありがたがってもらえるってわけね。それに、マナフも将軍ほどのお方が女を喜ばれないのはいかがなものかと常々言っていますよ。ともかく、今夜は遠慮なくご褒美を頂くことにするわ。」

 ヒッパルキアはナユタの腕に自分の腕を絡ませ、寝室へと引っ張っていった。寝室に入ると、彼女はナユタの首にまとわりついて濃厚なキスをし、自ら自分の衣装を脱ぎ捨て、下着も何のためらいも見せずに脱ぎ捨てた。ほっそりした体に胸も尻もさほど盛り上がってはいなかったが、かわいらしいピンクの乳首がつんと上を向いているのがナユタの心をそそった。

「世の女に比べれば魅力がなくて?でも、ちゃんと男を喜ばせることはできてよ。」

 そう言うと、彼女はナユタの服をはぎ取り、体を絡めてベッドに倒れ込んだ。

 ナユタが彼女の体を愛撫すると彼女は軽い喘ぎ声を上げ、あの部分は既に濡れていた。彼女は体をくねらせては何度も唇を合せ、興奮して喘いだ。

「ああ、良いわ。最高よ。早く入れてちょうだい。」

 艶めかしい声でそう言うと、ヒッパルキアは股間を大きく広げてナユタを誘った。ナユタが自らの陰棒を彼女の割れ目の中に秘部に突き入れると、彼女はいっそう大きな喘ぎ声を上げて、背を反らして悶えた。その喘ぎ声と身のくねらせ方は妖艶な女そのもので、淫乱な女と言ってもよいほどだった。つんと立ったかわいらしいピンクの乳首を吸うと、彼女がのけぞって腰をくねらせ、その度に膣が締り、陰棒を締め付ける。ナユタにとっては女の秘肉の心地よさを味わう初めての体験だった。彼女はより強い快感を得ようと激しく腰をくねらせ、その度に陰棒が滑った膣の中をこすれて得られる快感はこの上なかった。

 ヒッパルキアは喘ぎ声を弾ませながら言った

「ああ、良いわ。一度、ナユタ様に抱かれたかったのよ。」

 彼女はナユタの唇に吸い付き、大きく悶えながら体をくねらせた。ナユタが彼女の中に精を吐き出すと、彼女は大きく息を吐きながら言った。

「私も男は何人も知っているけど、今日は特別。この上なく最高だったわ。」

 ナユタはベッドから起き上がると衣服をまとって言った。

「こんな褒美で良かったのか?金品の方が良かったのでは?」

 ヒッパルキアも衣服を整えながら言った。

「この褒美で十分。ご褒美をいただけなければ、ひとりで自分のあそこを慰めなくてはならなかったですから。それに褒美とおっしゃるけど、私のために嫌々相手をしてくれたんじゃなくて、ナユタ様自身も十分喜びを味わっていただいたようでしたし。ナユタ様のお役に立てて嬉しいですわ。それからもう一つ。実は、マナフと賭けをしましたので。ナユタ様と関係を持てば私の勝ち。金品はマナフからどっさり頂きますわ。」

 ナユタは苦笑いした。

「まあいい。ともかく、これから一眠りする。その後は出陣だ。」

「では、明日のご武運を。」

 そう言って彼女は出ていった。

 

 その夜の未明、ヨシュタの陣では、決戦を前に、ヴァルナ神への必勝の儀が執り行われた。ヨシュタは、レゲシュから神官たちが運んできた聖なる火を拝し、その前にかしづいた。

 神官は宣言した。

「悪神ヴリトラを打ち破り、世界に真理を輝かせようとする善の神ヴァルナの意思を奉じて起ち上がった汝に誉れあれ。この大地に巣食うあらゆる悪を打ち破ろうとする汝の勇気をヴァルナ神が嘉されるであろう。」

 神官たちは柄杓に神酒を注ぐと、それを聖火にかざし、その柄杓からヨシュタと武将たちの杯に神酒を注いだ。

「勝利のために。いざ。」

 そう宣するヨシュタの宣言に応じて、ヨシュタと武将たちが杯を乾し、それから杯を力強く地面に打ち付けてこなごなに砕いた。

 儀式が終わると、諸将たちはすぐさま出陣のために駆け出した。

 ナユタが幕舎に戻ると、マナフが馭者に戦車を牽かせ、配下の者にナユタの武器を整えさせていた。

「準備は万端だな。」

と声を掛けたナユタにマナフはにんまり笑って答えた。

「ええ、もちろん。しかし、夕べはようございましたな。私もほっとしておりますよ。幸先の良いことでございますて。命を賭けた戦いの前には悔いのないよう存分に女を抱く。これは世の常でございますからな。」

