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神話『ブルーポールズ』

【第1巻】                          

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 (緒言)

 神は人間たちによる被造物に過ぎない。

 この神話『ブルーポールズ』は、その被造物たる神を主人公(主神公)として、人間である私が書いた創作物である。

 この作品を、孤高の求道者たちに捧げる。

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 一切が融没した後、存在の中心に静止した均質な宇宙がうずくまっていた。その中心に再び原初の波動が生じた日、神の中の神ヴァーサヴァがゆっくりと目を覚ました。新しい創造の息吹きを冷えきった宇宙に送り込み、新しい生命の鼓動を宇宙に鳴り響かせるためだった。

 その日、ヴァーサヴァの娘シュリーは日の出とともに身を起こし、川辺で太陽を称えて踊った。そして小川で身を清め、新しい衣を身にまとい、侍女たちにその美しい髪を結わせた。その姿はシュリーが奉ずる女神アルテミスのごとく美しかった。身支度を整えるとシュリーは父ヴァーサヴァのもとへ向かった。

 ヴァーサヴァの前に進むと、シュリーは清らかな声で言った。

「新しい創造の日が来ました。長い夜が終わり、いよいよ命が芽吹く時が来たのです。私は今日、それを嘉するため、小川で身を清め、新しい衣をまとってきました。今日は良い日です。鳥がいつもより軽やかに飛び、空がいつもより青く輝いています。太陽が正確にま東から昇り、風は朗々と野を渡っています。新しい創造への夢で私の胸はいつになく高鳴っています。」

 ヴァーサヴァもうなずいて言った。

「その通りだ。わしは今日を創造の日としよう。シュリー、おまえの弟妹を集めてくれ。弟のウトゥと妹のユビュをな。おまえたちが来る前に、わしも沐浴して心を清めよう。清廉な心だけが真の創造を成し遂げるものだからな。」

 ほどなくして、兄弟三神はヴァーサヴァの前に集まった。ウトゥとユビュも身を清め、新しい衣をまとい、晴れやかな表情でヴァーサヴァの前に現れた。ヴァーサヴァの妻、全宇宙の母なるランビニーもヴァーサヴァの側に慈愛と威厳を備えて座った。

 ヴァーサヴァが言った。

「今日は創造を開始する日、喜ばしい一日だ。太陽と月の運行も申し分なく、星々との調和もとれている。」

 ランビニーも言った。

「今朝は吉兆が輝いています。ヴァーサヴァ神の守護神であるトヴァシュトリ神、我が守護神であるパールヴァティー女神もこの創造を嘉されるでしょう。」

 子供たちの胸の内には、夢に溢れた憧れが翔り、新しい希望が沸き立った。雪の解ける早春の一日、さわやかな心地よい風が野を渡り、清明な精神が心の中を吹き抜けた。

 ヴァーサヴァが続けた。

「子供たちよ、三神の賢者を呼びに行ってくれ。ユビュ、おまえは創造をつかさどる祭司、バルマン師のもとへ行ってくれ。そして、新しい創造の火を貰い受けてきてくれ。ウトゥ、おまえは工芸の神、ウダヤ師のもとへ行き、創造の土台となる大地と海とを準備するよう、わしの意志を伝えてくれ。今日が創造ための喜ばしい日であることを述べ、ウダヤ師の驚異の業を称えてくれ。それからシュリー、おまえは一番大事な役目だが、生命の源を司る神、マーシュ師のもとへ行ってくれ。マーシュ師は宇宙の淵に潜んでおられよう。人間を造り、人間に生命を吹き込むために力を貸して欲しいというわしの意志を伝えてくれ。わしはランビニーと共に野に出て、今日の創造のための藩祭を準備するとしよう。」

 ヴァーサヴァの言葉を受けて、シュリー、ウトゥ、ユビュはすぐさま広大な宇宙を目がけて出発した。星々の間を巡り、光り輝く麦の野を進むように、宇宙のダルマを背負って飛び続けた。

 

 ユビュは森の中の洞窟に住むバルマン師のもとにたどり着いた。ユビュは定められた礼に則ってバルマン師の前に進み、ヴァーサヴァの意志を伝えた。

「今日、新たな創造を始めることを、父ヴァーサヴァが決心しました。太陽はま東から昇り、星々の運行も申し分ありません。父ヴァーサヴァは母ランビニーとともに野に出て藩祭の準備をし、バルマン様の創造の火を待っております。私は創造の大きな喜びに溢れ、この時空を渡ってやって参りました。創造の火をお貸し下さいますようお願い致します。」

「そうか、いよいよヴァーサヴァ様が始められるか。この宇宙に破壊の業火が燃え広がり、荒々しい咆哮が地上の者たちの憎しみの凝集となって押し寄せた日、わしはこの谷にやって来て、この洞窟で暮らし始めた。毎日星空を眺め、創造の神秘の力がこの宇宙のどこか一点に宿るまで、創造の火を大切に守り通して来た。その甲斐があったというものだ。喜んで、この火をお貸ししよう。」

「ありがとうございます。」

 ユビュは顔をほころばせてそう言ったが、バルマン師は表情を引き締めて続けた。

「だが、ユビュ、分かっているとは思うが、注意しなくてはならんぞ。この創造の火にはさまざまな力が込められておる。使い方を誤れば、取り返しのつかぬ厄災をももたらす。しかも、創造に懐疑的な神々も少なくない。前回の創造がもたらした数々の混乱と厄災を快く思っていない神々も多い。彼らの妨害やはては創造の火の悪用まで考えれば、心配はきりがないほどだ。」

「バルマン様、私にもその危険はよく分かっています。父ヴァーサヴァも十分理解しているはずです。たしかに宇宙には冷徹な法則がみなぎり、善意の数と同じ数だけ悪意や邪心が存在します。美しさと同じ数だけ醜さが、勇気と同じ数だけ恐怖が存在します。しかし、この創造の巨大な試みをなすことなしに、私たちは何ひとつ新たなものを生み出し得ないのです。父ヴァーサヴァは、なさずに済ますわけにはゆかぬ使命として、今日の創造を考えているのです。」

 バルマン師はうなずき、そして勇気を込めて言った。

「その通りだな。我ら神々にはそれぞれダルマによって定められた責務があるからな。恐れず、避けず、朗々とそれをなしてゆかねばならん。ヴァーサヴァ様のなされようとしておられることは誠に尊いこと、わしも及ばずながら力になろう。今、ここを出立し、創造の火をお持ちするとしよう。」

 バルマン師自らが創造の火をもってゆくという申し出はユビュを感激させた。ユビュは上ずった声で答えた。

「ありがとうございます。創造を司る神バルマン様直々に、創造の炎をたぎらせていただけば、今日の創造はきっとうまくゆくに違いありません。」

 バルマン師は支度を整え、長年住み慣れた洞窟からは一切の炎を吹き消し、ユビュとともに出立した。大宇宙の時空を越えて、ふたりは朗々と空間を渡った。創造の火が運ばれて行くのを歓喜の声を上げて娘たちが見上げ、鳥や獣たちはふたりのために道をあけた。

 創造の火は宇宙に新しい活力をもたらした。長い年月にわたって、沈黙と静止とがこの宇宙を支配していたため、皆それに慣れてしまっていたが、今再び創造の火が現れ、朗々と天空をよぎって行くのを見ると、心に新しい希望と勇気が呼び覚まされるのだった。

 

 一方、ウトゥはウダヤ師のもとへと急いだ。ウダヤ師のもとへはウトゥよりも早く、創造の火が運ばれて行くという噂が届いていた。ウトゥが着くと、ウダヤ師は既に新しい衣に着替えて、大地と海のもとを整えて待っていた。

 ウダヤ師は淡々と語った。

「待っておったよ。創造の火が時空を越えて宇宙を突き進んでいるのを見たという者たちが多数わしの館を訪ねて来たのでな。」

「そうですか。そういう事であれば、このように遅くに参上して誠に申し訳ありません。用件は既にお察しのことと思いますが、今日は父ヴァーサヴァの意志を伝えるためにやって参りました。ヴァーサヴァは今日を創造の日と定めました。ウダヤ様には、大地と海とを作っていただきたくお願いに参ったのです。」

 ウダヤ師はうなずき、傍らにおいてあった箱を開けた。そこには大地と海のもとが入っていた。

「わしは準備を整えて待っておった。ヴァーサヴァ様もお待ちのはず。ぐずぐずしてはおれん。今すぐ出掛けよう。ところで、」

 そう言ってウダヤ師はウトゥの目を覗き込むようにして続けた。

「今日の創造はナユタには知らせてあるかな?」

 ウトゥはちょっと怪訝そうな顔をして答えた。

「いえ、おそらく知らせていないでしょう。今朝は皆新しい創造に胸を膨らませ、喜びのうちに夜明けを迎えました。誰もナユタのことなど気にかけていないでしょう。」

 この言葉に、ウダヤ師は顔を曇らせた。

「それはまずいな。ヴァーサヴァ様もランビニー様も創造の恐ろしさをお分かりになっておられぬのかもしれぬ。創造は確かに喜びだが、一方で、無数の苦悩、無数の恐怖、無数の喧噪を孕んでおる。苦悩を伴わぬ真の創造などというものは、本来どこにも存在するはずがない。前回の創造が水泡に帰し、広大な宇宙が破壊の業火にさらされたとき、ナユタが言ったことを覚えておるかな。創造の淵に潜む幾多の裂け目に目をやることなく、ただ創造の陽の部分にのみ目を奪われるなら、何度新たな創造を繰り返しても結果は同じだろう、という言葉を。」

 ウトゥも即座に思い出した。あれは恐ろしい光景だった。ナユタの預言もまた恐ろしかった。四三億二千万年前のできごとが、昨日のことのように思い出された。

「たしかに私もあのときのナユタの言葉を思い出すだけで、一瞬にして背筋が冷たくなります。ナユタの言葉は真実を突いていました。」

「そうだ。宇宙の車輪が傾き始めたとき、ナユタは一身を投げうって奔走した。ナユタは涸れ尽きようとしていたダルマにもう一度生命の源を吹き込もうと、茫漠たる広野で幾夜も祈りを捧げ、星座の運行に心を砕き、大地の中心に絶対者へと通じる光の道を切り開こうとした。絡み合う糸をほぐすように、存在と時間とが織り成した混沌を紡ぎ直し、清々たる音楽を時空の中心に鳴り響かせようとした。けれどすべてはむだだった。傾きかけた車輪は、誰にも止めようがなかった。マーシュ師は最後の希望を託してナユタに神器マーヤデーバを授け、マーヤデーバを手にしたナユタは超越者として地上に現れ、数々の奇跡を行い、光への道を白日のもとに晒し出そうと試みた。だが、それはヴァーサヴァ様の怒りを買った。ヴァーサヴァ様をはじめ、神々の多くは甘美な音楽に浸るような気分で創造の美しい部分だけを鑑賞し、心を満たしたかったのだ。傾きかけた世界の混乱もヴァーサヴァ様には美しい創造の中の一章としてしか捉えられなかった。ナユタが見抜いた危険は認知されず、ナユタの試みはただひたすらに混乱を招くだけと受け取られた。絶望したナユタは、最後の言葉を吐いて、時空の裂け目に消えて行った。そして、その日から、宇宙の車輪は急速に狂い、ついに宇宙は破壊の業火にさらされた。大地は裂け、海は干上がり、炎は十億年に渡って燃え続け、一切の存在は灰燼と帰した。今回の創造にナユタの力を借りなくてよいものであろうか。もちろん、ヴァーサヴァ様がお望みなら、わしはいつでも力をお貸ししよう。だが、その前に、もう一度申し上げねばならぬ。ナユタをこの創造に参加させるようにとな。ナユタの力なくしては、今回の創造もまた、混乱と破壊を招くだけのものになるかもしれぬからな。」

