著作権・大阪東ティモール協会
East Timor Quarterly No. 9, October 2002

対立から和解へ
「受容真実和解委員会」と「ヤヤサン・ハック」の挑戦

吉田真

 今、東ティモールでは、インドネシアの難民に対する援助が打ち切られたこともあり、民兵であった人々が次第に元の村に帰還している。しかし、それは自分の身内を殺した人が帰ってくることを意味し、精神的わだかまりは計り知れないものがある。各地で暴力事件にまで発展するケースが起きている。最近NHKはこの対立を和解へ導くよう努力しているふたつの組織の取組みを番組として放送した。


受容真実和解委員会の取組み
NHK−BS ASIA who's who

 受容真実和解委員会は、99年の住民投票前後の人権侵害及びそれ以前の人権侵害より生じた住民間の対立を和解に導くため、2002年1月、国連暫定行政によってつくられた。
 委員会の活動は、地域で活動するスタッフを養成すること、重大でない犯罪について住民が和解できるよう導いていくこと、各地で起きた事を一つ一つ掘り起こし記録していくこと、などである。重大犯罪と判断される事件は、検察の判断で、裁判にかけられることもある。
 委員の一人ジャシント・アルベス氏は、地域スタッフの養成ミーティングのなかで、家を焼かれ、暴力を受けた人が加害者を受入れることは容易なことではないけれど、「住民の本音を引き出すこと」「ねばり強く取組むこと」が大切だと、熱く語る。
 しかしそんな彼も、1991年に起きたサンタクルス虐殺事件ではデモを組織した疑いで7年間投獄され、インドネシア軍に対する憎しみが湧き上がることを抑えられなかった。
 しかし、この投獄は彼に貴重な啓示をもたらした。対立をもたらしているのは外国の支配者だと。獄の壁には彼の言葉が残っている。
 「私たちは自由を求める。志と希望を妨げる支配者と闘うために。ジャシント・アルベス」
 元民兵の一人ドミンゴ・デ・デウス氏が、帰還したものの村から受入れを拒否され、ディリに12人の家族と共に留まっている。アルベス氏は事情を聞くために彼の家を訪れた。デ・デウス氏は暴力への関与を強く否定したが、アルベス氏は事情を確かめるため、彼の村、エルメラ県アタベ村に出向いた。
 この村は東ティモール西部に位置し、人口1700人で、デ・デウス氏は村長を務めていた。デ・デウス氏の家は跡形も無く破壊されていた。今の村長に事情を聞くと、デ・デウス氏受入れに強く反対しているのは、彼に暴力を振るわれた人たちであるとのことであった。
 アルベス氏はアタベ村でのことをデ・デウス氏に話し、すべてを告白することが解決の道であることを諭した。デデウス氏はやがてこれまで話してこなかったことを語り始めた。部下が殺人を犯したこと、自ら独立派へ暴力を振るったこと、をである。
 これらの事は記録が作られ、裁判所に送られ、重大犯罪と見なされなければ、和解を目的にした住民会合が開かれる。
 デ・デウス氏は村人の前ですべて告白しなければならない。そして補償を被害者に示し、村人の判断を待たなければならない。
 番組で取り上げられたのはひとつの事例に過ぎないが、東ティモール全土で暴力事件は起きたのである。これら一つ一つを掘り起こし、和解に結び付けていくのは、地道で長い取り組みが必要であるけれど、その先にあるのは、どんな困難にも負けず和解を勝ち取った東ティモールの人々に対する世界からの尊敬ではないだろうか。なお、受容真実和解委員会はホームページを持っている。アドレスは下記の通り。

http://www.easttimor-reconciliation.org/


ヤヤサン・ハックの取組み
NHK総合 アジア人間街道

 ヤヤサン・ハック(人権団体)は住民投票前後に起きた暴力事件により生じた憎しみを和解に導くため、和解ミーティングを各地で開いている。
 ヤヤサン・ハックのスタッフ、アニセト・ネベス氏は東ティモールの首都ディリからバイクで8時間のアラス村を、和解ミーティングのために訪れた。アラス村は1000人の人口をもつ南部の村だが、フレテリンの拠点であったこともあって、100人規模のインドネシア軍が駐留していた。99年住民投票後の騒乱時には村の7割が焼失、学校・病院も焼けてしまった。
 メネス氏のチームは和解ミーティング前の予備調査として、西ティモールから帰還した人たちを確認し、取り上げるべき事件をピックアップしていった。その中に1件の殺人事件があった。1998年9月にアントニオ・リベロ(当時20歳)が併合派に殺された事件だ。
 アントニオは父エジリオの自慢の息子であった。ある日、アントニオは併合派に連れ出され、帰ってこなかったのである。父エジリオは必死になって探し、やがて土に埋められた息子アントニオの亡骸を見つけた。父エジリオはその時から丹念に目撃証言を集め7人の容疑者を割り出していった。
 ネベス氏は、この7人の容疑者のうち6人が帰還していることを確認した。そしてこの6人に和解ミーティングに自主的に参加するよう説得を行った。
 その中の一人エイザリオ・ダ・コスタ(26歳)は小さな畑を耕し、妻と幼い子供とひっそりと暮らしていた。彼は多くの村人に暴力を振るった過去をもっていたが、村人に謝りたいと願っていた。ただその真意は、「自由にどこへでも行きたい、自由に仕事につきたい、そうすればより豊かになれる」と、少々虫のいい話ではあるが。
 和解ミーティングの日、村人の3分の1が集まった。入り口では暴動を防ぐため、警察によるボディーチェックまで行われた。いよいよ和解ミーティングが始まると6人が呼ばれた。彼らが村人の前で話すのは初めてであった。関係者が6人に対し質問する形で和解ミーティングは進んだ。
 いよいよダ・コスタ氏の番になった。質問は父エジリオではなく従兄弟から行われた。彼はその時の様子を告白していった。
 「アントニオを呼び出したのは私です。みんなで殴りました。やがて彼は死にました。」
 告白が終わると、ヤヤサン・ハックの和解ミーティングスタッフは、被害者と元民兵に握手を促し、周りからは拍手が起きた。
 しかし、父エジリオはその様子を黙って見つめるばかりだった。この告白で彼の心は大きく変わることはなかった。また加害者であるダ・コスタ氏自身も肉親を殺された人の気持ちが簡単に変わることはないことは分かっていた。
 一回の和解ミーティングですべての真実が明らかになるわけではないけれど、しかし、アラス村独自の和解ミーティング設立の声が上がるなど少しずつ変化の兆しも見えてきた。
 東ティモールの人々は対立から和解へ少しずつではあるが一歩を踏み出している。

★      ★


 以上、ふたつの取組みを取り上げたが、和解プロセスは途に付いたばかりであり、現実問題として、和解がそんなに簡単に進むことはないだろう。自分の身内を殺した加害者がいくら許してくれと言ったところで、虫がいい話で、被害者にしてみれば殺しても殺したりない気持ちが簡単に変わるものではない。
 またこれらの活動資金も海外に依存しており、専門家も不足している。これらの支援も必要であろう。
 一方、議会では恩赦法の検討がなされているが、和解へ至るまでの条件、真実が明らかにされること、適切な方法で裁きが行われること、補償が行われることなどを無視した、みんな水に流そう式の荒っぽいものであり、まだまだ目が離せない状況が続いている。★


情報活動9号の目次ホーム