 ナユタは苦笑した。

「だが、おまえは賭けに負けたのだろう。」

 マナフはあっけらかんと笑った。

「ええ、でも、ナユタ様が勝利を得られれば、倍するものがたぐり寄せられますので。ご武運をお祈りしております。」

 レゲシュの各軍は、シャルマの策に従って、軍を動かした。左翼にシャルマ、中央にナラム将軍、ナユタ、リムシュ将軍、右翼にアッガ将軍と並び、中央軍の後ろにヨシュタの本陣という陣形だった。

 空が白み始めた。馬に轢かせる堂々たる戦車部隊が突撃の命令を今か今かと待ち構えた。大気が切り裂かれるような緊張が張りつめ、戦士たちの充血した目が異様に赤く光った。

 そして、突如としてヨシュタ軍から鐘が打ち鳴らされ、ホラガイが高らかに吹き鳴らされた。ヨシュタの号令の元、右翼のアッガ軍の兵がジウスドゥラ軍に向けて突撃を始めた。腕に覚えの弓隊を率いたプシュパギリもそれに続いた。これを機に戦線は一気に全軍に拡大した。

 一方、バドゥラ軍で右翼を受け持ったイムテーベは、青銅のすばらしい飾りのついた戦車にすっくと立って高らかに叫んだ。

「我が軍の突撃を受け止めることは不可能。勝利は我にある。」

 そう言って突撃の合図を下すと、イムテーベの進軍もすさまじかった。

 中央ではルドラとヨシュタ軍の戦いも始まった。戦車隊による突撃の中、矢が飛び交い、槍と盾をもった歩兵部隊が突進した。槍の音、青銅の盾の響きが戦場を埋め尽くし、馬のいななきが悲鳴にも似た銅鑼の音と交錯し、戦場では敵を打ち取った戦士の歓声、打ち取られた者の悲鳴が濁流のように渦を巻いた。

 激しい戦闘が続いたが、緒戦ではナユタとアッガ将軍の攻勢が目立った。マーヤデーバを手に突撃を繰り返すナユタの猛攻の前に、ルドラ軍は劣勢を強いられた。陣形は寸断され、ルドラ軍の中をナユタ軍の戦車が縦横無尽に走り回った。「鬼神ナユタの戦車は地面から浮き上がって疾駆した。」と後に言われたのは、このときのことであった。

 しかし、全体の戦いの帰趨はナユタが思い描いていたようには進まなかった。

 アッガ将軍の右翼は、プシュパギリの活躍もあって攻勢を強めたが、バルカは応戦に逸るジウスドゥラを引き留め、防戦に努めさせた。

「焦ってはなりません。必ずや右翼のイムテーベが敵左翼を崩すはず。それまでの辛抱です。」

 そんな中、戦局を変えたのはイムテーベであった。

 イムテーベは戦車に乗ってすさまじい勢いで進軍し、シャルマ軍に巨大な圧力を加えた。あまりにも前へ前へと進むイムテーベを部下は心配し、

「あまり自分たちだけ前に進み過ぎると孤立します。味方が追いつくのを待った方がよろしいのでは。」

と進言したが、イムテーベは取り合わない。

「心配するな。おれは軍神だ。」

 そう叫ぶイムテーベは果敢に突撃を繰り返させた。そして、戦いの第二段としてイムテーベが繰り出したのは重装歩兵団だった。重装備の若武者たちの隊列は密集方陣をとり、盾から槍を針山のごとく押し立て、シャルマの弓隊から放たれる無数の矢の雨を巨大な盾で防ぎながら前進する。この密集陣はすさまじい圧力をシャルマの軍に加えた。シャルマ軍から放たれる矢はことごとく巨大な盾で跳ね返され、イムテーベ軍の重装歩兵の前進を阻むことができなかった。シャルマ軍の中からは驚きの声が上がった。