 ふたりはヴァーサヴァの館をめざして出発したが、ウトゥもウダヤ師も決して晴れやかな気持ちではなかった。ウトゥはウダヤ師の警告に心をかき乱され、黙ってウダヤ師を先導した。

 

 そのころ長女シュリーは、アルテミスのごとき輝かしい光彩を放ちながらマーシュ師の元へ向かっていた。彼女は美しく結った髪をなびかせ、微笑をたたえ、けれど強い意志に貫かれた表情で、真一文字に時空を横切った。そして彼女を称える幾多の賛歌を浴びながら数々の遊星の側をすりぬけ、マーシュ師の住む宇宙の淵へと降り立った。

 マーシュ師の住処は古びた小さなあばら家だった。草で葺いた屋根、傾いた柱、崩れかけた壁がシュリーの心を打った。

「宇宙で崇敬を集めているマーシュ師がこんなところに住んでおられるとは。」

 そう呟いて彼女が狭い入り口から入ると、マーシュ師は部屋の中央で瞑想していた。マーシュ師は目を開き、シュリーをじっと見つめた。

「待っておったよ。長い間眠っておったのだが、誰か重要な客がわしの元に向かっているという夢のお告げがあったのでな。」

「ありがとうございます、マーシュ様。本当にお久しぶりです。実は今日は、父ヴァーサヴァの願いを伝えにやって参りました。ヴァーサヴァは今日、再び創造を開始しようとしています。生命の源を司る神マーシュ様のお力をお借りしたいと申しております。人間を造り、人間に生命を吹き込んでいただきたいのです。」

「もちろんお引き受けしよう。」

 そうマーシュ師は言ったが、言葉は重く、表情は厳しいままだった。マーシュ師は続けた。

「ヴァーサヴァ様の願いを断ることなど考えられませんからな。だが、創造にどれほどの危険が伴っているか、それを考えておかねばなりませんぞ。創造にはたしかに美しい側面もあるが、同時に幾多の醜さを包含してもいる。この世界には美しいものばかりではなく醜いものもあり、正しいもの、強いものばかりではなく、間違ったものや弱々しいものもあるのですからな。」

「それはよく分かっています。だからこそ、父ヴァーサヴァは創造の正しい力を用いて、できるかぎり美しいものを創造したいと願っているのです。」

「ヴァーサヴァ様の美しいお心はよく分かる。だが、いったいこの世界で、醜さを包含しない美しさ、弱さを包含しない強さなどというものが本当にあるのでしょうかな。美しいものには限りない賛美を送るが、醜いものは忌み嫌い、できる限り抹殺しようとするような在り方が本当に正しいのでしょうかな。わしは長い年月をここで過ごし、そういうことが分かりかけて来たような気がしておる。この世界には無数の醜い者どもが住みついておるが、彼らとて、存在の一断片を具現するために存在しているということが今のわしにはよく分かる。そのことを忘れた創造がどういう結果になるか、前の創造が示しておるとは思わんかね。」

 マーシュ師の厳しい対応にシュリーは心を痛めたが、それでも努めて明るく言った。

「でもマーシュ様。新たな創造は多くの神々の願いのはず。私も父もそのことをよく知っています。そして醜いものではなく美しいものを求め願うのは当然のことではないでしょうか。創造を美しいもので飾り立てねばならないという思いは前回の創造にも増して強まっているはずです。今回の創造はそういう強い願いと美しい心に支えられ、これまでに類を見ない美しいものになると信じています。」

「その通りであれば良いのだが。たしかに、より美しいものにしたいと願う神々は多かろう。だが、単に、正しいものにだけ支えられるような創造はまったく創造的ではないということも理解せねばなるまい。正しいものにだけ支えられるような創造は可能であるが、それはまったく揺らぎのない平板な世界、何一つ心躍らせるもののない世界にしかなりえないことはすでに過去の創造が実証している。」

「その通りです。それゆえ、父ヴァーサヴァは、さまざまな揺らぎを内包した世界に、真の道しるべをつけ、創造を真に創造的なものにすべくバルマン様、ウダヤ様、そしてマーシュ様の力をお借りしたいと考えているのです。」

「だが、創造が内包する幾多の矛盾が引き起こす混乱を神々はどう思うであろうな。例えば、破壊の神ムチャリンダはどうするだろう。もしムチャリンダが目を覚ませば、恐らくこの創造を妨害し、良からぬ災いを吹き込むだろう。創造の危険を重視する者たちはムチャリンダを支持するだろうし、その力は侮れるものではないだろう。」

「でもムチャリンダは、四十三億二千万年前の終末のとき、マーシュ様によって闇の中に葬り去られているはず。なぜそのように、ムチャリンダの力を恐れなくてはならないのでしょう。」

「たしかに、ムチャリンダは四三億二千万年前、わしの呪文によって宇宙の闇に葬られた。神でないものが神の名を呪うまで、ムチャリンダが眠りから覚めることはない。しかし、解かれることのない呪文などというものは存在しない。そもそも、世の常として、強い力はそれに匹敵する反対の強い力を引き起こすものだ。美しい創造を目指す力が強ければ強いほど、それを破壊しようとする力もまた強くなる。そしてその力が再びムチャリンダをよみがえらせることがないと誰が言えよう。」

「でも、だからこそ、マーシュ様のお力を借りたいのです。ムチャリンダが復活し、この創造を蹂躙するなどということは決してあってはなりません。そんなことのないよう、そして、美しい創造が完成するようお力をお貸しいただきたいのです。」

 マーシュ師は厳しい表情を崩さず言った。

「しかし、美しい創造の完成とは何を言うのであろうか。そこへ至る道筋はどのように考えられておるのであろうな。だが、ともかく、懸念ばかり言っておっても始まらん。ヴァーサヴァ様が決められた以上、創造は開始される。ならば、及ばずながらもできる限りの力はお貸しせねばなるまい。それが神としての責務でもあるしな。」

 ようやくマーシュ師の同意を得ることができ、シュリーは少し顔をほころばせて言った。

「ありがとうございます。ヴァーサヴァの元には、創造を司るバルマン師、工芸の神ウダヤ師が集まっているはずです。それに、生命の源を司るマーシュ様が揃えば、この創造には大きな希望が沸いて来ます。創造は必ず成功するでしょう。」

 マーシュ師はうなずいたが、その目は決して笑っていなかった。

 

 こうして、マーシュ師はシュリーとともに、ヴァーサヴァの元に向かった。ふたりがヴァーサヴァの元に着いたのは、ちょうどヴァーサヴァがランビニーとともに野の藩祭から創造の火を携えて帰って来たところだった。

 ヴァーサヴァは上機嫌でふたりを迎えた。

「おお、マーシュ殿、お待ちしておりましたぞ。たった今、野で藩祭をあげて来たばかりです。バルマン師自らこうして創造の火を灯してくれました。神聖な占いの結果、吉兆も得られました。創造は必ず成功するでしょう。ウダヤ師にも既に来ていただいております。さっそく創造の準備に取り掛かりましょう。」

 そこにバルマン師とウダヤ師が近づいて来た。ウトゥとユビュも一緒だった。ウダヤ師はウトゥに目配せしながらヴァーサヴァに言った。

「ヴァーサヴァ様。今日の創造はナユタに知らせてありますかな。ウトゥはたぶん知らせておるまいと言っていましたが、本当でしょうか。もし、知らせていないとしたら、大きな災いの元にならねばよいがと懸念しますが。」

「ウダヤ殿。ナユタに知らせる必要はないと思うが。ナユタは言わば反逆児。創造に反逆し、今は時空のかなたに消えておる。どこにおるか知るよしもない。」

「しかし、創造には危険がつきもの。その危険に対して本当の知恵と力をもった者を参加させずして真の成功を得るのは困難です。ナユタこそ、それにふさわしい者のはず。彼の異様な力は前回の創造の際にも既に明らかにされております。豊かな経験と数々の困難をくぐり抜けてきた神だけが持ち得る力をナユタは持っています。確かに、バルマン師もマーシュ師も並ぶ者なき賢者。我らの力をもってすれば、創造を開始することは容易いでしょう。しかし、創造を完遂するためには、悪や困難に立ち向かう勇気と英知、そして忍耐力が必要なのです。創造の修羅場をかいくぐって来たナユタの力を借りないとは恐ろしいことです。」

 マーシュ師が大きくうなずいて言った。

「それだけではない。私には破壊の神ムチャリンダのことが気に掛かります。ムチャリンダは宇宙の闇に葬られているとはいえ、私の呪いによって封じ込められているにすぎません。呪いが破られたとき、どんな恐ろしいことが起こるか、よく考えねばなりません。神々の多くはヴァーサヴァ様の創造を支持するでしょうが、創造を快く思わぬ者たちも少なくはないのです。その者たちはムチャリンダのもとに集まり、ムチャリンダが復活した日には、侮りがたい勢力となるでしょう。創造を始めるに当たっては、万全の準備と不屈の精神が必要です。安易な創造の開始は多くの危険を孕んでいます。」

 ランビニーが口を挟んだ。

「皆様の懸念もごもっとも。しかし、懸念ばかりでは何事も成就しません。危険を背負った冒険のみが成功への道であることは皆様も重々ご承知のはず。幸い、今日は、バルマン師、ウダヤ師、マーシュ師と創造にかかわる最も高貴な神々にお集まりいただくことができました。先程は私もヴァーサヴァとともに藩祭を上げ、バルマン師に創造の火をたぎらせていただき、しかも、いつにない吉兆の数々を得ることができました。皆様の並外れた力を合わせてうまくゆかないなどということは考えられません。」

 ヴァーサヴァも言った。

「その通り。皆、自分たちの力をもっと信じてよいと思うが。しかももう夕暮れが近い。創造を開始すべき時となっておる。どこにいるかも分からぬナユタを捜し出すことなど不可能だし、闇の世界のムチャリンダを気にかけるなど意味に乏しいこと。我らの力を信じよう。そして美しい創造を築くのだ。」

 このヴァーサヴァの言葉に、宇宙の三賢神はただ黙って頭を下げた。ヴァーサヴァが改めて三賢神を讃え、皆で創造の賛歌を唱した後、各々の準備を始めた。疑念は残ったが、協力し、創造の成功に全力を尽くすことが、己の使命なのだと皆自分に言い聞かせたのだった。

 

 こうして創造の儀式が準備された。ヴァーサヴァの守護神であるトヴァシュトリ神の祭壇が掃き清められ、バルマン師が火の神アグニに祈りを捧げて創造の火を祭壇に供えるとそれは赤々と燃えた。パールヴァティー女神のごとく光り輝くランビニーが祭壇の回りを回りながら、創造の呪文を唱えた。ウダヤ師は鎖のかかった箱から、大地と海の元を取り出し、水と塩を振りかけながらゆっくりと練り上げた。シュリーとユビュは創造の火によって壁の燭台に次々と点火した。こうして祭壇は、創造の炎によって囲まれた。

 いよいよ創造の儀式の始まりだった。ヴァーサヴァが創造の呪文を読み上げる。読み終えるとヴァーサヴァとバルマン師が呪文の書かれた巻物を創造の炎の中に投げ入れた。一段と明るい発光が起こり、創造への期待が高まった。ウダヤ師が練り上げた大地と海の元を創造の炎の中に投げ入れる。バルマン師がそれを両手で取り出すと、大地と海は、赤い炎に包まれてバルマン師の手の上で美しく燃え盛った。

「おお、新たな創造の誕生だ。」

 そうバルマン師は声を詰まらせた。

「なんと長きこと、この日を待ちわびていたことか。再び世界に光と歓喜が復活し、被造物たちが生き生きと大地を駆け巡るときが来たのだ。」

 ヴァーサヴァは感無量にそう言い、目にはうっすらと感激の涙が浮かんでいた。

 ヴァーサヴァは、原初の創造神でありすべての恵みの源泉と言われるトヴァシュトリ神から授かったヴァジュラを掲げ、マントラを誦し、バルマン師の手の上で打ち震える大地と海に霊水を振りかけた。さらにマーシュ師が生命の源を赤い炎に包まれた大地と海の中に投げ入れると、いっそう激しい炎が燃え立った。いかなる夜といえどもその炎の前ではいささかの闇も作り出すことはできなかったであろう。それほど炎は激しくそして明るく燃え立った。まるでのヴァジュラの雄叫びが聞こえるかのようだった。

 こうして世界が誕生した。新たな創造が始まったのだ。バルマン師は誕生したばかりの世界をそっと聖台の上に置いた。

 燃え盛る炎を前にヴァーサヴァがおごそかに言った。

「世界が誕生した。再び世界が誕生したのだ。我らの英知が結集した世界、我らの一切の希望が詰まった世界、生命に溢れ、限りない可能性をもっている世界だ。この世界こそが我らの喜びの源であり、すべての神々がこのことを祝うだろう。この世界をさまざまな邪悪な挑戦から守り、この世界が正しくダルマに従った道を歩むようわしは七本のブルーポールを授けよう。」

 そう言うとヴァーサヴァはそばの櫃の蓋を開け、透明な底無しに深い青色を帯びた七本のポールを取り出した。

「このポールはダルマを吹き込むことによって、青い輝きを発する。その輝きは何ものにも代えがたい崇高な輝きだ。それは高揚と静畢を兼ね備えた不滅の叡智となろう。それは何ものにも屈しない勇気と無限の希望の源となり、創造を擁護するだろう。さあ、ひとりづつ、このブルーポールにダルマを吹き込んでくれ。」

 最初にユビュが立ち上がった。ブルーポールをヴァーサヴァとともにしっかりと握り、ユビュは言った。

「世界がサラスヴァティー女神の守護のもとで無垢の喜びを忘れることのないよう、そして世界が無垢の美しさを失うことのないよう、私はここに私の命を分かち与えます。」

 するとユビュのブルーポールは透明な青い光を放ち始めた。その光彩はこの世のものとも思えないくらい美しかった。あたかもユビュの守護神サラスヴァティーの放つ慈愛の光のごとくであった。

 次に、ウトゥが立って言った。

「世界がシャマシュ神の正義に守られ、いかなる不正義にも犯されることのないよう、私はここに私の命を分かち与えます。」

 ウトゥのブルーポールもウトゥの守護神シャマシュの輝きのごとく青い輝きを放ち始めた。

 次はシュリーの番だった。

「世界がアルテミス女神の真実の愛に守られ、いかなる不信によっても汚されることのないよう、私はここに私の命を分かち与えます。」

 シュリーのブルーポールも青い輝きを放ち始めた。それはあたかもシュリーの奉ずるアルテミス女神の高貴な光のごとくであった。

 このときナユタは遠い宇宙の涯てからこの情景を見ていた。これこそが、前回の創造が死に絶える際に奔走した彼を称えて絶対者が授けた神通力のひとつだった。

 ナユタはあの日以来ずっと宇宙の涯てに籠もっていた。彼は失敗した創造の根源的な欠陥を考え抜くために何億年にもわたる瞑想を繰り返し、また新たな戦いに備えるために厳しい修行に明け暮れていた。そしてこの日、ナユタはヴァーサヴァが野で行った藩祭の煙を見て、創造が開始されることを知ったのだった。

「創造が開始される。だが危険なことだ。この創造が何を生み出すか、それを占わねばならない。」

 そう言って彼は、吉凶を占うため、とれたての美しい果実に手を触れた。するとそれはたちまち真っ黒に腐敗した。次に汲んで来たばかりの泉の水に手を入れた。するとそれはすぐさま異臭を発した。

「果実は腐り、水は異臭を放った。新しい悲劇が開始される。ヴァーサヴァの描く創造は危険きわまりなく、誤った法則に支配されている。大いなる怒りが大宇宙の秩序を破壊し、世界は混乱と狂気を招くことになるだろう。世界はそこに住む者たちにとって、苦しみの源となるだろう。」

 そう言ってナユタは、神通力でヴァーサヴァの館の様子をうかがった。

 ヴァーサヴァの館では儀式が続いていた。バルマン師が立ち上がり、ブルーポールを掴んで述べた。

「世界が無意味な混乱から守られ、正しい秩序が維持されるよう、我が命を分かち与えよう。」

 ウダヤ師が続いた。

「世界が健やかに育ち、大地と海がともにすこやかな美しさを保ち続けるよう、我が命を分かち与えよう。」

 マーシュ師も述べた。

「世界に住まう一切の生命あるものが栄え、世界が美しい創造の場となるよう、我が命を分かち与えよう。」

 こうして六本のブルーポールに次々に聖なるダルマが吹き込まれ、美しい青い輝きを放った。

 最後はヴァーサヴァとランビニーだった。ふたりはブルーポールを握り、声をそろえて唱和した。

「世界がトヴァシュトリ神とパールヴァティー女神の守護のもとで真実のダルマに守られ、ダルマに従って正しく道を歩むよう、我らが命を分かち与えよう。」

 しかし七本目のブルーポールは光を発しなかった。神々の驚きと疑念の中、七本目のブルーポールは激しく振動したかと思うと、真っ二つに折れた。ヴァーサヴァとランビニーは驚愕して立ちすくみ、三神の賢者は目を見張った。

 それこそがナユタの神通力によるものだった。ナユタはその秘められた力を発し、全身全霊の力をこめて、宇宙の涯てからそのブルーポールを折ったのだった。

 ランビニーは真っ青になって顔を引きつらせた。ウダヤ師が小さくつぶやいた。

「ナユタだ。」

 その言葉が神々の心を一層動揺させた。しかしヴァーサヴァはつとめて冷静さを装いながら、驚愕する神々を前に言った。

「創造に対する妨害がある。だが、真実はそのような妨害によってくじかれるものではない。創造は既に開始され、完成への道を登り始めている。清めの儀式を行い、速やかに世界を飛び立たせよう。」

 ウダヤ師が清めの聖水を世界に振りかけたが、その手は震えていた。バルマン師はもう一度世界を手にとって、燃え盛る炎に息を吹きかけた。マーシュ師はバルマン師から世界を受け取ると、それをトヴァシュトリ神の祭壇に置いた。世界はいくらか震えて見えた。

 ヴァーサヴァが長い祈祷を行った。最後にヴァーサヴァが、かつてトヴァシュトリ神が世界を最初に創造したときに唱えたという呪文を唱え終わると、世界はゆっくりと振動を始め、そして浮き上がった。その世界をマーシュ師がそっと手のひらに乗せ、館の外へ運んだ。他の神々も後に続いた。マーシュ師が生まれたばかりの世界をもって現れると、外で待っていた神々の中に大きな感慨がうねった。神々が見守る中、世界はマーシュ師の手のひらからゆっくり浮かび上がり、やがて大空へ飛び立っていった。ついに世界が再び始まったのだった。

 ヴァーサヴァら神々は、大きな喜びと安堵に包まれた。神々から大きな歓声が上がり、館は世界の誕生を祝う祝祭へと移っていった。

 ヴァーサヴァは従者に折れた七本目のブルーポールを野に立て掛けさせた。そして何者もこれを引き抜くことのないよう呪文による封印がなされた。

 しかしヴァーサヴァの創造の試みに疑念をもったのはナユタだけではなかった。誕生した世界がヴァーサヴァの館から飛び立つのを目撃した少なからぬ神々から、非難と疑念の声が上がった。

「何のために、再びこんな創造を開始するのだ。我々は、我々自身の宇宙の現状に満足していれば良いではないか。何のために、新たな混乱を引き起こすようなまねをするのか。」

と言う声が聞こえた。

「創造は成功しない。世界に住まう者たちは、飽くことなき欲望の車輪を回すことによって、自ら破滅するだろう。」

と言う者もいた。

「生命の元を投げ入れたのが失敗だった。大地と海だけなら罪はない。だが、生命はそれ自身罪を誘発する存在だ。」

「美しい世界を創造するというが、悪と悲劇の温床を用意したようなものだ。血なまぐさい混乱を避ける手立てなどどこにも施されていない。」

「ナユタが黙っていないだろう。世界が混乱するばかりか、この神々の世界までもがその混乱に巻き込まれるのは嘆かわしいことだ。」

 そんなさまざまな非難や疑念が飛び交った。

 ある者たちは、非難し、疑念を表明するだけだったが、ある者たちはムチャリンダの元に向かった。この創造を破壊するために、ムチャリンダの力が必要と少なからぬ神々が考えた。

 ムチャリンダはそのとき、宇宙の淵で永遠の眠りについていた。マーシュ師による「神でない者が神の名を呪うまでは、眠りから覚めることはない。」という呪いによって、四三億二千万年前の終末の時以来、ムチャリンダは眠り続けていた。ムチャリンダの元には多くの神々が集まったが、彼らのいかなる努力もムチャリンダを目覚めさせることはできなかった。

 

 一方、世界はヴァーサヴァの館を飛び立って長い旅を続けた。茫漠たる宇宙を漂いながら、世界は山や川を生み、そして最初の生命を生んだ。大きな地殻変動や火山の爆発が何度となく起こった。生命は次々に新しい生命を生んだ。生命は次々と進化を遂げ、生き物たちは海から陸へ、さらには空へと進出した。野には花が咲き、山には木々が生い茂り、昆虫たちが戯れた。魚が生まれ、鳥が生まれ、獣が生まれ、そしてついには人間が生まれた。