「あれは何だ。」

「あんな巨大な盾は見たことがない。」

「あんな盾では、どんな弓も槍も歯が立たぬ。奴らは一歩一歩前進して来ている。我が軍まで達するのは時間の問題だ。」

 そういった悲鳴に似た声が至るところから響いた。

 そして、イムテーベ軍は敵に近づくと、一気に突進し、シャルマ軍の兵士をなぎ倒した。シャルマ軍からの弓矢での攻撃がなくなると、イムテーベは全軍突撃の太鼓を激しく打ち鳴らし、戦車部隊と軽装歩兵部隊とを突入させた。もうもうと砂塵を巻き上げながらイムテーベ軍の戦車は猛スピードでシャルマ軍に迫った。

 その戦術はさすが宇宙一の軍略家と言われただけあって、シャルマの軍をあっというまに幾つにも分断した。イムテーベ軍の兵士が縦横無尽に駆け抜け、シャルマの必死の命令にもかかわらず、シャルマ軍の統率はおぼつかなくなった。

 戦況は一挙に流動化した。散り散りになったシャルマ軍の兵士は、ある者は殺され、ある者は捕虜になり、またある者は戦場から離脱していった。

 戦いの潮目が変わったのだった。左翼のシャルマ軍が崩れたことでヨシュタ軍は混乱した。

 イムテーベは叫んだ。

「突撃だ。敵は崩れ始めている。一気にシャルマ軍を突っ切るぞ。」

 イムテーベが先頭に立って戦車を走らせると、後からは部下が遅れてならじと一目散に付き従う。シャルマも奮戦したが、イムテーベの圧力はすさまじい。シャルマ軍の兵士は次々にイムテーベ軍の戦車に蹂躙された。

 中央突破を果たしたイムテーベは再び叫んだ。

「シャルマ軍の残兵には目もくれるな。ヨシュタの本陣に切り込むぞ。」

 その声は天を突き破らんごときであり、その形相はまさに憤怒神さながらだった。

 イムテーベは軍を左に旋回させ、ナユタの横に陣取っていたナラム将軍の軍をいとも簡単に蹴散らすと、ヨシュタの本陣に突っ込んだ。ヨシュタ軍の驚きはすさまじかった。

 ヨシュタのそばにつき従っていたサマディーは蒼白になって、言葉も出ずにヨシュタを仰いだ。イムテーベはどんどん迫って来る。ヨシュタ軍の兵士も次々に倒される。それでもヨシュタは渾身の力を振り絞って戦った。なんとか陣形を立て直し、必死の形相で戦った。

 そんな混戦の中、ついにヨシュタを認めたイムテーベはつぶやくように言った。

「ついに時は来た。ブルーポールが正義の輝きのもと、ヨシュタを倒すだろう。」

 イムテーベはブルーポールを取り出した。ブルーポールは青い輝きを発し、敵味方の戦士たちの目を見張らせた。イムテーベの姿は、麦の野をなぎ倒して一瞬の閃光の上を進む異界の鬼神のように見えたことだろう。

 ブルーポールの青い輝きにヨシュタは驚愕して目を見張った。

「あれはブルーポールではないか。なぜ、敵にブルーポールがある?」

 その驚きにヨシュタの足はすくみ、口の中はからからに乾いた。もうイムテーベは目に見えるところまで迫っていた。サマディーは苦悶の表情で天を仰ぎ、

「もはやこれまでか。」

とつぶやいた。誰の目にも勝敗の行方は明らかだった。

 イムテーベはヨシュタを倒し、地上の混乱を防ぐすべはもはやなくなるだろう。宇宙の軸は逆転し、創造は死の宣告を受けずにはいなかったろう。もし、ナユタが現れなかったならば。

 しかし、ナユタは現れた。どこから来たのか、誰も気づかなかったが、ナユタはルドラ軍との戦いのさなか、シャルマとヨシュタの苦戦も見てひとり駆けつけたのだった。イムテーベがヨシュタに迫ったまさにそのとき、もう一条の青い光が戦場を走った。神々しいまでに青い強烈な発光であった。

 ナユタは戦車の上にすっくと立ち、右手に掲げたブルーポールが輝いていた。荒々しい戦場に、一瞬、清澄たる光が地の端まで走った瞬間だった。すべての者が一瞬、剣をもった手を休めて、その一条の光を見やった。その光は、遠く、マーシュ師の館にも、ムチャリンダの館にも届いたという。

 一瞬の後、ブルーポールを掲げるナユタの前に道が開けた。ナユタは遮られるものもなく、戦車を疾駆し、ヨシュタの元へ駆けつけた。ヨシュタは苦境の中での青い光の出現に心を奮い立たされつつ、聞いた。

「ナユタ、なぜそなたもブルーポールをもっている?」

 だが、ナユタは表情も変えず短く遮った。

「今はそんなことを言っている場合ではない。」

 それだけ答えると、ナユタは並み居るイムテーベ軍の中に踊り込んだ。ブルーポールが放つ神々しい光が戦場を縦横に駆け巡ると、イムテーベ軍の兵士は恐れをなして後退していった。

「神のような光を放つ者が現れた。」

「ナユタは神のごとく疾駆している。」

 そう、イムテーベ軍の兵士は口々に叫びを上げてナユタから背を向けて走った。

 イムテーベは、

「くそっ、あと一歩だったものを。」

と口惜しがったが、それでもナユタに向かって大声で叫んだ。

「ナユタ、神々はおまえのことを神々の勇者と呼ぶが、それを認めない者がいることを忘れるな。おまえのブルーポールは絶対ではないぞ。」

 ナユタも叫び返す。

「イムテーベ。おまえの策謀もついに打ち砕かれるときが来るのだ。私のブルーポールが受けられるか。」

 そう言うと、ナユタは単身イムテーベに向かって戦車を走らせた。両雄は激しくぶつかった。ナユタのブルーポールが舞い、イムテーベのブルーポールがうなった。両雄の対決は決着がつかなかった。

 しかし、両雄が激しい戦いを繰り広げている間に戦局は刻々と動いていた。中央のルドラ軍はナユタがいなくなったことで陣形を立て直し、再びヨシュタ軍に迫っていた。また、左翼のジウスドゥラはアッガ将軍の攻勢をかわし、反撃に転じつつあった。全体の戦局がバドゥラ軍に傾いていることは明らかだった。

 シャルマはナユタのもとに駆けつけて叫んだ。

「ナユタ。ここは私が引き受ける。すぐに陣をまとめて、ヨシュタを安全な場所に。」

 しかし、ナユタは同意しなかった。

「いや、ここはおれが引き受ける。シャルマ、おまえがヨシュタについてくれ。」

「ナユタ、イムテーベの相手はおれだ。それにここはあまりにも危険だ。一刻も早くヨシュタを安全な場所に。ヨシュタを頼む。」

「わかった。それではここは任せる。だが、あまり無理はするなよ。相手はイムテーベだからな。」

「分かっている。気をつけて行ってくれ。くれぐれもヨシュタを頼む。」

 こうしてナユタはシャルマを残し、ヨシュタ軍の陣形を建て直すためにヨシュタのもとへ走った。

 残ったシャルマはイムテーベに対して大音響の叫びを上げた。

「イムテーベ。今度は私が相手だ。」

 そう言うとシャルマは、槍をかざしてイムテーベに突進した。シャルマの槍も鋭いが、イムテーベはヒュドラで軽々と跳ね返す。シャルマとイムテーベが戦っているすきに、ナユタはヨシュタに兵をまとめさせて陣形を再構築した。

 シャルマとイムテーベの戦いは激烈を極めた。宇宙を代表する両雄の戦いを、多くの神々が天空から固唾を呑んで見守った。イムテーベのヒュドラはすさまじい速度で空間を切り裂きシャルマに迫る。しかし、シャルマは見事にそれを跳ね返し、応戦する。

 シャルマは叫んだ。

「この宇宙の道理に逆らうきさまの暴虐も今日が最後だ。天の正義がきさまの邪道を成敗するだろう。」

 しかし、イムテーベも負けていない。

「きさまのような成り上がりの槍もちに俺様が倒せるものか。正義面をして真理への道を妨げるきさまらの妄信こそ、今日を限りに終わるだろう。」

 そう言うとイムテーベは再びブルーポールを取り出した。シャルマはそれを見て叫んだ。

「そのブルーポールはきさまを助けはしない。ただ、きさまを奈落へと導くだけだ。正義の道から外れた者がブルーポールを使ったとて何も生み出さないのは、きさまとユビュとの戦いで証明されている。」