 人間の登場は神々を歓喜させた。誰もが順調な創造の展開を喜び、誇った。

 人間の数は順調に増え、村ができ、町には人々が集った。自然の脅威がしばしば人間たちを襲い、豪雨、洪水、地震、台風、干ばつ、大火事、津波などが次々に人間たちを打ちつけたが、彼らはそのたびに再び立ち上がった。

「ブルーポールの力が彼らに力を与えている。」

 そうヴァーサヴァは語った。

「ブルーポールの力が人間たちの心に勇気を呼び起こしている。」

「人間たちの不屈の精神はブルーポールのたまものだ。」

 そんな称賛の声も神々の中から聞こえた。

 だが、町がさらに大きくなり、人間の数が増えてゆくにつれて、さまざまな諍いが頻発し始め、不調和と憎しみがしだいに人間の心に染み込んでいった。人間たちは欲望と怒りに身を任せるようになり、虚偽を働き、貪欲と無知に突き動かされるようになった。よこしまな人間が増え、邪悪な者たちが己の力を頼って弱いものを虐げ始めた。まさに、人間の限界が見え始めたのだった。

 ある者たちは、その原因は七本目のブルーポールが折られたことにあると言った。そして、そのブルーポールを折ったのがナユタであることを知っている者たちは、ナユタの行為が元凶だと言った。

 しかし、ナユタはまだ宇宙の涯てから見つめているだけだった。ナユタには危険が分かっていた。そして、来るべき戦いに備えるため、何千年にも及ぶ瞑想を行っていた。

 そんなある日、世界では恐ろしいことが起こった。憎しみといがみ合いがついに人殺しとなり、息子を殺された父親が天に向かって訴えたのだ。

「いかなる神々の怒りが私に突き当たったのか?私は何のために生まれて来たのか?何十年もの間、この黒土に汗と涙を染み込ませながら、ただただ困難と労苦に耐えてきた。やっとのことで、息子を一人前に育て上げ、ようやく、子供の家族に囲まれた老後を過ごせると喜んでいた矢先、息子は、病気にかかったのでもなく、獣に襲われたのでもなく、人間によって打ち殺されてしまった。人生とは何と苦い味のするものか。神々の心は人間には無関心だ。そして、いったいどれほど空しく神々に懇願すればよいのか。私はこのような世界を創った神々を呪わずにはいられない。この世界をこのようなものに創り上げた神々こそ呪われるべきだ。」

 この言葉は、一瞬のうちに全宇宙を駆け巡った。その呪いをまともに受けたヴァーサヴァは言いようのない胸騒ぎと共に強い不安に駆られ、ランビニーは卒倒して倒れた。マーシュ師は真っ青になってつぶやいた。

「世界の混乱が始まった。ムチャリンダの時代が来る。」

 呪いの言葉は、ムチャリンダの眠る闇の世界にも届いた。そして、その呪いの声によってマーシュ師の呪文が解け、ムチャリンダは目覚めた。

 取り囲む多くの信奉者たちが歓喜の声を上げた。

「ようやく、この宇宙でなされている愚かな創造を誅することができる。」

「ついに天の怒りがこの地に届いた。その怒りは過去の秩序を破壊せずにはいないだろう。」

「創造の限界がムチャリンダを目覚めさせた。真理を目指すムチャリンダの歩みが神々の歴史を変えるだろう。」

 ムチャリンダは守護神である太陽神スーリヤに祈りを捧げ、取り囲む神々の方に向き直ると口を開いた。

「おれはよみがえった。そして見た。愚かな行為が再び繰り返され、創造された世界で存在者の喘ぎと呪いの声が渦巻いているのを。人間たちの愚かさがこの世界に危機の時代をもたらしているのを。うわべだけの創造の美しさを賛美する巨大な迷妄がおれを呼び起こした。醜悪な美しさを塗りたくった世界の放つ異臭がおれを目覚めさせた。そして、創造を開始した神々を呪う存在者たちの聖なる言葉がおれを突き起こした。この宇宙に真理が具現される時代が始まる。さあ、戦いだ。この戦いはスーリヤ神に嘉されるだろう。今日という日は、真理に基づく世界が新たに生まれ出るための第一歩となるだろう。」

 ムチャリンダの宣言はすべての神々に届き、全宇宙を震撼させた。そして、神々の間には賞賛の嵐が沸き起こり、ムチャリンダを讃える声が、宇宙の津々浦々までこだました。

 ムチャリンダが進軍を開始すると、彼を支持する無数の者たちが集まってきた。その様はさながら、星々の輝きを隠す虫の大群のごときであった。宇宙一の軍神と言われたイムテーベがやってきた。宇宙一の論客と言われたルガルバンダがやってきた。宇宙一の勇者と言われたヤンバーがやってきた。

 イムテーベ、それは天空の神ホルスを奉じ、軍を動かして右に出る者はないと言われた軍神であった。圧倒的な破壊の力を有する神器ヒュドラを操り、あらゆる武芸に通じ、すべての兵法に明るく、その洞察力は他に並ぶ者なく、その判断力にはいかなる神も及ばなかった。前回の創造が潰えて以来、ただひたすら更なる兵法を学び、さまざまな研究を重ねてきた軍神であった。

 ムチャリンダが復活した日、イムテーベはただ一言言った。

「私には定められた道がある。行かねばならぬ。」

 イムテーベがやってくる、イムテーベがムチャリンダの軍団に加わった、という知らせは大宇宙に激動の時代が到来した事を告げることとなった。ムチャリンダはイムテーベを自ら出迎え、全軍の大将軍に任じた。

 イムテーベは言った。

「ヴァーサヴァによって為されている創造は神の恣意による創造、人のためではなく神のための創造でしかない。人がどれほど苦しもうが顧みもしないこんな創造を野放しにするなら、神としての正義が廃るのは必定。理はムチャリンダ殿にあります。」

 ムチャリンダは宣言した。

「ホルス神を奉ずる軍神イムテーベが正義のために我が軍に加わった。ついにヴァーサヴァの創造を誅する時が来たのだ。」

 ルガルバンダ、それは議論を戦わせて右に出る者はないといわれた神、宇宙開闢以来のあらゆる書物に通じ、いかなる問答にも必ず勝つと言われた神であった。宇宙の創造神と言われる神々の師ブリハスパティを奉じ、一切の事象の裏に潜む真理への並々ならぬ洞察力を有する神でもあった。

 ムチャリンダが復活した日、ルガルバンダは静かに沈思して語った。

「このたびの創造については、ムチャリンダに理がある。ブリハスパティ神はこの創造を是としないだろう。人間を、この呪うべきものを大地から一掃するのだ。二度とふたたび神々の静謐を破ることがないように。」

 ムチャリンダはルガルバンダを迎えるとすぐさま左将軍に任じ、こう言って頭を下げた。

「このたびの戦いは正義の戦い。その正義をすべての神々に喧伝せねばならぬ。ぜひ、貴神の力をお借りしたい。」

 ムチャリンダ自身のこの言葉に、ルガルバンダは深々と頭を下げて答えた。

「私などはただの青二才。かくのごときお出迎えにはただただ感謝の言葉しかありません。ムチャリンダ殿の戦いこそ正義に則った戦い、あらん限りの力を尽くすことをお誓い申し上げます。」

 ヤンバー、それは軍神スカンダを守護神とし、宇宙一の暴れん坊と言われた武神であった。流星錘を操り、勇猛さで右に出る者はなく、恐れとか怖気という言葉はヤンバーの辞書にはなかった。ヤンバーがはせ参じると、ムチャリンダは大いに喜び、彼を右将軍に任じた。

 イムテーベ、ルガルバンダ、ヤンバー以外にも、サヌート、ギランダ、ルドラ、バルカなど名のある数々の神々が駆けつけ、雲霞の大群のごとき勢いであった。

 

 ムチャリンダと彼の支持者たちの声はナユタの元へも届いた。ナユタはひとり沈思し、同じ日、宇宙の涯てを出発した。

「もはやここに止まっているときは終わった。ヴァーサヴァの創造はとてつもない波紋を呼び起こした。それは静かな池へのただ一滴の滴であったかもしれないが、それはただ広がり消えてゆくということにはならないだろう。その一滴の滴は新たな混乱と戦いを生み出さずにはいないだろう。創造は常に神々の業であった。そして再び新たな業が始まった。新たな戦いだ。私は行かねばならない。」

 そう彼は絶対者に向かって叫んだ。

 こうして創造を巡る神々の戦いが始まった。創造と破壊とを巡り宇宙を二分する戦いの始まりであった。平和な時代は終わり、戦いと混乱の時代が幕を開けたのだった。

 そしてそれはナユタにとって、創造の核心を問うための長い旅の始まり、地球と人間を救うための旅の始まりでもあった。

 マーシュ師はひとりつぶやいた。

「平和な時代は終わった。神々の勇気が試される時代がやってきた。しかし、同時に、無数の悲鳴が宇宙の空を焦がす時代がやってきたのだ。」

 

 ムチャリンダが進軍を開始し、ナユタが宇宙の涯てを出発したという知らせが届くと、ヴァーサヴァの館は言いようのない不安に覆われた。三賢神のうちバルマン師は創造の火を燃やし続けるために、ヴァーサヴァの館に留まっていたが、何神もの神々がバルマン師を訪れ、己れの心の不安を打ち明けた。しかし、バルマン師は黙って聞き、沈黙の賢者としての姿勢をいささかも崩すことなく、創造の火を燃やし続けた。

 このことを耳にして、ついに、ヴァーサヴァとランビニーがバルマン師の元を訪れた。創造の火への祈りを終えたバルマン師に、ふたりは礼に則ってあいさつし、バルマン師の背後から、ヴァーサヴァが話しかけた。

「バルマン殿。創造の火を見守っていただいていることを多くの神々が賛美しています。私どももバルマン殿の高貴な姿勢を感嘆のまなざしで見上げています。お聞き及びであろうが、ムチャリンダが復活し、こちらを目指して進軍しているという知らせがもたらされました。ナユタも宇宙の涯てを出発したと言います。しかし、この創造は本質的には順調に進んでいます。ナユタに折られた七本目のブルーポールのせいで、多少の歪みが生じてはいるかもしれないが、この創造は多くの美しいものを生み出しています。幾多の高貴な思想、妙なる音楽、美しい絵画や彫像、類いまれなる叙事詩を生み出し、壮大な建築物を出現せしめました。そしてこの創造はさらにすばらしいものどもを生み出し続けるでしょう。被造者の心が生み出すものには限りない美しさと限りない可能性が潜んでいるのです。たしかに、地球では、人間同士の醜い争いも芽生え始めています。この館を取り巻く神々にも不安なまなざしが生じ始め、困惑と不安を隠すことのできない神々も少なくありません。古来、先賢の教えほど貴いものはないと言います。また、危難に瀕したときほど、賢者の教えが必要なときはないとも言います。バルマン殿、私たちがいかにすれば良いか、どうかご教唆いただきたい。」

 バルマン師は創造の火を見つめ続け、しっかりした口調で言った。

「私の師、ナタラーヤ聖仙は、一切の創造と破壊を超越した賢者の中の賢者でしたが、永遠の円環への旅立ちを決意された日、私にこう申されました。生起したものは生起したものがもつ運命を背負うほかはなく、破壊の神は、ただ、己の責務として朗々と破壊の踊りを喜悦のうちに踊る。神も悪魔も創造と破壊の環に取り込まれて、ただ己の役割を演じているに過ぎないと。」

 そう語るとバルマン師はゆっくりとヴァーサヴァとランビニーの方に向き直り、さらに続けた。

「私は創造の開始以来、毎日、欠かすことなく創造の火に新たな生命を吹き込み続けました。世界が日々成長し、新たな創造が展開するのを眺めるのは、たしかに大きな喜びでもありました。しかし、創造には危険がつきものです。ユビュが私の洞窟にやって来たときにも言いましたが、前回の創造の結果には多くの神が失望し、創造に懐疑的な神々も少なくありません。ムチャリンダはマーシュ師の呪文で宇宙の淵に眠っていましたが、破られることのない呪文などというものはどこにも存在しません。ムチャリンダは復活し、彼の破壊の踊りを始めようとしているだけなのです。あの日、ウダヤ師もマーシュ師も創造への疑念を表明し、特にナユタを呼ばないことへの懸念を強く申し上げていました。しかし、その懸念はナユタを呼びに行く時間がないことを理由に封じられ、ヴァーサヴァ様とランビニー様の意志によって創造が開始されてしまいました。ムチャリンダは進軍を開始しています。ほどなく、彼はこの館に近づくでしょう。彼の破壊の力に立ち向かえる神はこの館にはいますまい。ムチャリンダは破壊し、そして地球に決定的なダメージを与えるでしょう。そしてそれは前回の創造にもまして恐ろしい業火を燃え広がらせ、神々の心にいやというほど創造の悲惨な結果を刻み付けるでしょう。ムチャリンダを防ぐ手だては一つしかありません。ナユタを今すぐ呼びにやり、ムチャリンダより早くこの館に迎え入れることです。」

 しかし、ランビニーは同意しなかった。

「そもそもこの混乱の元凶を作ったのはナユタではありませんか。七本目のブルーポールが彼の魔力によって折られさえしなければ、世界はもっと順調に生育し、創造は美しく完成への道を歩んだはず。七本目のブルーポールが折られたことによって、創造に亀裂が走り、世界に歪みが生じたのです。そしてその歪みがムチャリンダを復活させ、今また、この混乱の元凶であるナユタまでもがこの館に向かうという事態になっているのです。ナユタをこの館に迎え入れるなど、とうていできることではありません。」

「だが、七本目のポールが折られたのは、ナユタを呼ばなかったことが原因でもあります。彼を呼ばなかった以上、彼の行為を責めることはできますまい。」

 こうバルマン師は重い口調で語ったが、ヴァーサヴァは同意しなかった。

「バルマン殿の言葉の重みは我らも重々承知しておる。また、バルマン殿のご忠告にも感謝しておる。だが、我らには創造を司る神としての誇りがあることも思い致していただきたい。神々の会議の主催者である我らが、どうして反逆児のナユタなどに頭を下げられようか。わしにはナユタを迎え入れることなどとうていできぬ。」

 この言葉を聞くと、バルマン師はただ次のように言った。

「生起したものは生起したものがもつ運命を担うしかないという、ナタラーヤ聖仙の言葉どおりになるでしょう。創造への危惧を抱く神々の存在を十分認識しなかった報いはきっと来るでしょう。だが、私の責務はこの創造の火を守ること。それに私の全身全霊を傾けることだけはお誓い致しましょう。」

 次の日、シュリーがバルマン師を訪ねてやって来た。

「昨日、父ヴァーサヴァと母ランビニーがバルマン様を訪ねたと聞きました。ムチャリンダが迫っているというこの危急のときに、私はじっとしてはいられません。この創造は正義に則って行われているはず。ムチャリンダは聖なる創造の道を危険なものと決めつけ、生命そのものを冒涜しています。この創造をなんとしても守り通さねばなりません。」

「シュリー、そなたは吉祥という名をもつ神として、賢明にして高貴な輝きをもっている。だが、そなたの意に反することを言うようで申し訳ないが、この創造が本当に正義に則っているかどうか、それは誰にも言えますまい。この創造に反対する幾多の神々がいるのも事実。創造に対して巨大な力を有するナユタとムチャリンダを無視して始められた創造が果たして正義に則っていると言えるものかどうか。軽々しく正義を口にするのは賢明なことではありますまい。」

「しかし、父ヴァーサヴァは創造を主催する権限をトヴァシュトリ神より授かり、しかも、創造を司る三神の賢者をあまねくお呼びしました。それがなぜ正義でないのでしょう。でも、それはささいなこと。大事な問題は、ムチャリンダが迫っているということです。私たちは決して悪に屈してはなりません。私は、この創造を守るべく、全力を挙げてムチャリンダと戦います。」

 バルマン師はゆっくり首を振りながら言った。

「シュリー、荒々しい激情はしばしば真実への目を曇らせる。確かにヴァーサヴァは創造の権限を有しているかもしれぬが、大地がひび割れ、弔鐘がわけもなく鳴り響くこの創造の現状に対してただ正義という言葉を振り回すだけで良いものであろうか。しかも、ムチャリンダは荒々しい力に溢れ、恐ろしく凶暴だ。そなたが立ち向かったとて、かなう相手ではない。それを承知で立ち向かったとしてもそれは匹夫の勇というもの。なぜナユタを待たぬ。宇宙広しといえどもムチャリンダに立ち向かえる者はナユタをおいて他にはないであろう。」

「バルマン様、なぜ、あんな反逆児のナユタを支持し、あてになさるのですか。前回の創造の際にも、混乱を救おうとする神々の試みをことごとく打ち砕き、しかも最後には己の役割を放棄して時空の裂け目に去っていったナユタではありませんか。いかにムチャリンダの力が強大とはいえ、私たちが結束すれば必ず倒せます。私たちにはブルーポールとバルマン様の神器ブラーマンがあるではありませんか。」

「シュリー、神器にだけ頼ることがいかに危ういことか、そなたは分かっておらぬようだな。確かに、ブラーマンはナタラーヤ聖仙から授かった尊い神器。だが、ブラーマンは神の道から外れた者にのみ威力を発揮するとも、向かってくる敵にのみ威力を発揮するとも言われている。しかもブラーマンを振り回してたくさんの敵を倒すことはできない。悪を成敗するためのここぞというときの一騎打ちには役立つかも知れぬが、軍勢を動かす戦いでどこまで役立つか。また、ブルーポールにしても、もともとは創造を擁護するためのもの。戦場でどれだけの威力を発揮するかはまるで未知数だ。」

「でも、このまま引き下がるわけにはいけません。我々だけでは戦えないとどうして言えるのでしょうか?私はひとりででも戦う覚悟でいます。そして、この館には優秀な武将であるライリーもおり、この危機を救おうとする無数の神々が集まってきています。それでもムチャリンダと戦えないとおっしゃるのでしょうか。」

「シュリー、その意気込みは買うが、ムチャリンダはマーシュ師の呪文で眠っている間に力を蓄え、以前にも増して強大になっている。しかも、ムチャリンダの元には、イムテーベ、ルガルバンダ、ヤンバーなどの勇者が馳せ参じているという。どうやって我らだけで戦おうというのか。」

「でも、このままでは、創造が死んでしまいます。」

 シュリーは涙を浮かべてそう叫び、続けて言った。

「バルマン様。どうかお力をお貸し下さい。バルマン様のおっしゃる通り、戦力的に劣勢なことは承知しています。でも、先ほども言ったように、創造を擁護するために、何としてもムチャリンダに勝たねばなりません。そのためには、どうしてもバルマン様のお力が必要なのです。バルマン様にこの戦いに加わっていただきたいのです。」

 このシュリーの真摯な言葉に、バルマン師は答えて言った。

「シュリー。わしはヴァーサヴァ様のこの創造にはできる限りの力を尽くしてきたつもりだし、これからも力を尽くすつもりでいる。ムチャリンダが押し寄せるこの危難に際しても、わしにできることはなんでもさせてもらうつもりだ。そのことだけは約束しておくよ。」

 このバルマン師の言葉に、シュリーは、

「ありがとうございます。」

と言って深々と頭を下げた。

 しかし、バルマン師はシュリーが出てゆくと深くため息をつき、そしてひとりひっそりと瞑想した。瞑想で心の力を回復すると、バルマン師はユビュを呼んだ。

 ユビュは沈鬱な表情だった。

「ユビュ、暗い顔をしておるな。無理もない。だが、元気を出すのだ。」

 バルマン師はそう言ったが、ユビュの顔は晴れず、訴えるように言った。

「いったいこれからどうなるのでしょう。父ヴァーサヴァは部屋にこもったきり出てきませんし、姉のシュリーはわき目も振らず戦いの準備を続けています。神々の間で戦いが起こるなど、ほんとうに恐ろしいことです。」

「そうだな。これまでも創造を巡ってさまざまな軋轢やいさかいはあったが、今回のように巨大な軍勢を仕立てての戦いが起こるなどということは宇宙開闢以来一度もなかった。わしにもこの事態がどういう結末になるのか皆目わからぬ。巨大な宇宙が時間の中に宙づりにされ、闇の力が押し寄せてきているのだ。」

「あの日、晴れやかな心で創造の火を授けていただくためにバルマン様の洞窟を訪ねたのが夢のように思えます。ほんの少し前のことなのに、もうはるか遠い昔のことのように思えてなりません。すべては変わってしまいました。私はこれからどうすればいいのでしょう。姉のシュリーと違って、私は戦いのことは分かりませんし、このような状況の中で何をすればよいのか分からないのです。」

 ユビュはそう言って、涙を拭った。

「ユビュ、元気を出しなさい。古来、賢者はいかなる幸運にもおごる事なく、いかなる非運にも嘆くことはなかったという。己の使命を知り、ただそれに忠実に道を歩くことが我ら神々の務めというものだ。どのような道が開けるのか、あるいは開けないのか、それは誰にも予見することはできん。わしの師であるナタラーヤ聖仙は、一切は不可知である、不可知であるが故に、一切の可能性が存在すると言われた。困難な状況の中で心を乱し、嘆きや悲しみに捉われ、道を見失うのは愚かなことだ。心を正しく研ぎ澄まし、真実を真っすぐに見つめ、生起するものに淡々と心を開くこと、それが賢者の教えにかなうだろう。」

 この言葉をユビュはうなずきながら聞いた。ユビュの顔がいくらか朗らかさを取り戻したのを見て、バルマン師は続けた。

「ユビュ、だが一方で、我らは常に来るべきこと、起こり得ることに対して適切な備えをしておかねばならん。おそらく、遠からず戦いが始まる。わしは、ヴァーサヴァ様と今回の創造に対する神としての義務もあり、出陣するつもりだ。この戦いがどうなるかは分からないが、遠からず、ナユタもやってこよう。そして、ナユタがやって来たら、そなたは、ひとりででもいいからナユタを訪ね、彼に力を貸すといい。」