 その言葉にイムテーベは顔色を変えたが、ただ、次のように言ってブルーポールを振り上げた。

「それは結果だけが教えてくれるだろう。」

 ブルーポールで振りかかるイムテーベとシャルマの死闘は激しく続いた。イムテーベは再び叫んだ。

「今回のレゲシュの行為は、まさにその卑劣さにおいて、宇宙開闢以来のいかなる出来事も比高しえないだろう。神の道にも人の道にも反し、言葉にするのもはばかれる破廉恥な行為をおまえはいかにして擁護できるというのか。これが断罪されずに済まされるわけがない。天の怒りがおれのブルーポールに乗り移るだろう。」

 するとイムテーベのブルーポールは輝きをいや増して、シャルマに迫った。

 そしてついにイムテーベのブルーポールがシャルマを圧倒するときが来たのだ。それは正義を求める天の意思が炸裂したのか、それとも宇宙の軸がねじれた回転を始めたのか。それほどイムテーベのブルーポールはすべてを突き崩すほどの光を生み出した。

 イムテーベのブルーポールはついにシャルマの槍と盾を砕き、そしてシャルマに最後の一撃を加えたのだった。まさに一瞬の出来事だった。

 そして、その瞬間、宇宙が口をつぐんで空間が引きつった。ここに宇宙の英雄シャルマがついに倒されたのだった。

 

 この日の戦いは決着がつかず、夕暮れとなって両軍が引き上げたが、シャルマが担架で運ばれてくると、ヨシュタが駆けつけてきた。ナユタは慎重に兵士たちをすべて退出させ、ヨシュタだけをシャルマのもとに来させた。

 ヨシュタはシャルマを心配しつつも、興奮して叫んだ。

「なぜイムテーベはブルーポールを持っていたのか?そしてまた、なぜナユタもブルーポールを持っているのか?あれはウダヤ師が持っていたものではないのか?」

 瀕死のシャルマは小さな声で振り絞るように答えた。

「ヨシュタ、黙っていてすまなかったが、イムテーベもルドラも神なのだ。イムテーベがもっているブルーポールは、かつての創造を巡る戦いで、イムテーベがバルマン師を倒して手に入れたものなのだ。」

 ヨシュタはじっと瀕死のシャルマを見つめていたが、やがてぽつりと言った。

「そなたも神なのだな。」

 シャルマの目がそうだと答えた。

「そなたが呼んだナユタやプシュパギリもそうなのか?」

「そうだ、かつての創造を巡る戦いは、イムテーベの首領ムチャリンダとナユタの間で争われたのだ。私は、ムチャリンダが復活し、宇宙に危機が始まったときから、ナユタとともに戦ってきた。いまや戦いの場は神々の宇宙からこの人間たちの大地へと移っている。ムチャリンダはチベールにルドラやイムテーベを送り込み、この地上に恐怖と殺戮を持ち込もうとしている。私はそれを阻止するためにやって来たのだ。」

 そう言うと、シャルマはナユタに目を向け、ナユタの手を握ってかすれた声でつぶやくように言った。

「ナユタ、我々はすべて、時の流れの渦巻く水面に浮かぶ一片の難破船にすぎない。唯一者のみが歴史の真相を知っている。」

 これが勇敢にして忠実な部将であったシャルマの最後の言葉であった。シャルマは静かに大地から退場していった。ナユタは唇を噛んだままだった。

 

 その夜、ナユタはひとり幕舎に引きこもり、ヨシュタも自らの幕舎に引きこもった。全軍を重い空気が覆い、悲しみが時間を超えてうずくまっていた。巨大な業を引きずっている存在者たちが引き起こすとめどもない混乱が荒れ騒ぐ時間の車輪の下に凝固していた。

 ナユタは悲嘆にくれ、ひとり幕舎で涙を流した。プシュパギリが入って来たが、ナユタは涙を拭おうともせず、声を振り絞って言った。

「このようなことになるのなら、レゲシュに来るのではなかった。シャルマをレゲシュに来させるのではなかった。大切な友を失ったおれの心は張り裂けそうだ。途方もなく深い悲しみが、おれの心からあらゆる希望と楽しみを奪ってしまった。」