「ナユタにですか?」

 驚いたように聞き返したユビュに、バルマン師は続けて言った。

「そうだ、ナユタにだ。彼の言葉は、そなたにとって苦いかもしれん。また、ヴァーサヴァ様やシュリーがナユタを反逆児として快く思っていないのと同様に、ナユタの方もヴァーサヴァ様の創造を快く思っていないだろう。だが、この困難な状況の中で、本当に困難に打ち勝つ力をもっているのはナユタだけだ。困難に打ち勝つためには、単に一つの優れた能力だけでは不十分だ。困難に打ち勝つためには、勇気、忍耐、英知、思慮、決断力、包容力などあらゆる力が要求される。残念だが、シュリーは勇気はあるが、忍耐力の点で不十分だ。ヴァーサヴァ様は思慮と決断力に欠ける。今回のことにしても、ナユタを呼びにやる心のゆとりをもてなかったことが、混乱を引き起こした主原因の一つともなっている。そなたはナユタを直接は知らないから不安を感じるだろうが、心を開いて話をすれば、きっと分かりあえるはずだ。前回の創造が崩壊の危機に面した時、彼のとった献身的な試みはそなたも聞いていよう。あれだけの英雄的な行為をなし得る神は、宇宙広しといえども、ナユタをおいて他にはいない。かつて宇宙の創成に携わったヴィカルナ聖仙なら、あるいはそれ以上のことができるかもしれんが、ヴィカルナ聖仙は今は宇宙の闇の中に引きこもってしまわれている。」

 ユビュはうなずいて答えた。

「分かりました。ナユタがやってきたら、バルマン様のお勧めに従ってナユタを訪ねましょう。でも、一つだけ教えてください。今回の混乱の発端はナユタがブルーポールを折ったことにあるのではないでしょうか。」

「その問いには、誰も答え得ないだろう。なぜなら、ことは生起してしまっているからだ。もし、ナユタがブルーポールを折らなければどうなっていたかは、誰も答え得まい。ただ、言えることは、ヴァーサヴァ様は、ブルーポールが折られなければ万事がうまく行ったはずと考えているが、ナユタはそうは思っていないということだ。彼には考えがあったのだろう。彼の目には、ヴァーサヴァ様の創造の断点が見えたのかもしれん。むしろ、もし、今回の創造にナユタを参加させていれば、今回の創造ももっと違ったものになっただろうと言う方がより適切だろう。ナユタを呼びにやるべきだというウダヤ師やマーシュ師の意見を退けたことこそ考えねばならない点だろう。ともかく事態が悪化したら、ひとりでナユタを訪ねなさい。おそらく折れたブルーポールはナユタが持つべきものなのだろう。そのことを心に刻んでおくのだ。」

 ユビュがうなずくと、バルマン師は優しく、諭すように言った。

「困難は始まったばかりだ。これから、何が起こるか、どんな厄災が降りかかってくるかは誰にも分からん。だが、心を正して待ち、何ものをも恐れない静かな心をもって、生起してゆくことに対してゆくのだ。そなたの守護神であるサラスヴァティー女神もきっとおまえを守ってくれるだろう。」

 

 そのころウトゥはウダヤ師の元へ向かっていた。ウトゥの心にはウダヤ師を呼びに行った日以来、創造に対する疑念が芽生えていた。ナユタを呼ばなかったことに対するウダヤ師の懸念やムチャリンダに対するマーシュ師の懸念、そしてあの栄えある創造の日にブルーポールが折られたこと、そういったことすべてが原因となってウトゥの心の中には大きな疑念が膨らんでいた。創造は、単に称賛され、美しく賛美されるだけのものではないのではないか、という疑念だった。

 ウダヤ師はウトゥがやって来ると、ヴァーサヴァの館の状況やムチャリンダ、ナユタの動静などを尋ねた。ウトゥがそれらを説明すると、ウダヤ師はため息をつきながら言った。

「あの創造の日の胸膨らむ思いが夢のようですな。あの日、バルマン師の創造の火が宇宙のただ中を突っ切ってゆくという噂を耳にしたときの胸の高鳴り、そして、大地と海のもとを準備してそなたがやって来るのを待っていたときのことが思い出される。それにしても、今の状況は、大地に腐臭が広がる前兆かもしれませぬな。」

「ほんとうに、あれからすべてが変わってしまいました。ムチャリンダとの戦いは避けられないと多くの者が言います。姉のシュリーは殺気立って、戦いの準備に奔走しています。でも、私には、この創造が本当に正しかったのかという疑問に答え得ないのです。」

 ウダヤ師はしかし、諭すように言った。

「そうかもしれぬな。だが、創造は生起してしまい、戦いも現実のものとして始まろうとしている。そこから逃避するわけにはゆくまい。この現実にどう対処するのか、それが問われているのであろうな。」

 ウトゥがいちおううなずくと、ウダヤ師は続けた。

「だが、同時に創造された世界のことも考えねばならぬ。皆、地球のことを放っておいて自分たちの戦いにのめり込んでいるが、とても褒められたことではなかろう。人間たちは、心を荒ませ、欲望に身を任せて戦いに明け暮れている。そして、都市や国家が大きくなるにつれて、戦いの規模、殺戮の規模は大きくなり、そのたびに、途方もない悲鳴が大地を覆っている。いまや世界を造った神を呪う声さえ大地に蔓延しているかもしれぬ。」

「そういった意味では、この創造は正しい行為だったのでしょうか。私には、ウダヤ様やマーシュ様の危惧がよく理解できますし、現在の危機的状況を考えるとき、創造そのものをそもそも始めることが正しかったのかどうか疑問に思えるのです。このような不完全な世界を、このまま放置し、さらに展開し続けねばならないのでしょうか。」

 ウダヤ師はしばらくじっと考え込んだが、やがてゆっくりと言った。

「ウトゥ、その気持ちも分からんではない。だが、おまえの守護神シャマシュは輝ける者であり、あらゆる邪悪なものの敵対者であった。すべての悪行を見通し、正義を貫く大神であった。そのシャマシュ神を奉ずるおまえがこの創造における暗黒の部分を正すのではなく、ただ、創造を打ち壊すことを主張するのは正しいのであろうか?それに、古来より、創造によってのみ神々は己を見出すことができる、ということが言われているのは知っておろう。しかも、創造を行うことはヴァーサヴァ様の使命。それを遮ることは誰にもできぬ。だから、わしもできる限り協力してきた。それに世界はもはや破壊した方が良いなどというのはムチャリンダの思想そのもの。それは短絡的で思慮に欠ける考え方としか思えぬ。それで神としての使命を果たしたことにはならないはずだ。」

 創造に対して疑問をいだいているウトゥの考えについてこれ以上話してもウダヤ師の理解は得られないと察したウトゥは、訪問させてもらったことに礼を言い、丁寧な別れの挨拶をしてウダヤ師の元を辞した。

 しかし、ウトゥは納得したわけではなかった。むしろ、創造への疑念に対してウダヤ師が明快な回答を持っていないと感じ、創造に対する疑念は深まるばかりだった。

 

 それから数週間後、進軍を続けたムチャリンダの軍勢が、ついにヴァーサヴァの館に迫ってきた。金髪にして三つの目、四本の腕を持ち、七頭の馬が引く戦車に乗りって天を翔ると言われた守護神スーリヤさながらの威風で、ムチャリンダは、悠々と無数の軍旗をなびかせ、堂々と進軍してきた。支持者たちに囲まれ、地を覆うばかりの大軍勢だった。

 延々と続く戦車隊の列の先頭には、流星錘を握ったヤンバーが勇壮ないでたちで進み、それに続くイムテーベ、ルガルバンダもヤンバーに負けず劣らず豪壮な鎧姿で進軍した。ホルスを奉ずる軍神イムテーベは鷹の描かれた旗を押し立て、神器ヒュドラを掲げて進んだ。

「ついに、創造などという愚かな行為を繰り返すヴァーサヴァ一味を撲滅することができる。」

「いまこそ、天下に、真の正義とは何たるかを示すときだ。」

「宇宙の歴史が変わる時が来た。俺たちの槍が古い秩序を打ち崩し、新しい宇宙の端緒をつけるのだ。」

 そういった声が、軍勢の中に響き渡った。

 一方のヴァーサヴァ軍はシュリーが総大将となり、ライリー、バルマン師がそれぞれ軍勢を率いてヴァーサヴァの館を守るための要衝に布陣した。

 ムチャリンダは部将を集めて軍議を開いた。勇猛さにかけては右に出る者はないと自負する右将軍ヤンバーが進み出て、進言した。

「ヴァーサヴァの軍団はシュリーが指揮しており、我らの進撃を食い止めるべく、城外の要衝に兵を配置しています。しかし、防御陣地は準備不足であり、しかも兵力が分散していますから、これを撃破するのはたやすいこと。奇襲によって一気に粉砕し、ヴァーサヴァの館になだれ込んで、創造の火を破壊しましょう。さすれば、明日にも我らは祝杯をあげ、安らかな思いで帰還できるでしょう。」

 だが、ムチャリンダは同意しなかった。

「ヤンバー、それは正しくない。それでは創造された愚かな人間たちと同じではないか。我ら神々がそのようなことして良いはずがない。我らの行為は天地身命に誓って正しいものであり、正々堂々と行うべきはずのもの。奇襲などとはもってのほか。もし、そのようなことをしようものなら、我らを支持する多くの神々の心も我らから離れよう。」

 この言葉に、ヤンバーは引き下がるほかなかった。代わって、発言したのは大将軍イムテーベだった。

「誠に、今のムチャリンダ殿のお言葉はご立派。我らも支持致します。古来より、聖なる戦いは天によって定められた規則に則って行われねばならないと伝えられています。まず、真っ白に塗った一本の矢を敵軍に向かって射かけ、次いで、白い服に身を包んだ使者が自軍の大義名分を書いた巻物をもって敵軍を訪れます。それに対して、敵軍が戦いをもって決着をつけようというのであれば戦いのやり方を決めることになります。また、もし、提示された大義名分に反論を望むのであれば、まず、論戦によって決着をつけることが試みられます。いまだかつて、このような規則に則って行われた戦いで、論戦を経ずして戦端を開いたということは聞いたことがありません。それゆえこの度も、まずは議論によって白黒をつけるべく論戦を挑むべきかと考えます。」

 ムチャリンダ陣営一の論客ルガルバンダも口を開いた。

「私もイムテーベ殿に賛同致す。このたびの創造では、ヴァーサヴァは幾多の過ちを犯している。創造がこのような困難な袋小路に迷い込んでしまったのも、すべてはヴァーサヴァの始めた創造のやり方そのものにかかわっている。今回の創造の矛盾を一つ一つ追及し、一方で、我らが理想とする正義を証明しようではありませんか。」

 ムチャリンダもうなずき、イムテーベとルガルバンダに指示した。

「イムテーベ。さっそくだが、規則に則って、論戦の手筈を整えてくれ。もちろん、ヴァーサヴァがすでに己の非を認め、創造を停止するというなら、論戦までもないがな。また、ヴァーサヴァが血迷って遮二無二戦いを行おうというのなら、論戦は抜きにしてすぐにでも戦端を開くのにやぶさかではない。それから、ルガルバンダ。その方は論戦の準備を整えてくれ。鋭い刃で生肉を切り裂くように敵の生ぬるい理念を打ち砕く鋭利な論理を準備してもらいたい。たとえ、敵がどのような卑劣な論法を用いて来ようとも、決してそれに屈することなく、我らの正義を全宇宙に喧伝できる論理を用意してくれ。宇宙広しといえども、この宇宙の中で論戦にかけてそなたの右に出る者はおるまいからな。」

 イムテーベはさっそく真っ白に塗った一本の矢をヴァーサヴァの陣営に射かけ、白い服に身を包んでルガルバンダがしたためた巻物をもってヴァーサヴァの陣を訪れた。その巻物には百万語にものぼる言葉で、ムチャリンダの正義とヴァーサヴァの非が書き連ねてあったという。

 ヴァーサヴァの陣営でも、論戦に異存があろうはずはなかった。

 こうして論戦が行われることになり、両軍が睨み合う野の中央に論台が準備された。ヴァーサヴァ側からは、ヴァーサヴァ自身、ランビニー、シュリー、ウトゥ、それにバルマン師が論台に登った。一方、ムチャリンダ側から論台に登ったのは、ムチャリンダ、イムテーベ、ルガルバンダであった。

 論戦は、多くの神々が見守る中で始まった。最初にルガルバンダが、百万語の巻き物を要約した簡潔にして明快、そして威厳と権威に満ちた演説を行った。それはおおむね次のような内容だった。

「古来、創造は神々の聖なる行為、神としてなさねばならぬ唯一の義務、そして絶対に犯されることのない権利であった。たしかに伝え聞くところによれば、古来には、優れた創造、神秘的で優美な創造、何ものにも代えがたい妙なる響きを発する創造が存在したという。しかし、それはもはや伝説の中の話。すべてが移ろい、すべてが変化してゆく世界で、かつて真であったものが今も真であるという保証などどこにもない。現代の我々が体験しているものは、創造による混乱、狂気、殺伐とした喧騒、そういったことどもだ。前回の創造もそうであった。創造が巻き起こした混乱は創造されたものを業火で焼き尽くし、地上のすべてのものが狂気と錯乱の中に投げ込まれた。ナユタは去り、ムチャリンダは無実の罪を問われてマーシュ師の呪文によって葬られた。もはや創造は混乱を引き起こすだけのものとなっている。それはなぜか。ヴァーサヴァが創造の本質への洞察を軽視し、安易に創造を開始していることに根本原因があることは明らかだ。ヴァーサヴァは安易に再び創造を開始しただけであり、そこには前回の創造の失敗に対する反省によって新たな策を設けたということもない。ある神は言うだろう。創造が彼の仕事なのだと。また、別の神は言うだろう。創造はなかなか刺激的ではないか、それはわれわれに興奮と喜びと楽しみを与えてくれると。だが、考えてみるがいい。創造されたものたちはどうなるのか。天の底で這い蹲り、悲惨さのみを己の定めとして生きるしかない途方もない数の生き物たちの存在をどう考えるのか。私の心はその現実に耐えられない。神である我らが、地上の人間たちにただただ苦しみを与えているにもかかわらず、己の使命を果たしているとか、創造がわれらの喜びなどと胸を張って良いのであろうか。私は良心の呵責に耐えられない。なぜ、創造を止めないのか。なぜ、創造を打ち壊さないのか。もし、今回の失敗した創造を一思いに打ち壊すなら、これから永劫の未来にわたって繰り返されるに違いない人間たちの無数の苦しみ、悲惨な人生をすべて救済することができるのだ。だが、ヴァーサヴァは己の非を認めず、よってムチャリンダは復活した。正義が彼を呼び起こしたのだ。改めて私は言う。創造を今すぐ打ち壊せと。それがすべての神、そしてすべての地上の生き物たちにとって最上の行為なのだ。」

 これに対して、ヴァーサヴァ側からはバルマン師が反論の主張を行った。バルマン師は、古来より伝わる、幾多の格言、言い伝えを引用し、また、師であるナタラーヤ聖仙の教えを引き合いに出しつつ、堂々と論陣を張った。それは次のような内容だった。

「ナタラーヤ聖仙はこう言われた。すべての生起したものには隠された意味がある、何かがそれを突き動かしている、と。創造は神だけがなしうる聖なる行為だ。そして、神だからといってその創造が完全だなどということはありえない。不完全なのが通常の状態だ。だが、だから創造を行うべきでないというのは神の責務を無視した思想にすぎぬ。神は創造するために存在する。だからこそ、全身全霊を打ち込んで、創造のために心血を注ぐのだ。不完全だとしても、より高い状態を目指して努力すること、それが神の責務なのだ。それにもかかわらずムチャリンダは復活し、ただ創造を破壊するためだけに軍を整え、この館まで進軍してきている。まことに神の道にももとる行為と言わずにはいられない。たしかに、ムチャリンダが破壊の神であり、破壊こそが神としての彼の聖なる行為であることは認めよう。だが、それは時が来ればだ。今は創造が始まったばかりのとき。その創造の小さな欠点をあげつらって創造を破壊すべきだなどというのは神として恥ずべきことではないのか。このように軍勢を整えて、力にものを言わせて、聖なる創造を行っているヴァーサヴァ様の館にやってくるのは狼藉以外のなにものでもない。速やかに非を認め、軍を解いて帰還するがよい。そなたがこのまま帰還するなら、我らはそなたの今回の乱暴な振る舞いを咎め立てしないこととしよう。」

 しかし、このバルマン師の演説が終わるやいなやムチャリンダは大きく口を開けて笑って答えた。

「ばかなことを言うものではない。おれは自らの意思で勝手に復活したのではない。宇宙がその復活を望んだのだ。愚かな創造を目の当たりにし、それを不快に思う神々の数は数え切れない。だが、その多くが、ヴァーサヴァの権力をかさにきた暴挙の前に沈黙を余儀なくされていたわけだ。彼らの正しい認識を支え、それを具現する行動を起こすことがおれの崇高な使命なのだ。」

 すかさずシュリーがそれに抗議した。

「創造を冒涜する発言を謹みなさい。おまえは破壊の神、わたしたちが本当におまえを必要とし、おまえを呼ぶまで、宇宙の淵で控えているのがおまえの役目ではないか。誰もおまえを呼ばず、創造がこれから大きく花開こうとする今日この時に、創造を妨害するために出てくるおまえの行為は神々全体への恐れを知らぬ挑戦ではないか。」

 この言葉にルガルバンダが反論した。

「シュリー、誰もムチャリンダ殿を呼ばなかったと言うが、それは正しくない。少なくとも私はムチャリンダ殿を呼んだ。私以外にもムチャリンダ殿を必要とした者は少なくない。ヴァーサヴァはたしかに神々の世界で大きな力をもっているが、それが絶対ではないことを知るべきだ。自分たちだけが宇宙を仕切っているなどという思い上がりは謹むがいい。」

 シュリーは怒りのために真っ赤になり、ランビニーも唇を震わせた。いまだかつて、ヴァーサヴァにこれほど辛辣な言葉を投げた者はなかったからだった。シュリーはやっとのことで叫んだ。その声はヒステリックでさえあった。

「ヴァーサヴァは神々の第一神者です。それは多くの神が認めていること。そなたは、かつてヴァーサヴァが邪神アシュラを滅ぼし、天空の秩序を作ったことを忘れたのか。アシュラが宇宙を席巻し、邪悪な臭気を撒き散らしたとき、そなたはおろかムチャリンダでさえ、おびえて己の洞窟に身を隠していたではないか。」

 ルガルバンダは、しかし、平然として涼しい顔をして答えた。

「だが、それは昔のこと。今は違う。創造の輝かしい絆を褒めたたえて麗しき天の娘たちが悠々と歩いたのははるか過去のことだ。我々にとっては現在のこの状況こそが問題なのだ。安易な姿勢から生み出された創造が、歪んだ世界を形成しつつあるというこの状況こそが問題なのだ。そして、そのことを多くの神々が懸念していたにもかかわらず、ヴァーサヴァはそれらを無視し、独断で創造を始めてしまった。これこそ神々全体への冒涜、全宇宙への恐れを知らぬ挑戦というべきものではないか。」

「どこが歪んだ世界と言うのか。」

 そう声を荒げたのはヴァーサヴァだった。ヴァーサヴァは、この日のために城からわざわざ運ばせて論台の周囲に飾らせた絵画や彫刻を指しながら怒りを含んだ声で言った。

「この美しい絵画、彫刻、調度品の数々を見るがいい。すべてこの創造において地上より持ち帰ったものだ。創造のすばらしい結果ではないか。そればかりではない。楽師たちは地上から持ち帰った楽器で妙なる音楽を奏で、詩人たちは、地上のできごとに基づく壮大な叙事詩を創作している。この創造の果実に目をやらず、ただ、創造の些末な欠点をあげつらうおまえたちにいかなる正義があるというのか。」

 しかし、イムテーベは冷静な、けれど重々しい口調で答えた。

「些末な欠点とは笑止千万。どこをもって些末と言えるのか。そもそも現在の創造の実態を再認識するがいい。美しい創造を行ったとおまえたちは謳うが、創造された者たちはどうなっているか。神にとっては美しい創造かもしれぬが、創造された者たちはたまったものではない。食うか食われるかの世界に投げ込まれた者たちはな。この世界は、おまえが生き物たちそして人間たちに与えた恐るべき衝動、すなわち、食い、産み、征服しようとする衝動によってかき乱されているではないか。征服者は力で民衆を抑圧し、征服した都市の男や女を奴隷に落とし、この地上では恐ろしい虐殺と絶え間ない悲鳴が渦巻いている。飢えと病は地上の至るところに蔓延し、人間どもの血がほとばしらぬ日を見出すことはもはやできぬ。都市では、貧しい民が虐げられ、力を持つものが力にものを言わせて多くの者を抑えつけている。貧民たちの暮らしを見てみるがいい。わずかな食べ物、粗末な泥の家、それが彼らの現実だ。豊かな実りが彼らを潤すことはない。実りよりも食わねばならぬ人間の数の方が多すぎるのだ。このような世界はただ人間たちに苦しみを味あわせるために存在しているとしか言えないではないか。これはいったい誰の責任か。この現実に対してムチャリンダがいったい何をしたというのか。すべてはヴァーサヴァの始めた創造の結果ではないか。」

 返答に窮したシュリーがいきり立って答えた。

「それはナユタのせいです。ナユタさえいらぬ邪魔だてをしなければ、創造は美しく展開されていたはず。ヴァーサヴァや私たちには何の責任もない。争いたければ、ムチャリンダとナユタで争えばいいのです。」