 プシュパギリは心を震わせて精一杯の言葉を発した。

「ナユタ、神々の世界とて、満願がかなう世界ではない。無数の思念や束縛が交錯し、異なる夢と夢がぶつかり合い、満たされることなく渦巻いている欲望がせめぎあっている世界ではないか。このような現実の中で我らは存在している。誰もその中から完全に抜け出ることはできぬ。」

 この言葉にうなずきながら、ナユタは震える声で言った。

「そんなことは分かっている。そんなことはよく分かっている、プシュパギリ。だが、アルサケスが述べた慎重論を一蹴して決戦に臨んだ結果がこれだ。」

「だが、ナユタ。あのとき述べたとおり、アルサケスは結局自分のことしか考えておらず、それに、一時的に決戦を回避したとて結局は戦わねばならない状況ではないか。」

「そうかもしれない。だが、いったい、天は何者の味方をしているのか、と問いかけずにはいられない。正義の道以外、いかなる道も歩いたことのないシャルマが、なぜ、このような非業の最期を遂げねばならぬのか?徳を積み、行いを正しくしながら、イムテーベのブルーポールに倒されるとは。ブルーポールは正義のポールではなかったのか?」

「ナユタ、こんな言葉を言いたくはないが、世界が正義で貫かれているのでないこと、正義が最終的に報われるというわけではないこと、そんなことは残念ながら自明のことではないか。それはおまえもよく分かっているはず。世界は真理が具現する場所ではない。この世界とはそういう世界なのだ。」

 ナユタはあふれる涙がひざに落ちるのをぬぐおうともせず、つぶやいた。

「そうだな。そのとおりだな。だとしたら、おれはこんな試みをなすべきではなかった。ここに来なければ、こんなことにはならなかった。こんな世界にかかわらなければ、こんな不幸は起こりはしなかった。」

 そしてナユタは嗚咽の声をあげ、小さな声でつぶやいた。

「地上がどうなろうと、創造がどうなろうと、宇宙の涯てで眺めておれば良かったのだ。」

 声を振り絞ってそう言ったナユタの目からは溢れるような涙が止まらなかった。肩を震わすナユタの肩にプシュパギリはぐっと手をやった。彼の目からも涙が止まらなかったが、震える声でプシュパギリは言った。

「ナユタ、これが定めなのだ。神々とて定めから自由にはなれぬ。我らはただ、己の使命に従って行動するだけ。その結果など我らに分かるものではない。」

「そうだ、そのとおりだ。それはおれも分かっている。だが、なぜ、おれは出て来たのだ。友を失うためか?このような悲しみに打ちひしがれるためか?何のために宇宙の涯てから出て来たのか、今のおれには分からぬ。」

「創造を救うためではなかったのか、ナユタ。」

「創造を救うことがそんなに大事だったのか、それにおれは答え得ない。バルマン師を失い、今またシャルマを失ってまで、この創造を救うべきだったのか?」

 しばらく沈黙が続いた。やっとプシュパギリが小さな声でつぶやいた。

「ナユタ。ムチャリンダに世界を破壊させてもいいのか。」

 ナユタは小さな声で答えた。

「おれの考えはおそらく間違っている。だが、なぜ、ムチャリンダが世界を破壊するにまかせてはならなかったのか、尊い神々を犠牲にしてまで守るべきものだったのかどうか、おれには答え得ないのだ。かつて、世界は若く美しかった。しかし、今、世界は曇り、魑魅魍魎どもが跋扈している。世界はハイエナどもの憎しみと欲望が渦巻く世界となり、悪臭を発し、腐敗している。」

「ナユタ。少し眠るがいい。おまえは疲れている。きっとシャルマを失った悲しみのあまり、己の使命が何だったか思い出せないでいるのだ。少し休むといい。」

 そう言うとプシュパギリはナユタをベッドに休ませ、ナユタが寝入ったのを見届けて出て行った。

 ナユタの幕舎を出ると、プシュパギリの目からは涙が溢れた。プシュパギリは号泣し、天に向かって大声で泣き叫んだ。

 石たちが顔を歪める荒野に渺茫たる風が舞い、黒い大気が重々しく道をふさいでいた。すべての声が宇宙の轟音にかき消されていた。

 

2014年掲載 / 最新改訂版:2024222日)

 

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向殿充浩 (こうでんみつひろ) / 神話『ブルーポールズ』第2巻