 だが、この発言には首をかしげる者が多かった。ヴァーサヴァを支持していた神々の中にさえ、顔をしかめる者が少なくなかった。

 バルマン師もこのシュリーの発言を苦々しく思ったが、気を取り直して言った。

「ヴァーサヴァは己の使命に従って創造を開始したまでのこと。地上の混乱については確かに我らも心を痛めている。だが、だからこそ、今は地上の問題に心を砕くべきとき。このように神々同士で争っている場合ではない。もう一度繰り返すが、ムチャリンダよ。このまま己の住処に帰るがいい。」

 この発言に答えたのはルガルバンダだった。

「バルマン殿。そのように心を痛めるような事態に至っていることをそなたも認めるのだな。今回の創造が失敗であることが証明されているわけだ。だとしたら、第一に創造を始めたヴァーサヴァの責任が問われるべきだ。そして第二に、失敗作である今回の創造は打ち壊されるべきなのだ。まさに今は、この創造を停止し、地球を破壊すべきときなのだ。このような神々どうしでの争いを止め、このような醜い混乱しか招かない創造を、ひと思いに打ち壊すべきときなのだ。そうすれば、我らも心安んじて自分の住処に帰れるし、そなたたちもいらぬ心配に悩まされなくていいわけだ。」

 論争はさらに続けられたが、ムチャリンダ側が優勢であった。長い論争の末、しかし、ヴァーサヴァは、その論争の流れをすべて無視して言った。

「わしは神々の主催者として、己の使命に従って創造を開始した。この創造を止めることは決してできぬ。ムチャリンダよ。己の分をわきまえて、宇宙の淵に引きこもるがいい。神々は新しい、より偉大なものを創造すべきなのだ。」

 しかし、その言葉はむなしく響いた。

 もはや論争すべきものはない、論争は終わったと見て取ったムチャリンダは臆することなく堂々と答えた。

「おまえなど神々の主催者ではない。自分と、自分の取り巻きがそう思っているだけだ。おまえなど神の中の神ではないと思っている者がいかに多いか、明日になれば分かるだろう。」

 そう捨てぜりふを吐くと、ムチャリンダは席を立って引き上げた。ムチャリンダの支持者たちは歓声を揚げ、ヴァーサヴァの支持者たちは落胆を隠しきれなかった。

 イムテーベはひとり後に残って、バルマン師と戦いのやり方に関する取り決めを行った。

 同じ条件にある者同士は公明正大な態度で一騎討ちをし、その間、他の者は手を出さない。言葉で言い合っているときは、相手も言葉だけで投じる。戦いを放棄した者を倒してはならない。戦車は戦車同士、歩兵は歩兵同士で戦い、降参したり、退却している者、武器が損傷したり、鎧を身に着けていない者を攻撃してはならない、などなどであった。

 いよいよ戦いの火ぶたが切られる日が来たのだった。

 

 次の日の夜明け、ムチャリンダは法螺貝を吹き鳴らし、戦いを宣言した。ヴァーサヴァ軍は城外のそれぞれの要衝にシュリー、バルマン師、そして部将のライリーが布陣してムチャリンダ軍を待ち受けた。

 戦端を開いたのはムチャリンダ軍団一の勇者ヤンバーであった。ヤンバーは華麗な雄姿で流星錘を掲げ、ライリーの陣営を目掛けて突進した。

 ライリーは戦車の上にすっくと立って叫んだ。

「この聖なる創造を破壊しようなどという邪悪な輩にこの聖なる地を汚させてはならぬ。ヤンバーを倒し、正義は我にあることを天に示すのだ。」

 しかし、法螺貝が吹き鳴らされ、天地を揺るがす轟音とともにヤンバーの軍団が押し寄せると、ライリーの指揮する軍団はあっという間に突き破られた。ヤンバーは叫んだ。

「ライリーなどものの数ではない。一気に揉みつぶせ。」

 ヤンバー軍は怒涛の勢いで突撃して、ライリーの軍団を震え上がらせた。ヤンバー軍の戦車が縦横無尽に駆け抜け、ヤンバー自身も自慢の流星錘を振り回して敵をなぎ倒していった。ライリーも奮戦したが、しだいにライリー軍は統率を失い、陣地を放棄して城内に逃げ込まざるを得なかった。

 緒戦の戦いはあっという間に終わり、ムチャリンダ軍の勝鬨がとどろいた。

 こうなると別の場所に布陣していたシュリーとバルマン師はこのまま孤立して布陣し続けるわけにもゆかず、日暮れとともに城内に引き下がった。

 ムチャリンダ軍は勝利の凱歌を挙げ、ヤンバーは緒戦の勝利を導いた将軍として称えられた。

 ムチャリンダが言った。

「ヤンバー、よくやった。さすが宇宙一の勇者と言われるだけのことはある。これで敵を城内に押し込めることができた。イムテーベ、今後はどのような作戦をとればよかろうか。」

 イムテーベが答えた。

「ムチャリンダ殿。城にこもる敵を攻め落とすのはそう簡単ではありません。古来よりの兵法書によれば、城攻めには十倍の兵力が必要と言われています。しかし、ここでヴァーサヴァが城に押し込められ、その状況を打開するいかなる手立てもないことが明らかとなれば、神々の心はヴァーサヴァから潮が引くように離れてゆくでしょう。それは宇宙の大勢が決することを意味します。そのことはヴァーサヴァもシュリーもバルマンも分かっているはず。そのため、彼らは、城外での決戦に打って出て、我が軍と雌雄を決するほかなくなるでしょう。それを待ち、ヴァーサヴァ軍を粉砕する準備を進めることです。」

 こうしてムチャリンダ軍はイムテーベの進言に従って次の決戦への準備を着々と進めた。

 そんな中、イムテーベは付近の地形を丹念に調べさせたが、城から少し離れた場所に、巨大な岩に突き立てられたポールを発見した。それは二つに折れた青いポールだった。

「これこそ、創造の儀式のときにナユタが折った七本目のブルーポールに違いない。」

 埃をかぶって青い色は鈍くなっていたが、まさしくブルーポールだった。イムテーベはさっそくそれを引き抜こうとしたが、ブルーポールはびくともしない。イムテーベがこのことを報告すると、ムチャリンダはヤンバー、ルガルバンダを伴ってやって来た。

 ムチャリンダはヤンバーに指示した。

「ヤンバー、おまえはこの宇宙で並ぶ者なき武勇の持ち主と言われておる。このブルーポールを引き抜いてみよ。」

 ヤンバーは渾身の力を込めて引き抜こうとしたがブルーポールを引き抜くことはできない。ならばと、ムチャリンダ自身も、宇宙の闇の中で会得した霊力をもって立ち向かったが、ブルーポールは微動だにしない。

「このブルーポールには呪文による封印がなされています。封印を解くことなくこのブルーポールを手に入れることはできないでしょう。」

 ルガルバンダがそう言うと、ムチャリンダも諦めて陣地に引き上げた。

 一方、ヴァーサヴァの城塞では論議が続いていた。このまま城に引き籠もって守りを固めるか、打って出てムチャリンダと対決するか、議論が戦わされた。

 血気にはやるシュリーは決戦を主張した。

「このまま城に閉じ籠もっていても埒は明きません。いたずらに時を浪費していると、これまで私たちを支持してくれていた神々の心も離れかねません。先日の敗戦は軍を三つに分けて個別に布陣したのが原因。全軍で打って出れば、勝機は見出せるはず。その決戦で雌雄を決するべきです。」

 だが、バルマン師は籠城を勧めた。

「シュリー。そなたは今決戦を挑んで、ムチャリンダを打ち破れるとお思いか。敵方には、宇宙一の勇将ヤンバー、武略に優れたイムテーベがおり、ムチャリンダは破壊の最高神だ。しかも敵方は巨万の兵力を擁しており、これと正面から戦かおうというのは匹夫の勇そのもの。今は自重し、時を待つべきだ。」

「バルマン様。しかし、時を待っていて、何が訪れるのですか。状況は悪化するだけではないのですか。」

 バルマン師はつぶやくように言った。

「ナユタがやってくる。」

「ナユタ?」

 シュリーはそう叫ぶと、さらに食ってかかりそうな勢いだったが、それより前にヴァーサヴァが言った。

「籠城が良いか、打って出るのが良いか、判断は難しい。ナユタが頼れるかどうかも疑わしい。だが、ここは長老のバルマン殿のご意見を尊重しようではないか。しばらく様子をうかがったとて、状況が急激に悪化するものでもあるまい。」

 こうして、ヴァーサヴァは籠城を続けた。

 

 城中のヴァーサヴァ側と城外のムチャリンダ側とが睨み合ったままのところへナユタが到着した。ナユタはムチャリンダ軍団とヴァーサヴァの城塞を眺めることのできるなだらかな小高い丘の上に幕舎を張った。

 そのナユタのもとにさっそくやってきたのはウトゥだった。ムチャリンダとの論戦では一言も発言せず、戦闘が始まっても、城内に閉じ籠もって戦おうとしないかったウトゥだが、ナユタの元には誰よりも早くやって来た。

「ヴァーサヴァの息子ウトゥと申します。」

 ウトゥは緊張した面持ちで言った。

「父ヴァーサヴァが始めた創造を巡ってムチャリンダが城を囲み、今あなたまでもやって来ています。創造を巡ってこのような対立があること自身が創造の根源的な問題を露呈しているように思えます。父ヴァーサヴァはあなたを呼ぶことなく創造を始めてしまいました。私には、このような創造自身が正しいものと思えません。なぜ、神は創造せねばならないのか。なぜ、何もない状態のままでいられないのか。私には、神々とはなんと愚かなものかと思えます。創造はやはり打ち壊した方が良いのでしょうか。そして、父ヴァーサヴァとムチャリンダの間の決定的な対立が生じ、戦いが始まっている現在、いったい私はどうしたらいいのでしょうか。バルマン師をはじめ多くの神々があなたを称えています。あなたはこれから何をなされるのですか。そして、創造に対する正しい道とは何なのでしょうか。」

 ウトゥは悲壮な面持ちで語ったが、ナユタは揶揄するような笑いを浮かべて言った。

「生起してしまった創造に対する唯一の道は、創造そのものを救済することだ。それ以外に何があるかね。」

 ナユタにはウトゥの平板な思考が透けて見えたのだろう。ウトゥは顔を歪めて言った。

「では、我々はいったいどうすればいいのでしょう。」

「創造への適切な関与を行うこと。苦労を厭わず、創造の中に分け行って、道を見い出すことだ。困惑し、嘆いているだけなら誰にでもできる。信念もなく、ただ途方に暮れるだけならどんな弱者にだって可能だ。自らの信念に従い、自ら混乱と困窮の中に分け入って道を求める者だけに光は差し込むのだ。」

 ナユタの毅然とした態度にウトゥは恐れをなし、それ以上何も言えなかった。純粋な自分の気持ちを聞いて欲しいという願いはかなえられず、しかも、ナユタに侮蔑されたと感じたウトゥは、さらに言いたいこともあったのだが、すべて喉の奥にかみ殺し、心の中に怒りの残り火を燃やし続けて去っていったのだった。

 

2013年掲載 / 最新改訂版:2021731日)

 

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向殿充浩 (こうでんみつひろ) / 神話『ブルーポールズ』第1巻